第五十二話 光明
しかしシエルの成長は目をみはるものがある……いや、これはもう進化と言っても過言ではないかもしれないな。
昨夜はシエルが一時的な別れを切り出したと言うこともあり、感情が高ぶって様々な夜戦を行ってしまった。
本当に様々な戦場を駆け巡った。そしてシエルはいつでも作戦に忠実で、勉強熱心だったのだ。
後半は自ら立案した素晴らしい戦略で俺を唸らせてくれたものだ。
「まさか暗黒竜がこんなところで夜な夜な夜戦訓練をしているとは誰も思うまい」
俺は僅かに軋む腰を抑え、もぬけの殻となったベッドを降りて一階リビングへ向かった。
恐らくシエルはいつも通りに朝食の準備をしている事だろう。
魔界に帰ると言っても今日明日の話では無いのだしな。
「おはようございます旦那様」
一階に降りた俺を元気な声で出迎えたのはシドー縫製の従業員、ミルフィオリだ。
朝からこちらにいるのは珍しい、最近は従業員寮の方で朝食を取っていたはずだが。
「あ、社長だ」
「……おはようございます社長」
その声に台所を見ると、さらに二人の従業員――ジャンヌとミランダがおり、こちらに挨拶をしてくる。
「おはよう、皆で何をやってるんだ?」
ミルフィオリが出してくれた朝食のパンとスープを受け取りながら、女性従業員勢揃いの珍しい光景を眺める。
何にせよ目に入る空間に女性が多いのは良い事だ。
「はい、シエル様からのご依頼で、今日からこちらで皆様のお食事を作らせて頂く事になりました」
「え? 何で?」
「シエル様が帰省される間、旦那様にご不便が無いように私達に家事をとの事でございます」
ミリフィオリの話と同時に、台所の奥からシエルが顔を出す。
「ノア様ご安心下さい。私の味は一週間でこの子達に叩き込みますので」
「いや……だって、ミル達は仕事もあるんだぞ」
どうやらシエルは帰省する間の雑務をミルフィオリ達に任せる事にしたらしい。
しかし子供達は縫製会社の従業員であってメイドではない、こんな事をやらせてしまって不満は出ないのだろうか心配だが……
「旦那様、大丈夫でございます。旦那様のお力になれるという事であれば苦労もありません。それに、お料理は楽しいですし」
「社長のためにがんばる」
「あたしは……ちょっと面倒」
それとなく確認すると、ミルフィオリとミランダはやる気充分といった感じだが、ジャンヌは微妙に自信がないようだ。
まあ仕事に加えて雑用もとなればそうなるのが普通だとは思うが。
「だめよジャンヌ、シエル様の代わりを務めるには私達三人で力を合わせないといけないのだから。
それとも旦那様のお世話をする事に不満があるのかしら……まさかとは思うけど」
「や、やるよう、やるから睨まないでよミル姉」
ミルフィオリが女神のような微笑みを向けながらジャンヌを諭す。
とても慈愛に満ちた笑顔に見えるのだが、ジャンヌは何故怯えているのか分からないな。
しかし、シエルがいなくなった後の家事の分担が頭の痛い問題だったが、これは何とかなりそうか?
