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後篇

 なんてことだ。

 イクセルは教会で花嫁側の席に座っているべき人々を見つけられずに呆然とした。

 親族のいないイクセルは親族席に座る人がいないことなど初めからわかっていたことだったが、招待をしたはずの人が誰一人やって来ないことに強い怒りを覚えた。

 どうしてだ。

 高利貸しをしているというだけで列席することを拒むのか。

 憤りで叫びそうになったが、伯爵側にいる人々からの冷たい視線を浴びて冷静さを取り戻した。

 その時、扉の開く音がキィと静まり返った教会に響いた。

 必然、誰もが扉の向こうにいる人物に視線を注ぐことになる。

 その人は大勢の視線にさらされても動じることなく静かに入室し、誰も座っていない花嫁側の招待席にすっと腰を下ろした。

 この国には珍しい金茶の髪をゆるやかに結い上げ、清浄を表す水色のドレスは彼女の蒼色の瞳によく映えている。

 だがその瞳には誰も映すことなくまっすぐ前を見続けていた。

 彼女がアデラが唯一呼びたいと言っていた友人、オーリィ・アレリードなのだろう。

 漂う雰囲気から、彼女が上質の貴族子女であることが伺える。

 イクセルはアデラを格式あるエイデン校にやったことをこの時ほど喜んだことはなかった。

 ざわり、とそれまで静かだった室内が急にざわめき始め、あちこちに視線が飛び交った。

 なぜ、どうしてと囁かれる声に違和感を持つが、逡巡している時間はなかった。

 控えていた楽団が合図を受け音楽を奏で始めたからだ。

 ざわめきや好奇心あふれた視線もなりを潜め、今まさに開かれようとする扉に集中をする。

 ゆっくりと開かれる扉には亡き妻に瓜二つと成長したアデラがこの時のために誂えた純白のドレスを纏い、楚々と立っている。

 横には同じく娘と対となる純白の礼装に身を包んでいるアーロンが、この上ない幸せそうな顔でアデラを見つめている。

 よかった。

 アデラは幸せになるだろう。

 貴族間では滅多にない恋愛結婚で結ばれた二人だ、この先どんな苦難が待ち受けていようと乗り越えるだろう。

 そう考えて頷く自分に、ふとイクセルは疑問を持った。

 どんな苦難も……?

 幸せの絶頂にいる二人に、苦難などという言葉は相応しくない。

 掛けるべき言葉は「お互いを幸せにし合いなさい」のはずだというのに。

 ゆっくりと祭壇に向かって歩いている二人にこわばった顔を見せるわけにはいかないと、イクセルは仕事で身に着けた笑顔を貼りつけた。

 だが、その努力も無に返す。

 歩き始めた二人が目の前の状況に気が付かないわけがない。

 花婿側の席に座る人々は妙な興奮で二人を見据え、唯一花嫁側に座るアデリード嬢は二人を全く見ようともせず祭壇をまっすぐ見続ける。

 こんなおかしな結婚式など誰も体験したことがないに違いない。

 主役の二人は怪訝な顔で招待客たちを見渡したが、ある一点を見たときのアデラの、見る見る高揚する様子にイクセルは息を飲んだ。

 それほど、列席してほしかったのか。

 相手に失礼ではないかと思うほど挙式ぎりぎりの招待となってしまったが、これほどアデラが喜ぶのなら招待状を送って正解だったな。

 歓喜を露わにするアデラにイクセルは胸を撫で下ろした。

 ところが手に入ったはずの安堵はするりと指の間から零れ落ちたようだ。 

 二人がアレリード嬢の座る席で歩みを止めると、アデラが高揚した頬をさらに赤らませて嬉しそうに名を呼んだ。

「オーリィ!来てくれたの!!」

 室内に響き渡る大声に、何事かと楽団も手を止める。

 名指しで呼ばれたアレリード嬢はアデラの場違いな声掛けにも動じず、ぴくりとも動かず前を向いたまま。

 招待客たちの声が音量を増す。

 囁き合い、嗤い合う人々に不謹慎なと憤りつつもなぜここまで嗤わなければならないと疑問も膨れ上がる。 

「オーリィ?」

 返事を返さないアレリード嬢にしびれを切らせたアデラが彼女の腕を掴もうと手を伸ばそうとしたが、なぜかアレリード嬢に顔を向けようとしないアーロンがその手を取って指に口づけを落とす。

