剣聖と呼ばれた男
灰色大熊猫が去っていく姿を目で追い続ける。
その背中が森の中に溶け込むと日常で流れる優しい風が吹き、騒然とした空気もその風に乗ってどこかに消えていった。
しじまの中に身を置いていると横から金属がかち合う音が響く。
「お父様、さすがですね」
グロウスが剣をしまいながら、こちらに歩いてきていた。
何かツッコむ気が無くなってきている。
「お父様じゃないし。……あの剣って魔法なのか?」
「そうです。私は巷では息吹の剣士と呼ばれています」
「自分で言っちゃうのか」
二つ名を自分で言うのは恥ずかしいと思うが、何か誇らしげな顔をしているのでこれ以上はツッコまない。
少し冷めた目で見ると、グロウスが頬を膨らませていた。
「ふっ!」
息を思いっ切り吹いた。その息を吹いたと思われる場所の草花が細かく切り刻まれると、風に乗って散っていった。
これが魔法? ただ息を吐いただけで、あのような力を出せるのか。
改めて、グロウスに顔を向ける。輝く白い歯を見せびらかすような笑みを浮かべていた。
「いかがです、お父様? これは私のみが使える力です。これに火や氷などの魔法を混ぜると先ほどのように剣に付与したり、直接吹きかけることができます」
爽やかな声と綺麗な歯を見せているが、顔自体は濃いままなので暑苦しさに拍車が掛かっている気がする。
何か面倒なので、早々に話を切り上げよう。
「そうか、そりゃすごいな。じゃあ、俺は用事があるから行くぞ。ああ、助けてくれてありがとう」
「お安いご用です。国の民のために私たちは居るのですから」
とにかく暑苦しいグロウスに軽く頷いてジーンたちの元へ向かう。
そういえば、こいつらも宿屋に行く予定だったな。
・ ・ ・
宿屋の食堂のテーブルで暑苦しいヤツが俺と対面している。
「いやぁ、このような場所でまた出会えるとは。真に縁が深いですね。そうは思いませんか、お父様?」
酒を飲んでいる訳ではなく、ただの水を飲んでいるだけの男がテンションMAX状態であった。
何か頭が痛くなってきた。クレアに今日の収穫分の差し入れをしにきただけなのに。
「あらあら、マサヨシくん。いつの間にお父様になったの?」
「クレアさん、止めてください! こいつが勝手に言っているだけですよ。アインを傍に置きたいとか妄言吐いている輩ですよ」
アインを抱っこしているクレアが、俺とグロウスを不思議そうに見て少し首を傾げた。
「まぁ、ない話ではないらしいわね。それだけ求愛されるのも、アインちゃんの魅力じゃないかしら。喜ばしい事じゃないの?」
「良い訳ないでしょ! 男に慕われるだけならまだしも、求婚するとか信じられませんよ」
「でも、ジーンさんにはしたじゃない?」
「うちはうち、よそはよそです!」
俺の周りには味方がいないのではないかと疑ってしまう。
みんなは寛容すぎる。俺を受け入れた時点で寛容すぎるか。
とは言っても、男の下に出すのはダメだ。認められない。
「まぁまぁ、あなた落ち着いてぇ~。目くじら立てる程のことはないしぃ、アインがどう判断するかにまかせましょ」
ジーンの言葉を受けて、高速で首を回した。
言いたい事は分かる。アインがもしもその道を選べば、その道がアインにとっての幸せな道かもしれない。
親があれこれ言ったとしても、最後は本人の意思を尊重するべきなんだろう。
深い深いため息を吐く。
「分かったよ。グロウスさん、とりあえずは話はここまでにしてください。もし、そうなった時は反対しないので、成人するまでは求婚するようなことはしないでください」
「さすがはお父様です。寛容なお心をお持ちなのですね。私めは尊敬の念を禁じ得ません」
また仰々しい事を言うヤツだ。まあ、悪いヤツではないことだけは分かった。
「では、早速ですが抱っこさせていただいても?」
「良い訳ないだろ! 邪な気持ちを抱いているヤツに触らせるつもりはない」
「むぅ……。ジーンさん、ダメでしょうか?」
グロウスはジーンに助け舟を頼もうとしている。
「おさわりは禁止よん」
ジーンは優しく返したが、若干怒っている空気を出していた。
両親の反対を受けてか、グロウスはうな垂れている。下手に優しい言葉を掛けると調子に乗りそうなので、アインに関してはこれで終了にしよう。
「そういえばグロウスさんはこの村に何をしに? この村に引っ越して来た方の家に行かれていたようですが?」
「ああ……。それは……剣の指南を……頼みに……」
亡霊のような喋り方をしている。それは置いておいて、剣の指南という言葉が気になった。
ただ、今の口調からでは回答は良くはなさそうだ。
「で、その人に断られたと?」
グロウスはうな垂れた頭を更に下げるように頷いた。何か廃人寸前のように見える。
しかし、この村でグロウスに剣を教えるような人が引っ越して来たというのか?