最悪、アラン辺りに家政婦でも紹介して貰わないとと考えていたがこの分なら必要なさそうだ。
できれば面識のない人間を入れたくないし、フェリスとユミナは……正直言ってこちらの戦力としては期待できない、しっかりやれたら後でご褒美をやらねばな。
そんな事を考えていると、ミルフィオリとミランダが台所で変なポーズを取っているのが見えた。
何をしてるんだ……
「ノア様お喜び下さい、ミルとミランダは良い魔法の資質がありますので、お料理はそれなりのレベルが期待できると思います」
不思議そうにその様子を眺めている俺に、シエルが解説をする。
どうやらシエルがいつも使っている料理魔法(仮)を子供達に覚えさせるために、魔法の資質を探っていたらしい。
「おお、それは凄いな」
「この二人には、これから一週間で料理に使える基本魔法をマスターして頂きます」
どうやらあの変なポーズは魔法を使うための精神集中のようなものらしい、よく分からんが。
しかしシエルは魔法の才能を見つけ出すことも出来たんだな、これはよく考えたら凄い事じゃないか。
この子供達はスラムに居たら一生そんな才能を見出されることも無く終わったはずだ。
こういう才能をどんどん発掘して行くことができたら、この国はさらに栄える事は間違いない。
「ところで、魔法ってそんな一週間程度で簡単に覚えられるものなのか?」
「そうですね、寝る時間を半分程度削った上で、シエル式魔法教育を十分な気力を持って受ければ可能でしょう。
もしくはマナ制御用の回路を埋め込んで半竜族化してしまえば……」
少しだけ疑問に思った事を聞いてみたら、想像以上にブラックな回答が返ってきたでござる。
まずい、ウチはニコニコホワイト企業なんだから、こんなところで従業員を潰す訳にはいかない。
「はい、問題ありませんシエル様」
そう思ったらミルフィオリが笑顔で社畜宣言をし始めた。
いかん、いかんよミルフィオリ、子供は八時間寝ないといけないんだよ? 自ら社畜になる必要なんて無いんだよ?
見れば隣りにいたジャンヌとミランダは真っ青になっている。
寝る時間を半分にすると言われたり、改造人間にしてやるぞと言われればそれが普通の反応だとは思うが、このままでは脱走されてしまいそうだ。
「シエル、睡眠時間八時間は必ず確保するように、あと人体改造は禁止な……役立つ魔法覚えたら報奨金出すから、お前達も頑張れ」
「報奨金って……お金!?」
何故か魔法の素質を見出されなかったジャンヌが食いついてきた。
「ああ、頑張って会社に貢献した者には、給料以外にも金を払う」
「おおおおー、やる気出て来たあああああああああああ!」
両腕を振り上げて気合を入れるジャンヌだったが、魔法って素質ナシでも何とかなるものなんだろうか……
まあ、やる気に水を差すのも何だからな、黙っていよう。
しかし、シエルがいなくなるというのは思った以上に衝撃が大きい。
特に家周りの事は殆ど一人で行っていたので、他に誰も彼女の代わりができる人間がいない。
以前、シエルばかりに頼りすぎるのは良くないとフェリスに言われたが、全くその通りになってしまった。
「ところで、魔……故郷に帰るのは良いんだけど、どうやって帰るんだ?」
シエルの故郷である魔界は、ラギウス帝国よりもずっと南にあるグラーナ島というところから行けるらしいのだが
そこまではどうやって行くつもりだろう、俺はその島がここからどの程度の距離にあるのかも良くわからない。
「そうですね……ナーガに送ってもらうのは、あの子の立場を考えると難しそうですので、やはり馬車でしょうか。
陸路ですと距離的にはここから一二〇〇キロメートルくらいですね」
一二〇〇キロメートル!? 日本の本州の全長と同じくらいの長さじゃないか、そんなの往復したらどれだけ時間がかかるんだ……
「順調に進んで、片道二ヶ月程度ではないでしょうか。途中の関所などで手間取るともっとかかるかもしれません」
最低でも往復四ヶ月……戻ってくるのは早くても来年の春になってしまうのか。
