序章
―海軍局についてー
銀河系の中で広大な国土を持つ水穂國。
その首都、平城京の朱雀通りの外れ、羅城門近くに赤いレンガ作りの時代錯誤の骨董品のような建物があった。
広大な敷地を鉄とレンガでできた塀がぐるりと囲み、内部には練兵場と飛行場、そして帝冠様式を模した煉瓦造りの3階建長方形のビルヂングが4棟ほど置かれていた。
この広大で古い建物を使用している部署を海軍局という。つい1世紀前までは水穂國を日夜守護する国防の要として機能しており、この古めかしい建物ではなく、朱雀通り1番地1丁目にある広大なビルで業務を行なっていたが、現在は海軍から独立した宇宙軍にその場を譲り倉庫と博物館として使われていたこの建物に引っ越してきた。いや、要するに追い出されたのである。10年前より海軍の解体と完全な宇宙軍への編入を迫る声が高くなる中において、5年前に発生した陸軍共和派の反乱に対応してそれを鎮圧せしめたとして再び脚光を浴びたが、それはすぐに畏怖の対象になってしまった。
その畏怖される海軍の部隊を 第四海兵艦隊 という。
海軍局 編成表
第一艦隊 第一海兵艦隊
第二艦隊 第二海兵艦隊
第三艦隊 第三海兵艦隊
第四艦隊 第四海兵艦隊
第五艦隊
第六艦隊
第七艦隊
―序章―
―海軍局所属の者は基地内で暮らすこと。―
海軍は発足当初からそのように定められており、家族を伴って全員が基地敷地内にある住宅で暮らしている。それは海軍最高司令官のロゼルト・アルガイド・フィルア海軍卿もまた例外でなく3階建ビルヂング3号棟の3階の角部屋で目を覚ました。
典型的な4LDKの一室に無理矢理押し込んだキングサイズのベットで起き上がった彼女は両腕を上にあげて背伸びをする。青色のロングヘアに尖った耳、ほっそりとした顔立ちに切れ長の目とエルフ族の中でも美人と言われるフィルアは隣の時計を見た。
年代物の置き時計は5時55分を指し示している。
「リーリア、起きてますか?」
「おはうございます、フィルア様」
侍従武官のリーリア・フォル・神崎がキッチンの方から扉をあけて覗き込んだ。どうやら朝食を作っている最中のようだ。開いた扉から味噌汁の素敵な匂いが漂ってくる。
「調理中ごめんなさいね、今日の予定を覚えているかしら?」
「ええ、7時30分より海軍定例会議、その後、9時から海軍局局長室にて執務、12時に第七艦隊司令長官と会食、その後は局長室にて再び執務予定です」
「そう、ありがとう」
右頬に傷のある彼女はぎこちないながらも笑みを浮かべて軽く会釈すると扉を閉めた。
旧海軍陸戦師団の師団長であったが、今は退いて彼女の侍従武官として寝食を共にしている。
べっとから起き上がり両手をマットレスについて体を持ち上げて右端までいくと、同じ高さに据え付けられているキャスター付きのハンガーラックを引き寄せて錫色の海軍服を着ていく、上はキャミソールのままで下は軍装のズボンという出で立ちであるが、ズボンは膝あたりからぺたりと垂れていた。
「毎朝、これは苦手なのよね」
そう言いながら、ベット脇に置かれている両義足を片方づつ取ると、向きを確認して垂れ下がったズボンの中に入れて行き膝小僧のしたあたりにあるジョイントに接続する、繋がる際に一瞬ではあるが軽い頭痛を引き起こすのでこれが辛かった。それも2回もである。
義足の指と足関節がきちんと動作するか軽く動かして確認すると、彼女はいつものように立ち上がった。
「よし、問題はないわね」
立ち上がった先にある化粧台に映る自分を軽く確認し扉を開けてキッチンを抜けた先にある洗面所に向かおうとしてリーリアに呼び止められた。
「卿、お電話です」
リーリアが小型の電子端末を差し出してきた。
「ありがとう」
受け取って保留を解除する前に相手先を確認すると、短く小太郎と表示されていた。
「おはよう、小太郎、朝早くからどうしたの?」
