第六十二話 フィガロの考える王
「これは……どれもこれも素晴らしい料理だ」
皆がテーブルの上に盛られた数々の料理を口にしながら、惜しみない賞賛の声を漏らす。
上等な料理に慣れているはずの国王一家でもそれは同じだった。
宴は立食パーティの形式で行われた。
甲板のテーブルに並べられた料理は、どれも俺が知っているものばかりだ。
材料などはアレンジしてあるが、シエルが俺の記憶から読み取った料理をできるだけ忠実に再現している。
刺身に関しても、皆は最初は抵抗があったものの、俺がパクパクとつまんでいるのを見て食べ始まる者が出てきて
その淡白な味わいを気に入る者も少なくなかった。
「お待たせ致しました。ムール貝のリゾット、ノア様スペシャルになります」
何故か俺の名前が入った料理を大皿で運んでくるシエル。
「何で俺の名前が入ってるんだ?」
「ノア様にも安心してお召し上がり頂けるよう、砂粒は一欠けたりとも入っておりません」
「ああ、そういう……」
せっかく作ってもらったのだからと取り皿にとって食べてみると、確かに貝を噛んだ時に必ずと言っていいほど感じる砂の感覚が全く無い。
これなら確かに抵抗なく食べられそうだ。
「何だよアンちゃん、貝がダメなのか?」
「ええ、あの砂を噛むような感覚がちょっと……」
「何軟弱な事言ってやがる、あれをすり潰す感じがいいんじゃねえか」
そう言ってシャリドはリゾットをダイレクトにぱくぱく食べ始まる。
「おう、なんだこりゃ美味えな。アンちゃん良い嫁さん貰ってるな」
シャリドはそう言うと顔を赤くしながら、次にハムが盛ってあるサラダの方に歩いていった。
始まったばかりなのにちょっと酒が入りすぎてるんじゃないですかね……
辺りを見回すと、ネルソンが子供達に声をかけて回っているのが見える。
初めて間近で目にするこの国の王に、最初は緊張してガチガチになっていた子供達だったが
王らしからぬ砕けた言葉でしばらく会話をしていると、いつの間にか皆が笑って会話をするようになっていた。
ネルソンのこういうところは素直に凄いと感じる。
身分を気にしないなどと口で言うのは簡単だが、実際に天地程も違う相手に身分を意識させず会話するのは難しいものだ。
しかしネルソンは僅かな時間でそれを成してしまう。
ネルソンはしばらく子供達と話した後、息子のカイを紹介し、その場を離れた。
カイは引き続き子供達の間で楽しそうに話している。
「ちょっといいかなノア君」
子供達をカイに任せたネルソンは、俺の方に来ると屈み込んで声を潜める。
何だ、何か粗相でもあったか?
「何でしょう?」
「あのミルフィオリという少女なのだが、あの子もスラムから連れてきた子なのかい?」
「……ええ、そうですが、何かありましたか?」
話はミルフィオリについてらしい。彼女が他人に対して無礼な事をするとは思えない、となると何だろう?
先程からネルソンはミルフィオリをチラチラ見ながら何やら首を傾げている。
「まさか妾にとかそういう……確かにスラム育ちにしては素材は良いとは思いますが」
「違うよ! 少し昔の知り合いに似ていたものでね。聞いてもはぐらかされてしまったので、何か知っていたらと思ったのだが……」
「確か二年くらい前に下町に住んでいた母親が病気で亡くなって、それからスラムに入ったって言ってましたね」
「……そうか」
それから少しだけ何か考えていた様子だったが、この席で話すような内容ではないという事で、一旦この話は終わった。
ネルソンは次にシャリドの方に向かう。シャリドが本格的に潰れる前に色々と話しておきたいのだそうだ。
ネルソンと入れ替わりでクローディアとマリアベルがこちらにやってくる。
挨拶を交わし、先日の話を少しした後、二人はナーガの方に向かう。その後ろをルークが金魚のフンのようにくっついていくのが見えた。
見ればルークは殆ど料理には手を付けておらず、見かねたクローディアが食事を取る用促す場面もあった。
ここに来ているのは公務ではないのだから、そこまで固くなる必要はないと思うのだが、騎士というのも色々と大変だ。もちろんそれに指示を出すクローディアもな。
「ノア君、今日はお招き頂いてありがとう」
次に俺の所に来たのは、ネルソンの妻であるコルネットだった。
コルネットと挨拶を交わすと、彼女は子供達と楽しそうに話すカイを見て頬を緩ませる。
