第六十六話 暗雲
ネルソンが至急打ち合わせを行いたいとの事だったので、俺達はフェリスの使い魔である伝書コウモリで現在の状況を連絡した。
すると程なくして「シドー宅で緊急会合を行う、しばし待機」という連絡が返って来たのだ。
しかしこのコウモリ、この時代においては本当に便利な代物である。
この世界にも伝書鳩のような鳥を使った通信手段はあるにはあるのだが、鳥の帰巣本能を利用するこのやり方は、決まった場所を往復させるくらいが関の山だ。
しかも途中での事故率が高く、書類運搬用の鳥の訓練、維持費用も馬鹿にならない。
そこに行くとフェリスの使い魔のコウモリは、コウモリ自身が認識している場所なら基本的にどこにでも行ける。
運搬できる情報量も鳥とは比較にならないし、さらには途中で何らかの妨害に会い、情報を届けられない事態になると即座に自爆して情報の漏洩を守るという保護機能付きだ。
そう言った状況になった場合はフェリスがコウモリの自爆を感知できるため、運搬失敗が即座に検知でき、その後の対応もしやすくなる。
まさにこの時代における最強の情報伝達手段、それがフェリスの使い魔“こうもりズ”なのだ。
このこうもりズ、初期は真っ黒なだけの体で、初めて見る相手には不気味がられていた。
特にクローディアはこの手のものが苦手らしく、最初は手で触れることもできなかったのだが……
どうもそれが余程ショックだったようで、最近ではあれやこれやと親しみやすい形態を模索することに余念がないようだ。
そんな訳で、現在俺の家では来客をもてなす準備が行われていた。
子供達は仕事もあるので、今回手伝いに来ているのはミルフィオリのみだ。
誰が来るのか分からないから少し余裕を持って用意しておかなくてはいけないな。
連絡をして小一時間経過した頃だろうか、家のドアを叩く音が聞こえてきた。
王が動くにしては到着が早すぎる、誰だろうか。
皆忙しそうだったので俺がドアを開けて対応する。
その先に立っていたのは、日に焼けた肌の長身の男――バルドルだった。
「よう、なんでもこっちでやるらしいって話だったんで、一足先に来たぜ」
「あれ? バルドル一人なのか?」
「ああ、今日はウチからは俺とアランだけだ。アランは後から来る、オヤジはちょいと野暮用で他に行ってるんだ。
俺は船があんなになっちまったからしばらく暇だし。ま、今日は当主代理って事で」
バルドルは軽い感じでそう言うと、リビングでメイアから借りた本を読んでいるティアマトを見つけ、そちらに歩いて行く。
まさか船を壊された恨みとかでぶん殴るつりじゃないだろうな……
「よう、先日はどうも」
「……あ」
無難に挨拶から入ったバルドルを見て、ティアマトもそれが誰なのか分かったらしい。
バツの悪そうな顔をしながら、顔半分を本で隠している。
「あ、あの……あの……」
「怪我は大丈夫みたいだな、さすが竜族、噂通り頑丈だ」
「マーマが、治してくれた……」
怒鳴られると思っているのか、身を小さくして縮まっているティアマトの周りを回りながらふんふんと様子を窺っていたバルドルだったが
特に異常がない事を確認すると、ティアマトの頭に手をおいてくしゃくしゃと撫で始めた。
「あう……」
「元気そうで何より。片腕が吹っ飛んでたから、ちょっと心配はしてたんだよ」
「怒らないの? 私のせいで……船……」
「海の上で何か起きる度に済んだ事をグチグチと言い合ってたら、とてもじゃないが生きて帰って来られない。
船乗りってのは、終った話は蒸し返さないんだ」
「……ごめんなさい」
「いいさ、それよりあんた海竜なんだろ? 竜族から見た海の話ってヤツを聞かせてくれよ、俺は海が大好きでね」
「う、うん!」
ティアマトは嬉しそうに頷くと、そのままバルドルと海について話始めた。
お茶を出すシエルも何処と無く嬉しそうだ。
何と気持ちのいい男だろうか。
竜族相手に物怖じしない性格といい、船を壊されて殺されそうになった相手をあっさり許して談笑する度量といい……
相手は海の王と言っても過言ではない竜族だ、海運業をしている以上、敵対するより味方にしたほうが良いという打算はあるのだろうが。
