冬の陽射し 6
火事の現場にいたせいか、体にずっと煤けた匂いを纏っている気がしていたけれど、お風呂に入ったらさっぱりした。
長い髪を乾かし日比野がくれたスウェットを身につけて、ウエストの紐を絞りパンツの両脚を軽くたくし上げる。トレーナーの袖は長いし首回りも広いけど、眠るだけなのだから十分。
ベッドの上でやっとスマホを手にした瑠衣が友達からの大晦日のチャットを見たのは、もう新しい年が明けた深夜のことだった。
あ、大志くんからもメッセージが来てる。
友達からの新年の挨拶にはとりあえず型どおりに返信した。
大志くんに本当は会いたいな。
大晦日の出来事を伝えようか、どうしよう。
それとも今知らせれば心配させてしまうだけになるかな。
せっかく帰省してゆっくりしてるところなのに、それも申し訳ないなあ。
画面を見ながらしばらく迷ううちに眠気が差して、そのまま眠ってしまった。
次に目が醒めると部屋はすっかり明るく、目に入る周囲の景色に最初は戸惑った。
ここは、そうだ。
日比野さんに借りた部屋だった。
わあ、もうお昼なの。
大志くんにチャットの返信をしないまま随分寝ちゃってた。
三日には会う約束だけど、やっぱり大志くんにはこの事を伝えよう。そして今は心配ないよって言えばいい。
そう決めて返信した。
「大志くん、明けましておめでとう。夕べは色んなことがあって遅くなって、そのまま寝てしまいました。ごめんね。直接話したいから、電話してもいい時おしえてください」
ショップの店長にも電話をして、お役所に書類を出したり母のところへ行ったりと用事をこなすために平日のシフトを調整して貰えることになった。
けれど大志に宛てたチャットは既読がつかないままに時間が過ぎた。
大志くん。
昨日は自分がいっぱいいっぱいで、挙げ句に寝ちゃったくせに。
今日はちょっと連絡が取れないだけで私、こんなに気になってる。
突然電話が鳴った。でも大志くんではなかった。
「今どこにいる、部屋か」
「そうです。日比野さんは?」
「今戻ったとこ。これから近江海斗が来るって言うから、お前のこと話したら会いたがってた。着いたら知らせるよ」
「海斗が?会うの半年ぶりくらい」
「お前、アイツのこと海斗って呼んでるんだ」
彼の声が笑いを含んだのがわかる。
「海斗ってちっとも大人っぽくないから。大志くん達と一緒に遊んでも悪戯ばっかりするし。あの私、今大志くんとお付き合いしてるんです」
「そうなの。じゃあ大志はどこに居るかわかるか。アイツと連絡つかないんだけど、実家?」
「はい。そう言ってたけど私も今日はまだ連絡とれてなくて」
「なら仕方ないなあ」
電話を切るとまもなく今度こそ大志から着信があった。
「瑠衣ちゃんチャット見たよ。昨日はどうしたの、何かあったの」
「大志くん」
彼の優しい声を聞いたら、それだけで瑠衣は嬉しさがこみ上げるようだった。
昨日の火事の事を話すと大志はひどく驚いて電話越しに声が大きくなった。
「ええっ家が火事に!怪我は全然なかったの?そんな時に何もできなくてごめん、今はどこに居るの」
「日比野さんが住んでるマンションの部屋なの。あのでも、日比野さんが暮らしてるのとは階の違う別の部屋なの」
「え、裕也の家に。なぜ……違う部屋なんてあるの、知らなかったな」
日比野と燃えるアパートの前で出会ったことも話した。
「偶然なの、私も驚いて。そうしたら日比野さんが二つ部屋を持ってて、一つが空いてるから住んでいいって言ってくれたの。夜だったし、明日には仕事もあるし、私甘えることにしたの」
「今は一人?不自由してるよね、何もなくなって。言ってくれたら昨日だって戻ったのに。とりあえず僕の部屋に来てって、きっと言ったと思うけど」
「それだけで嬉しい。でもそれからずっとお引越しみたいな事してて、遅くなってしまったから」
「裕也と二人で?そう言えばアイツから着信きてる」
「それきっと、これから海斗が来るって日比野さんが言ってたから、一緒にご飯に行こうっていうのだと思うよ」
「海斗が、そうか。アイツも忙しいから会いたいなあ。瑠衣ちゃん、今日は何か心配なことはないの、足りない物は?」
「うん、それは大丈夫」
「ちょっと遅くなるけど僕もそっちに戻るよ。後で会いに行く」
「え、三日に会う予定なのに。大志くん、せっかくのお正月でしょう」
「瑠衣ちゃん、何言ってるの」大志の声が翳りを帯びた。
「本当はすぐにでも行きたい。心配で瑠衣ちゃんの顔が見たいんだ、そんなこと言わないで」
今日の昼間に連絡が取れなかった理由を瑠衣は大志から聞いた。
午前中に実家の家族みんなで食事をしていた時、急にお爺さんが咳き込んで「喉が痛い」と言い出した。
食べていたお魚の骨が喉に引っかかったようで、あれこれ試したけど一向に取れず、休日当番の病院に連れて行った。
元日だけど病院はすごく混雑していて、診察までにも時間がかかった上に内科のドクターでは対処ができず、別の場所にある耳鼻科を紹介された。
ちょっと太い骨が喉に刺さっているのがわかり、喉を麻酔してファイバーカメラを使って、ようやく取れたんだそうだ。
「お爺さん、苦しかったよね。大志くんも大変だったでしょう」
「父さんは昨夜のお酒が残ってたから、病院には僕が運転して行った。今は家なんだけど両親がちょっと出掛けてて、爺ちゃんはまだ喉の出血に注意してって言われてるから僕が付いてる」
「大志くんが居てくれて家の人たち安心したでしょう。帰省していてよかったよね」
「それはそうだけどさ、でも僕は瑠衣ちゃんの力になりたかった。君に甘えて欲しかったな」
「私も、大志くんに会いたいって思ったよ。今は声が聞けただけで安心するの」
周りに誰も居ないのに恥ずかしくて声が小さくなる。
言葉を交わすほどに、声が聞けたんだから満足と自分に言い聞かせていたはずがおぼつかなくなって、会いたさに思いが色づく。
「安心してくれるなら、それだけでも行く。後でね」
大志くんにそう言われると欲張りになってしまう。会いたいと思ってしまう。
「うん、気をつけて来てね」
瑠衣は電話越しにうなづいていた。