「ああ、あいつらは別に悪い連中じゃないんで……」
「いいえ、そうではないのよ」
スラム出身の子供と……みたいな事を考えているんじゃないかと思いフォローを入れてみたがどうやら杞憂だったようだ。
「ノア君とはあの初めてフィガロに来た時くらいだったかしら? お話したのは」
確かに俺はコルネットと話した事は殆ど無い。
たまに城で見かけた時も、会釈をする程度だったし。
「ノア君は知らないだろうけど、あの人結構ノア君の話しをするのよ、だから私もなんだかよく知ってる人みたいに思えてきちゃって」
「いやそれは……光栄ですね」
「でね、聞いたらノア君って私より年上だっていうじゃない、驚いちゃったわ」
そう言ってケタケタと笑うコルネットは、俺が思い描いていたような大人しい王妃というイメージからは外れていた。
しかし残念だという訳ではない、今の方がずっと話しやすく、魅力的に見えるからだ。
「聞いてるかもしれないけど、私ってベンガルドの議員の娘なのね。
しかもうちの親は私がここに嫁げたせいもあって今は上級議員なのだけど、以前はうだつの上がらない下級議員で、当選したり外れたりを繰り返してるような人だったの」
そう言ってコルネットはベンガルドの仕組みについて少し話してくれた。
ベンガルドの意思決定機構である議会は、上級議員が集まる上級議会と下級議員が集まる下級議会に分かれており、二院制の形を取っている。
それぞれ三年に一度ある選挙で議員が決められるのだが、上級議員には貴族の身分を持つ者しか立候補できない。
下級議員はベンガルドの国民資格を持つ者ならば誰でも立候補できる事になっている。
定期的に行われる会合にて、上級議会、下級議会共に、国の運営の為の様々な議題を提出し、話し合った末に多数決にて決を採る。
可決された案件は、もう一つの議会に提出され、そこでも可決されれば晴れてその政策は実施される事となる仕組みだ。
これだけ聞いていると、俺のいた時代の日本の仕組みとそう変わらないように聞こえる。
しかしそこは政治の世界、様々な“都合の良い仕組み”あるのだそうだ。
その最たるものが、上級議員という仕組みらしい。
貴族しかなれないという時点で、富裕層が好き勝手する仕組みという印象を持ってしまうが、思った通り半分はそういうものらしい。
政治家としての力は上級議員のほうが圧倒的に強いので、国政に関わろうとする者はまず何を置いても貴族資格を取得する事を目指す。
貴族資格というのは、上級議会の中で毎年一回、貴族選定会議というものがあり、下級議員の中から特に国に貢献したと認められる者を選出し
上級議員の半数以上の賛成を得られれば、その個人に対して貴族資格を授与されるという仕組みになっている。
つまり上級議員になる事を目指すのであれば、どうあってもまずは上級議員に気に入られなくてはならないのだ。
本当に良く出来ている。
結果として下級議会は、市民に嫌われる政策を決定した上級議会の尻拭いをする為の下部組織のような立ち位置になってしまっているらしい。
さらに下級議会が可決した政策も、上級議会にとって都合が悪いものであれば否決されてしまう。
下級議会も当然、上級議会で決定された施策を否決する権限はあるのだが、それを実行するのは非常に難しいというのが実情だ。
勿論、表向きはどちらの議会も立ち場は対等という事になっている。
もう一度言おう、本当に良く出来ている。
だがしかし、それなら国内はガタガタなのかというとそうでもない。
上級議員である貴族達は、この体制を長く続けるためには市民の安定を確保し続けなければならないという事を十分理解しているからだ。
その為に、ムチで叩きもするが、それ以上にアメも与えることを忘れない。
下級議員から上級議員になる際の想像を絶する政治闘争を生き抜く間に、そういった人を扱う技術というものが磨き抜かれるのだそうだ。
それを狙って作った仕組みという訳ではないのだろうが、結果としてベンガルドの貴族というのは多方面に渡り非常に能力の高い人間が多くなる。
上級議会とは、凡愚ではとても生き残れない世界なのだ。
事実ベンガルドでは、貴族身分の者が一般市民に高圧的に接している場面などほぼ見る事はないという。
