緋文字
いたたまれない、ムッチャいたたまれないぞ。
姉妹ケンカって。この暑いのに、冷凍庫に入ってるみたいだ。
叔母は弱り切った、シワくちゃな老人に見え、
かたや、オババ、強烈な怒りをうちに秘めて身動きもせず。
アメ、目だけキョロキョロしている。
誰も飲み物欲しがらないし。
で、緊張して座ってたからお尻が痛くなってるし。
というところで、オババが静かに話し出した。
「もう遠い記憶ですがね。あの男が来ましたよ。青醒めた顔をして、しょぼくれてね。
『委員長、まずったよ』って。
『なにをしでかしたのよ』
私が聞くとね。
『俺、酔払ってて、まったく覚えがないんだが』
『どうせ、けがわらしい話でしょ』
『子どもができた……、ようだ』
びっくりしましたよ。遊んでるとは思ってましたが、まさかね。
そんなことをって。
『相手は、ご商売のそういう女性なの?』って聞きました。
あの当時は、今の時代とは違いますから。
普通の娘が結婚前に妊娠なんて、どんな誹謗中傷をされるかわかりません。
そういう女性は、キズモノなんて言われた時代です。
処女じゃなきゃ嫁にいけない、それが常識でした。
『それで、お相手は?』
あの男、珍しく言い淀んでね。下を向いてました。
『お相手は誰ですか?』
『勝っちゃんだよ』
『勝っちゃん?』
勝っちゃんって名前が入ってこなくて。もう一度聞き直しました。
『勝っちゃん、勝っちゃんて、私の妹?』
『ああ』
瞬間的に右手が動いて、強烈な一発を見舞っときました。
平手じゃなくて、グーパンチです。親が聞いたら泣くと思ってね、先にやっといたんです。それだけです。それで終わり、あの男は同級生でしたが、それだけです」
オババァ〜〜。
「今は女性にとっていい時代なんでしょう……。そういうことで、キズモノとは言われませんから。それにしても、私も人を殴ったのは、はじめてで、まあ、拳が痛かったこと。もう2度と嫌ですよ。こっちが痛いです」
叔母、うつむいている。
私、顔を上げるのが怖くなって、テーブルの木目を数えてて、ああ、こういうこと過去にあったなって。
学生時代、先生との三者面談を机見て乗り切った、あの時と同じだって。
「さあ、昔は昔、今は今。あの男、また、しでかしたんですよ。アホにも程があります」
「何したんでしょうか」
「急に日本に来て、それで、離婚ってのは奇妙でしょう。この10年、何も言わずに向こうで生活してたんですから。勝江、なにか聞いてないの?」
「なんで、昔のこと怒らないのよ」
叔母、質問には答えずに、また蒸し返して、声のトーンも高い。私以上に視線が定まってない。
「面倒な女ね、あんたも。昔って言ったじゃない。で? なにか聞いてるの」
「そ、そっちは、なにも聞いてないわ」
「面倒な上に役立たずか。いい加減、成長するってできないの」
「姉さんだって、そうやってズケズケいうの。ひどいじゃない」
「私のズケズケは誇りを持ったズケズケです。あんたのは誇りがない」
「な、なんですって!」
待った、待った! タオル、タオル。リングにタオル投げて!