「アデラ。今から私たちは夫婦になるのだろう?友人からの祝福は後から受けることにして、私たちは神の御前に参らねば」

「……え、でも」

「慈悲深い神が愛溢れる私たちに早く祝福を授けたいと待っておられる。さあ、行こう」

 こほんと空咳を一つ飛ばしたのは誰だったのか。

 その音一つで楽団は音を取り戻し、ざわめきが途絶えた。

 アデラは名越惜しげにアレリード嬢に何度も振り返り、アーロンは姿勢を崩さず真っ直ぐに歩いていく。

 そうして二人は神の御前で永遠を誓い合った。

 だがその場の主役は夫婦となったばかりの二人ではなくアレリード嬢であったことには間違いない。



 結婚式を終え、バーリクヴィスト伯爵邸の前庭で行われる披露宴が始まるまでの少しの時間、イクセルはアレリード嬢を探して歩いていた。

 あれほど人の眼を引いたのだ、見つけることは容易いだろうという考えは甘かったようだ。

 式には出席したのだから披露宴に出ないはずはないと高を括っていたせいもあってか、なかなか見つからないアレリード嬢に勝手な苛立ちを募らせたが、まさか馬車の停泊所にいるとは思ってもみなかった。

 慌てて声をかけようとしたら、すでに先客がいた。

 神からの祝福を受けて夫婦となったばかりのアーロンとアデラだった。

 二人は咎めるような、それとも引き留めているのだろうか、不安定な声を上げて彼女に詰め寄っている。

 ただならぬ雰囲気に声をかけようとしたその時、今日をもって縁続きとなったバークリヴィスト伯爵夫妻がイクセルの横を駆け抜けて三人がいる馬車へと向かっていった。

 どういうことだ。

 イクセルの存在に気づかないほど慌てていた夫妻に眉を潜めるが、それならそれで静観させてもらおうかと向こうからは見えないだろう馬車の陰に入った。

 風に乗って流れてくるのはアレリード嬢の落ち着いた声と誰の声かわからない叫ぶような空気だった。

「……すから、招待状をいただきましたので」

「……、……っ!」

「そうは申しましても、お断りしようにも時間がございませんでしたし。……ええ、来るつもりなどございませんでしたわ。そのような義理もないかと存じますし、私などが顔を見せればご不快になられる方も多くございましょう?」

「……!……」

 なんと、自分はバークリヴィスト伯爵家には不愉快な存在である令嬢を式に招いたのか。

 招待状を発送するぎりぎりまで存在を知らなかったアレリード嬢だったため、相手方の招待リストに名がないことを確かめるだけに留めおいて、伯爵家に確認を怠った己を悔いたがもう遅い。

 だか彼女はアデラが呼びたいと言った唯一の友人だ。

 父親の心情的にはそういう人にこそ式に列席して娘の門出を祝ってもらいたいと思うものだろう。

 今後のバークリヴィスト伯爵家との付き合いを思えば娘の友人を切り捨てなければならないと分かってはいるものの、彼女一人を除けば招待者すべてが無断で欠席をした式だ。アレリード嬢にはぜひとも披露宴まで残っていてもらいたいとイクセルは思った。

「オーリィ」

 その時流れてきた声は、イクセルが一度も聞いたこともない低く通る声で、一人で四人と立ち向かうアレリード嬢を優しく労わりつつ周りをけん制している。

 どこからアデリード嬢に話しているのかと馬車の間から覗いてみれば、アレリード嬢の背後の馬車から扉が開き、今まさに誰かが降りようとしているところだった。

 この国にはほとんどいない金色の髪が風に揺れいている。

 アレリード嬢よりも頭一つ分高いその男は、隣国イェンネフェルト特有の衣装を身に着けていた。

「殿下。お待たせして申し訳ございませんが、今しばらくお待ちいただけませんでしょうか」

 殿下?殿下だと?