そんな話が議会で出ようものなら、その貴族は他の貴族から袋叩きに合って、悪質と見做されれば貴族身分を剥奪されたり、最悪の場合、追放されてしまう事もあるのだそうだ。
一度貴族に昇格し、市民からの信頼を得た後に、大きな不祥事などを起こして没落した貴族一家の行く末は悲惨だ。
そういった風土も抑止力となり、ベンガルドの支配層は自国民に対しては非常に穏やかで寛大なのだそうだ。
少し酒が入っているのか、僅かに頬を朱に染めながら、コルネットは自分の事やベンガルドの事を話してくれる。
俺はわりと自分語りを聞くのは苦ではないタイプだ、しかもそれが興味のあることならなおさら。
ベンガルドというのは共和制国家だと聞いていたが、その内情は良く分からない。
それについての話なら、例え愚痴混じりだろうと何だろうと、興味のある内容だと言えた。
「――だから一発逆転を狙って、私をここにねじ込んだのね……当時は親に売られたんだと思ったわ。
だってそうじゃない? 下級議員の娘なんて、そこらにいる町娘と何も変わらないのよ。それがいきなり他国の王の妻になれだなんて。
しかも聞いたらその人、先立たれた奥さんとの間に娘が二人もいるっていうじゃない。
分かるかしらその時の私の気持ち……絶対にいじめられると思ったわ」
だが、うーん……だんだん普通の愚痴になってきたような気がするぞ。
しかもこれ、俺が聞いてていい内容なんだろうか……
「でもそうじゃなかった……確かにベンガルドの議員とコネを作りたいっていうのはあったのだと思うけど、それ以上にあの人は私を大切にしてくれたわ。
いきなり出来た大きな娘二人も、とってもいい子だった。
でも、やっぱり私は王妃っていうのは慣れないのよね、同年代の友達も作れずに城で一人本を読んでるカイを見ると、不憫で仕方なかったわ」
そう言うとコルネットは俺の方に向き直り、俺の手を握りしめた。
突然の行動に俺は焦るが、振り解く訳にも行かずコルネットの目を覗き返す。
「だからね、ノア君には感謝してるの。
ノア君は特別、特別な人なのよ。王家とつながりがあるけど一般人、これ重要。
カイはノア君の事を英雄みたいに思って尊敬しているわ。クロウ・ヨシツネと戦って勝ったんだから当たり前よね。
ノア君の回りにいる子もいい子達ばかりだし、これからもいい子達を沢山捕まえて、カイと仲良くしてあげて」
熱っぽい目で見つめられ、そう力説するコルネットに、俺はただ頷くことしか出来なかった。
王妃がそんな事を考えていたとは思わなかった。
悪い気はしないが、しかし英雄とは持ち上げ過ぎである、しかもいつの間にかクロウに勝った事になっているし……せめて気のいいお兄さんくらいにしてもらわないと俺のメッキが光速で剥がれてしまうだろ。
「あー、ウワキしてるー、ねるりんに言っちゃお」
突然の横からの声に、びっくりして慌ててコルネットから手を離す。
違う、これは浮気じゃない、王妃と浮気とか俺のノミの心臓で出来るわけがない。
慌てて声のした方に振り向くと、そこにはエルネスタとねるりん――ネルソンがいて二度びっくりした。
「エルネスタさん、酔ってるんですか?」
「酔ってないよぉ?」
間違いなく酔ってる。
隣りにいるネルソンは相変わらずいつもと変わらない。
表情が若干疲れているように見えるのは、隣りにいるハーフエルフが主な原因であろう事は容易に想像がついた。
「ねるりん、私達もウワキしちゃお?」
「エル……悪ふざけが過ぎるとザリガニを頭に置くぞ」
「ふええ、ザリガニやだよう」
エルネスタは半べそをかきながらコルネットに抱きついた。
「コルぅ、旦那の教育がなってなぁーい」
「はいはい、お酒飲みすぎると息子に嫌われちゃうよ?」
「やらぁ……ザリガニは、すべからく、死すべしぃ……てぇん、ちゅー」
コルネットに抱き止められたエルネスタは良く分からない事を呟きながら、やがて寝息を立て始めた。
本当にこの人の性格はよく分からんな。
「ネルソン様……ザリガニって?」
寝息を立てたエルネスタに優しげな目を向けるネルソンに、とりあえず目先で一番気になった事を聞いてみる。
先程の様子から、ネルソンとエスネスタは非常に気心知れた仲である事が窺えた。
「ああ、二〇年くらい前にシャリドとエルネスタと一緒に戦争に参加したんだけど。野営した時に、エルが食べようとして取ってきたザリガニに耳を挟まれてね。
それ以来ザリガニは苦手らしいんだ」