それはちょっと、寂しいな。
「ノア様、そのようなお顔をされませんように、すぐでございますよ」
「ああ……済まないな」
シエルはこれからの世界の事を決めるために旅立つのだから、俺が寂しいとかそんな事は些細な問題だ。
分かってはいるのだが、やはり寂しいな。
俺が食事を食べ終わる頃、フェリスとユミナが降りてきた。ので挨拶を交わす。
既に食事は終えていたらしく、身支度を整えている。今日も城に行くのだろう。
「フェリス、城では何か見つかったのか?」
フェリスは父であるシャルルが住んでいた痕跡を探すためにフィガロ城を調査している。
もう随分通っているで、相当な部分は調べられていると思うのだが、まだ何か見つかったという話は聞いていない。
「うむ、城の調査は今日が最後じゃが……特に何も見つからなかったのう。やはり千年近く経ってしまうと、痕跡など残っておらぬのかもしれぬ」
フェリスが残念そうに歯噛みする。
俺としても多少なりとも期待はしていたので残念だ。
「何か見つかった訳では無いのじゃが、一箇所だけ気になる場所があってのう。
今日はそこをもう一度調査したら、あとは依頼通りに傷んだ箇所の報告をして終いじゃ」
「そうか、お疲れ様……終わったら一緒に街にでも行こうな」
「うむ、楽しみにしておる」
デートの約束をしているというのに、ユミナが何も言ってこない。
ユミナもフェリスの心情に気を使っているのだろう、いじらしい事だ。
俺はフェリスとユミナ頭を軽く撫でて抱き寄せた後、城へ行く二人を見送った。
フェリス達を見送ってしばらくすると、家のドアが叩かれる音がする。誰かが家を訪ねてきたらしい。
シエルはミルフィオリ達の教育で忙しいようなので、こちらに気付いたシエルに気にするなと伝えて俺が対応することにする。
変な勧誘とかだったら嫌だな……
会社を立ち上げてからというもの、どこから聞きつけたのか、全く面識のない商人だの傭兵だのが度々訪れるようになった。
組合関連はアランの方でうまくやってくれているようで特にトラブルは無いのだが、個人までは手が回らない。
断っても断っても次から次へとやってくるのだ。
こちらに利がある取引なら考えもするが、大抵の場合は何故か上から目線で、お前のところの商品を扱ってやるだとか、護衛をしてやるだとか、これを買えとかそんなのが大半だ。
大して名が知れている訳でもなく、見てくれもしょぼい中年男性という事で舐められているのがよく分かる。
大抵はシエルがお断りして、あまりにしつこい場合はエスカリオ家の名を勝手に使って脅したり、ユミナをけしかけて追い払ったりしているのだが、今は荒事担当が誰もいない。
怖い人だったらどうしよう、ナーガにでも出てもらおうか……
そんな事を考えながら短い間隔で何度も叩かれるドアを恐る恐る開けた先にいたのは、アストリアとその他の団員達だった。
ユーリとカーナもおり、アストリア団勢揃いだ。
「あ、旦那、おはようございます」
「「おはようございます!!」」
先頭にいるアストリアの挨拶を先頭に皆が揃って挨拶を行う、よく訓練されてるな……
「あ、ああ……おはよう、って何だこんなにゾロゾロと」
「いやね、旦那の家にナーガ様が来られてるって昨日カーナから聞きまして、ご挨拶に駆けつけた次第ですよ」
どうやら国のお偉いさんが近くにいるということで、ラギウス帝国所属の人間としては無視するわけにもいかないという事らしい。
そういえばナーガは偉い人だったんだな……俺の中ではかなり強いうっかり八兵衛的な認識だったので全然そんな意識が湧かなかった。
「ナーガならまだ寝てると思うけど」
「だ、旦那、いくら旦那でもナーガ様を呼び捨てはマズイですって……しかも何で旦那の家にナーガ様がおいでになるんですか」
「なんか捜し物がこの辺にあると思って来たけど勘違いだったんだとさ」
「そうなんですか……良かったですよ、俺はてっきり姐さんの事がバレて討伐命令でも出されたのかと……」
その辺りがバレてるのは違いないのだが。
