02 遺骸と化した<聖女>
その夜、神祇局では突然、アリソンが姿を消したため神官たちは混乱に陥っていた。
神官たちはすぐに宿泊している宿やその周辺を調べた。
ジーノも捜索隊に加わりアリソンを探した。
しかし、彼女の姿は何処にもなかった。
ジーノが翌日以降の予定のため貴族院の関係者との打ち合わせのために神祇局から離れていたのも彼女の捜索が遅れた原因の一つとなった。
ジーノはすぐに近衛騎士団にいるパウロの元へ向かった
「アリソン殿は王都のことは何も知らないので心配なのです。何か良からぬ事に巻き込まれていなければ良いのですが・・・」
ジーノは不安を切実にパウロに向けて訴える。
「ジーノ、お前さんが貴族院へ行くまではアリソン嬢は神祇局へいたのか?」
「はい」
「だが、その後の姿を神祇局の神官たちが見ていない。これはさすがにおかしい」
「・・・まさか神祇局の中に怪しい者が?」
「まだ想像の範囲だが、覚悟はすべきだろう。こちらとしては王都全体に部下たちを派遣している。彼女が見つかるまでは動きを注視するしかない」
「そうですね・・・」
ジーノは自責の念に駆られていた。
自分が貴族院に行ったことが今回の事態を招いたと感じていた。
その様子にパウロは「あまり思い込むな」と制した。
「ジーノ、場合によっては神祇局を調査しないといけなくなるが?」
「それは・・・」
「お前さんが躊躇うのはわかる。だが、アリソン嬢が事件に巻き込まれた場合は俺たちは神祇局を調べるだろう」
「ジュリアン様には先に伝えた方が良いですね」
「そうだな。ジュリアンなら冷静に対応してくれるだろう」
ジュリアンこと、ジュリアン・トランティニャンは神官の前に法務官を戴いた経歴がある。
彼なら神祇局と近衛騎士団の中和剤になってくれるだろうとパウロは思う。
「お前は神祇局で待機してくれ。何かあったら報告する」
パウロに促されてジーノは神祇局へと戻った。
早朝、ジーノの元にアリソンが亡くなったとの知らせが飛び込んだ。
その時、ジーノは自責と悲しみのあまり気を失ってしまった。
アリソンが亡くなったのは救貧院近くの市民公園であった。
この場所は貧困層に向けて食事を無償提供する場所であり、アリソンの亡骸を見つけたのは食事の準備をしていた救貧院の職員であった。
すぐに近衛騎士団から騎士たちが派遣された。
その中にはパウロや彼の部下であるアラン・グルーバーとレナート・シュナイダーの姿もあった。
通常なら事件が発生した場合はパウロではなく部下であるアランたちに現場を任せるのが常だが、今回は事情が違っていた。
ジーノの件もあるが何より今回は<聖女>と呼ばれ、王グスタフとの謁見を果たしたアリソンが亡くなった。
この後どのような形であろうとアリソンの死が王都に大きな負の影響を及ぼすことが必至であると考えたパウロが、自ら出仕しなければと考えたからであった。
パウロがアリソンの遺体に対面した時、現場では派遣された医師たちがアリソンの検視を始めたところであった。
医師は助手と共に、アリソンの顔を持ち上げると彼女の口を開いてその喉元に銀の棒を入れる。
しばらく時間を置いて銀の棒を取り出すと銀の棒は黒ずみが生じていた。
「毒ですか?」
パウロが言葉を改めながら医師に尋ねる。
「はい。この変色具合を見ますとヒ素だと思われます」
「死亡した時間はわかりますか?」
「遺体の硬直具合を見て・・・早朝だと思われます。関節が比較的柔らかく動いていますので血液に保温状態が残っています」
「しかし嘔吐の跡はありませんが?」
パウロの経験ではヒ素の場合、被害者は苦しみのあまり周囲に嘔吐の跡を残す。
「まだ断定できませんが、この方はヒ素中毒の可能性があります」
「ヒ素中毒ですか?」
パウロが聞き返す。
「はい。まず、この方の喉を見ますと吐瀉を繰り返したようで気管が傷ついた跡があります。また、皮膚に発疹や炎症も残っていますので長期間に渡りヒ素を与えられていた可能性があると見るべきかと」
まさかとパウロは驚きを隠し切れないでいた。
聖女と呼ばれる彼女がヒ素中毒者であったこと自体が異様ではないかと思った。
では、誰が彼女をヒ素中毒にしたのか。
まずはそれを調査しなければならない。
医師たちの指示によりアリソンの遺体が女性騎士の手で遺体安置用の馬車に運ばれるのを見ながらパウロは次の捜査をどう進めるか考える。
そこにアランたちが現場検証を終えて戻ってきた。
「パウロ様、現場にはアリソン嬢以外に女性と思われる足跡が残ってました」
アランたちは足跡が残る場所へパウロを案内する。
「この足型は女性用の靴で間違いありません。しかし疑問に残ることがあります」
「それは何だ?」
「底の深さです。地面に踏み込まれた足跡が女性よりも深いのです」
「男が履いていた可能性があると言うのか?」