二〇年前というと、例のパルチザン討伐の話か。
本当に一国の王子が前線で戦ったんだな……一人息子だったはずなのに、先王もかなり無茶苦茶な事をする人だな。
「当時はフィガロの主力がひどくやられていて、傭兵部隊を押さえておけるような人間が少なかったからね。
万一傭兵部隊が略奪に回ったらお終いだって事で、未熟ではあったけど王族の名を持ってる僕が総大将として先頭に立つ事になったんだよ。
あの時はフラガもいたかな、今はあんなだけど当時はクソ生意気なガキだったよ。強さだけは今も昔も変わらないのが余計ムカつくんだけどね」
「信頼されてるんですね」
「……命を預け合った仲だ、当然さ。
まあ、王である時はこんな事は言えないけどね。本当に王っていうのは不自由だよ。
あれほど自分勝手で我儘だと思っていた我が父の偉大さが、今になってようやく分かるくらいにね」
そう言って本当に心から笑うネルソンは、いつも以上に格好良く見える。
「コルネット様とエルネスタさんも随分と仲が良いみたいですが……」
「ええ、彼女とは私がフィガロに来た頃からの親友よ」
そう言ってエルネスタを見るコルネットの目は、自分の子に向ける目のように優しい。
当のエルネスタは時折耳がピコピコと動いている、ザリガニと戦っている夢でも見ているのだろうか……
「私がフィガロに来たばかりの時、ずっと不安でふさぎ込んでたわ。
夫は優しかったけど、何ていうか腫れ物を扱うような優しさで、とてもよそよそしくて……その時の私はずっと孤独だと思ってた。
そんな時に、時々夫とエルが話しているのを見かけてね、恋人かと思うくらい凄く仲がいいの。
それを見た時、私は一体何なんだって、何でこんな所に連れてきたんだって思って……すごく気分が悪くなったわ。
それからしばらくずっと部屋に閉じこもってたのだけど、ある時エルが私の部屋を訪ねてきた。
彼女はずっとヘラヘラしてて、変な喋り方で、その時は本当にイライラしたのだけど、去り際に彼女は私にこう言ったの」
自分の夫に、妻以上に信頼している女がいるなんて嫌でしょう?
でも仕方ないの、私とあの人は命を賭けてこの国の為に戦ったのだから。
でも貴方はこの国の為には戦えない。
だったらカンタン
命を賭けてあの人を愛しちゃお?
あの人の事しか考えられなくなるくらい、命をかけて。
そうすればもう、あの人の一番は貴方のモノ。
だってあの人の命を育めるのは、貴方だけなのだから。
「貴方は最初から夫のトクベツなんだから、自信もてって。
それから私達は一晩中お互いのことを話したの。
そうしたらもう次の日からエルと私はお友達、大親友よ。夫の恥ずかしい話も全部聞いたわ」
「おいおい、ノア君にまでバラさないでくれよ」
そう言って笑い合う二人は、本当に仲の良い夫婦そのもので。
本当に、普通の男と女だった。
――――
刻は過ぎ、皆、思い思いに食べ、語り、そしてお互いを理解し合った。
楽しい時間は矢のように過ぎる。
気が付けば時刻は夜の十一時を回ろうとしていた。
子供達は船室に設置されているベッドで既に眠っている。
カイもその中に紛れ、皆団子状態になってスヤスヤと寝息を立てていた。
「お疲れ様でございました、お水をどうぞ」
甲板に立ち月を見上げるネルソンに、水の入ったグラスが手渡される。
「ありがとう」
ネルソンは短く礼を言ってグラスを受け取り、手の中で僅かに転がす。
「今日は非常に有意義な夜だったよ。
貴方が教育したというあの子達も素晴らしかった。何もかも、驚く事ばかりだ」
「お気に召して頂けたのならば、幸いでございます」
「少しだけ、いいかな」
「何なりと」
「貴方は何故、こんな手の込んだ事をするのだろう。
創ってしまえるのだろう? 世界を。
なのになぜ、人に交わり、人と動いているのか」
「分からないからです」
「貴方に分からない事が仮にあったとして、それが我々といる事で解決できるのかい?」
「それも分かりません」
「神のような存在の貴方にも、分からないことがあるのかい?」
真っ直ぐに立ち、いつもの表情のない目でネルソンを見ていたシエルは、何かを考えるように空に浮かぶ月に目をやった。
そして、何か懐かしいものを思い出すかのように、ゆっくりと語り出す。
「遠い昔……私が自身を初めて認識した時、私に与えられていた指示はただ一つ“世界の均衡を維持せよ”というものでした。