しかしこの様子からすると、カーナは深いところまではアストリアに話していないようだな。
まあ突拍子もない話だし、下町の宿じゃ他に誰が聞いてるか分からないし良い判断だ。
そんな事を考えていると不意に俺の後方から声がする、振り向いて見るとようやくナーガが起きてきたらしく、頭を掻きながら階段を降りてくる姿が見える。
ブツブツと文句を言いながら降りてくるナーガの姿は、長い髪はボサボサで所々ハネており、目は眠そうに半眼で、羽織っているものは薄いワンピースのような寝間着のままだ。
「おい貴様、朝からうるさいぞ、全く貴様は昨夜も夜遅くまで……お陰で全く眠れなかったではな……」
階段の途中まで降りてきたナーガと、アストリア達の目が合う。
「ナ、ナーガ……様?」
「ん?……確か聖団のカーナと……んんん?」
ナーガとアストリア達はそのまま数秒間無言で見つめ合う。
すると不意に自分の体をペタペタ触りだしたナーガは、顔を真赤にするとくるりと回れ右し、一目散に二階へと駆け戻っていった。
ようやく今の状況が飲み込めたようだ。
「まあすぐに降りてくるだろうから、その辺に座っててくれ」
入り口で突っ立っているのも何だからアストリア達の方を振り返ると、皆目を丸くして固まっていた。
カーナだけがバツの悪そうな顔で俺の方を見ている。
「だ、旦那ぁ! どういう事ですか旦那! 何で、何でナーガ様があんなお姿で……昨日の夜遅くって何ですか、夜遅くまで何をしてたんですか!?」
「落ち着けアストリア、何を言いたいのか分からなくなってるぞ」
「旦那! 姐さんというものがありながらナーガ様まで手篭めに!?」
「すげえぜ旦那! さすが旦那だ!」
「俺は旦那と姐さんに付いて行くぜええええええ!」
「お前らもうるせえ! いいから落ち着け!」
慌てたアストリアを見て、後ろに居た団員達がはやし立てる。一部不穏な発言をしている奴もいたがそこはスルーだ。
そんな事をしていると身支度を整えたナーガが改めて二階から降りてきた。
「ま、待たせたな」
青いローブを着込み、髪もしっかりと整えられ、さらには不自然な光がナーガの後ろから出ており、後光が差したような神秘的な絵面になってはいるが
場所が俺の家の階段では締まらないし、先程の失態を見た後ではコントのようにしか見えない。
しかし俺が呆れ顔でその様子を見ている隣で、アストリア達はすぐさま膝をつき頭を垂れる。これが権力か……
「ああ良い、お前達はこちらで活動している聖団の者だろう? 昨日そこのカーナから聞いた、なかなか頑張っているようではないか
教会の名を名を汚す不届き者が多い中で感心な事だ、これからも励んでくれよ」
「はは! 勿体なきお言葉ありがとうございます!」
ナーガはその様子を見て満足気に頷くと、俺の方にドヤ顔を向けて来る。
偽情報にあっさり騙されたダメ竜のくせに人望だけはありやがるな。まあ帝国内での竜族の地位を考えれば当然なのだろうが。
「せっかく来たのだ、共に食事でもどうだ、そちらに掛けるが良い」
「はっ、御相伴にあずからせて頂きます」
ナーガの申し出にアストリアが見たこと無い丁寧な言葉で対応している。
目上の申し出に断るという選択は無いようだ、皆かなり緊張した様子でテーブルに着いていく。
っていうかここは俺の家なんだがな。
しかし俺が文句を言う前にミルフィオリがお茶と食器を用意していく、どうやらそのまま食事を出すことに決定したらしい。
奥の台所ではジャンヌとミランダが忙しそうに食事の用意をしているのが見えた。
恐らくシエルの指示なのだろうが、手際が良すぎて俺が口を挟むタイミングを逃してしまった。
食事が出てくる間、ナーガとアストリア達は世間話をしているようだ、途中アストリアが俺の方をちらと見て申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
ああ分かってるよ、別に飯くらいでグダグダ言うつもりは無い。