「おはようフィル、今は朝食の途中かい?」
彼女の心を和ませる声が聞こえてきた。
「まだ、これから洗面なんかを済ませる予定よ、そんなことを聞くためにわざわざ電話してきたの?」
「違うよ、朝食のご相伴に預かれないかと思ってね」
「都にいるの?」
「昨日の連絡便で深夜に降りてね、今は1階の来客用の宿泊室にいるよ」
「ちょっと待ってね」
消音モードにしてリーリアをちらりと見るとコクリと頷いてくれた。片手で拝み手を作ってごめんねと詫びて消音を解除する。
「ごめんね、お待たせして、いいみたいよ」
「ありがとう、お土産も持っていく」
「ありがとう、楽しみにしてます」
「では、あとで、」
電話が切れるとリーリアがにこにこと笑みを浮かべて微笑んできた。釣られてフィルアの表情も緩む。
「笑顔ですよ、フィルア」
母親が娘に諭すような言い回しをしながら、そっと彼女の頰を優しく撫でた。
「分かってるわ、リーリア」
軽やかな足取りになって洗面所へと向かって行くのを微笑ましく見ていたリーリアは、キッチンの鍋のガスを止めると大慌てで彼女の部屋に入った。
ハンガーラックに掛かっている軍服の上着を出すと汚れがないか確認をし、続いて化粧台の観音開きの鏡を開け、彼女の愛用の数種類の化粧品を台の上に置き準備をする。
戦闘までの時間がないのだ。敵はあと少しでインターホンを押して来るだろう、入り口で引き止めるのは不調法だし、かといって半端な状態で待たせるのはタチが悪い。
準備が終わった同時に駆け込むようにして入り込んで来たフィルアに場を譲って後ろへと下がって待つことにする。テキパキとしたメイクの仕草に感心しながら見ほれていると薄いメイクながらもエルフ特有の色香を醸し出すフィルアが鏡に写っていた。
「髪の毛をお願いできる?」
「いいですよ」
絹のように滑らかな彼女の髪は櫛で数回ほどとかすと流れる水のように整った、それを首元のあたりで軍支給の銀のバレッタでパチンと止める。
「ありがとう」
「どういたしまして、さ、早く服を着て備えないといけませんよ」
「うん、そうね」
そうこうしている間にインターホンが来客を告げる。
「お出迎えしてきます」
「お願い、こっちも急ぐからね」
顔を少し赤らめたフィルアを見ながらリーリアはこくんと頷いて玄関へと向かっていく。
大切そうに黒鉄の板が付いたネックレスと認識票を首から下げ、ブラウスを着てボタンを留めていく。彼女右手は薬指と小指が欠損しているがそこには義指は入れていない。彼女の怪我全てが海軍の畏怖されるようになった事件によって負ってしまった傷なのである。
詰襟上着を着て金飾緒の長さを調節しボタンを止める。鏡の前にはしっかりとした軍人姿があった。
右胸に略綬の一番上に長さ4センチほどの細い錫でできたプレートがつけられている。これはその事件によって皇帝陛下より下賜されたものであり、生き残りであることも示していた。
リビングに出て椅子に腰掛けると玄関から通じるドアが開いて、これまた全く同じ姿の軍人が入り込んできた。海軍では第四海兵艦隊の司令官である。もちろん、彼の右胸にも錫プレートが付いている。軍帽を取った彼の左顔面には火傷の跡、顔つきはいたって平凡と記すべきだろうか、これといって可もなく不可もなしといった感じである。左手は義手で左足も義足であった。
「おはよう、フィル」
「おはよう、小太郎」
すっとリーリアが向かい合う席の椅子を引いて小太郎に着席を促した。
「ありがとう、リーリアさん」
「いえいえ、准将、飲み物はなにがいいですか?」
「お茶でお願いします。あとグラスの水を一杯お願いします。」
「ええ、用意しますね」
お茶碗に盛られた白飯と同じく漆器に湯気の立つ味噌汁、カッティンググラスに水が半分まで注がれたものも置かれ、目の前には大皿に鮭の塩焼きとポテトサラダが盛られていた。
