8話
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「っ……」
いつもは考えが読めず気味の悪い仏頂面がほんのり赤に染まり、動揺しているであろう青い瞳はゆらゆらと揺れている。魚みたいに口をぱくぱくしてる変な顔。だけど、悪くない。
ゾワゾワ、というよりゾクゾクとした感覚が身体中に走った。
あの人形みたいにすました顔のあいつが、俺の行動ひとつで赤面している。
そう、俺のせいで!
そう思うと先程までのイラつきは消え、自然と口角が上がり優越感が胸を支配する。次は首に噛みつきでもしたら、もっと赤くなるだろうか。
ああ、気分がいい。愉快で仕方ない。俺の行動でころころと変わる表情を見てると、もっともっとと欲してしまう。
もっと俺を見ろ。
そして、そのまま俺に翻弄されてしまえばいいんだ。
固まる彼女に俺はまた顔を近づけた。
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顔を近づけてくる彼に慌ててストップをかけると、わかりやすく不服そうな顔をした。いや、不満があるのはこっちなんだけど。何故そちら側がそんな顔するのか。
「ちょ、何して…」
「キス」
「な、なんで」
「したくなったからした」
即答かい。潔くて何より。現実逃避しかける脳内に待ったをかける。他に人がいなかったから良かったものの、いつここに誰かが通りかかると思うと気が気じゃない。
私の事が嫌いなくせに…頭のネジが飛んだんだろうか、この人。もしかしてするなら誰でもいいタイプ?昔の泣きべそかいてた少年はどこへ行ったのか。
「君なら私相手にしなくたって、他にして欲しそうな人とか沢山いるでしょ」
「別に、他の奴らにしたいわけじゃない」
余計に意味がわからない。謎かけの類いは今やめてくれ。
「っあのねえ!箱入り子息君は知らなかったのかもしれなけど、第一、こんなことをするのは恋人か夫婦くらいなの。わかったら……」
埒が明かなくなり抗議している途中で、遮るように彼が告げた。
「じゃあ、なる。コイビト」
「……え?」
コイビト?え、この人今恋人って言った?
「だから、続き。いいだろ?」
そう続ける彼に、衝撃を受けて固まっていた脳が再起動して、必死にこの状況を打破する言い訳を考える。
「っ……外だから、だめ」
苦し紛れに私がそう言うと「まあ、それもそうだな」と彼は納得してくれたようだった。よかった。諦めてくれたんだ、と安心したのもつかの間、彼はニヤリとニヒルな笑みを浮かべると耳元で囁く。
「それじゃ夜、俺の部屋に来い。夜なら用事は無いだろ?」
強引な彼にしては珍しい言葉。きっと彼と私の体格差ならそのまま引っ張っていくことも出来ただろうに、わざわざ『行く』か『行かない』か選ばせてくれるとは。なんとまあ、お優しいことで。
ああもう、なんて…なんて偏屈なやり方しかできない人なんだろう!いつもと違う状況にも、こんなふうに言って断られるとは考えてなさそうなところにも腹が立つ。嫌いな人を部屋に誘うなんてどういう了見だ。
自身の身の安全を考えるのなら行かない方が賢明ではあるのだろうけど、どうしてもあの熱の篭った目が忘れられなかった。