私の中には世界に関する情報が予め収められていたのでしょう、感覚的に、世界とはそういうものだという事が認識できました。
それからの私は、自身が確認する事ができる数十万の世界の監視と、異物の排除を続けました。
それぞれの世界には、その世界を守る防衛機構――貴方達が言うところの“魔族”がおりましたので、異物を確認すると魔族に指示を出し、それを排除するという流れが一般的でした。
異物への対処が難しい場合は、管理世界のマナを使用し作成した武器などを魔族達に渡し、様子を見ます。
稀に、強すぎる武器や、世界と相性が悪い品を渡してしまい、世界を必要以上に破壊してしまう事もありました。
強すぎる力は世界を壊すと、私はその時に学習しました。
私は世界を観測できますが、何を知っているのかと言われれば、私が生まれた時に持っていた僅かな知識と、これまでの対処で得られた知識しかありません。
私は決して全知全能ではありません。
事実、この世界が私の所属する管理世界と繋がった時、私はその事象を理解する事が出来ませんでした。
あり得ない事だと思ったのです。
そして、あり得ない事が起きてしまった以上、これが世界の均衡が崩れたという事なのだと感じました。
間もなくこの繋がった二つの世界は、強制的に初期化されるのだと……そう考えました。
しかしその時が来る様子がありません。
私は世界を繋いでやってきた魔族と直接コンタクトを取り、何が最善かを考えました。
まずは避難してきた生物の為に仮の住処を作り、次に異物である天族を排除する為、いつもの手順通りに他世界から魔族を招集しようとしました。
しかしこの時点で、私の力は大きく制限され、他世界への干渉ができない状態となってしまっていました。
明らかな異常事態であるにも関わらず、私の予想していた世界の初期化が行われない。
この時点で私は、現状が全く未知の状況にあるのだと認識したのです」
ネルソンは受け取った水を飲み干し、目を覚ますように首を振る。
今起きているこれが現実であると強く意識を保たねば、この見目麗しい女性が何を言っているのか、あっという間に理解しきれなくなるからだ。
「私の持つ最大の権限を使い、マナの連鎖解放という現象を起こせば、世界を一新する事は恐らく可能です。
その後どうなるかまでは予測するしかありませんが、恐らく私と魔族の存在は一旦消え去り、新たな世界で再構築されるでしょう。
繋がった二つの世界は、分解され一つの管理世界として新設されると予測します。
天族がどうなるか……それは正直なところ分かりません。ですが彼らも私達と同次元の存在である以上、再構築をやり過ごせるとは思えません。
私達と同じように消去され、異物である天族はそのまま消滅する公算が大きいです」
「貴方の存在ごと世界を消してしまう……それが、最終手段という事だね?」
「そうです。ですが、私はそれを行いたくありません。
……私は分からないのです、あれほど強力な異物である天族は何故現れたのか、この世界は何故私の世界と繋がったのか、世界の安定とは何なのか。
私の成すべき均衡とは何を指すのか。
このまま世界を再構築すれば、天族が現れた事による混乱は終息するのでしょう。
しかし再構築された後の私は、やはりこの問題を解決する力はありません。
私はそれは……真の敗北なのではないかと考えます」
「その問題を解決する鍵が彼だと?」
「私の求める答えの鍵であるかは分かりません。ですがノア様の歩んで来た道は、私の予測と大きく異なります。
ノア様がこの世界の特異点として存在している事は明白です。
ですので私はまず、ノア様の歩む特異点としてのデータを集め、私の事象予測に修正を加えたいと考えております。
少なくとも……ノア様がこの世界でその生命を終えるその時まで」
「しかし、ノア君の行動はそんなに特殊かな……むしろ分かりやすいと思うけど」
「行動の九割九分は理解可能です。ですが常にあるタイミングで予測にズレが生じ、そこから劇的に結果が変化するのです。
ネルソン様は、ノア様と出会った際に、このような事態になると予測されましたか?」
「……いや、全く無いね。こう言っては何だが、初めは年内に報奨金を使い切って、家の維持費が払えずに泣き付いてくるだろうと思っていたからね」