しかしナーガの奴、人の家だというのに全く遠慮がないな、ネルソン達への説明はしっかりやってもらうから覚えてろよ……
そうして少し遅めの朝食が終わると、アストリア達は帰っていった。
思いがけずナーガと共に食事をするというイベントに出くわしたせいか、かなり興奮していたように見える。
帰り際に「ナーガから許可をもらったのでしばらくこのままフィガロで活動する」とアストリアは言っていた。
下手に帝国に戻って僅かな支度金で教会に無茶振りされるよりは、こちらで活動していたほうが気楽なのだそうだ。
しかしそうは言っても通常であれば定期報告の為に教会に戻らざるをえないが、今回はナーガのお墨付きがあるので一年程度は手紙による報告だけで問題無いという事らしい。
アストリア達の活動は、名目上はラギウス教会の権威向上と信徒の確保というものだが、実際にやっているのは警備や資材運搬のバイトだ。
以前ほどアコギな事はしていないようだし、このままでも問題ないだろう。
そして、アストリア達が近くにいるなら、そろそろ従業員の増員を考えてみても良いかもしれない。
繊維業も思った以上に順調で資金もある、生産を増やしても問題ないし、何だかんだで更なる人手が必要になってしまっている。
悪ガキの教育には自信があると言っていたから、今度雇ってスラムに顔を出してみよう。
以前一騒動あったロジー達がどうしているのかも多少気になるしな。
アストリア達が去った後のテーブルを見ると、ミルフィオリ達がいそいそと食事の後片付けをしている中で、ナーガが優雅に座って茶を啜っているのが見えた。
完全にお客様モードだ、図々しい事この上ない。
「おいナーガ、後片付けくらい手伝えよ」
「ん? 何故だ、給仕がいるではないか、私は客だぞ」
「ウチでは勘違いで大暴れして周りに迷惑かけまくった奴を客って呼ばないんだよ」
「……ふ、ふん、終った事をいつまでも男らしくない奴め。そもそも私は竜族だぞ、なぜ家事などせねばならん」
痛いところを突かれたようで、ぷいっと横を向いて視線を逸らすナーガ。
しかしやはり手伝うつもりはないようだ。
「ナーガ、私に恥をかかせるおつもりですか?」
再度くつろぎだしたナーガに、シエルの感情の籠もらない声が浴びせられる。
それを聞くと、ナーガは一瞬ビクッと震え、恐る恐るシエルの方を振り返った。
シエルはナーガの方を見ておらず、台所でジャンヌに包丁の使い方を教えているところだ。
しかし合間合間にチラチラとこちらの様子を窺っているのが分かる。
「わ、分かった、手伝えば良いのだろう……全く、なぜシエル様がお前みたいな人間と……」
さすがに生みの親には逆らえないようで、ブツブツ言いながらも立ち上がり、皿をまとめていくナーガ。
……そして数分後、焼き物が割れる小気味の良い音がリビングに響き渡った。
「ナーガ様、後は私達がやりますので、どうかあちらでお休みくださいませ」
割れた皿の後片付けをテキパキと行いながら、ミルフィオリがナーガに気を使う。
その隣には、失敗した犬のような顔で佇むナーガがいた。
結局下手に動き回っても邪魔にしかならないという事で、俺とナーガはテーブルの隅っこでおとなしくしている事にした。
「全く、本当にシエルと同じ竜族なのかよ」
「ぐぬぬ、仕方がないだろう、家事などやったことがないのだから。そもそも我々はこのようなチマチマしたことは不向きなのだ」
「じゃあどんな事が得意なんだよ」
「……広域殲滅攻撃とか城壁破壊とか」
「役立たずじゃん」
戦時ならともかく、平時にそんな能力は何の役にも立たない。
怪しい怪しいと思っていたが、本当に残念な竜だったとは。
「貴様、人間のくせにさっきから無礼だぞ、私を誰だと思っているのだ」
「俺はシエルの夫なんだけど」
「ぐぬぬ」
巷では神のように畏れ敬われているラギウス帝国の守護者である竜族、実際に戦っている様を見た事もあり、その力は本物だという事が分かる。
しかし今ここにあって、俺にはこの竜族を前にしても恐怖という感情は芽生えてこなかった。