 聞き間違いようがない単語と、あの衣装、あの髪の色。

 とすれば瞳は緑柱石のように輝いているに違いない。

 けれどなぜこのような場所に隣国の王族が忍んでやってくるというのか。

 それになぜアレリード嬢の名を。

 イクセルは突然の出来事に頭が上手く回らない。

 ただ目の前で繰り広げられる出来事を凝視するだけだった。

 その間にもアーロンは慣れたように最敬礼し、アデラもぎこちないながらそれに習う。

 バークリヴィスト伯爵夫婦も慌てた様子で最敬礼を取るが殿下は意に介さず礼を取り続けるアーロンに声をかけた。

「久方ぶりだな、アーロン・バークリヴィスト。……いや、今日からはアーロン・ディクスゴートとなったのであったな。喜ばしいことよ。特にバークリヴィスト伯爵にとってはな」

 その言葉にアーロンの肩はあからさまに跳ね、バークリヴィスト伯爵はさらに恭しく頭を下げる。

「さて、予想以上に時間を取られたようだ。そろそろオーリィと出かけたいのだが、構わぬな?」

「もちろんでございます」

 辺りに響くほどの叫び声をあげたのはバークリヴィスト伯爵だ。

 それはそうだろう。なにせ直前までアレリード嬢に親子揃って詰め寄っていたのだ、あのように親しげな二人ならば殿下から糾弾されても仕方がない。

 殿下はアレリード嬢の細い腰に手をあてて馬車へと導くと、御者に一言声をかけて扉を閉めた。

 馬車が門の外に出るまで見送り続けたバークリヴィスト伯爵達だったが、見えなくなった途端に伯爵夫人がアーロンとアデラにどいういうことなのと詰め寄った。

 ヒステリックな甲高い声は馬車止めどころか外に出ている人すべてに聞かれたのだろう、成り行きを見守っていた人以外の人たちですら婚礼衣装を身に着けた二人と伯爵夫妻に興味深げな視線を送る。

 慌てたのは伯爵だ。

 激高する夫人の肘を取ると二人に合図して屋敷へと向かう。

 屋敷に向かいがてら執事を捕まえて招待客を退屈させないように軽いものを出すことを指示しているあたり流石だと唸ったが。

 イクセルはゆっくりとその場を離れ、伯爵たちとは逆の方向から屋敷に入ってプライベート空間側のリビングルームへと足を運んだ。

 ほどなくして聞こえてきたのは怒り狂った夫人の声だった。

「なんですって!? 殿下とオーリィが婚約を!? どういうことか説明をしないさい! アーロン!」

「私もアデラと婚約をしてから知ったことですが、オーリィの母親が殿下の母親である側妃と従妹だそうで幼いころから交流があるとか。そのあたりは私よりも母上や父上のほうがご存じでは?」

「まさか。そんな話はヴィクトル(アレリード男爵)から聞いたことがない。確かに夫人はイェンネフェルト国の男爵家出身であったが……、その親族関係までの把握などしているものか」

「私も夫人とは縁続きとなるはずでしたら、それなりに親しくはさせていただいておりましたがそのようなことは一言も。ええ、ただの一度も話題に上ったことなどございませんでしたわ」

