シンデレラへのサプライズ 5
しばらくの間二人とも無言で、スピードとエンジンの響きに包まれてひたすら距離を飛び越えていた。
帰路の半分が過ぎた頃、日比野が言った。
「時間に余裕できたから次のパーキングエリアで一度止まるよ」
「運転疲れませんか日比野さん。急がせてごめんなさい」
「いや大丈夫。ちょっと煙草吸いたいだけ」
フードコートがあり、土産物も豊富な混雑するパーキングエリアで瑠衣がトイレに行って戻ってくると、彼は車の外でスマホを見ながら煙草を吸っていた。
「混んでてもこの車すぐにわかります。綺麗な色だから」
「そうか。これは俺がいい子にしてたご褒美って、親父が買ってくれたオモチャさ。裕也の好きな青い車だよーってさ」
サングラスを掛けたまま煙を吐いて、明らかに皮肉っぽい口調で言った日比野は表情が読めない。
瑠衣は上手く言葉が返せなかった。
ご褒美にお父さんが買ってくれたオモチャって、この車が?
日比野さんの家がお金持ちで、お父さんは息子に甘い優しい人、ということだけではないのかな。
よくわからない。
でもそれ以上は聞けない感じがした。
高速を降りて公道をしばらく走ると、もう車はY市に入りT地区に近づいた。
自分の会社が計画を進めている再開発地区を通り過ぎて、古い住宅地に入りこむ。
「もうじき着くよな、この辺りで間違いない?」
裕也は後部に座る瑠衣に尋ねた。
瑠衣が告げた住所の通り、ナビは古びた軒の低い建物が集まる一角に向かっている。
ここらはいつの時代からあるのかわからない傾きかけた一戸建てやアパート群ばかりだ。
住人は高齢者や低所得者が多く、再開発に向けての用地取得が難航していた場所だが最近ようやく決着した。
「はい、もう着きます。次の電柱のところで降ろしてください」
瑠衣が言った場所に車を停めると、裕也は荷物を手にした彼女にドアを開けてやった。
「すみません。本当に待っていただいてもいいですか。十分くらいで支度できると思いますから」
「いいよ、そこまで急がなくても二十分以上は余裕がある。仕事なんだからきちんとして来いよ」
「じゃあ行って来ます」
頭を下げた瑠衣は舗道の奥に見える緑の外壁のアパートに駆けていった。
緑色がまだらに剝げ落ちているアパートの建物は、○○荘とか言う名前が外壁に黒ペンキで書かれているようだが、その文字すら消えかけて読み取れない。
木造モルタル二階建て。
で、彼女の部屋は一階らしい。
付近は街灯もまばらだし、今時こんな寂れた場所でセキュリティもないに等しい部屋。
家族の誰かと住んでるのならまだしも。
でもあの晩、海斗が『あの子の母親はアル中だ』って言ってたっけ。
煙草に火を付けて、裕也は記憶を辿った。
今は安心して暮らせる誰かと一緒なんだろうか。
必死で逃げて、せめてあの時とは別の場所に彼女は行き着けたんだろうか。
今日久しぶりに見た感じだと元気そうだし、うまくやれてるようだけど。
FMラジオを聞き流していると着替えを済ませた瑠衣が小走りに戻って来た。
「お待たせしてすみません」
彼女は言ったが二十分もかかっていない。
「早かったな、忘れ物はないのか?」そう言って瑠衣を眺めた裕也は思わず笑った。
降ろした長い黒髪を綺麗に巻いて垂らし、化粧も大人っぽく変わっていた。
白い肌に大きな瞳、赤い口紅が施された唇には艶がある。
秋らしいチェック柄の短めのワンピースに、足首にストラップのある深い赤のパンプス。
抱えたハンドバッグもパンプスと同じ赤で揃えて品が良い。
これは別人のさらに上をいく別人じゃないか。
うらぶれた姿から、ある日出会った魔女の魔法でお姫様になる女の子と言えば?
その答えが目の前にいる。
ロマンチストの柳井大志が舞い上がるわけだ。
「日比野さん笑ってますね。この格好、変ですか?」瑠衣が自信なさげに言う。
「いや似合ってる。悪い、これはちょっと思い出し笑い」
また彼女を後部に乗せると裕也はハンドルを握り、今度は市の中心部、新興地区のファッションビルに向かった。
「確かに初対面の時は私、ひどい格好でしたよね。思い出すと、とても恥ずかしいです」
ミラー越しに身綺麗な瑠衣が俯いて言う。
俺が笑ったせいでそう思わせてしまったのか、それは済まなかった。
何かを振り切るためにあの時は必死だったのだろう、辛かった事はもう忘れていいんだ。
「そうだったか?そこまでよく覚えてないな。今は家族と住んでるの?」
「今は、母が入院してるので一人です」
「なら用心しろよ。それに、この辺りも来年には住めなくなるはずだし、引越し先は当たってるのか?」
「まだそれは。もうちょっと良いところと思って、今お金貯めてます」
「それは大切だけど、ここらの再開発は地域への移転補償の説明会があるはずだから、面倒でもまず町内会に聞いてみるといいな。地域によって違うけど、引越しの費用とか転居の初期費用が受け取れるかも知れないから」
「そうなんですか?」
そういうことを瑠衣は初めて知った。
「日比野さんの会社では、家探しを手伝ってもらえるんですか」
「ああ、開発とは別に不動産仲介部門があるから紹介できるけど、地元に詳しい評判のいいところもあるはずだから当たるといい」
これからのことを話すうちに車はもう瑠衣の勤めるファッションビルに着いた。
それにまだシフトの時間まで余裕があるから全く慌てずに出勤できる。日比野さんのおかげだ。
「ありがとうございました日比野さん。この後も気をつけて下さいね」
去り際に瑠衣が言うと「じゃあな、あんたも頑張って」と彼は右手をちょっと上げて車を出した。
あ、しまった。
去って行く青いスポーツカーを見送りながらすぐに瑠衣は後悔した。
後で改めてお礼を言いたかったし仲介のことも知りたかったのに、彼の連絡先も聞かずに別れてしまった。