そういった卑しさを全く感じさせず相手の懐に潜り込む様は、本当に見事と言う以外にない。
狙ってやっているなら相当なキレ者であるし、天然ならば王の器というやつだろう。
ああ、キレ者ならマザコンも上手いこと隠すのだろうから、多分天然なんだろうな……
それから間もなくしてアランが到着し、後は国王が来るのを待つばかりとなった。
とは言ってもやる事も無いので、とりあえずアランと今後の経営について協議などをする。
シエルマジックで作った第一工場は、機材を置いて十名も入れば一杯になってしまう程度の大きさしか無い。
糸の供給不足は未だ解消されていないので、今後を見据えるのならばもっと大きな第二工場の建設が必要不可欠だ。
俺とアランはその建設予定地として丘の麓に広がる林に目を付け、そこの土地を買い取って、林を開拓した上で第二工場を建設する案を煮詰めていた。
次に稼働中の工場に入って子供達の仕事ぶりを観察する。
「あ、社長、見てみて……げっ、アラン……様」
俺を見つけたジャンヌが手を降った直後に、後ろにいたアランに気が付いたようだ。
淑女らしからぬ声を上げてその表情が固まるのが見えた。
どうやらアランはその様子に気がついていないらしく、ジャンヌに軽く手を振った後、他の子供達の所に行き何やら聞き取り調査を行っている。
俺はアランを他所にそそくさとジャンヌの方に歩み寄り、声を落として話しかけた。
「何だよジャンヌ、まだダメなのか?」
「だって……私あの人苦手なんだもん」
「この辺じゃ一番の金持ち貴族様だぞ、念願のセレブ道まっしぐらのチャンスじゃないか」
「そりゃお金持ちは魅力だけど、私は今のまま皆と働ければ十分満足だし……それにあの人なんか気持ち悪い、社長のほうがずっといいわ」
……あれ?
今何か聞こえた気がする。
気のせいか?
「ジャンヌ、俺が何だって?」
「え……改まれると恥ずかしいんだけど」
「もう一回だけ、もう一回だけでいいから」
「その言い方なんかヤらしい……社長のほうが好き……って言ったの」
……社長の方が好き。
……社長の方が好き。
……社長の方が好き。
社 長 の 方 が 好 き !
何と……何という事だろうか、あり得ないことが起こってしまった。
まさかあの完璧超人のアランよりも、俺の方が良いと!?
そんな選択をする人間が、まさか存在するとは!
この時の俺の感情は、一言では言い表せないものだ。
顔が緩むのが抑えられない。
いやまて、焦るな、勘違いするな、その好きはLOVEではない、子供が言うところの友達に対する“好き”だ、そこを間違ってはいけない。
ああしかし、過去誰かと比べられた上で明確に勝利した事などあっただろうか、何という甘露、何という快感、世のイケメンはいつもこんな感覚を独占しているというのか?
妬ましい、何て妬ましいんだ。
「……社長?」
突然聞こえたジャンヌの訝しげな声に我に返る。
見れば目を細めて俺を覗き込んでいた。
どうやらあまりの出来事に、アッチ側に意識が飛んでいたようだ。
危ない危ない。
「あ、ああ何でもない……それより、さっき何か言ってなかったか?」
気を抜けばキモユル顔になってしまうのを何とか抑えながら話題を変える。
ここでせっかくアゲアゲで来ているジャンヌからの評価を落とす訳にはいかない。
「え? ああそうだ、これ、これよ! 新しい糸紡ぎの方法を編み出したわ!」
そう言ってジャンヌは自分の糸車に手をかざして糸紡ぎを始めて見せる。
俺は、どうせ大回転糸紡ぎとか、三段ドロップ紡ぎとか、そういうくだらない事を始めるのだろうと高を括っていたのだが、すぐにそれが間違いだったと思い知らされる事になった。
ジャンヌは糸車の前に座り綿を左手で持つと、右手の人差し指をくるくると回し始めた。
するとどうだろう、糸車が高速で回転を始め、ジャンヌの手元から凄い勢いで綿が捩れて糸が紡がれていくではないか。
ジャンヌの手に持った綿の束は一瞬で無くなり、糸車には見事な綿糸が出来上がっていた。
しかも驚いたのがその完成した糸の均一さ。
ジャンヌの方法で作った糸は、始まりから終わりまで、殆ど太さにムラがなく作られていたのだ。