「そうだろうとも。私でさえ今はじめて知ったのだからな。ビィクトルめ、なぜ私に教えない。教えてくれさえいたら絶対に別れさせなどさせなかったというに」

「お義父さま、それは」

「それもこれもアーロン、お前が現を抜かすからだ。アレリードの事業も嫌悪して継ぎたくはないと駄々をこねたからだ。だいたいお前が今着ているその婚礼衣装もアレリードのものだ。嫌悪しているといいながら最高品質のものを身に付けたがる。矛盾しているとは思わないのか」

「父上。オーリィとアデラを比べてみてください。どちらが愛らしいと?どちらが私の横に並ぶにふさわしいと。父上や母上も認めてくださったからこそ今日夫婦になれたのではないですか。それに私が嫌悪しているのは織られた布ではなくその前段階の虫です。親指ほどの白い虫が部屋中に蠢いている姿を一度ご覧になればいい。おぞましくて二度と見ようとは思いますまい。その中に平気で入るオーリィの神経もきっとどこか壊れているに違いない。だからこそ余計に彼女と夫婦にはなれないと考えたのですが」

「それがなんだというのだ。王族とつながりがある家と縁が結べなかったことこそを厭え」

「なにをおっしゃるのです。父上こそ、ディクスゴートとアレリードを比較された上でディクスゴートを選ばれたのではないですか」

「何をっ!」

 だんっ、と硬質のものを殴った音が響く。

 泣き声はアデラのものだろう、このような罵り合いを見ることなど初めてであろうアデラの心情を思うと今すぐにでも扉を開けて割って入りたいところだが、ここで乱入するとバークリヴィスト伯爵の本心を隠されてしまうとイクセルは扉の前で拳を強く握った。

「貴方、気にかかることが」

「なんだ」

「殿下のあの意味ありげな言葉です。『喜ばしいことよ、特にバークリヴィスト伯爵にとってはな』とおっしゃっていたではありませんか。アーロンがディクスゴート男爵の養子にはいったことをなぜ私たちが喜ぶと、そしてそれが特になどと付け加えられなければならないのでしょうか」

 イクセルも疑問に思っていたことを夫人も思っていたらしい。

 あの言葉は裏を返せばイクセルが不幸を背負うことになる、ということだ。

 イクセルにしてみれば、アデラは一人娘でいつかは誰かを養子に迎えてアデラを娶わさなければならない。

 そこに自分たち夫婦にあった愛があればよいと思っていたところ、アデラ自身が好いた男を、それも伯爵の次男坊を連れてきたのだ。

 領地を治める以外に高利貸しとして事業も行っているといっても引くどころか興味があると言ってくれたアーロンに、多少の違和感があったとしてもこれ以上に無い良縁だとも思ったほどだ。

 好都合とはまさにこのこと。

 たしかにバークリヴィスト伯爵家からしても他に爵位を持たなければ次男は爵位を譲渡されず家から奔流されて自立しなければならないため、男爵位とはいえ爵位には違いないディクスゴートに養子にはいることには異存はないだろう。

 だが、まてよ。

 大切なことを忘れている。

 イクセルは自分がいかに考え違いをしていたか思い知った。

 アレリードと縁続きになるはずだと夫人が、それにオーリィとアデラを比べてみろとアーロンが言ったではないか。

 ということは。

 アレリード嬢とアーロンが婚約をしていた……?