「さ、いただきましょう」
リーリアは両手を手のひらを上にして祈りの言葉を唱えてから箸をつけ、フィルアは目をつぶって首を下げて祈りの言葉を唱えてから箸をつける。箸を持った小太郎は祈りの言葉を口にしたのちグラスの角を箸で軽く叩くと水面の揺れが収まるのをじっと待ってから食事をはじめた。宗派が違う3人の食事姿がそこにあった。
「昨日の深夜についたと言っていたけど、どうしたの?」
海軍定例会議には彼も出席することになっているが、それはテレビ会議となっているため本星にわざわざ来る必要はない。なにか、願いがあってのことだろうと彼女は見抜いていた。
「お願い事があってね、リーリアさんの朝食も目当てで早出をしてきた」
顔を上げてじっと見つめる視線に少し頬を赤らめながらフィルアも視線を合わせた。
「どういうお話?准将」
階級で呼んだ瞬間から2人ともの顔から笑みが消える。そして薄ら寒い氷上の笑みを浮かべてたフィルアと同じ笑みを浮かべた小太郎がいた。リーリアは関係ないと言った顔で料理を口に運んでいる。
「情報省の国内タクティカルレポートを読んでいたんだけど、その中に平安京のマネジメントリポートがあってね。共和派の不穏分子の可能性の記載があった。海軍情報部にも問い合わせたのだけどその可能性が高いということがわかってね、海軍内で対策を取る必要があると思って知らせに来たんだ、今日の会議で緊急上程してほしい」
平安京、この平城京に都が移される前までの旧首都惑星に置かれた都の名前である。現在は皇帝直轄領として管理され宗教的にも各宗派の聖堂や本山などが置かれている重要な地域である。いわば水穂國の実家のようなものだ。そのためか警察権力や軍権力は入りにくく一種の治外法権化している節がある。取り締まりとして平安警察という組織が置かれてはいるが動きがいいとはお世辞にも言えない。。
「本当に?」
「どうやら、間違いはないみたいなんだよ」
「どういうこと?御前会議では特になにも言われなかったわよ」
宮中で行われる皇帝陛下にもご出座を頂く会議のことを御前会議という。これには各軍の長官と各省庁の大臣や長官、首相、最高裁長官などの政府の主だった面々が並ぶ。
「それは、意図的に報告しなかったんじゃないかな?ほら、先年に陛下の妹君が神祇省神姫をお勤めになられてるから、そんな中で不穏なことを言えるほど度胸の座った奴はいないよ」
「あ、それもそうね、陛下は妹君を溺愛されておられるものね」
神祇省とは平安京において各宗派を纏めて宗教対立などを避けるために設けられている省のことであり、そのトップである神姫を務めるのは帝室の女性が慣わしとなっていた。
「そんなことで良いのかと思えるのだけどね、ということは神姫にも上奏はされていないのだろうし、そのタクティカルリポートを纏めた誰かが警鐘を鳴らす意味で表記したのでしょうね、誰かが声を出してくれるのを待っているといったところかしらね」
「多分そうだろうね、特に海軍なら言えるからね」
「反乱を止めた海軍にならよね・・・、情報部のまとめた資料は持ってきてる?」
「持ってきているよ」
「上程案もできているの?」
「それもできている、迷惑かけてごめんね」
軽く頭を下げてお願いをしてきた。彼にだって上程する権利はあるし、わざわざ私を通さなくても良いはずなのだが、私の立場を何かと気を使ってくれるこの年下の戦友は自分の利益を考えないで進言や忠言をくれる。
「分かったわ、あとで内容を確認して問題なければあ上程するわね」
「ありがとう」
2人とも表情を崩してご飯をいただくことにした。
大皿から取り皿に鮭の塩焼きを取って箸を入れると切り口からじんわりと油が染み出してくる、焼き加減も味もまた絶品であった。
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