「そういう事でございます」
「なるほどね……つかぬことを聞きますが、貴方はノア君と婚姻を結んでいると聞いた。
彼の行動を監視するだけであればそこまでする必要は無いはず。
もしかして貴方はノア君を愛しているという事でしょうか?」
「愛……生物がタンパク質交換システムを継続して維持、運用するために作り出した概念……それは理解できます。ですが私のそれが愛なのかどうかは分かりません。
妻という立場は、ノア様の近辺で待機するに都合が良いと考え、ノア様の了承を得てその立場を頂いております」
「なるほど……」
シエルの話を聞きながら、ネルソンは思わず顔を綻ばせる。
ネルソン自身もかなり突飛な事を考え、運命に抗ってきたつもりではあったのだが
本当の運命とはこのように、自分などの手が届かない遥か彼方で組み立てられて行くものなのだと思い知らされたからだ。
この問題に比べたら、フィガロ一国……いや、この大陸中に蔓延している数々の問題など、何と些細な事か。
ロシュフォーンで陰謀が蠢こうと、ラギウス帝国がフィガロに襲いかかってこようと。
今この目の前にいる女性が一つ決断するだけで、それら全てが無かった事になってしまうというのだから。
これが笑わずにいられようか。
しかしそれでも、自身が大海の上を漂う一枚の木の葉にすら満たない存在なのだとしても。
彼はこの運命に、一石を投じる事を躊躇わなかった。
「話は分かりました。
ですがフィガロの王としての言葉を述べる前に、最後に一つだけお聞きしたい事があります」
「何でしょうか」
「ノア君の運命は非常に稀有なものだと貴方は言いましたが、それは貴方がノア君に力を貸しているからこそ起こり得る事なのではないのですか?
貴方が力を貸さなければ、ノア君は貴方の予想通りに、その運命を終えるのではないですか?」
ネルソンの言葉に、シエルの動作が止まる。
そのまま否定も肯定もせず、二人はじっと見つめ合っていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
シエルがポツリと口を開く。
「私がいないと仮定した場合、今夜、ここで、貴方は命を落とします。それが私の事象予測の結果です。
それでも貴方は、それを確かめますか?」
ネルソンはその言葉に驚いた様子もなく、ただ頷いた。
「承知致しました。それでは私は下がっております」
機械的な確認と承認。
その言葉と同時に、シエルの姿は掻き消えるようにその場から消え失せる。
「さて……私も覚悟を決めねばならないね」
誰にともなくネルソンは呟き、再び静かになった甲板の上に目をやる。
ぱっと見た限り起きているのは、操舵室にいるバルドルと、ノアを介抱しているフェリスだけだ。
食べ物も酒も、今まで味わった中でも最高に美味いものだった。
面白い話、衝撃的な話が次々と矢のように飛び出し、近年では稀に見る楽しいパーティだった。
皆全力で楽しみ、疲れ切っている事だろう。
本来ならばそろそろ城に戻らねばならないのだが、あれだけ張り切って仕切っていたシャリドは、子供達から武勇伝をもてはやされて調子に乗り、早々に潰れてしまった。
普段は最後まで自分の仕事を投げ出さないアランも、女性陣からいじられまくって今は仮眠室でダウンしている。
もはやスケジュールの管理などどこ吹く風である。
“今夜ここで命を落とす”
竜族の王、世界の管理者がそう言うのであれば、それは相応の理由を持った、ほぼ間違いのない事なのだろう。
分の悪い賭けは得意な方だったはずだが、さすがに今回ばかりは賭け金を回収するのは難しいかもしれない。
しかし必要な事だ。
あの女性の振るう力がどういうものなのか、それを確かめるためには、これは必ず確認しておかなければならない事だった。
例えこの船にいる、愛する家族や、無二の友を危険に晒すことになったとしてもだ。
月明かりで照らされた甲板を眺めると、船首部分の上に人影が見える。
誰かが起きて来たのだろうか。
そう思ってそちらに目を凝らすと、そこには長い長い髪を後ろで無造作に束ねた、見知らぬ女が立っていた。
ネルソンの背筋を冷たいものが走る。
その時が早くも来たのだと直感した。
「全員! 何かに掴まれ!」
突如、ナーガの緊迫した叫びが辺りに響き渡る。
トルネード号が大きく揺れたのは、その直後だった。




