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11話 夜の手結島

「じゃあ、美津亜。流時くんと二人でゆっくり追いかけてきてね?」


 真知さんがそう言い残して土方さんが運転するミニバンに乗り込んだ。ぼくと美津亜ちゃんは自転車にまたがった状態でそのミニバンがゆっくりとペンションから離れていくのを見送る。


 バーベキューをやっている背後のスペースからはまだわいわいと賑やかな声が聞こえてくるけど、車が進んでいく先はしんと静まり返っている。


「じゃ、流時くん、わたしたちも行こう。用意は良い?」


 美津亜ちゃんが振り返って確認してきたので、ぼくは美津亜ちゃんが癖みたいによくやるOKサインで応答した。


 美津亜ちゃんはにやっと笑ってペダルを踏み始めた。ぼくも遅れず自転車を発進させる。日が沈んで随分と経つけどまだじんわりと暑さの残りが空気の中に漂っている。


 人通りはもうほとんどなく、街灯もまばらなので道の両脇には濃い闇が沈んでいる。


 それでも空を見上げれば無数の星と黄色い月が輝いていて、不安はあまり感じない。自転車を加速していくと夜風が身体を包んで、どんどん爽快な気持ちになっていく。


(やっぱりこの島は自転車が最高だな!)


 それは両脇に生えている木々の枝が頭の上まで張り巡らされていて、まるでトンネルのようになっている下り坂を一気に下りきった時に最高潮に達した。


 そしてまたしばらく人気のない通りを走ってちょうど分かれ道にさしかかったその時。


「?」


 ぼくは美津亜ちゃんが自転車を止めているのを見て、同じようにブレーキをかけた。


「どうしたの?」


 ゆっくりと足で地面を蹴って近づいていく。美津亜ちゃんは分かれ道の一方を指さした。


「誰かがあっちに向かって進んでいった」


 ぼくもさっとそちらに視線を向けたけど誰も見つからない。今度は手をかざし、目をこらしたけどやっぱり美津亜ちゃんが言うような人影は見当たらなかった。


 そちらの道はもう片方の道と比べて細く、しかもやや古びていて、二つほど灯っている街灯の先は深い闇に呑み込まれていた。


「懐中電灯とかランタンの光……たぶん。あっちに向かった」


 ぼくには美津亜ちゃんがなんでこんなに硬い声で喋っているその理由がよく分からなかった。確かに民家もないような場所だけど、星でも見に来た観光客が歩いていったのかもしれない。


 現にさっき家族連れが小さな望遠鏡を抱えて歩いているのとすれ違った。


「違う」


 美津亜ちゃんがぼくの言いたいことを察したかのように真剣な顔で首を横に振った。


「あっちに今、行くことはない。できない。行っちゃダメなの」


「……どういうこと?」


「あっちは通越。入難地区に続いている」


 ぼくは一瞬、考えてからはっとした。


「もしかして今、立ち入り禁止になっている場所?」


「そう」


 ぼくはふいに美津亜ちゃんのおばあさんの少し怯えたような顔が頭に思い浮かんだ。


「あのさ」


 自然と声を低くしながら確認する。


「さっきスティーブンさんからテユイさまのオヤシロも台風で被害に遭った、って聞いたんだけど、もしかしてそこも入難にあるの?」


 ぼくは暗闇の彼方を指さして尋ねる。


「つまり、あっちの方」


 美津亜ちゃんが強ばった表情をしてゆっくりと頷いた。彼女の不安そうな目が入難地区に続く道の先からぼくの指に移り、やがて咎めるような色を帯びていく。


 ぼくは自然と手を下ろしながら尋ねた。


「でも、仮に本当に向こうへ歩いていった人がいるとして、それが事情を知らないただの観光客だとしたらその人、困らない?」


 すると美津亜ちゃんは少し自信がなさそうに答える。


「もっといくとちゃんとしたテープとかコーンで封鎖になっているみたいだから大丈夫だと思う。あと今、どこの宿でもお客さんがチェックインする際に地図を渡して、あそこが立ち入り禁止になっていることを説明するから」


 ぼくと美津亜ちゃんは自然と押し黙っていた。その時、もう片方の道から明るいライトがゆっくりと近づいてきた。


 眩しさに目を細めながらそちらに首を巡らし、すぐに気がついた。それは温泉に向かっていたはずの土方さんが運転するバンだった。


「美津亜! 流時くん! どうしたの、こんなところで」


 助手席の窓を開けて真知さんが不思議そうに尋ねてきた。


 美津亜ちゃんもきょとんとした顔で問い返す。


「真知ちゃんたちこそ、どうしたの?」


 すると真知さんが気まずそうな顔になり、代わりに運転席にいる土方さんがむすっと前を向きながら答えた。


「いやあ、申し訳ない。急に帰らなきゃならなくなったんだ。オヤジ……というより高崎のじいさんの命令でね。話し合いがしたいからスティーブンさんを今から連れてこいって。しかも今回は田中のおじさんも積極的に同調しているらしくて」


