21
「これは、縁なのかもしれないな」
アリステアが持ち帰った、犬のメダルの紋章を見て、ライモンド公爵はつぶやいた。ミレディアはその図柄を覗き込みながら、「縁?」と聞き返した。公爵は顎に指をあてて、考え込んだ。
「このエスカッシャンは…、いや、少し問い合わせの手紙を出す。その返事を待ってから話すよ」
「お心当たりがある、とおっしゃるなら、よしなにお願いしますわ。カシーは犬も大好きなので、きっと助けたいと思っているでしょうから」
「うむ」
公爵は書斎に入って、かなりの時間を手紙を書くことに費やし、秘書を呼んでいくつかの手紙を送らせた。
「一通はカーレオン伯爵に送ったよ。この頃は少しずつ体調も上向きと伺っているから」
「まあ、父に?」
「ああ、カサンドラは今でもコリンを正式に嗣子に戻したいと思っている。だが伯爵とコリンはどうもそれを望んでいないようなのだ。ただこの国では女性が代理を勤めることはむずかしい。伯爵が在爵のうちはまだしも、いよいよ位を降りるとなった際にどうなるか。伯爵はずっとそのことを案じていらっしゃった。カサンドラひとりの肩に伯爵位を担わせるのは、あまりに不憫だと」
「カシーに夫を持て、とおっしゃいますか」
ミレディアは「婿」という言葉には過剰に反応する。妹は一度辛い目にあっている。もう二度とそんな思いをさせたくない。あのクズ婿のことは、存在そのものから抹殺してしまいたいくらいだ。あの時、別の相手を選んでいたら。だが、カサンドラが婚姻無効となった時点で、当時の候補者はほとんど結婚してしまっていた。そもそもが、王家と宰相府の厳しい選定を通った候補だったので、今改めて選ぶとなると、能力、家柄、年齢のどれかで、前の候補たちより数段劣ることになる。
「前のように、婿に爵位を譲る形になるのを、あなたも伯爵も不安に思うのではないか。また、同じように、不心得者によってカサンドラやコリンがないがしろにされるのではないか、と」
「はい。おっしゃる通りですわ」
ミレディアは「クズ婿」を思い出して、憤懣やるかたないという表情をみせた。公爵は夫人の妹を思うあまりの怒りに目を細めた。年の離れた妻は、社交界では超然とした美貌の貴婦人だったが、内側は情に篤い家族思いの性分なのを、愛おしく思っているからだ。
「私は、カサンドラ自身に叙爵を勧めるつもりだよ。配偶者にはあくまでも伯爵補佐に徹してもらう。後嗣が生まれたら、その父としてカサンドラの代理を勤めることもあるかもしれないが、ね」
「まあ!女伯、ということですのね。妹なら十分その実力がありますわ」
ミレディアは手をたたいた。
「あなたが宰相様や貴族院に、そのように推していただければ、父も安心できると思います。でも、配偶者を持つのが条件になるのでは?」
「そうだね。さすがに独身のままカサンドラがひとりで叙爵することはむずかしいと思う。あなたには誰かこれ、と思うような相手の心当てはないだろうか」
ミレディアはうつむいた。カシーはもともと社交が苦手だ。今は必要だから無理をしている。領地経営や書類仕事などは得意だが、誰の助けもなく続けていくのは難しい。ふつう貴族当主なら優秀な秘書を何人も使う所なのだが、カサンドラが年若い女性なので、男性秘書だとあらぬ噂になりかねない。女性で秘書が勤まるほどの能力の持ち主は少ない。いてもたいていは王宮で女官勤めをしている。カサンドラも伯爵令嬢として、女官勤めを勧められたことがあるのだ。
それに、ミレディアの知る貴族社会で年齢があうとなれば、彼女と同年代だろう。だが、その年代の男性はほとんど妻を持っているか、婚約者がある。そして、未婚男性の多くは、十代後半の年若い娘を妻に望むのだ。つまりは、社交界デビューの少女たちを。カサンドラは二十五歳。一度結婚に失敗している。彼女のせいではなくとも、それは欠点と数えられてしまう。社交が不得意なのも、人柄が控えめで容貌が華やかでないのも。非常に知的で有能であることも。
今でさえ、保守的な貴族の若者には、顔だちがかわいくて、陽気でコケティッシュな、ちょっとおバカな感じの若い少女が大人気なのだ。そのほとんどが少女たちの演技だとしても。「本当に愚かな女性だと、結婚後に困るのは自分たちなのに。妻が自分より優秀だと、プライドが傷つくのですって。そんなうすっぺらなプライドなんて無用でしょう」と、かつて大人気少女だったミレディアはお腹の中で思うのだ。「軽薄で無能なおぼっちゃまなんて、カシーにはいらないわ。あのクズ婿がそうだったのだもの」
「残念ですが、これはと思い当たる方は……」
「難しいよね」
公爵は頷く。
「やはり、手紙の返事が来たらお話ししよう。私にはひとつ宛てがあるにはあるのだけれどね。どうなるかは本当にわからないから」
「縁、とおっしゃった方ですか」
公爵はにやりとした。こうなっては梃でも動かないのは、ミレディアにはよくわかっていた。カサンドラの婿の話題は棚上げとなった。
話題はアリステアのカーレオン領行きに移った。アリステアの父ホークウッド子爵は、初めはにべもなかったが、公爵の多方面からの促しに根負けの態で承諾した。
「アリステアは貴族令嬢としてはやや規格外だ。子爵もそれはわかっていて、実に案じておられる。だが、どうやって導いてあげればよいか、わからないで困惑している。先代子爵夫人の伯母上がなんとか取りなして来たが、アリステアも適齢期になって、それも難しくなってきたのだ」
「カサンドラが内心、コリンとアリステアが出会ったら、よい結果が生まれ、コリンが伯爵後嗣として意欲を取り戻すきっかけになるのではないか、と期待しているのは、あなたもご存じだろう。もちろん純粋に、コリンの牧羊農家への貢献、アリステアの将来への助力を図っているのはわかっているけれどね」
カサンドラはともかく、私はそうです。とミレディアは胸の内でつぶやく。彼女は「愛の力」を信じているのだから。
「私の一存で申し訳ないが、ホークウッド子爵には、カーレオン伯爵令息コリンのことを、結婚相手の可能性を匂わせて話しておいた。そこまでしたら、やっと承諾をもらえたよ」
「保守的な貴族のご当主には、その方がご理解頂きやすいですものね」
ここにアリステアもコリンもいなくてよかった。こんな話が水面下でされていると知ったら、あの二人の性格では、絶対に自分の気持ちを制御してしまうにちがいない。必要な用件があって出会って、いっしょに仕事をするうちに、自然に惹かれ合うようになることを、カサンドラもミレディアも望んでいる。もちろん、相性があわなければ、それまでのこと。仕事が終わってアリステアが推薦状を手に入れて、絵画学校へ進むこともあるだろう。
アリステアはカサンドラに付き添われて、カーレオンへ旅立っていった。




