第五十八話 イマココ(地図あり)
後書きに作中で語られる事になる範囲の地図を掲載しています。
「生クリーム……だと!?」
「すごいなこれは、雪のように白くて甘いぞ」
俺達はエルネスタが運んできたパウンドケーキのようなものに生クリームのようなものが塗ってあるケーキをぱくついていた。
まさかこんな所で生クリームを使った食べ物にありつけるとは思わなかった。
以前は生クリームなど甘すぎて一口以上食うと気分が悪くなったものだが、この世界は何と言っても甘味が足りない。
苦手だった生クリームも今は紛れもない極上のデザート、いくらでも食べられそうだ。
ナーガなどは一口食べるごとに「ほお~」だの「はぁ~」だのといったため息のような吐息を漏らしていた。
ちなみに生クリームの作り方は、新鮮な牛乳に同量のバターと卵白、砂糖を加え、高速でかき混ぜるのだそうだ。
しかもここで使われている砂糖は、一般に高級品として流通している黒砂糖ですらなく、白い砂糖。
なのでクリームの色も綺麗な白色となっている。
何でも南方の国から黒砂糖を輸入し、それをエルネスタが独自の方法で加工することにより白砂糖を作る事に成功したらしい。
まだこの国ではエルネスタしか製造する事が出来ず、黒砂糖独特のコクが取れた純粋な甘味だけの白砂糖は超が付く高級品、幻の砂糖としてごく少量が城に納品されているだけなのだとか。
「帝国の晩餐会などでたまに上品な甘みのある菓子が出ていたのだが、この砂糖だったとはな。
いやはや、すごいなフィガロは、才能のある人間が多くて羨ましい事だ」
「ウフフ、この砂糖は魔法の研究で失敗した時の副産物なのですよ。そう言って頂けると失敗の傷も癒えます」
「うむ、このようなものが出来てしまうのなら、いくらでも失敗が許されるというものだな」
そう言いながらナーガはひたすら生クリームケーキを口に詰め込んでいく。
おかげでそれなりの大きさがあったケーキは、あっという間に無くなってしまった。
俺はまだ二切れしか食べてないのに……
「ごめんねノアくん、今日ある材料だともうこれで終わりなの、パーティの時は多めに作るから期待しててね」
「あ、いえ……すいません」
しょんぼりしていた俺を見ると、エスネスタはそう言って軽く微笑んだ。
何と良い奥さんだろうか。それに引き換えこの食うことしか能がない竜は……
「何だ、足りなかったのか、食いしん坊だなお前は」
「九割方お前が食ったんじゃねえか!」
「ははは、細かいことを言う男はモテんぞ」
もう言いたい放題である、何を言っても全く悪びれないので、俺は観念して肩を落とした。
本当にいい性格をしている。
「ふざけないでよ!」
俺達が食後のお茶を飲んでいると、リビングに少女の声が響き渡る。
声の主は今回助けられた少女の一人、ナタリアだ。
別室からロジー達を連れ帰ってきたシャリドに食って掛かっているようだ。
「何で? 私達もあの人に付いて行けるんじゃないの!?」
「バカを言うな、お前はスラムの悪ガキ共のところから逃げ出した身だろう、見つかったら殺されちまう、しばらくこの街には置けねえよ」
「そんな、だって、やっと皆と一緒に……」
「命があるだけでも儲けものだと思え。仕事は世話してやる、しばらくリベラ辺りで大人しく暮らしな」
どうやらナタリア達の処遇につて不満があったようだ。
ロジー達はこの後、スラムのグループに関する情報を国に提供した後、フィガロから北に二〇キロメートルほどの場所にある港町リベラで、水夫見習いとして働く予定だ。
ロジー達の保釈に必要な金はシャリドが支払い、建前上、身柄はシャリドが預かる事となる。
とは言え、そのまま放り出してもまたスラムに逆戻りするだけなので、場所を移してエスカリオ船団の水夫として修行を積ませる事にしたらしい。
保釈金返済という名目で給金から一割が返済に当てられるが、それはケジメのようなもので、仕事はきついが報酬は悪くないし住む場所も持てる。
このままフィガロに残っても前科者である上に、もうスラムにも居場所が無く、下手をしたら消される危険だってある。
それならばと、さして迷いもなくリベラ行きを決めたそうだ。
しかしナタリアはそれが気に入らなかったらしい。
どうやら俺の工場に皆で入れると思っていたらしいのだが、ナタリアとリリーも立場はロジー達と大して変わらない。
彼女達はスラムグループから脱走した身だ、フィガロにいてはロジー以上にその身に危険が及ぶだろう。
「大丈夫よナタリア、リベラはそれほど遠くないし、皆で会いに行くわ……だから……」
ミルフィオリがナタリアの肩にそっと手を添えて落ち着かせようとする。
しかしナタリアはその手を乱暴に払い除けて叫んだ。
「いい加減なこと言わないで!」
「ナタリア……」
「だって! だってこうなったのもミル達が私達を裏切ったからじゃない! 私達を置いて自分達だけ、そんな良い服着て、良い暮らしして!