「ええーーー?」


 ぼくは思わず声を上げた。


「勝手な話だなあ……」


 ついそう言ってしまう。スティーブンのことをガイジンだからと排除しておいて、いまさら手の平を返して急に来い、だなんて。


 しかもこんな夜中に。


 後部座席を見るとシートベルトをした池崎さんがオーバーなリアクションで〝やれやれ〟というように手を広げていた。


「ほんと勝手な話さ!」


 土方さんはいかにも悔しそうだった。


「いくらスティーブンさんが承諾してくれたからって!」


 でも、部外者かつ子供のぼくにそんな感情を見せても仕方ないと気がついたんだろう。いっしょうけんめい、笑顔を取りつくろって、


「という訳できゅうきょ、車を戻さなくてはならなくなったんだ。真知さんも池崎さんも申し訳ないけど足がなくなっちゃうから一緒に帰ってくれるって。君たちはどうする?」


 ぼくと美津亜ちゃんは互いに顔を見あわせた。そして美津亜ちゃんが目で合図を送ってくれたので代表してぼくが答える。


「いえ、ぼくらももう帰ります!」


「そうね。それがいいかも。一応、温泉までは行ったけど今日はあまり人もいなかったし、子供たちだけで夜あの温泉に入るのはちょっと心配」


 真知さんも賛成した。ぼくも美津亜ちゃんももうあまり秘湯を楽しむ気分にはなれなかった。


 その後、ぼくたちはまた車の後を追いかけて自転車でペンションに戻った。確証がなかったからか、結局、美津亜ちゃんは立ち入り禁止区域に向かった明かりのことを大人たちに話さなかった。


 バーベキュースペースにはまだまだ賑やかに人がいてほっとした。お父さんは美津亜ちゃんのおばあさんとビールを片手に話し込んでいた。知らなかったんだけど、おばあさんはかなりの酒豪でこの島のブリュワリー(ビールを造る施設)の創業者の一人なんだそうだ。


 ただスティーブンだけはもう帰り支度をしている。ぼくはここしかないと思って、ぼくが今日、見聞きした情報をスティーブンに手短に伝えた。


 スティーブンは黙ってぼくの言うことを聞いてくれた。その中で、


「なるほど。チンピラ風の男とそれに……黒い服の女がなにかを探していて、私を気にしている。船で会っている二人、か」


 なぜかその点だけ眉をひそめて腕を組んでいた。ぼくは気になって、


「なにか心当たりがあるんですか?」


 そう尋ねると、


「あ、いやいや。ないない。ないよ」


 スティーブンは少し腰を落として、ぼくの顔をしげしげと覗き込み、


「あのさ、リュウジ。君、もしかして」


 そうなにか言いかけた時、


「あの、スティーブンさん! すいません。そろそろ!」


 駐車場の方から土方さんが声をかけてきた。


 スティーブンは朗らかに、


「あー、ごめん。すぐ行くよ!」


 そう叫び返し、ぼくの方をまた振り返った。


「リュウジ。ちょっと連絡先を交わしておきましょう。それと明日の午後にはまたここに来ます。私も君ともう少し話したいね」


 ぼくも全く異存はなかった。スマホを取り出し、お互いにさっとLINEのアドレスを交換する。


「じゃあ、また明日」


 スティーブンはそう言って慌ただしく土方さんの方に向かって歩いていった。


 ぼくはその大きな背中を見送りながら得体の知れない不安が胸の中に沸き起こってくるのを感じていた。そしてぼくはその気持ちを解消するために、あることをしようと心に決めていた。


 できる限り、ネットで情報を拾ってみるんだ。


 そのためにはお父さんが使っているタブレットを貸してもらう必要があった。


 バーベキューは徐々に人が少なくなってだんだんとお片付けフェーズに入っている。それでも大人たちの一部は熾火を前にじっくりとお酒を楽しむモードとなっていた。


 その中には池崎さん、お父さんとなぜか美津亜ちゃんのおばあさんもいた。三人はおばあさんの過去の恋愛話で盛り上がっていた。


(なんで?)


 と、思う。あと美津亜ちゃんのおばあさんはアルコールが入っているからなのか、かなり陽気な人だと判明した。ノリノリの身振り手振りでこの島に嫁ぐまでの波瀾万丈の身の上話をしている。