「どうよ」
ドヤ顔で小さな胸を大きく反らすジャンヌ。
しかし……いや……これは……
正直どうよどころの話ではない。
この速度でこの精度、この方法をもし他の人間が使えるようになるのであれば……これは間違いなく革命になるぞ。
「ジャンヌ、お前、姓は何ていうんだ?」
「え? 何よ突然……無いわよ、だって私は捨て子だもん、両親の顔も知らない」
「ああそれは……済まないな」
舞い上がって不躾なことを聞いてしまった。
恐縮する俺に「私みたいなのはいくらでもいるし、気にしてないわ」とフォローを入れてくれる、本当に気にした様子はないようだ。
「大体何で姓なの?」
「ん、いやな、お前は間違いなく歴史書に名前が残る人間になれる、その時にどんな感じで本に載るのかと思ったらちょっと興奮しちゃってな……ああ、もう聖女ジャンヌとかそういう方向にしちまうか」
「そんな事あるわけ無いし……お願いだから恥ずかしい事はしないでよね」
そう言ってジャンヌは少しテレたようにそっぽを向いてしまう。
確かにこれがジャンヌしか使えない魔法というなら、そこまで大きな話にはならないだろう。
しかしもしこの魔法を体系付けて、教育によって他の人間でも使えるようになったとすれば、それは間違いなく新時代の幕開けとなるに違いない。
これが興奮せずにいられようか。
「よし分かったジャンヌ、とにかくその魔法を極めるんだ、他にも効率が上がるような工夫があったらどんどん試してみてくれ」
「う、うん……」
俺の勢いに押されるように、ジャンヌは椅子に座るとまたくるくると指を回して糸紡ぎを始めていた。
才能とは本当に様々だ。
魔法が得意でなくても、魔法を活かす能力は高い者もいる。
ここに来るまではろくに読み書きもできなかった少女が、産業を変えてしまう程の発明をしたりもする。
指をくるくる回しながら瞬く間に糸を作っていくジャンヌを眺めていて思う。
もっとこういう人間を探したい。自分の持っている素晴らしいものに気付かせてやりたい。
それが……俺になら出来るのではないだろうか。
この世界の人間は、薄情という訳ではないのだが、それでも自力で立てない者に手を差し伸べられる余裕は無い者が殆どだ。
かといって、力ある者が人材発掘に熱心かというとそうでもない。
この世界では、自分で自分を売り込まない限り、誰の目にも留まらない事が殆どなのだ。
それはつまり、自分で自分の才能を開花させる事ができる人間しか、表舞台に立てないという事に他ならない。
だが実際には埋もれている人材が多いというのは、たまたま俺が引き取った子供達を見ても明らかだ。
俺の脳裏に、かつてシャリドから聞いた言葉が蘇る。
“今フィガロに必要なのは何をおいても人材、そして他に真似ができねえ産業だ”
俺は自分が進むべき道が、次第にはっきりとして来た事を実感しつつあった。
その後、工場の見学を終え家の方に戻った俺達が見たものは、顔に見事なモミジを作って呆然としているバルドルだった。
目撃者の話を聞くと、どうやら風呂に入っていたバルドルが、風呂上がりの際に、いつも通りウチの風呂に入りに来たカーミラとばったり出くわしたらしい。
当然そのまま裸の付き合い……とはならず、カーミラはバルドルに強烈な一撃を加えた後、逃げるように帰ってしまったという事だ。
カーミラは少し前から、ウチに来る度に風呂に入っていたのでまあそれは良いのだが、何でバルドルまで……初めて来た家で自由過ぎるだろ。
「ノアよ! あのダークエルフの女性はどなたか?」
俺の姿を発見したバルドルがパンツ一丁で俺の両肩をがっしりと掴む。
痛い……しかも服くらい着ろよ、他人の家だぞ。
しかしバルドルはそんな俺の気持ちを全く察する素振りはなく、返事を待つまでもなく遠くを見ながら呆けたように続けた。
「……美しい」
もみじが付いた顔のまま、溜息と共に吐き出すように呟くバルドルを見て、また面倒くさい問題が一つ増えた事を理解した。
どうして俺の周りはこう、スムーズにくっつかない連中ばかりなのだろうか。
どうして、持って生まれたグッドルッキングを活かせない連中ばかりなのか。
