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ライモンド公爵オスカー・フォーサイスは、書斎で分厚い「紋章一覧」を紐解いていた。書物の横には画用紙に描かれた図案が置かれ、公爵はページをめくっては、細部を見比べている。犬の首輪につけたメダルなので、あまり複雑な図柄は入れられなかっただろう。複雑な家系の由緒を表すコート・オブ・アームズ全体を示す必要もない。どこの犬か判別がつけばよい、と考えれば。
「やはりエスカッシャンか、その一部、ということになるか。そうなると、これか、あるいは」
公爵の指は「フィッツジェラルド家」のページを選んだ。楯に剣、翼を広げたグリフォン。アリステアの模写では何かの模様のように描かれた、右下の植物はシャムロックではないか。とすれば、グロースターのフィッツジェラルドではなく、グレンフィールドのフィッツジェラルドになる。
「縁というか、運命というか。運命の女神はどうしてもこの縁の糸を結び付けたいらしい。人間がへたに逆らっても無駄のようだ」
「オスカー、お呼びになって?」
「うん、こちらへ来ておかけ」
公爵夫人はゆるやかな部屋着の上に天鵞絨のガウンを重ねて、侍女に手をとられて、書斎に入って来た。ミレディアは二週間前に第三子のフィリップを出産したばかりだ。公爵は妻を抱きくるむように安楽椅子に座らせ、かいがいしく膝掛けをかけた。
「カサンドラの迷子犬はすっかり元気なのだろう?エスカッシャンについて問い合わせた返事が来たのでね。たぶん、犬の飼い主がわかったと思うよ」
「まあ、カサンドラが喜びます。ええっと、寂しがる、かしら。あの白い大きな犬は妹にすっかりなついてしまって、毎日つきまとっているそうだから」
「なるほど。ともかく先方にも迷子犬の話はしておいたので、確かめに誰か寄越すと思うよ。珍しい犬種なので、引き取るはずだし」
「そうですわね。で、いったいどちらのお家の飼い犬でしたの?」
「グレンフィールド侯爵フィッツジェラルド家のエスカッシャンだったよ」
「え?あの、モリス君のお家の……?」
公爵は何度もうなずいた。
「カーレオン伯爵にはその可能性はお話ししてあるのだよ。昨日グレンフィールド侯爵家から返事が来て、確定した」
カサンドラはカーレオン邸の応接室で、その男性と向き合っていた。
「アラン・フィッツジェラルドです。久しぶりにお目にかかります」
昔、五人の婿候補だった一人だ。
「弟のモリスが、カーレオン領に何度もお邪魔しております。かたじけなくもコリン殿には、親しくして頂いて」
「はい、いえ、こちらこそ。モリス様には遠路田舎まで足をお運び頂き、恐縮でございます」
「こちらに当家の犬がお世話になっていると、ライモンド公爵様よりご連絡頂き、確認させて頂きたく参上いたしました」
「剣にグリフォンのエスカッシャン」
「はい、フィッツジェラルド家のものです」
カサンドラはあまりの奇遇に、密かにため息をついた。
「犬を見せて頂きたい」
「はい、ただいまご案内いたします」
カサンドラはアラン・フィッツジェラルドを納屋に案内した。納屋では厩番の少年が掃除をしていた。
「トビー、ご苦労様です。綿雪は馬場ですか」
「はい、お嬢様。テッドさんとベン爺がついて、馬場に運動をさせに出しました」
「ありがとう」
納屋を出て馬場に回ると、芝生の上を真っ白い犬が走り回り、従僕が棒を投げてやっている。怪我も癒えすっかり元気になった若い犬は、もっともっとと棒を追いかけて全力で走っていく。
「フレイファクシ!」
アランが呼ぶと、ぴたっと立ち止まって耳を立てる様子。そこから踵を返して駆け戻った犬は、アランの前でさっと座った。それはよく訓練された動きだった。
「フレイ、心配したよ」
アランは膝をついて犬を抱きしめた。綿雪と仮に呼ばれていた白い犬は鳴き声をたてて、もともとの主人にすり寄った。自分を抱きしめている主の顔を、べろべろに舐めまくる犬。うれしくてうれしくて、足はばたばたしていた。カサンドラは犬が主を見つけたことを喜んだ。一抹の寂しさとともに。
興奮した犬を納屋に落ち着かせて、水をたくさん飲ませてから、アランはカサンドラと応接室に戻った。アランについている従僕が手拭きを差しだし、アランは苦笑しながら手と顔をぬぐった。
「犬くさいな」
応接室に落ち着いて、侍女が茶菓を供してから、アラン・フィッツジェラルドは話し出した。
「あれは、ウルフスピッツと呼ばれる、北の国の犬です。わが家では、猟犬の品種改良用に、数頭の犬を取り寄せたのです。多くは灰色なのですが、あの個体は生まれつき白毛で。うちで生まれた最初の犬だったので、私が育てていました」
「グレンフィールドから王都に運ぶ途中、夕立に会い雷鳴がした時逃げ出してしまったのです。そこからグレンフィールドまでの道のりを探していたのですが。まさか王都に出てきていたとは思いませんでした」
「無事邂逅できてようございました」
「オーベック公園で子どもに怪我をさせたとか。その折あなたが犬を押さえてくださって、子どもを助けてくださったと聞きました。子どもを襲って怪我を負わせた野良犬として、殺処分にならなかったのは、ひとえにあなたのおかげです。そのお子にはたいへん申し訳ないことをしました。どうにか謝罪をしたいと思い、この後、そのクロフォード家に回ろうと思っております」
「エディ君とジーナちゃんは、次の日ここに来て犬にも会ってくれました。二人とも犬が怪我をして怖がっていたのだとわかってくれました。ジーナちゃんは、鳴いている犬が心配で、藪を見に行ったのだそうですよ。やさしいお子さんです。怪我をしたのはエディ君ですが、彼も小さい妹を守ろうとしただけなので、綿雪を恨んではいません。ご両親もとてもよい方で、犬の状況をよくご理解いただきましたの」
「ああ、助かりました。ありがとうございます」
アランは深く頭を下げた。
「明日にでも犬を引き取りに馬車を用意します。それまでどうかよろしくお願いいたします」
「はい、ご安心ください」
カサンドラはアランを見送った。
もう一月以上もいっしょにいて、なついてくれる大きな犬にすっかり心を奪われてしまった。いなくなるのは寂しいものだ、とカサンドラは家の中に入っていった。