あの後ロジーがどれだけ大変だったと思ってるの! 何ですぐに迎えに来てくれなかったの!?」
「ごめんなさい、本当はもっと早く会いに行こうと……」
「嘘よ! いい暮らしに慣れたらもう私達と関わりたくなくなったんでしょ! そんないい服着せてくれる人だもん、もうスラムなんて行きたくないよね!」
ナタリアは感情的になって思いの丈をぶちまけている。
内容は言いがかりも良いところだ、あれからまだ一ヶ月程度、しかもその間は多忙を極める日々だった。
皆、自分の事で精一杯だったのだ。
それでも最初の出会いがあんなんじゃなかったら、ミルフィオリも早めに俺に何か言ってくれたかもしれない。
「優しい旦那様に可愛がられて、さぞ幸せだったんでしょ! それとももう旦那様と寝た? ロジーがいなけりゃミルなんてとっくに汚れてたのに! 恩知らず!」
その間にもナタリアの言葉はヒートアップしていく。
ミルフィオリはそんな言いがかりのような言葉をじっと耐え、ナタリアの目を見据えていた。
さすがに看過できない暴言になってきたので止めに入ろうと腰を上げようとしたが、ナーガが俺の手を引いて留める。
乾いた破裂音がリビングに響いたのは、それと同時だった。
「……え」
ナタリアが信じられないと言った顔で頬を抑え、目の前に立つロジーを見ていた。
「もう止めろ、ミルのせいじゃない」
「……だって、だって!」
「俺が間違ってた、俺のせいだ。本当ならあの後、土下座してだろうとお前達だけでもあの男に引き取ってもらえば良かった。
馬鹿やっちまったのは俺だけだし、そうしてたら何とかなったかもしれないんだ」
そう言ってロジーはちらりと俺の方を見る。
友好的とまでは言えないが、少なくとも以前のような敵意は伺えない。
「だけど怖かったんだ、皆いなくなって、俺一人になるのが嫌だった。だから、何もしなかったんだ……恨むなら俺を恨め」
「そんなの……やだよ……」
泣いているナタリアの背中に手を回し擦ってやりながら、ロジーは再度俺の方を見る。
「なああんた、あのミル達が着てる服は幾らくらいなんだ?」
「え、あ、ああ……今は金貨二枚くらいだ」
「俺が欲しいって言ったら売ってくれるか?」
「……ああ、金さえあれば断る理由は無い」
俺の答えを聞いたロジーは満足そうに頷いた。
「だとよ、金貨二枚、ラクショーだ。そんな金すぐに稼いで、俺がミル達と同じ服を買ってやるよ」
「でも……金貨なんて見たこと無いよ……」
「馬鹿言うなよ、俺は金貨一四〇〇枚の男だぞ、二枚位あっという間さ」
ロジーはそうおどけて見せると、ナタリアは涙を浮かべながらも笑顔を見せる。
……あれ? 何だこの二人、随分といい雰囲気出してませんか?