俺はバルドルが眺めている、カーミラが去って行ったであろう方向を一緒に見ながら、大きく肩を落とした。
結局、ネルソンがシドー宅に到着したのは昼を回ってしばらくした頃だった。
城下町の視察という名目で、少数の手練のみの護衛を付けてフィガロを一回りしてきた後に寄ったそうだ。
確かにそれなら王があちこち寄り道する事にも説得力が出る。
俺の家にだけ来るのでは、あらぬ噂が立ちかねないからな。
「やあノア君、遅くなってしまって済まないね」
ネルソンは乗ってきた上等そうな馬から降りながら、いつも通り気さくに俺に挨拶をしてくれた。
俺を含めた家族達がいつも通りに丁寧に挨拶を返した後に、一緒に付いてきた護衛に目をやる。
護衛は三名。
一人は剣神、フラガ・シュトエリ千人長、もう一人はゆったりしたローブに身を包み、銀の仮面を被った人物、エルネ……マイア・シュリーク魔導兵長だ。
そして残る一人を見た時、俺は少なからず驚いた。
そこに居たのは真っ赤な髪を後ろに流し、鷹のような鋭い目をした長身の男……天弓こと、スコルピオ・ネザー千人長だったのだ。
フラガとマイアとスコルピオ、フィガロの軍団長が勢揃いだ。
スコルピオの実力は未知数だが、フラガと並んで評価されるくらいなのだから相当な手練と見て間違いないだろう。
確かにこの面子なら三人でも国王の安全は十分に担保される。
しかもネルソン自身も剣技は相当なものだった……城下を歩く程度の護衛としては、いささか大げさ過ぎると言える面々だろう。
俺は護衛の三人にも挨拶をし、家の中に促そうとしたが、それはフラガに断られてしまった。
「ああ、いいんだよノアくん、我々は外で周辺を警戒させてもらうからね」
家の外で待機するということは、家の中は安全だと思ってもらえているという事だろうか。
確かにこれ以上無いくらいの戦力が家の中にはひしめいているが、事情を知るフラガとマイアはまだしも、スコルピオがよくそれで納得したものだ。
「僕達は今日はあくまで陛下の護衛だからね、陛下が待っていろと仰れば待つさ。心配しないで君は自分のやるべきことをしなよ」
俺の不安そうな顔を見たのだろうか、フラガはそう言って笑う。
事実、俺は最悪のパターンとして、ネルソンが心変わりをし、油断を誘いこの場で俺達を一気に処分するために最強の戦力を連れて来たというケースも想像していた。
あり得ないと頭では分かっていても、これ程の面々を前にしてしまうと色々と考えてしまうものだ。
それを読み取っての事だったのだろう。
俺は護衛の三名に頭を下げ、ネルソンを家の中へと案内した。
家の中では既に準備は整っており、軽食とお茶が並んだテーブルの前に皆が並んでいる。
既に挨拶も済んでいるので、ネルソンが着席するのを確認し、皆もそれぞれの席に座った。
シエルだけは給仕として立ったまま後方に待機している。
そして、緊急会議が始まったのだ。
「先日はご苦労様……色々あったが、まずは海の竜、ティアマト殿と和解できたと言う事は喜ばしい事だ。
しかし残念な事もあった……非難は厳粛に受け止めるつもりだ、この結果は疑いようもなく私の責任なのだから」
そう話すネルソンの目線の先には、赤い目をしたエルフがワッフルを頬張っている姿があった。
こいつは……
俺は手を伸ばしてアリスの後頭部にチョップを入れる。
「フゴッ!?」という声と共に前につんのめったアリスは、頭を擦りながらようやく場の雰囲気を察したようだった。
「ひょんな、ふぁふぁひひにひてはへんほー」
「食いながら喋るな!」
余りの緊張感の無さに思わずツッコミを入れてしまう。
アリスは口を高速でもぐもぐさせるとワッフルを全て飲み込み、お茶で流し込んだ後に真剣な顔をして答えた。
「大丈夫ですよ、私、気にしてませんから! あ、もちろんフィガロ出入国フリーパス券は有効なんですよね? 魔族になったから取り消しだーとかなりませんよね!?」
いつもの本当に何でもない口調でしれっとそんな台詞を吐く。
フィガロ出入国フリーパス券、こいつ……善意の奉仕とか言いつつ、やはりそんなものを要求していやがったのか。
