男と女
ギリの叔父は大学卒業後、商社に勤め、途中退社。
自ら車関連の貿易会社を立ち上げたって話は聞いている。
海外を拠点にして日本に滞在するほうが少ないってことも。
オババと叔父の関係が複雑そうってこと、私、察したけど。
探りをいれる前に、高速道路の運転でヒイヒイの私、そんなことどうでもいいって、帰りは国道で帰りたいって、それしか考えてなかった。
で、畑の狭いあぜ道をこちらに向かい走ってくるのは、車体が赤と黒の、見るからに高価そうなクラシックカーだった。
「あれは?」とオババに聞くと。
「フン」と鼻で笑った。
「目立つ車ですね」
「目立つというより、派手ね。車が好きでね、オートマ嫌いだとか。カッコつけは相変わらずのようね」
「マニュアル車。神ですか」
「あなたの運転からしたら、誰でも神ですよ」
「いえ、そんな、褒めていただかなくても」
「褒めてません」
チッ、わかっとるわ。
この日の朝は、風が柔らかく太陽の日差しもそれほど強くなかった。雲が多いせいか、おそらく午後には、にわか雨になりそうな予感がする。
「それで、ここで迎え撃つんですか?」
「そうね。どうしたものかしら」というと、オババ、踵をかえして、太郎くんの家に向った。
クラシックカー、すぐそこだが、私の車が門前に止めてあるので駐車スペースない。
「車、移動したほうが?」
「どこに」
「門のなかに」
「できる?」
できる? って聞かれて、できる! と胸をはって答えられるかい。
オババ、私の運転技量を甘くみている。
目測では、門の間隔3メートルほど、その先には広い庭があるが、農家らしく雑多なもので散らかり、頭から突っ込めば、帰りはバックしかない。
さりとて……、なんて考えているうちに、空気にガソリンの匂いが漂ってきて、クラシックカーが停車した。
ドアが開いた。
関節部分に穴のあいたレーサーの手袋が運転席側のドアにかかり、黒いフラットシューズがみえ、サングラスをかけた白髪の、それも輝くような白髪の男があらわれた。
彼は、ゆったりとした動作でこちらを見た。
そして、片方の口元をグニャって具合にあげ、皮肉な顔で笑った。
この笑い方。オババの笑い方に似てる。
オババも同じような顔で、しかし、同時に皮肉な表情も浮かべるから。
その瞬間、なぜか思った。
オババ、なんでそんな普段着で来たって。その格好、まるで、近くのスーパーに行くお婆さんじゃないかって。
なぜか、なぜか、もっとオシャレしてくるべきだったと、なぜか私が後悔している。
訳ありの男に会ったとき、女って老けたとかブスになったとか思われたくない。もちろん、叔父は元彼じゃない。
それでも、洒落た、いかにも洗練された年配の男性を見て、私は、ちょっと悔しかった。
だってね、高価なクラシックカーに黒いサングラス。高級イタリアブランドのシャツに穴あき手袋って。
お前、何様じゃあ〜〜!
で、すかし野郎、片手を上げると。
「よ!」と、言った。
「元気だったか、委員長」
オババ、目を眇めると「勝江は?」って聞いた。
「置いといたよ」
「置いて来たんでしょ」
「ま、そうとも言えるかな。それにしても10億円とはまた」と言って、叔父、おおらかに笑った。
「そっちが3500万円なんて見え透いた金額を言ってきましたからね」
「かなわんなぁ。学生のころから、全く変わってない」
叔父は近づいてくると、オババの肩をポンってたたき。そのまま玄関まで行き、引き戸を叩いた。
「優子、いるのか。出て来なさい」
返事がない。
「委員長、かってに娘を人質にしないでくれないかな」
「人聞きの悪い」
「そうかね、君の差し金だろう。アレの言ったことが本当のようだ。返事もしないと聞いている」
と、優ちゃん、玄関の引き戸のほんの隙間から、しゃがんでこっちを伺ってる。
おいおいおい、優ちゃん、見えてる、我慢ぜよ。
オババと叔父、同時にそれに気づいたが、彼のほうが一歩はやかった。片膝をつくと同じ目線で……。
「おやおや、世界一かわいい姫さま、そんなとこで何をしてる」
「パパ」
「覚えていてくれて嬉しいよ」
「パパ」
「顔をお見せ」
優ちゃん、少し躊躇して、それから引き戸を開けようとして、つんのめった。
と、叔父、あっという間に扉を開けると、優ちゃんの手を取り、それから抱き寄せたんである。
「おやおや、姫は囚われていたと思ったら、ずいぶんといい顔色になっている」
「パパ、パパ」
「ママが困ってるようだが」
「パパ」
優ちゃん、パパという言葉のイントネーションを変えるだけで、感情を表現するという高等戦術を使っており。で、パパ、それを理解したようだ。
「誘拐されたと聞いたよ。だから、助けにきたんだがね」
「パパ」
「わかった、わかった。ここにいたいのか」
「パパ」
「委員長、説明してくれないか」
娘の髪を撫で、目を細めながらパパが聞いた。
「長い話がいい、それとも、短いので」
「短いので結構」
「優ちゃんは結婚したいそうよ」
「そうか」と、叔父。娘を離すと、サングラスを外し、まじまじと優ちゃんの顔を見た。
「幸せそうな顔だ……。じゃあ、パパは話したい人がいるから、後でな」
「パパ」
叔父は振り返るとオババを見た。
そのとき一瞬だけ、強い風が吹き、オババと叔父の間を駆け抜けた。
私は奇妙なものを見た。
そこに、10代の若い男と女が、お互いの顔を見つめ、そして、言葉を失っている姿だ。
そして、なぜか叔母に、あの厄介で心を病む叔母に私は同情してしまった。
なぜなら、そこには『男と女』がいたんだ。
クロードルルーシュ監督が描いた名画の『男と女』が佇んでいて、その間に誰かが介在することなど、不可能に見えた。
主役級のふたりの間で、脇役の人生。
ちょい役専門の私には、その気持ちが痛いほど飲み込めた。
だよね、こんなふたりにタメはろうなんて、叔母、負け戦が決まっているようなもんで。狂ってなんぼで生きてきたんだって、そんなふうに思った。
(つづく)
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映画『男と女』
1966年公開されたフランス映画で数々の賞を受賞したラブストーリーです。
スタントマンの夫を事故でなくしたアンヌと妻が自殺したレーサーの男ジャン=ルイ。
ふたりは、子どもを預けている寄宿学校で出会い、そして、惹かれあいます。
フランシスレイのサウンドトラックが、全編で、その愛を語る映画です。音楽が会話する映画です。今見ても、全く古さを感じません。




