夢
身内だけの森の結婚式。
……のはずだった。
結婚予定の1週間前。
オババから電話があった。
「優ちゃんの様子が変なのよ」
「叔母さんが何かまた」
「違うの。そっちは大丈夫。問題は優ちゃんのほう」
「優ちゃんが?」
「ひどく落ち込んでいてね」
結婚式前に花嫁がウツになる。いわゆる、マリッジブルーって言葉が思い浮んだ。
同時に、アホって言葉も浮かんだわけでして。
いったい、今更。
まだ39歳だとか言ったら、誰だってシバくでしょう。
これから良い相手がいるかもとか、それもありえない。出会ったことが奇跡だから!
できちゃった結婚、恥ずかしいとかは、もしかして。
そんな思いが交差してのマリッジブルーかもしれない。
わかるよ、それはいろいろ重なったものね。わかるよ……
なんて言うと思ったら大間違いじゃ!
ふざけんじゃない!
そんなこと言ってもらえる経験値か!
優ちゃんには前から言いたかったことがある。
確かに、母は超過保護という毒親かもしれない。
ネチネチと拘束して、だから何もできなかったかもしれない。
けどね、もう一度、言う。
ふざけんじゃない!
そんな親の壁、10代なら仕方ない。
壁が高すぎて、反抗もできなかった。生活能力もなかったろう。
けど、優ちゃん。そんなこたあ、10代の反抗期で跳ね返してくるべきことだった。親が、親がって、アラフォー、甘えてる年齢じゃない。
で、オババ。
「つまり、マリッジブルーじゃないかと」
「今更、そんな、もうお腹に赤ちゃんもいて。確かに結婚前には、そういう気持ちになることもわかります、私だって、魔」
魔界といいかけて、思わず口元を片手で抑えた。
もうね、自分の結婚式前、マリッジブルーになる暇もなかった。
オババとオジジに挨拶に行ったときには、オババ、大歓待してくれた。
嬉しかった、最初は。
しかし、その後のオババとの対決。
え?
今、それがわからないって、おっしゃった? この物語を最初から読み直したのちに、そこのあなた、じっくりと、お話し合いを持ちましょう。
「だからね」とオババ。
「結婚式の準備って、たいしたことしませんから。森でウエディングドレスきて、お互いに誓いの言葉を述べて、それでレストランでお食事って段取りよ。太郎くんも、それでいいらしくて、レストランを紹介したから打ち合わせはするって。ウエディングドレスについては勝江がはりきってますしね」
結婚式といっても、八ヶ岳のレストランで食事をするといった、本当に簡単なもので、大した準備もいらない。
レストランに行くのに普通の服で行くか、ウエディングドレスを着ているか、その違いだけの簡単な式。難しいことはなにもない。
「それで、なぜ、マリッジブルーなんでしょうか」
「あの子はね。勝江が取り込んで育てて、自分の元から離さなかったでしょう。だから自信がないのよ。自己肯定感がなく育ってきたのよ」
「それはわかっています」
次にいったん息を止めてから、オババ、言った。
「赤ちゃんができて、幸せなんです」
「ダメです。なぜ不安なのか全く理解できません」
「幸せすぎて、それが怖いそうです」
「へ? ノロケですか」
「ま、アメのように能天気に育ったものにはわからない感情でしょう」
聞きずてならん!
「お義母さん。私だって苦労しています」
「おや、どんなご苦労だい」
「そりゃ、魔界のオバ」
とっととと、ま、まずい、思わず本音が。
「オバババ……、オバケが怖いんです!」
しばらく沈黙があった。
「オバケ?」
困った! どうする。
その瞬間、リビングに置いてある映画CDのパッケージが目に入った。
黒澤明監督の『夢』。
この作品は8つの夢を描いたオムニバス映画で、最初の作品に狐の嫁入りがでてくる。
これが、実に不気味だ。
幻想的な森を背景に笛の音が聞こえ、靄の中から、狐の嫁入りシーン。オバケが出てくるような結婚式。
これだ!
「いえ、あの、黒澤明監督の『夢』って映画で、狐の嫁入りが怖くて、そのオバケが、森で結婚ですし……」
しばし、沈黙があった。
狐どろこじゃない、こわ〜〜い沈黙だ。
電話の向こう側で、オババが左の口元をグッとあげて皮肉に微笑んだの、見えた気がした。で、私はマリッジブルーの原因をパソコンで急いで検索した。
あるメンタルサイトによると。原因は、おおよそ3つあると書いてある。
1 結婚することで生活の変化への不安。
優ちゃんの場合、すでに太郎くんと生活を共にして4ヶ月が過ぎ、妊娠もしている。今更、生活の変化にストレスを感じるはずがない。
2 結婚式準備の煩わしさ。舅姑など相手の義実家との関係の不安。
結婚式は簡単なお食事会、太郎くんの両親は亡くなっている。
3 幸福への不安
これかあ!
驚くべきことに、人間は幸福になることを意識下で恐れているのだそう。
特に、優ちゃんのように過保護に、と言えば聞こえはいいが、母親からダメダメと否定的に育てられた子は、内心の罪悪感を拭えないらしく。
自分は幸福になる資格がないと思い込むことがあると。
おそらく、優ちゃんが落ち込むとしたら、そういうことだろう。
「それで、優ちゃんは」
「一度、話に行こうと思うが、ご一緒にいかがかと。狐の嫁入りもあるしな」
げ! オババ、気づいてる。
(つづく)
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映画『夢』
黒澤明監督作品、1990年公開。日米合作映画。
「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」から、最終話「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式の映画です。
各物語の最初に「こんな夢を見た」という文字が出てきます。
これは夏目漱石氏の著作『夢十夜』で冒頭に書かれている文章と同じで、黒沢監督、実際は8話ではなく10話制作したかったのかもしれないって思っています。
映画化にあたり、黒澤監督を尊敬するスティーヴン・スピルバーグが製作に協力し、ワーナー・ブラザースが配給を担当しました。
『夢』公開当時は酷評が多かったです。
しかし、今見ても、時代の古さを感じさせない映画でもあります。
米津玄師さんの『パプリカ』冒頭のイラストが、この最終話「水車のある村」のオマージュじゃないかって、勝手に夢想したりしています。
この第1話と最終話「水車のある村」がとくに好きな寓話です。