ネルソンもこの様子には面食らったようで、しばらく驚いた様子だったが、次第にその顔が綻んでいった。
「勿論、有効だから安心してくれ給え。
ただ……そうだな、君のその目は少し隠せるようになったほうがいいね、フェリス殿のように」
「こやつは生前の特徴がほぼ完全に残っておるが、逆にヴァンパイアとして当然使える能力が上手く使えんという何とも珍しい眷属になりおった。
まあ、魔法の才はある故、多少練習すれば擬態程度なら使えるのではと思うがな」
フェリスがそう言って小さいため息をつく。
アリスはヴァンパイアになりはしたが、目が赤くなった以外は大して変わった部分が無い。
近接戦闘能力も、ユミナの時ほど劇的な変化は無かったし、吸血する為の牙の出し入れすらも上手く出来ないのだ。
何故そんな事になっているのか、当の本人も、フェリスですらも不明らしい。
そもそもエルフのヴァンパイアというのが、フェリスにとっては初めてのケースなのだそうだ。
なので未だ擬態もろくに出来ないアリスは、現在シドー家に軟禁状態なのである。
「体黒く塗って首輪して、ダークエルフの奴隷ですってしちまえば目が赤くても何とかなるんじゃないか」
「ふむ、そちらのほうが手っ取り早いかもしれぬのう」
「お二人とも私の扱いが雑すぎますよ!?」
話が早速脱線し、ああだこうだと漫才が始まる中、ネルソンは楽しげな顔でそれを眺めていた。
「あ……済みません、関係ないことで」
さすがに王の話をぶった切って脱線しすぎたのを自覚し、謝罪する。
しかしネルソンはにこやかな顔で、むしろ嬉しそうだ。
「いや良いんだよ。正直、以前と代わり無いようで少しだけホッとしているんだ。
アリス君には城にいた頃から色々と世話になっていたからね、もし記憶や性格が変わってしまっていたら、カイもコルネットも、そして勿論私も、大きな喪失感を感じた事だろう」
その言葉にドヤ顔で胸を張るアリス。
分かったから少し大人しくしてろ。
「さて、君達と話しているのは楽しいのだが、実はそれほど時間が無い。まずは重要な二つの件について話をさせてもらうよ」
ネルソンの仕切り直しの言葉に、皆が一斉に背筋を正した。
とうとう本題が来るかと緊張が高まる、二つの重要な話とは一体……
「まず、ノア君、君をフィガロ四番目の貴族として迎え入れ、確固たる地位を与えようと思う」
いきなりの爆弾が来た。
さすがにこれには皆も驚きを隠せない様子で、ざわざわと周りがざわめき、感嘆とも溜息ともつかない声が漏れ聞こえた。
晴天の霹靂とはまさにこの事。
貴族? 俺が?? 全くもって想像がつかない。
「驚くのも無理は無い、経緯を簡単に説明しよう。
まず、私は先日の船上会合を経て決めた事が有る。
私は、そこにいらっしゃるシエル殿……つまり暗黒竜殿が現在抱えている問題を解決するために、協力を惜しまないことにする」
「……私がこの国を守護するという立場を取ることは出来かねますが」
「勿論承知している。
非公式にではあるし、我々人間に出来る事など知れているとは思うが、それでも私は暗黒竜を支持する。それが先日私が見聞きした事で得た答えだ」
そうシエルの目を見据えて返答するネルソンに、シエルは一礼すると、それ以上は何も言わなかった。
「今のは私の決意としての話。そして次は、フィガロという国としての話だ。
知っているとは思うが、フィガロには現在三つの貴族家がある。
そのうちエスカリオ家は、私の方針に対して全面的な支持を得ることが出来ている。
ネザー家も七:三で私を支持してもらっているのが現状だ。
チェリス家は五分五分といった所……しかしここに来て、チェリス家に不穏な動きがある事が分かってきたのだ」
「!? まさか謀反? そのような動きは私の方では確認出来ておりませんが……」
アランが細い目を見開き、半立ちになる。
それをネルソンは手で制すると、その先を続けた。
「アラン殿が分からぬのも無理は無い、これは本当に偶然見つけた、私にしか分からないような些細な事が切掛だったのだから。
そしてこれが、重要な話の二つ目に関わってくる問題なのだ」
一同が固唾を飲み、ネルソンの話を待つ。
