第八十四話 古の友
「ほう……懐かしいマナの流れを感じると思うたら、お主であったか」
小柄な老エルフは杖をつきながらゆっくりとこちらに歩いてくる。
その目が捉えているのは、スレイ達でも、俺達でもない。
そのさらに後ろ、家の入口近くでこちらを見守っていたユニコーンに注がれていた。
『まさか……アミルドラ……なの?』
「久しいな、エウプロシュネよ」
聞き慣れない名でユニコーンを呼ぶこの老人、俺の予想ではこの人がエルフ族の族長ゾゾフであると思うのだが。
この人がアミルドラ? どういう事だ?
「父上、今動かれましては!」
「お祖父様、お体は大丈夫なのですか!?」
今までの騒ぎが嘘のように、スレイとルビーナはその老人の元に駆け寄る。
「あれだけマナを荒ぶらせておれば、おちおち寝ておれるはずがなかろう」
「も、申し訳ございません」
老人はスレイの頭を杖でコツリと叩くと、族長が座る椅子によじ登って腰をかける。
「ほほ、まこと珍しい組み合わせの客人じゃな。
そこな人族……いや違うな、古代人かのう……聞きたいことは山とあろうが、まずは古き友と挨拶をさせてくれぬか」
「は、はい! どうぞ!」
族長から言われ、思わず背筋を伸ばして返事をしてしまう。
俺が権威に弱いというのもあるが、この老エルフからはその体躯からは想像もできない重みがあるように感じる。
それと同時に、入り口で待機していたユニコーンが族長の前まで来る。
そうして老エルフの顔に鼻先を付け、愛おしそうに何度も擦り付けていた。
『ああ、本当に……本当にアミルドラなのね。こんなにおじいちゃんになってしまって……』
「お主は変わらぬのう、エウプロシュネよ」
『その名はもう捨てたのよ……今はユニコーン』
「ふむ、ユニコーン、良い名じゃ」
族長はひとしきり包容のようなものを行った後、こちらを見据えて目を細める。
「……なるほど、ワシが今日まで生き永らえたのも、この日この時の為であったのやもしれぬのう」
『不思議な子達でしょう?』
「お主はいつの時代も数奇な星を導く」
『それが私の役割なのかもしれないわね』
族長とユニコーンがしんみりとそんな話をしているのが聞こえるが、こちらとしては全く状況が分からない。
あのゾゾフ族長だと思っていた老人が、実はユニコーンの元相棒のアミルドラだったという事は何となく把握したが……
「あのう、ゾゾフ族長? もしくはアミルドラ族長? どのように呼べば……」
「ほほ、そうじゃな、ワシはこの千年はずっとゾゾフじゃ、よってゾゾフで良い。
ワシの故郷が消し飛んだ際、傷つきながらもワシはここベルレッタに落ち延びた。
そして先代の族長に救われ、彼の養子として迎えられたのじゃよ。
その際に過去を捨て去るという決意を込めて名を変えておったのじゃ。
今、こちらの古き友より委細を伝えられた。
事情は分かった、まずは礼を言う古代人の青年よ。
なぜワシの故郷が消えたのか、ずっと気がかりではあったのじゃ」
『さっきの接触でアミルドラ……ゾゾフには私の持つ知識を伝えたわ。
貴方達の事は理解されているはずよ、そうねゾゾフ?』
「うむ、誠、驚くべき事じゃ、これが運命というものか……」
ゾゾフ族長はそう言って頷くと、スレイとルビーナを呼び、自らの前に立たせる。
「スレイよ、ルビーナが生まれたあの日より今日までの働き、見事であった。
ワシはお主の父である事を誇りに思うぞ」
「何を申されます父上、あの日、父上の言がなければ、私はルビーナを助けることが出来なかった……」
「それも運命である、スレイよ、その時が来たのだ。ルビーナを旅に出すが良い」
「それは……」
「ルビーナとてもう子供ではない、姿は自身で制御できる。それに、良き友もおる……そうだなルビーナ?」