「叔母さん、離婚届はどこに送るんですか?」って、聞いといた。
「……離婚届」
叔母、ぼんやりと口にして、立ち上がろうとして中腰になり、再び椅子にストンと落ちた。
「立つこともできんようになったか」って、オババ。
先ほどから言葉にトゲがある。きっと怒っているんだろうな、すごく。
「できますよ」って言いながら、叔母、よっこらしょって、今度こそ立ち上がった。
叔母が持ってきた離婚届けには、住所と電話番号と共に叔父の名前が書いてあった。
住所は米国であり、電話番号も米国のもので。
本籍は、この家になっている。
「じゃあ、勝江、離婚届に名前を書きなさい」
「え?」
「証人欄は私とアメで書いておきましょう」
「姉さん、でも」
「調査しても何もわからないから、これはもう、あの男に会う必要があるわ。その理由に離婚届けを持って行くってことにしましょう。スマホの番号はわかってるんだから連絡をいれます」
「で、でも、この年で離婚なんて、そんな体裁の悪いこと」
「なにを言ってるの。結婚のときの方が、よほど恥ずかしい理由でしたよ。あの当時にできちゃった婚なんて、ありえませんから」
「姉さん、子どもはできてなかったから」
「あ〜〜ら。じゃ、なんで妊娠したって」
「それは、その、嘘も方便って」
オババ、怖い顔でにらんだ。
それから、表情が崩れたと思った次の瞬間、クッて吹き出すと、次にブハッーって爆笑した。
そして、笑い出すと止まらなくなったのか、机をバンバン叩いて、
「あほすぎて、もう……、信じられない……あの馬鹿、それ……、ひっかかって、ヤッタヤッタ詐欺ね……」とか、言いながら大笑いしていた。
「よく騙せたわね。ま、弱々のあんたにしては上出来だけど」
「だから、アパートで酔っ払って寝てたから、その横に朝になるまで」
「ほう。どういう姿で、服は」
叔母、耳まで真っ赤になった。
「それは……、服は、脱いで」
「で、あの男、目覚めて、どうしたの」
ちょちょちょ、待った!
私にも心構えがいるって、その先。
だって、そん時は、叔母、きっと可憐な娘だった。
きっとそうだったと思う。
でも今、目の前にいるのは娘じゃなくて、ヨーダだから。
朝、ベッドで裸って。
ヨーダの裸しか想像できない。これが、オババなら違うんだけど。確かに叔母より上だけど、未だ衰えぬ容姿で魅力的なんだよ。オババって。
「あの人、……寝ぼけてて、手を出してきて」
「ほう、そっから」
「そっから、そのまま……」
「ほう。一応、手を出したというわけか」
「ま、ま、そうよ」
ヨ、ヨーダにかい。
「最後まで」
「そ、そうよ」
ヨ、ヨーダァァァ……!
やることやってるんかいィィィ……!
ナサニエル・ホーソーンの不朽の名作『緋文字』という小説。
17世紀のピューリタリズムが盛んだった頃のアメリカ・ニューイングランドの物語だ。
へスター・プリンという女性が姦通の罪を犯し、監獄から連れ出されるところから、物語ははじまる。
晒し台にあげられたへスターの胸には『A』という緋文字がつけられている。
女は夫がいるにも関わらず、他の男の子どもを産んだ罪で、晒し者にされた。
当時の姦通罪だ。
胸に縫い付けられた『A』は「姦通」または「姦通を犯した女」を意味するAdultery、Adulteressの頭文字である。
現代のアメリカじゃあ考えられない世界感。
米国テレビでは、若い女の子が男と何人寝た、なんてこと自慢しているのが、令和の時代だから。
緋文字『A』が大安売りの令和時代に、この当時の空気は読めない。
日本でも、戦後から30年くらいは、まだそうした空気が残り、女性にとっては息苦しい時代だったのだ。
急激な変化はバブル前くらいからだろうか。
オババの青春時代は処女性が非常に大切にされていた。
「あの人は、私に優しかったけど、愛してはくれなかった」と、ポツリと呟いた叔母。
雨が降りそうな空模様に、次は嵐が来ると思った
(つづく)
映画『緋文字』『スカーレット・レター』
この小説は何度も映画化されました。
古くは1934年公開の『緋文字』。
1972年公開ヴィム・ヴァンダース監督の『緋文字』も有名であり、
1995年公開の『スカーレット・レター』はデミ・ムーア主演でした。
最近では、2010年公開の『小悪魔はなぜモテる?!』エマ・ストーン主演。ここまでくると別物って感じですか、脚本を書く上で緋文字が影響されたそうです。