「はい。特徴としてはつま先で歩いているのですがかなり無理をしていると思われます」
「そうだな。この深さだとつま先の方に力が入っている」
「偽装の可能性は考慮すべきかと思われます」
「それ以外に気になることはあるか?」
「残念ながら・・・」
レナートが首を横に振る。
その後、アリソンの遺体が治癒院の遺体安置所へ移された。
そこには神官ジュリアンがいた。
「ジュリアン殿」
パウロがジュリアンに声をかけると彼は礼をする。
「ジーノは?」
「アリソン嬢が亡くなったことで倒れました」
「彼は大丈夫なのか?」
「今は落ち着いています。ただ、今後は様子を見なければなりませんね」
「そこまでとは・・・」
ジーノがこれほど責任を感じているのにパウロは驚く。
「神祇局としては今後はどうするつもりだ?」
「おそらく神祇局内に怪しい人物がいると考えるべきでしょう。しかし神祇局内では不審者を洗い出すことに抵抗が出ています」
「そうだろうな」
神祇局としては神官たちを信じるのは当然としても、犯罪者を出すことには神に仕える者としての矜持がある限り受け入れ難いものである。
「そこでビョルン様に出て頂こうと思います」
「ビョルンにか?」
「はい。あの方が出れば神祇局としては何もできなくなるでしょう」
「しかし、お前の立場もあるだろう?」
「構いません。今回はどう考えてもアリソン嬢が外に出ることに手を貸した者がいるのです。ここで拘束しなければなりません」
これはジュリアンの正義であった。
神官である前に一人の人間として犯罪を見逃すことができなかった。
「わかった。ビョルンには俺から出てもらおう。それでいいな?」
パウロにとってはジュリアンの立場を考えての対応であった。
近衛騎士団からの依頼であればジュリアンに角が立つことはないと踏まえてのことでもあった。
パウロからの連絡を受けてビョルンとエヴァは治癒院の遺体安置所を訪れた。
そこには現状のままで横たわるアリソンの姿があった。
遺体の周りにはパウロとジュリアンがいる。
「パウロ、ヒ素中毒と言うのは本当なのかい?」
「ああ。医師の検視の結果、彼女の気管に多くの嘔吐により傷があったと」
パウロは黒ずんだ銀の棒をビョルンに渡す。
黒ずんだ箇所が毒の反応を赤裸々に語っている。
「皮膚に発疹や炎症もある」
パウロは足元のシーツをめくる。
そこには両足全体に発疹や炎症の跡が残っていた。
「長期にわたる毒の摂取ですね」
「そう考えるべきだな」
パウロとしてもこの毒による傷跡は長期でなければ現れないものだと理解していた。
「実は私たちは昨日、アリソン嬢に会っています」
「そうなのか?」
この偶然にパウロは驚く。
「ええ。その時はヒ素中毒者には到底見えませんでした。この足の様子を考えても彼女はしっかりと歩いていました」
ビョルンの脳裏には自信に満ち溢れたアリソンの姿が浮かんでいる。
「しかし彼女には何か秘密があるように思えました」
ビョルンはパウロに銀の棒を返す。
「しかし彼女は私たちに何も言わなかった。言えなかったのでしょうか」
ビョルンはジーノに顔を向ける。
「ジュリアン殿、アリソン嬢の人となりを知りたいのですが調べて頂いてよろしいでしょうか?」
「わかりました。戸籍も調べた方がよろしいでしょうか?」
「お願いします。救貧院で亡くなったと言うのも気になるもので」
「この後、私は神祇局へ向かいます。その手続きもお願いします」
「では、アリソン嬢の件は私が信頼できる神官たちに調べさせます。私はビョルン様と一緒に神祇局に立ち合います」
「ありがたいです。パウロはどうしますか?」
「俺は行かない方がいいだろう。ここでこちらと神祇局が揉めても仕方ないのでな」
「では、神祇局周辺に騎士たちを待機させて下さい」
「誰かが逃げ出す可能性がある訳ですね?」
エヴァが尋ねる。
「はい。もし逃走を図る者が居れば事件の核心に近づく一歩となるでしょう」
ビョルンとしてもジュリアンの立場を考慮したいと考えていた。
そのためにも敢えてジュリアンの口から神祇局の関係者に法務官が動くことを伝えて不審者を炙り出すことにしたのだ。
「では、騎士たちの準備が終わり次第、神祇局へ向かいましょう」
パウロはすぐに部下たちに指示を出す。
その間にビョルンはアリソンの遺体に近寄る。
アリソンの死に顔は苦しみなど感じさせない穏やかな姿になっていた。
「どうされましたか?」
エヴァもビョルンの近くへ歩を進める。
「彼女はあの時、何を話したかったのでしょうか・・・私から聞くべきだったのかもしれません」
「ビョルン様・・・」
エヴァが心配する中、ビョルンはアリソンの姿をただ見つめるのみであった。
〇主な登場人物
ジュリアン・トランティニャン
・・・神官。前職は法務官。