 ちょっと人見知り気味だけど内面がとてもユニークなのはいかにも美津亜ちゃんのおばあさんらしかった。


 おばあさんの思い出話はぼくもほんの少し興味もあったけど、やるべきことがあったのでお父さんにタブレットを貸してもらう許可と先に家に戻る報告をした。


 美津亜ちゃんも疲れた、とのことでおばあさんにもう寝に戻ると伝える。


 ちなみに真知さんはなにか急に別の用事ができたらしくてどこかに出かけていた。明るくて、頼りになる真知さんは島の若い人たちの束ね役のような立ち位置にいるらしかった。


 ぼくと美津亜ちゃんは家に帰り、まずどちらが先にお風呂に入るかで少し揉めた。


 ぼくは調べ物があるので後でも全然よかったけど、美津亜ちゃんは宿をやっている娘としてはお客さんにぜひ先に入ってほしいと強く主張した。


「どうぞ」


「いえ。どうぞ」


「どうぞどうぞ」


「いやいや、お先に」


「いえ、どうぞ」


 お互いに笑っちゃうくらい譲り合ったので結局、じゃんけんをして負けたぼくが先に入ることになった。


(本当は温泉だったんだよなあ)


 そんなことを考えながら頭や身体を洗い、洗面所に備えつけてあったドライヤーで軽く髪を乾かし、歯磨きなんかもしっかり終えてからドアを出る。入れ違いで美津亜ちゃんがお風呂に入っていった。


 ぼくはタブレットを最初、自分たちの部屋で立ち上げたけど、今ひとつWi-Fiの接続が良くなかったので、結局、居間まで持っていってネット検索をすることにした。


『手結島 テユイさま 正体』


『テユイさま 研究』


『大上雅也 手結島』


 色々と単語を組み合わせて調べ物をしていく。ふと思いついて、


『スティーブン・ウエイバード』


 で、調べたら都久良大学の人文系の教員プロフィール一覧の中にちゃんといた。他の先生方は割ときりっとした表情かあるいは微笑んでいるくらいの写真を掲載しているのに一人だけ大きく口を開けて笑っていた。


 研究テーマが、


『近世における口承伝承の変異と周辺環境の変化の多変量解析』


 なるほど。難しそう。


 そもそも多変量解析ってなに?


 それからも思いつく限りで色々と気になるワードを調べていく。


 そして自分が無意識に違和感を抱いていた部分をようやく言葉にすることができた。


 それは一言で言うならなぜ〝ぼくがテユイさまのことを知らなかったか〟ということだ。


 ぼくは一応、この島に関して事前にそれなりの予習をしてきた。あと民俗学オタクだ。だけど、テユイさまに関してはこの島を訪れるまで全くの初耳だった。


 こうしてネットで色々とサーチすると、海のアクティビティ、グルメ、宿泊施設の口コミ、島のマップや歴史なんかは島の公式ホームページや個人の旅行ブログ、YouTubeの動画などでいくらでも出てきた。


 ただそれに対してテユイさま関連の情報は極端に少ない。全くのゼロじゃないけど――。


(かなり興味深い研究対象なはずなのに相当、意識して調べないとキーワードが出てこない。一体どういうことなんだろう、これは?)


 辛うじて記載があるページもそっけなく、


『他の神々と配祀〔はいし〕されている手結島の土着の神』


 と、だけ記されている。


 配祀というのは一緒に祀られている、という意味なんだそうだ。


 ぼくが色々と考え込んでいると、


「あれ? まだ起きてたの?」


 襖を開けて美津亜ちゃんが廊下から部屋の中を覗き込んできた。パジャマ姿で、濡れた髪をタオルで巻いている。ぼくは反射的にタブレットの表示を消した。


「……」


 美津亜ちゃんが妙な半目になった。ぼくが戸惑っていると、


「なんかヘンなものでも見ていたの?」


「そ、そんな訳ないでしょ!」


 反射的に叫んでいた。美津亜ちゃんはにたあっと笑って、


「ごゆっくりい」


 あくびと共にまた襖を閉めようとする。なにか誤解されている気がした。


 ぼくはその背中に向かって叫んだ。


「今日は色々とありがとう! 明日もまた島を案内してね!」


 美津亜ちゃんは首だけこちらに巡らし親指と人差し指でOKサインを作って、にやっとまた笑った。


「おやすみ」


「うん、おやすみ」


 それから美津亜ちゃんはもう一度、豪快な大あくびをするとふらふらと立ち去っていった。


 昨日はぼくが眠気マックスだったが、今日は美津亜ちゃんが限界みたいだった。というか、ぼくもその時になってようやく自分がかなり疲れていることに気がついた。


 まるで伝染したかのように勝手に漏れ出たあくびを噛み殺す。


 柱の時計を見るともう夜の十時近く。そろそろ寝ないといけないかもしれない。


 ちょうどその時、玄関の方からお父さんや池崎さん、それにおばあさんが帰ってきた気配がしたのでぼくはそのタイミングでそっと二階に上がって自分たちにあてがわれた部屋に戻った。


 布団を敷き、借りたタブレットはちゃんと充電する。少し蒸し暑かったのでタイマーで軽くクーラーをつけ、それから電気を消して、大人しくタオルケットの中に潜り込んだ。


 目をつむり、眠気と戦いながら今日、起こった出来事、今日、吸収した情報を頭の中でまとめようとしたけど、結局は睡魔に勝てずぼくは泥のように深く眠り込んでいった。


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