9話
※微エロ注意
結局うだうだと悩んだまま、いつの間にか部屋の前まで来てしまった。はあ、と深いため息をつく。こうして誘いに乗ってしまうあたり、私は相当彼に絆されているのだろう。
扉が開いて部屋の主である彼と対面してしまう。やっぱり、翌日に「寝てて行けなかった」とでも言えば良かっただろうか。
そうこうしているうちに部屋に招かれてしまい、今更帰ると言えなくなっていた。
部屋に入ると唐突に後ろからぎゅっと抱きしめられた。逃がさないという意志を感じて、足がすくむ。キスされる前までこの距離感をなんとも思っていなかった訳だが、なんとなく今は逃げ出したいような衝動に駆られる。
されるがままになっていると今度はキスの雨が降ってきた。頬に、うなじに、色んなところに柔らかなそれを当てられて妙な気分になる。最終的には何度も口にされた。彼の舌が口の中に入ってきて、湿っぽい音をたてる。酸素が足りなくて、息がしずらい。体の力が抜けていく。
いつもは生意気なガキ大将みたいな雰囲気なのに、今日はどこか色っぽい。
本当に、彼は昨日私と口論していた人と同じ人なのだろうか。こんな彼を私は知らない。
あれよあれよという間に抱き抱えられて、ポスンと備え付けのベッドにおろされた。恋愛に縁のなかった私でも、この先起きるであろうことが想像できないわけではない。服の襟に手をかけられる。
私が嫌いなはずのに、なんでこんなことするんだろう。
どうしよう。わからない。この人のことが何も。目の前にいる彼が、知らない男の人のようだ。急に心細くなり、目頭が熱くなってきた。
「やっぱり、おかしいよ」
「私を傷物にして惨めな姿が見たいの?それとも、嫌がらせついでにそういう欲を発散してやりたいの?」
頭の中がぐるぐると混乱して、不安でたまらなくて、涙が勝手に溢れてくる。
それに気づいた彼は、襟にかけていた手を引っ込め、ぴたりと動くのをやめた。
「嫌いな人にこんなことするなんて、ほんと、どうかしてる……」
自身の口から出たとは信じられないほど、震えた小さな声だった。
自分からこの部屋に来たくせ、随分支離滅裂なことを言う私の言葉に、静かに彼は耳を傾けている。
「……そうかもな」
彼が呟く。
「お前の言う通り、俺はおかしいんだ」
「その喉に手を添えて殺してやりたいくらい、憎たらしくてたまらない。もし誰かと幸せに過ごすお前を見たら、多分真っ先にその胸にナイフを一突きするだろうな」
「けど、お前の表情が俺の前でだけころころ変わるのが愉快で、その声もずっときいていたいくらいには、お前自身に惹かれてる」
嫌いなのか好きなのか。どちらとも取りずらいちぐはぐな言動に余計に混乱してきた。
「……やっぱり、よくわからないよ……」
「わからなくたっていい、どうせわかりっこないんだから。今更全部理解してくれなんて言わない」
「ただ……お願い。俺を見て。俺を、受け入れて」
手をそっと握られる。
真剣な瞳が、私をとらえて離さない。
「ちょっとだけでいいから、俺を、お前の……シオンの心の中に居させてくれ」
切羽詰まったような、そんな声。
あの日のように、迷子の子供みたいな彼。
なんだ、知らない男の人なんて居なくて、彼は初めからそこにいたじゃないか。
先程まであった恐怖心が和らいで、私の頭の中から拒絶するという選択肢はすっかり抜け落ちていた。
こくりと静かに頷くと、彼は滅多に見ないような優しい笑みを浮かべて、宝物でも扱うような手つきでそっと抱きしめた。
「今日はもう、これ以上なにもしないから」
そう言って私の背中をぽんぽんと一定のリズムで叩く。だんだんと瞼が下がってきて、気づけば私は眠りに落ちていた。
●○●○
この言葉にしがたい愛憎が、単純に嫌いという感情ならどれだけ楽だったか。
『私を傷物にして惨めな姿が見たいの?』
違う。
『それとも、嫌がらせついでにそういう欲を発散してやりたいの?』
違う。
そういうつもりじゃない。
俺しか知らないお前が見たい。
もっと、もっともっともっと。
その欲に突き動かされて、らしくないことをした。正直言って反省している。
それでも、拒絶されることは、視線が二度とあわないようなことだけは耐えられなくて、つい詰め寄ってしまった。彼女はちゃんと頷いてくれたから、どうにかそれだけは免れたのはよかった。
はじめは、彼女の才能や肩書きに嫉妬して近づいただけだったのにな。たった3年でこんなになるなんて、変な感じだ。
いつまでも起きているのもあれなので、ぽんぽんしている間に寝てしまった彼女を起こさないように、気をつけながらベッドに横になる。人肌に触れながら寝るなんて、いつぶりだろう。もしかしたら、はじめてのことかもしれない。
昔はあんなに強大だと思っていた背中が、この腕の中にすっぽり収まる程の大きさだと知った。
泣き疲れたのか、シオンはとうぶん起きる気配もなく、俺の腕の中ですよすよと気持ちよさげに眠っている。無防備すぎやしないか、こいつ。
あー…またキスしたくなってきた。
「ほんと、いつか覚えとけよ……」
起きないくらいの声の大きさで、小さく悪態をついた。