「はい、私はこの方々と共に、必ずや母上の仇を討って参ることを誓いますわ。
だって……私はその為だけに、今までこの力を磨いてきたのですから」
ルビーナの決意を前に、スレイは悲痛な表情を向ける。
自分の娘が復讐に身を焦がす姿は、親としては見たくないものだろう。
「スレイよ、復讐だけではない、復讐は切っ掛けにすぎないのだ。
ルビーナもそれを理解する時が来る、今は我が子の旅立ちを見守ってやれ……よいな」
「…………分かりました」
スレイはゾゾフの言葉に、長い間沈黙し、やっとのことでそれだけを口にする。
『ゾゾフの子、大丈夫よ、この子達には私が付いて行くわ』
「私もいる、蒼海竜の名にかけて、ノア・シドーの縁者は私が護ることを誓おう」
「あなた方は一体……竜族、ティアマト殿にも驚いたが、白い馬、我が父の古き友よ、貴方は一体何者なのだ」
『……』
スレイの問いかけに沈黙を守るユニコーン。
だが答えられなくても仕方がない、ユニコーンも自身の出自を覚えていないという事なのだから。
「なんじゃ、まだ言うてはおらぬか」
『……そうね、もうそろそろ良いのかもしれないわね』
しかし、ユニコーンから発せられた言葉は、俺の予想とは違っていた。
ユニコーンはそう言って驚く俺に向かい一つ頷くと、少し間を置いて話し始めた。
新たな事実、そして衝撃の真実が、また一つ明らかとなる。
『私の昔の名はエウプロシュネ。
聖王ラギウス配下、聖王軍第三遊撃部隊隊長。
それが、第二次天魔戦争時の私の肩書よ』
ユニコーンの告白が頭の中を巡って……そして皆の時が止まった。
新たな情報が連続で入りすぎて、頭の整理が追いつかない。
ユニコーンがラギウスの部下で天魔戦争……それって……つまり。
「ユニコーンは天族!?」
『そういう事になるわね』
「えっ、そんな……だって今まで昔のことは覚えてないって……」
『過去の自分は捨てたかったのよ。あの戦争で仲間や部下も大勢死んだ。
戦争が終わってからもエルフ族の元に身を寄せて、魔族側だった種族と戦っていたわ。
そうしてあの事件が起きた……正直、疲れちゃったのよ、戦い続けるだけの生き方に』
「ラギウス帝国に身を寄せなかったのは?」
『違う自分になりたかった、天族でも魔族でもない、私というものを探す為に旅に出たの。
そして千年彷徨った、三度目の戦争の時も、遠い異国の地で暮らしていたわ』
「なりたい自分には……なれたのか?」
『分からない……色んな所に行って、色々な人と交流して、でも結局最後に考えるのは、天族って何なんだろうって事ばかり。
そうして気がついたらここに戻ってきていた』
「天族なのに、天族のことが分からないのか?」
『そうね、私はこの世界に立った時の事を覚えていない。
この世界で生まれたわけではない事は確かだけど、自分がいつからこの大地に立っていたのか分からないの。
他の天族達も大抵は同じ境遇だったわ。ただ、そうではない天族もいた。
それが、王を名乗る天族、天族達のリーダー……ラギウスもその一人よ。
彼らは使命を覚えていた。
その使命に従って私達をまとめ、そうして色々な土地で色々な活動をした。
その名残が……ノア、あなたがいた時代に書き留められていた、数々の記録に残されていたはずよ』
それを聞いた俺の脳裏に過るものがあった。
今まであちこちで断片的に聞いてきた情報。
シャルルが言っていた、天使とは天族の事だという話。
それらを総合して考えれば、思いつくところはそう多くない。
つまり天族とは。
「……神様?」
『多くはそういうモノとして捉えられたでしょう。
神、精霊、妖精、そんな風に伝えられていたと思うわ。
ただ全てではなかった、天族は人間に都合の良い事ばかりをしてきた訳ではないから。