シエルが話の腰を折らないよう、絶妙なタイミングでお茶を入れ直していく。
「その前にまずノア君の話だ。
これはまだ仮の話だが、チェリス家が王家に反発をした場合、残りの貴族家だけで抑えるには僅かに力が足りない。
チェリス家はフィガロ建国時からある貴族家で名門中の名門、その力は大きい。国の中枢にも縁者が大勢いて、政治に関してはほぼ一強状態というのが現状だ。
なので私は、ノア君に第四の貴族になってもらい、君の持つ力を活用し、いずれは国の中枢で働ける人間を輩出してもらいたいと考えている」
その言葉に皆が息を呑む。
そして、何より最も驚いたのが俺だろう。
ネルソンが語った未来は、俺が思い描いていた俺のやるべき事と多くの部分で一致していたからだ。
俺は人間を育てたい。
教育を施して、眠った力を引き出してやりたい。
勿論、全てを俺がやる訳ではないが、職人にしろ何にしろ、この世界の産業に関わる人間は、一子相伝的な技術継承の方法を取っている部分が非常に多い。
飯の種が他に流れたら死活問題なのだから自然とそうなってしまうのは仕方ないが、それでは作業の効率化など夢のまた夢だ。
だから俺は既存技術をまとめ上げ、情報共有を行う機関、そして各分野ごとに既存技術の教育を行う機関を作りたい。
周辺各国が普通教育、高等教育に重きを置いていない今だからこそ、これは効果がある事なのだ。
もちろんそれを実現するまでに立ちはだかる山々を見れば、頂上など霞んで見えない程に道は険しい。
教育に取り掛かる前に行わなくてはいけない周辺整理が山のようにある。
だがそれも貴族という身分が得られるのであれば、今より少しでも実現に近付くことが出来るのは間違いのない事だろう。
「やります、いえ、やらせてください」
とうとう俺は、人生で一度たりとも使った事の無い言葉を口にした。
仕事をしたいとこれ程強く感じた事など、今まで無かったのだ。
そんな俺を見てネルソンは一つ頷く。
「うむ、やる気は十分と見た。私としても難色を示されずに済んでホッとしているよ
エスカリオ家としてはどうだろう、異論はあるかな? 非公式な場なので思った事をズバズバ言ってくれて構わないよ」
「竜の加護を受けた光の剣の勇者が人を導く、もうそれだけで俺はワクワクが止まりませんね、私バルドル・エスカリオは、エスカリオ家の当主代理として陛下の案に賛成します」
「ノア殿は奇抜な発想とそれを形にする能力、人材、そして何より運に恵まれています。
フィガロの文化に染まりきっていないのも良い、改革を行う上でこれ以上の人材は現状無いでしょう。アラン・エスカリオ、賛成です」
エスカリオ家の二人からもそつなく了承が取れた。
しかもバルドルの決定は、この場では当主決定と同じ効果がある。
それにしても、散々失態を見せていると思っていたアランからそんな評価を頂けるとは思わなかった。
人間としての能力なら間違いなく俺はアランの足元にも及ばないというのに……まあ、王の前だからというだけなのかも知れないが。
バルドルが言う光の剣ってのは、あのティアマトと戦った時の話か。
あれはクラリスが俺の中のマナを魂喰いを通じで外に超高密度で放出して、シエルがティアマト以外に被害を及ぼさないようにその力を弱体化させていただけなのだ。
シエルの担当はあくまで放出された力の弱体化なので、攻撃扱いにはならず、行動制限に引っかからなかったというのがポイントである。
つまり凄いのはクラリスとシエルであって、俺は全く凄くないのだ……
だが言えない。
バルドルのあの期待に満ちた目を見てしまったら、今更「実は俺は棒を右から左に振っただけです」なんてとても言えない……
「これでノア殿は身分的にも我々と同格ですね、おめでとうございます」
アランが真顔でそんな事を言うものだから、俺はますます恐縮してひたすらペコペコ頭を下げていた。
「ああ、早とちりさせてしまって済まない……まだ決定ではないんだ」
そんなお祝いムードに水を差すネルソン。
そんな事だろうとは思ったが、トントン拍子に話が進みすぎて怖くなって来ていた所だったので丁度いい。
何事もストレートに進まないのがいつもの俺だ。
