アメリカ
「ガンを患っている」
叔父は淡々といい、唇の左側をクイっと上げ、そして、笑った。
足元に文字通りぽっかりと穴が空いて吸い込まれるような感覚がした。
「ほらほら、そういう顔をしない。今時、この病気は珍しくもない。日本人の2人に1人はかかる」
「でも」
「治るよ」
「そうなんですか」
「外科的手術はアメリカでしたんだがね。治療費がバカ高くて、患者破産だよ。それで、あっちの会社は整理した。友人の紹介で、そこの病院で治療している。まあ、そういうわけだ。さっきのも抗がん剤の副作用で、疲れやすくなっただけさ」
「抗がん剤」
「ああ、今日の午前中で、すべて終わりだがね。予後は順調だ」
そんな体でワザワザ。だから、お台場のホテルだったと理解できたが、理解したからといって安心できるものでもない。
「でも」
「そうか、わかったぞ、君は見たいのだね」
「え?」
そういうと、叔父は、ちょっとややこしい帽子を取るようにカツラを。
てか、その頭、カツラだったんか。
「この坊主頭を見たかったんだろう」
いきなり坊主頭を見せられ。
あなたなら、どうする?
病気を告白されて、丸坊主見たいかって言われて、見せられた時の、その正しいリアクションって、なに?
笑うべきなのか。同情すべきなのか。
そのどっちもベクトル、ちがってない?
で、ここで引き下がっていいのか?
このままでいいのか?
叔父は私の顔を覗き込んだ。
この困惑したような目線、ちょっとドキドキする。
「逆効果だったか。けっこう似合ってると思うが。まあ、というわけだ、黙ってくれないか」
「無理です!」
きっぱりと言い切った。
自分でも無鉄砲ちゅうか、どうしていいのか理解できず混乱していて、そういう場合、かなりの確率でアホな方向をめざす。
「まったく、委員長といい。日本人ってのは、言外の言葉を察するのが国民性じゃないのかね」
「叔父さんは10年以上も日本を離れてますから。私は現代日本人の標準タイプAです」
「ははは」と、低く笑って、叔父は続けた。
「それは、ちと信じがたい」
陽が落ちて、空気が柔らかくなっていた。
「いいかな。米国ではな、こういう病気にかかると破産に陥ることがある。たとえ保険に入っていようとも、高額すぎて払えなくなる。だから、あちらの会社を清算したってのが事実だよ。トランプ大統領になってから輸入業者は厳しいこともあるがね」
アメリカでは毎年53万世帯が破産する。その66.5パーセントは医療費が原因での破産らしい(American Journal of Public Healthより)。
日本とちがって医療費がバカ高いのだ。
逆にいえば、日本の医療費が安い。
アメリカの健康保険加入は個人の選択で、その金額も高い。
大手企業に勤務していれば、会社が社員保険を払ってくれるが、それも中小となると厳しくなる。
健康保険料が企業の収益を圧迫するのがアメリカという国でもあって。
出産で200万円近く請求される。盲腸の手術に400万円なんて話はざらだ。
かたや、病気になっても医療費が払えずに困っている人が大勢いるのがアメリカ。困窮するのは、実は低所得者ではなく、中産階級だそうだ。低所得者には国の健康保険があるから、逆に助かるという。
「黙っていてくれるな」
「いえいえ、これとそれとは」
「これとそれとは同じなんだ。詳しく話しておこう。僕の病気はステージⅡの大腸ガンだ。ま、困った生活のしわ寄せが体にきたということだ」
「ステージⅡ」
全くわからない。
あとでグーグル先生だ。
「医学書を読めば、ステージⅡの予後は50パーセントほどの生存率と書いてある。阿呆らしい話だよ。余命とか生存率とか、そんなもんはわかりゃあせんよ。だいたいが、人間はいつか死ぬ。生存率なんて、そもそもおかしな話だ。人の致死率は100パーセントだ。不死でもなければな。だから生存率なんてのもまやかしだよ」
「それは、誰でも寿命はありますが」
「そうだ。70も後半になれば、寿命とガンとどっちの勝負かって年齢だよ」
「そういうものですか」
「そういうものなんだ。僕の古い友人なんて、もっとしぶといぜ。ステージⅣの末期ガンを患いやがった。転移もあって、医者は3ヶ月の余命だと宣告したが、あれから10年、今もゴルフをやってるよ。やつにガンになったと言ったらな。『遅いぜ、相棒。タバコの量でも減らしたか』と言いやがった。ステージⅡ程度で偉そうにしてんじゃないってな」
「はあ」
「ともかく、アメリカの馬鹿高い医療費で破産宣告を受けて日本に舞い戻った。アメリカで破産ってのも、よくあることだ。とくに病気にかかるとね。だが、破産しても日本よりもずっと多くの資産は残る。守られる預金もあるしね。ただ、こっちの家と土地がな。あれを申告したら、おそらく持ってかれる。で、離婚して妻に取られたってしたいんだがな。うまくいかん。勝江も、委員長とは別の意味で手強い。娘の結婚反対に手を貸そうとしたがな、それでも離婚に応じようとしない」
「ほんとのこと説明したらどうですか? 叔母さんの財産を守るために離婚したいと」
「勝江にか? おいおい、大騒ぎになるぞ。僕は静かに闘病したい。あいつがきたら、大騒ぎになって、間違いなく生存率0パーセントだ」
叔母の性格を考えた。
以前、娘の優ちゃんが婚約者を連れてきたとき、反対して、公の場にもかかわらず、悲鳴をあげて騒いだ人だ。
私は首を振った。
「だろ」
「ですね」
がははと、叔父が笑った。
がははじゃないから。
「アメちゃん。飴をあげるから、僕と手を組まないか」
「手を組む」
「なんとか離婚を成立させてくれないか。そうしなければ、勝江は家なしで放り出されることになるんだよ」
今度はあんたかい。
もう、叔父さん。惚れちまうよ。
第2章完結
第3章へつづく




