プロローグ もう逃げられない
花火の余韻がまだほんのわずか残っている夜の静けさの中、遠くの方からざく、ざく、と砂を踏みしめる音が近づいてきた。
ぼくたちは息を殺してダイビングショップの中に隠れている。船の舵をモチーフにした壁時計はいつの間にか深夜の一時を指していた。
美津亜ちゃんはその足音が聞こえ始めた辺りからずっと震えている。
ぼくは、相手が女の子だということも忘れて、その細い身体を抱きしめていた。向こうもぼくの背中に回した腕に強く力を込めてくる。
ぼくの歯の根が合っていないことも、心臓がまるで全力疾走した後みたいにバクバク鳴り続けていることもきっと美津亜ちゃんに伝わっているはずだった。
お互いに恐ろしくて仕方ない、というのもあるけど、それ以上に少しでも身を寄せて、見えている面積を小さくして、アレの視界に入らないようにしたかった。
ぼくたちは湯沸かしポットやお菓子入りのバスケットが載った長テーブルの下に収まっていた。
ふいに足音が止まった。
近く。
ほんの近くだった。
――なにも聞こえなくなる。
自分の呼吸の音がうるさく感じられる。身体がどんどんと強ばっていく。怖くて、怖くて仕方がない。それでもぼくは必死で目をこらし続けていた。
月の光が二つの窓と一つの磨りガラスの扉から室内に流れ込んできていて、ぼんやりと辺りは見えていた。
薄暗くてよく判別できない写真がたくさん貼り付けられたコルクボード。ミニキッチンに冷蔵庫。奥にはロッカーやパソコンが置かれた事務所スペースが見える。
その時、美津亜ちゃんがびくっと身を震わせた。ぼくも思わず叫び出すところだった。
窓の一つに人の顔が浮かんでこちらを見ていたのだ。ぞっとするほど生気のない表情。それは横にすうっとスライドしていく。するとまた別の顔が浮かぶ。
ざくっ。
ざくっ。
再び足音もはっきりと聞こえ始めた。
その音に合わせて。
顔は現れては、消え。
消えては、現れる。
違う顔が次々に。
中には片頬をべったりと窓ガラスに擦りつけ、そのまま移動していく顔もある。ごつ、ごつ、と額をぶつけ続けていく顔もあった。
美津亜ちゃんがとうとうこらえきれず、ぼくの肩に顔を埋め、啜り泣いた。
無理もない。
逆光になっているので、はっきりとは分からないけど、きっとそのほとんどは美津亜ちゃんのよく知っている人たちだった。
ぼくでも見覚えのある人たちが何人もいた。彼らは一定の間隔でこの部屋の中を次々に覗き込んでいく。続いて別の窓にも人の顔が見えた。そのどの顔も、どの顔も全て感情が感じ取れない。まるで死人のような顔。
もう逃げることはできなかった。ぼくたちは完全に取り囲まれているんだ。
その時、ここからそう遠くない場所で悲鳴が聞こえた。
「!」
美津亜ちゃんが目をつむったまま小さく首を横に振った。きっとさっきまで命からがら逃げ回っていた人たちのうちの誰かが掴まったのだ。
それはほんの少し先の自分たちの未来を暗示している気がした。
頭がおかしくなってしまいそうな一瞬の静寂の後。
がん。
がん。
大きな体当たりの音が鳴り響く。
それは数秒ほど続き、やがて、ばきっとなにかが割れるような音がして、磨りガラスがはまったドアがその枠ごと外れ、ゆっくりと内側に傾ぐ。すると先ほどまでこちらを覗き込んできていた人たちが中へぬらあっと入ってくる。音もなく。
全員、手を繋いでいる。
口は半開き。
目はうつろ。
数珠つなぎに彼らは手を繋いでいた。
まるで蛇のようにくねくねとその繋いだ手をくねらせながら先頭の人が近づいてくる。
ぼくは目を見開き、美津亜ちゃんは声にならない絶叫を上げていた。
手を繋いだ十人ほどの人たちはぬるぬるとこちらに近づいてきて。
もうほんのわずか。
触れられそうな距離で。
一番先頭の人がぼくたちのちょうど真上に突き出してきた。
月明かりの中に浮かんだそれは――。
紙のように真っ白な手だった。
自分が読みたい「ボーイミーツガール」×「ゾンビ系民俗学系ホラー」×「離島での夏休み」を全部詰め合わせてみました。読んでいて怖くて、楽しくて、幸せになる作品を志しています。
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