「ノア君の貴族昇格は前々から考えていて、その為に色々と勲功を積んでもらったつもりだが、まだ決定的とは言えない。
だいぶ名前も知られては来たが、なにぶんまだここに来て日が浅いからね、本当はあと何年か活動してもらうつもりだったのだが、事情が変わってきてしまった。
だから少々強引にでもこの話は進めたいところだが、他の貴族を黙らせるには、それこそ誰にも成し得なかったような功績が必要なんだ。
かと言って、現状では竜族と盟約を結んだなどという話はとても表には出せない。魔族の話となれば言わずもがなだ」
ネルソンはそこで一旦言葉を区切り、再度アリスを見た。
今度はアリスも若干緊張した感じでこちらに耳を向けている。
「そこでだ、ノア君にはアリストロメーア殿の帰郷の手伝いをしてもらい、さらには、フィガロ王国代表としてエルフ族と交渉し、同盟を結んで来てもらいたい。
アリス殿がこうなってしまった今となっては非常に難しい任務だと言う事は承知しているが、エルフの一氏族と既知である事を公に出来れば、もはや誰も君の力を疑う者はいなくなるだろう」
そこまで言うとネルソンは俺とアリスを見て、大きく重い息を吐いた。
ネルソンの狙いは分かった。
しかしアリスを届けるにしても、以前とは事情が違ってしまっている。
アリスは既にヴァンパイア化しており、恐らく分類上は魔族になってしまっているはずだ。
見た目はさほど変わっておらず、性格なども以前のままではあるが、俺がアリスと出会った時、彼女はフェリスを魔族だとすぐに見抜いた。
つまり、仮に擬態が出来るようになったとしても、エルフ族にはそれが通用しない可能性が高いという事になるのではないか。
数ヶ月前に村を出ていった娘が、ある日突然ヴァンパイアになって帰ってきたらどうなるだろうか……
天族がその力を恐れ、長年に渡って徹底的に印象操作が行われた結果、今やヴァンパイアと言えば天族側に付く者にとってあってはならない大敵だ。
考えるまでもない、まず受け入れられる事は無いだろう。
それどころか、その場で殺されたって何ら不思議ではない。
そうなってしまえば、とても同盟交渉どころでは無くなってしまう。
かといって、エルフ族に縁もゆかりもない俺が、一人でノコノコと出向いたところで話にもならないだろう。
詰んでいる……始める前から完全に詰んでいるではないか、いわゆる無理ゲーというやつだ。
ネルソンが話している間、終始苦悩を滲ませてた表情だった意味が分かった。
こんな状態でうまくいくはずがない、そんな事は誰だって分かっている。
だがやらねばならないのだ。
つまりそれ程の無理を通さねばならないほどの何かが起こっているという事だ。
「猶予はどのくらいあるのでしょうか」
「……調査を始めたばかりなので正直な所分からない、今日明日という程ではないだろう。
だが、それほど悠長にしていられる訳ではない」
俺が何かを察した事に僅かな安堵のようなものを見せるネルソン。
しかし話を聞いていた他の面々は皆一様に表情を固くした。
俺でさえ気付けたのだ、他の皆が、この無茶振りが何を意味しているのかという事に気付かないはずはない。
「陛下、お言葉ですが、そのような無茶をせねばならない理由とは一体……」
アランの言葉に、皆が頷く。
それを受けてネルソンも大きく頷き、そして意外な人物の名を口にした。
「うむ、一言で言うと、我々にはあまり時間が残されていない可能性があるという事だ。
ノア君の工場で働いている者の中に、ミルフィオリという少女がいたね……ノア君は彼女の事をどの程度まで知っているだろうか」
ミルフィオリ?
スラム出身の女の子……娼婦の母を持ち、その母が死んだ為スラム入りした少女。
俺が知っているのはそのくらいだ。
しかし何故ここでミルフィオリが出てくるのだろうか。
「不思議に思うのも無理は無い、私もシャリドからの第一報が無ければ確信が持てなかったからね。
この件は話が込み入っている上に、まだ不確定な要素が多分にある、そういう段階だと思って聞いてくれたまえ」
そうしてネルソンが語りだした内容は、フィガロに立ち込める暗雲を予想させるには充分なものだった。