 いやまさか、それはない。

 即座に首を振ったイクセルだった。

 結婚前の事前調査では、たしかにアレリード家へ行き来はしていたものの、それは父親同士が友人であり事業でも取引があったことからの交流と書かれていた。

 そこに一行でも婚約という文字があればイクセルは決してアーロンを養子にするなどと思わなかっただろう。

 だが口約束としてあれば。

 婚約式を挙げていないだけで実際には婚約していると同等であれば、夫人のいう縁続きも理解する。

 なんてことだ。

 イクセルはアデラによって破談となったアレリード嬢をその結婚式に呼んだのだ。

 呼びたいけれどくるかどうかわからないとアデラが言っていた言葉も今なら理解できる。

 その上、傷心のアレリード嬢を思いやって付き添ってきた婚約者である殿下という存在が、イクセルをさらに動揺させる。

「まずい」

 その言葉はイクセルではなくバークリヴィスト伯爵から吐き出されたものだった。

「父上……?」

「なるほど、殿下の言葉にこのような意味が隠されていたとは」

「……貴方?」

「アーロン・ディクスゴート。二度とこの屋敷に招かれると思うな」

「っ!父上っ!?」

「貴方!どういうことですか」

 どかどかと荒々しく足音が扉に近づいてくる。

 聞き耳を立てていたイクセルは慌てて身繕いをすると、何事もなかったように扉をノックした。

「誰だ」

「アデラはこちらにいますでしょうか。本日の主役がなかなか現れないと皆様がお待ちですが」

 一拍置いた後、扉が開き、中から現れたのは怒りで顔を真っ赤にした伯爵と取り繕うように横に立つ夫人、そしてイクセルの言葉を受けてか窓の外を覗き込むアーロンと化粧が剥がれ落ちたアデラがいた。

「伯爵、もうお酒をお召しになったのですか。少しばかりお顔が赤い。水をお持ちいたしましょう。 それにアデラ。その顔はどうしたんだい。うれし涙とはいえそんなに泣いては折角の化粧も落ちてしまうだろう? さあ、皆様の前に出る前に直しておいで。夫人、部屋と使用人をお借りしても?」

「……え、ええ。構いませんわ。誰か、アデラの支度を手伝っておあげなさい」

 リーンと使用人を呼ぶ鈴が鳴らされると、どこに控えていたのか直ぐに現れて涙でくしゃくしゃになったアデラを連れて部屋を下がっていった。

「ディクスゴート男爵。話がある」

「それは今でなくてはいけませんか? 誰も庭にいないものですから皆様にいらぬ不安を与えております。アーロン、さあ庭にでよう。アデラが整うまで君一人で場を持たせなければ」

 イクセルに促されてアーロンが戸惑いながらも部屋を出る。

 その背に落ち着かせるように手を添わせると、アーロンが緊張から解放されたのかほっと肩の力を抜いた。

 

 主役抜きの披露宴は先ほど得られたばかりの新鮮な話題で花が咲いていた。 

 とはいっても華やかな大輪が咲いているわけではなく、薄暗く湿った場所でしか咲かないような花ではあったが。

 アデラを伴わないアーロンの登場は澱んだ話題に拍車をかけたようで、あちこちからアーロンを冷ややかに見据える視線が突き刺さる。

 よくもまあ、耐えているものだ。 

 アーロンの一歩後ろからアーロンに声をかけてくる招待客たちの好奇心溢れる言葉を聞きながらイクセルは新しく息子となった男の背中を見つめていた。

 しばらくしてアデラが華々しく登場しても、招待客の感心は先ほどの馬車止めでのやり取りであり、伯爵夫婦が頭を下げつつ最後まで見送った馬車の主がいまだに誰かわからないことに苛立ちを募らせていく。

 真実を知ろうとして伯爵夫妻に話しかけようとする輩もいなくはなかったが、式の時とは打って変わって不機嫌さを隠さない伯爵に誰もが二の足を踏んで言葉を濁す。

 終わってみれば散々な披露宴だった。

 喜びの色はすでになく、疲弊しきった二人を労いながらその日のうちに王都にある屋敷に戻ったのにはわけがある。

「今日からお前はバークリヴィストではなくディクスゴートとなったのであろう?」

 伯爵はその言葉と共に有無を言わさず玄関に着けさせた馬車に二人を押し込んだからだ。

 夫人がどれほど伯爵を止めようとも伯爵は首を横に振って二人をこれ以上屋敷に留めるつもりはないと言ってのけた。

 まあそうなるのだろうな。

 イクセルは披露宴の間に出した結論から、伯爵の行動を理解した。

 隣国の王族と交流のある家、それもその家の子女と婚約まではいかないものの結婚の約束をしていたというのに相手側に落ち度のない一方的な破棄、そしてその子女は後日隣国の王族との婚約が調った。