それはナーガがシエルの娘のようなものという事もあるが、何より俺とナーガの間にはクラリスを守るという共通の目的が出来たため、何とも奇妙な連帯感のようなものが俺の中には芽生えていたからだ。
もしかしたら俺が勝手にそう思っているだけなのかもしれないが、先程からかなり雑な扱いをしているにも関わらず、本気で怒る気配が無い。
「なあ、ナーガ……」
「うん?」
「ロシュフォーンに行きたいんだけど……手伝ってくれないか」
ナーガとの間に壁がないと判断した俺は、それまでのおちゃらけた雰囲気を止め、、本当に話したかった事を伝える。
正直なところ、全面的な協力を受けられるとは思っていない。
ナーガは不本意だったとは言え、五〇〇年以上も天族側で活動してきた人物だ。
先程のアストリア達への対応を見ても分かるように、既にラギウス帝国に深く溶け込んでおり、重鎮として帝国人を良い方向に導こうとする使命感のようなものがある事が窺える。
つまりこの件に関わるには少々立場が重すぎるのだ。
今までの流れから、このまま竜王セシル辺りに俺達の事を報告すると言うような事は無いだろうが、気軽に他国の人間に手を貸せるとも思えない。
「難しいな」
やはり返って来たのは色の良くない返事だった。
分かってはいたが仕方ない、ナーガにも今の立場というものがあるからな。
「そうか……じゃあクラリスの事は俺達だけでやるから、せめて帝国からちょっかい出されないようにしてほしいんだけど」
「待て、何で私が外されるのだ、ロシュフォーンの王族は私の姪を殺した上に私を騙したのだぞ、このままで終わらせるつもりは無い」
「え?」
「え?」
「いやだって今、難しいって」
「大事には出来んからな、私がクラリスの関係者だという事は周りには伏せてある。アナンタ姉様がロシュフォーンに居た事もだ。
正面から乗り込む事は出来んし、私が下手に動けば国と国の問題になる、そのあたりの加減が難しいと言ったのだ」
「ああ、そういう……」
紛らわしいなと思いつつも、クラリス奪還にナーガが手を貸してくれると言う事が分かり一安心だ。
それでなくとも、もう少しでシエルがいなくなってしまうので色々と不安だったのだから。
「だが今すぐにという訳には行かんぞ、ラギウスでも色々と手を回さねばならんからな。特にセシルの奴に気取られると厄介だ」
「ならナーガの都合に合わせよう。どちらにしろロシュフォーンで俺はお尋ね者になってるはずだから、ナーガに運んで貰わないとどうしようもないしな」
「貴様、私を馬車代わりに使おうとしていたのか」
タクシー代わりにされることを悟ったナーガは不満気な顔をするがこれは仕方ない。
ロシュフォーン王家のイザベラ王女がナーガに俺達のいる場所を教えたという事は、恐らく密偵などによってある程度の情報はあちらに流れていると見ていい。
フィガロにいるうちなら、フェリスの張り巡らせたこうもりズネットワークとフィガロ王家の連携である程度のスパイ活動は防げるだろうが、国境を超えてしまえばあちらの思うがままだ。
恐らくロシュフォーン王都に到着するまでに何度も襲撃を受ける事になるだろう。
その最も問題となったであろう道中を、ナーガに乗って空から行けば全く問題なくクリアできてしまうのだから。
「まあそう言わずに、皆で歩いて行くなんてなったら、王都に辿り着く前に何度戦闘が起きるか分からないんだぞ」
「ぐううう……誇り高い竜族が馬車馬の真似など……」
「クラリスの為なんだから」
「し、仕方ない……」
まだ完全に納得したわけではないようだが、クラリスの名を出されると弱いようで最後は折れた。
そしてその後、簡単な打ち合わせを行った結果、ナーガはラギウスで仕事の調整を行い、今から二ヶ月後の年が明けた一月後半に再度ロシュフォーンを訪れる用事を作る事になった。
まだこれからフェリス達とも話し合わねばならないが、余程の事がない限りこれで決まりだろう。
俺もその時に備え、できるだけの準備をしておかなければな。