「だからさ、お前は俺に付いてこいよ」
「……うん……いく……いくよぉ」
ナタリアはロジーにしがみつき、ロジーはその背中を優しく撫でる。
その様子はどうみても恋人を慰める彼氏のそれであった。
「ああ、リリーの分はお前ら担当だからな!」
思い出したようにそう付け加えたロジーの言葉に、ドノバンもカシムも渋面になるが、今度はリリーが泣き出しそうになり慌てて慰める。
五人の少年少女はひとしきり笑い、そしてシャリドに向き直った。
「そういう訳なんで、よろしくお願いします」
ロジーの言葉で三人がシャリドに頭を下げる。
「ふん、盛り上がるのは勝手だが、海の仕事は怖えからな、覚悟しとけよ」
「衛兵に囲まれた時は大して怖くなかったぜ、それ以上なら面白いかもな」
「ハッ、口だけは一人前だ」
そう言って笑うシャリドの顔は、どこか楽しそうだった。
何という甘酸っぱい空気だろうか……これが青春……これが幻の……
他人の事なのに何故か見ている俺が恥ずかしい、不思議だ。
サラリと主人公チックな行動をキメているロジーに軽い嫉妬を覚えながら、ふとナーガの方に目をやると
彼女は何かとてもありがたいものでも見るかのように、目を細くしてその様子を眺めていた。
話はまとまり、ロジー達は今日中に準備を済ませ、明日にでもリベラに向かうことになった。
とは言っても別に個人の持ち物など何もない。
今日はエスカリオ邸に泊まり、明日、シャリドと共に出発するらしい。
落ち着いたナタリアはミルフィオリに謝罪し、ミルフィオリがナタリアを抱きしめて泣いていた。
色々あったが、皆数年間を共にスラムで生き抜いてきた仲間だ、本気で憎んでいたという訳ではないのだろう。
本当に良かった。
隣を見ると、その様子を見たナーガ目頭を抑えてうんうんと頷いているのが見えた。
泣いたり笑ったり忙しい竜だな。
子供達の件はこれで一応の解決となり、続いて三日後に行われる船上パーティの準備に取り掛かる。
一番の問題となっていたのは、国王一家の移動問題だ。
会場となる港町リベラはフィガロからさほど遠くなく、エスカリオ船団の本拠地というもあって、フィガロとの間の道は整備されている。
馬車を使えば半日程度で移動できるのだが、それでも夜間に移動する訳にもいかず、往復を考えると丸二日は城を空けなくてはならない。
さすがに丸二日も国王一家が良く分からない用事で不在と言うのはよろしくないという事で、何か良い案は無いかと考えていたのだが。
こちらは意外な所から解決策が見つかった。
何とナーガが国王一家に限り、あの巨大な龍の背中に乗せて送迎をしてくれるというのだ。
ナーガで飛んだ場合、リベラまでは片道二〇分もあれば到着するそうだ。
しかも今回のパーティの都合上、秘密裏に事が運べたほうが都合が良いのだが、ナーガなら直接沖に停泊している船に乗り付ける事が可能だ。
つまり誰にもどこへ行ったか気取られずに日帰りが出来てしまうのである。
例え誰かが優秀なスパイを何人雇おうとも、空を飛ばれたら追跡など出来ないだろう。
「しかし自分から提案するなんて珍しいな、人を乗せるのは嫌なんじゃなかったのか?」
「普段ならそうだが、今日は美味いものを食わせてもらったし、良いものも見せてもらった。その礼のようなものだ」
良い物を見たというのは先程の青春劇場の事だろうか、まあ滅多にお目にかかるような場面では無いけど……ナーガはああいうのが好きだったのか。
「それにな、お前達を乗せてロシュフォーンに行く前に練習をせねばならんと思ってな」
「練習?」
「ああ、人間は弱い、上空を高速で飛ぶとなると色々と面倒な事が起こるのだ。
私が人を乗せて飛んだのはもう遥か昔の事だからな、事前に練習してカンを取り戻しておかなければと思ってな」
「いや……国王で練習するなよ……」
「大丈夫だ、死にはせん」
聞くところによると、竜族なら気温や気圧の変化、風圧などといったものも特に気にする必要はなく、時速三〇〇キロメートル程度は普通に出せるのだそうだ。
しかし人間が乗るとそうも行かない、生命維持のために色々と世話を焼く必要があるらしい。
それをよりにもよって国王一家で練習するとは……こいつは良くも悪くも、人間の中での身分の上下なんて全く関係ないんだな。
そうは思っても、今のところそれが一番間違いのない方法だし、まさかナーガが事故を起こす事もないだろうという事で
国王一家の送迎についてはナーガに一任する事となった。
「それじゃあ三日後の正午までに現地集合だ、アンちゃん、リベラまでの道は分かるか?」