 相手側に王族との縁があったことを知らなかったとはいえ、バークリヴィスト伯爵家は貴族として致命的な行為をしたことになる。

 救いは一つ。

 たまたまその原因である息子は男爵家に結婚と共に養子にはいった。

 ではその息子を切り捨てればまだバークリヴィストの名は守れる。

 事を起こした息子が次男でよかったと伯爵は思ったことだろう。

 王子が「喜ばしいことよ。特にバークリヴィスト伯爵にとってはな」と言った言葉は大袈裟ではない。

 まさに言葉通りなのだ。

 そしてイクセル側の招待客が誰も来なかった理由も理解した。

 貴族よりも聡い商人の集団だ、イクセルが二人の式に忙殺され情報収集が疎かになっていた間にこの事実関係を突き止め、イクセルと今後の繋がりを考えた結果だろう。

 がたたんと揺れる馬車の中で、悲壮に顔を青ざめるアーロンとその横でどうしてアーロンが思いつめた顔をしているのか理解できないとばかりにアデラが首を傾げている姿が二人の未来を暗示しているようだった。



 結婚してからのアーロンは人が変わったようにイクセルの事業である高利貸しにのめり込み、イクセル以上の名で知られるようになるが、それは人から恨まれる存在になるということだった。

 イクセルの後を継ぐ次期男爵という身から社交界にアデラと共に出入りはするものの二人とも誰からも声はかからず、こちらから声をかけようとするとすっと躱されていくようになった。

 特にアデラは婦人たちからの評判も悪く、扇子の陰であざ笑われる。

 貴族婦女子の必須である茶会にも招かれず、開いても誰も訪れようともしない。

 それでもアデラは領地に帰れば民草に交じり笑い声をあげ楽しそうにしているが、アーロンは屋敷にこもり一人黙々と書類を捌くだけとなった。

 一人息子が生まれても、バークリヴィスト伯爵家からは何の音さたもなく、縁を切られたことを実感する。

 ディクスゴートは男爵としては貴族の末席に入るものの、その実、いないもの同然の扱いを生涯受けることとなった。




 

「アーロンのどこに惹かれたのだね」


 事業に成功しても、領地経営者として何十年もたった今やっと民たちから尊敬を得られるようになったとしても、貴族として成功しなかったイクセルは病の床で可愛いアデラに訊ねてみた。

 ふくよかに太ったアデラは、その体をゆさゆさと揺らして笑う。


「だって、お父さん、私が学園に入る前に云ったじゃないの。男爵として貴族の一員にはなったものの、足掛かりとしては弱かった。伯爵位以上の伝手がなければ新参者としてはやっていけないって。だから私、頑張ったのよ。エイデン校は男女別校舎だからなかなか貴族の子息と知り合うことができなかったけれど、オーリィには将来を誓った人がいたからオーリィについていけば誰かと知り合えるだろうって思って必死でついていったわ。たまたま素敵だと思った人がオーリィの相手だったけれどまだ婚約していなかったし、アーロンも私のほうが愛おしいって言ってくれたもの。それにアーロンはお父さんが言っていた伝手となれる伯爵家の子息だったわ。それも次男と聞いて運命を感じたの。きっと彼こそは神様が私たち親子のために寄越してくれた人なんだろうって。神様が認めてくださったのだもの、アーロンと一緒になることこそが私たちが選べる最善だと思ったのよ」


 そうか、すべては私の不用意な一言のせいか。


 イクセルの閉じられた瞼から一筋の涙が流れ落ちた。



誤字訂正 最前→最善


ご指導くださり、ありがとうございました。



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