でも、そういうのを覆い隠すために都合の良い存在がいたの』
「……それが、魔族か」
『そうね、彼らは私達を異物と認定して排除しようと試みたわ。
大昔から、それこそ貴方が生まれる遥か昔から、大小あらゆる戦いが何度も行われてきた。
時には人間や地上の生物たちを巻き込んだわ、そういった現象は、災害や、神々の戦いのような物語的な形で残っていたはずね。
戦いは厳しかったけど、勝てない相手ではなかった。
そして都合が良いことに、天魔戦争以前、魔族は人間と接触できない事情があったようなの。
彼らはあくまでこの世界における防衛機構の一端、異物を排除するだけの機能しか持っていなかった。
それに目をつけた天族の王達は、彼らを悪者に仕立て上げ、人間達を天族側に取り込む作戦に出たわ。
それがどういう世界を作り上げたのかは……貴方ならそれなりに知っているでしょう?』
俺の生きていた時代。
科学が発達し、電子機器が溢れかえるようになった世界。
しかしそれでもまだ、人々は神の名の元の戦争から抜け出せなかった時代。
だが、そこまで天族が人類をうまくコントロールしていたのだとしたら、何故天族は旧人類を滅ぼすに至ったのだろうか。
最初の天魔戦争、その原因は何だったのか……
『それは分からないわ、天魔戦争を主導したのは天族の王達。
最初は魔族を殲滅する為だと聞いていた、しかし戦争に勝利した後、待っていたのは旧人類の粛清だった。
そこにどういう判断があったのかは分からない。
私達にはそれを知る権利が無かったのよ』
元天族、元隊長と言えども駒の一つに過ぎなかったという事か。
それを聞きたければラギウスにでも直接聞くしか無いという事だ。
フェリスから教えてもらった話に始まり、シエルやナーガや古代の遺跡などから様々な情報を得てきた。
一つ一つはバラバラだったそれらの情報、それが、今のユニコーンの話で一つにまとまり、一本の線を形作ったような気がする。
ユニコーンが話した内容が、真実かどうかという問題はある。
しかし、今考えを巡らせる限り、その話に不審な点は見当たらない。
元々が突拍子もない告白なので、完全な作り話であるならどうしようもないのだが……
だが俺は信じたい、いや、信じる。
今までずっと俺達を助け、導いてくれた仲間が打ち明けてくれた話なのだ。
例え裏付けが何もない話だとしても、俺はそれを信じたい。
『今まで黙っていてごめんなさい、本当は貴方達と別れるまで言うつもりは無かった。
でも、こうも予期しない出来事が続くとね……貴方と出会ってからのこの数ヶ月は、それ以前に彷徨い歩いた千年にも劣らない時間だったわ。
運命なんて信じていなかったのだけれど、今は貴方に出会うために、この地に戻ってきたのだと思えるわ』
そう言って優しげに目を細めながら俺を見るユニコーン。
その表情は、長年内に秘めていた重荷を解き放ったような清々しさに満ち溢れていた。
しかしそうなってくると、俺達は今後どうユニコーンと接すれば良いだろう。
天族という権威は、人族に対しては大きな力となるが、そもそも千年以上前に失踪した天族だ、その存在を知る者などいないだろう。
逆に下手に身分を明かして、それがラギウスの耳にでも入ろうものなら、これは厄介な話になる事は間違いない。
何せ天族からしたら“脱走兵が戻ってきた”と同義なのだから。
『何も変わらないわ、今まで通り私は“馬の魔獣”で結構よ』
俺の何とも言えない顔を見て察したのか、ユニコーンがそう付け加える。
結局、今まで通りが一番面倒がないのだ。
「よろしい、では残された時間も少ない。
スレイ、ルビーナ、これからワシの言う事をよく聞くのじゃ」
「父上、時間が少ないとは?」