「いえ、まだ行った事は無いですね」
「アランを置いていくし、道なりにまっすぐだから迷う事はねえとは思うが、念の為地図をやるよ」
そう言ってシャリドが出した大きめの羊皮紙には、フィガロ王都を中心にフィガロ領のほぼ全域が記載された地図が描かれていた。
「こんな立派な地図……いいんですか?」
「構わねえよ。ただ売っ払ったりはするなよ、そこそこ高価なものだからな」
「それは勿論」
地図には王都の詳細は多少ぼかされてはいるものの、主要な街道などは網羅されており、途中途中の目印になるようなものも書き込まれている。
これを頼りに移動すれば、少なくとも道に迷う事は無いだろうと思われた。
そして、その地図を眺めていた所で、今更ながら気付いた事がある。
エスカリオ家は海洋貿易を行っている、とすれば、当然“海図”があるはずだ。
話しによれば海を超えた先にある大陸にまで行っているらしい。
とするならば、その海図を見せてもらえれば、ここが地球のどの辺りなのか分かるのではないだろうか。
船団を持っていると聞いた時点で気付くべきだったが、他に考える事が多すぎて失念してしまっていた。
俺は早速シャリドに海図があったら見せてもらえるよう交渉する。
「ああ? 海図だ? そりゃああるが、さすがにそれはやれねえぞ、ウチの生命線だからな」
「いえ、今いる土地の形だけでも分かれば十分です、一目だけでも良いので見せて頂けませんか?」
「そりゃあ見るだけなら構わねえが……完璧じゃないぞ、グラーナ島やオーク共の住んでるファルティリス島なんかは、危なっかしくて近寄れねえからな」
オーク族か、そういやそんな種族もいたな……今まで影も形も見た事はないが、島に住んでいたんだな。
まあ見た事無いといえば獣人族も無いが……クロウが連れていたベンケイというキツネっぽいお姉さんくらいだな。
だが今はそんな事はどうでもいい。
「不完全でも全く問題ありません」
「……分かった、アンちゃんだけ付いて来な」
どうしても見たいと懇願すると、シャリドは俺だけという約束でリビングを出て行く。
俺はちらりとナーガの方を見、特に気にした様子もない事を確認するとその後を追った。
リビングを出て少し歩き、大きな両開きのドアを開けて中に入る。
そこはかなり広い部屋で、中央に大きなテーブルがあり、椅子がいくつも並んでいた。
そして奇妙な事に、窓の類がこの部屋には一つもなかったのだ。
「ここは会議室だ、重要な商談や方針なんかを決める時に使う。
見ての通り窓はねえから外から入ることは不可能だ。壁でもぶっ壊しゃ別だがな」
そう言ってシャリドは右手にある壁を指差した。
「さらに詳細なものは金庫の中だが、大雑把なものならあれだ」
そこには大型の木製ボードに描かれた、かなり広範囲に渡ると思われる地図が描かれていた。
それは日本で慣れ親しんだメルカトル図法のものではなく、黒いインクで描かれた、手書き感溢れる古地図のようなものではあったが
それでも一目見ただけで、これが地球のどこを描いているものなのかは分かった。
「日本は……日本はどこでしょう」
「ニホン? そんな土地は知らねえな、アンちゃんの出身地か?」
「ここです……ベンガルドのもっともっと……ずっと東の方に島が……あるはずなんです」
「ははは、馬鹿言うなよ、そんな遠い土地から人が来たなんて聞いた事がねえ」
地図からはみ出て、日本列島があるであろう位置を指差す。
しかしシャリドは笑うだけで、全く本気にしているような様子は無かった。
「本当なんです……本当に……」
「おいアンちゃん、大丈夫か? 随分と顔色が悪いが」
シャリドが俺を見て心配そうに眉を寄せるが、俺はもうそれどころではない。
フィガロの東には海があるのだと聞いた。
フィガロの西、ラギウス帝国に入ってしばらく西に進むと、そこにはやはり海があるのだと聞いた。
この辺りの土地は海に囲まれているのだと。
だから少しは期待していたんだ。
もしかしたらここは日本なのではないだろうかと。
だったらどうなると言うものでもないが、それでも俺に残った最後の元の世界との繋がりは、日本という土地だけなのだ。
だが、その願いは儚くも崩れ去った。
南北に渡って斜めに伸びる細長い半島。
その先端は歪なコの字型を描いている。
学生の頃は、ブーツの底などと教わったものだ。
そう、ここはかつてイタリア半島と呼ばれていた土地。
グラーナ島は、かつてシチリア島と呼ばれていた島。
そしてここが遥か未来の地球なのだという事が、もはや疑う余地も無い程に確定した。