「運命がワシの生きる時間を少しばかり伸ばしてくれていたようじゃが、そろそろそれも終わるということ。
これからワシが言う事は、ワシの遺言だと思って聞くが良い」
ゾゾフの言葉に、皆が自然と背筋を伸ばして起立する。
「まずこれより我々ベルレッタエルフ族は、人族との交流を検討する。
しかしその道は平坦ではない、長い間交流のなかった種族同士が理解し合うには、長い年月が必要じゃ。
よって、まずは交換交流を行う。
ルビーナ、フローワ、そしてアリストロメーアよ、人族の里に行き、彼らの文化を知り、そしてエルフの文化を伝えよ。
掟に抵触しない範囲でなら、魔法の教示も許可する」
ゾゾフの指示に、驚きつつも了解の返事を返すルビーナ達。
しかしこれはつまり……
「父上、人族との交流など勝手に決められては――」
「スレイよ、時代が変わろうとしておるのじゃ。
そう遠くない未来、エルフは里に篭って生きてゆく訳にはいかなくなる。
その時になって慌てても遅いであろう。
我々にも友が必要なのじゃ、そしてその相手は、ルビーナを快く受け入れてくれる者達でなければならない……そうではないか?」
「それは……分かりました」
「ユニコーンより委細は伝わっておる、古代人の青年よ、そなたにとってもこれは良い話であろう」
「は、はい! ご配慮に感謝致します!」
エルフが里に篭っていられなくなる。
それはゾゾフの族長としての先見の明だったのか、もしくは俺の事情を知っての方便だったのか。
それはまだ分からない。
しかし俺にとってこれは間違いなく良い話だ。
何しろこれで、不可能と思われたエルフ族との交流開始という依頼が達成できるのだから。
「ルビーナ達からの報告があれば、次は里に人族を招く準備が必要じゃ。
それはスレイ……お前がやるが良い」
「は……し、しかし、他の里の者が何と言うか……」
「スレイよ、お主を次の族長として正式に任命する。
此処から先の全ては、お主の責任で行うのだ、良いな」
ゾゾフはそう言うと、短い呪文のようなものを口にした。
すると、ゾゾフが持っていた木の杖が輝き始める。
「受け取るが良い、これを手にした瞬間から、お主が族長じゃ」
緑の光を湛えたその杖を緊張した面持ちでスレイが受け取る。
すると杖から溢れ出た光が一瞬だけスレイを包み込み、そしてすぐに消えていった。
「これが……継承の儀式?」
「うむ、本来継承とは、族長の杖の所有権を書き換えるだけの簡単なものじゃ。
大げさな式典などはただのオマケに過ぎぬ」
「父上……」
ゾゾフから杖を受け取ったスレイは、何とも言えない表情でゾゾフと見つめ合う。
ゾゾフはそんなスレイに一つ頷くと、大きく息を吐いた。
「……さて、ワシが出来る事はここまでじゃ。
あとは今の世を生きるお主達が成すべき事。
真実に向かい、ただひたすらに進むが良い」
ゾゾフは俺達を見てそう言うと、静かに目を閉じる。
見ればルビーナは泣いていた。
スレイも、唇を真一文字に結びながら、杖を掲げ父を送っているかのようだ。
それを見れば、この先に何が待っているのかは分かる。
ソソフ族長はこの最後の仕事を成し遂げるために、残された力を振り絞って俺達の前に現れてくれたのだ。
「……ああ、ユニコーンよ、久しぶりにお主の背に乗りたいな」
『ええ、いいわよ。少し散歩をしましょう……あの頃のように』
そう言ってユニコーンはそっとゾゾフを背に乗せ、そして、こちらを振り返らずに村の外へと向かって歩いて行く。
俺達はその後姿が見えなくなるまで、ずっとユニコーン達を見つめていた。
その日、一人の老エルフが息を引き取った。
ゾゾフ・カザッハ・アミルドラ・シャンテ
一二〇〇年以上を生きたそのエルフは、友の背に揺られながら、眠るように旅立ったという。