「クレアさん、引っ越して来た方のお名前って知ってますか? 俺まだ顔見せしてないんですよ」
「ええっと……、エルドランさんだったかしら?」
「ん~、聞いたことないですねぇ」
頭を回転させるが思い当たる人物がいない。それもそうだ、俺の世界は狭いのだから。
「それってぇ、エルドラン卿の事かしらん?」
ジーンの問いに背中を丸めているグロウスが頷いた。
卿って付くぐらいだから偉い人なんだろう。
「ジーン、その人ってすごい人?」
「ええ、そうよん。剣聖って呼ばれていたのよぉ。早くに息子さんに位を譲ったって聞いたから、多分、その人だと思うわよん」
「そんな人がこの村に……。ま、ご近所づきあいも兼ねて、顔を見せようかな」
ドンドン縮んでいくグロウスを置いたまま宿屋を後にした。
・ ・ ・
家に帰る道すがら、エルドラン家に足を進めた。
我が家より断然しっかりとしたログハウスだ。
木も真新しいためか明るい色をしており、清潔感が漂ってくる。
鎧戸が開いているので中に人はいるだろう。玄関のドアをノックする。
「どなたかな?」
割としっかりとした声だ。遠目からでは少し年寄りに見えたので、もうちょっとしゃがれた声かと思っていた。
「近所に住んでおります、ユウキ家の者です。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」
そう言うと相手の反応を待つ。少し経つとドアが開いた。
現れたのは綿で作られた簡素な薄茶色のシャツとズボン、短く刈った髪の毛といった風貌の男性だった。
これだけ見れば普通の老人だが、顔が険しく年季の入ったしわが余計に見る人を威圧しているように感じる。
「これは失礼いたしました。ウォルフ・エルドランです。家内は今、畑に行っておりましてな。私だけですが、よろしくお願いします」
「あ、いえいえ、こちらこそお願いします。私はマサヨシ、こちらが妻のジーンと、こっちが息子の……ん?」
あれっ? さっきまでジーンの後ろにいたはずなのに。辺りを見回す。
「あーっ! アイン、人様の家にぃー!」
「んっ? これこれ、危ないからお父さんの所にお行き」
ウォルフがアインに手を差し出した。不味い! アインが怪力を発揮したら、ウォルフに大変なことが。
嫌な想像が的中する瞬間を見た。アインがウォルフの指を掴んだ。
「むっ!?」
むっ? それだけ?
「ウォルフさん、大丈夫……ですか?」
「ああ……。今は手が離せん。もう少し待っていただけるかな?」
何が何だか分からないが、アインの万力のような力で握られても大丈夫らしいので、そのままの光景を見続ける。
数十秒、その体勢が続くとアインから手を離した。
「ふぅ……。お爺さんに出す力ではないな。歳よりは労わってくれないと」
「じいさ?」
「そうだよ。お爺さんだよ」
「じいさ、じいさ!」
アインがものすごく喜んでいる。ウォルフも顔が緩んでいるので、あの数十秒で何かが芽生えたのかもしれん。不良の喧嘩をした後の心情だろうか。
喜びに満ちているアインから、ウォルフはこちらに目を向ける。また顔が怖くなっていた。
「あなたがこの子のお父様ですかな?」
うわ~。言う人が違うだけですごく感じが違う。邪な気持ちを持っている、どこぞの剣士とは雲泥の差だ。
「はい。その子はアインと言います」
「アインか……。この子に剣を教える気はないかね?」
はい? 何を言っているのか理解できない。何でこんな子供に。
「えっと、アインはまだ子供過ぎますよ?」
「それは問題ない。簡単な力の扱い方を教えるだけだ。このような才能を埋もれたままにするなど勿体ないのでな」
まさか、ここに来て準チートが活かされるとは。相手は剣聖と呼ばれる程の達人。勇者として生きるために必要な戦う術を教えてもらえるが。
ジーンに目をやると首を横に振った。おそらく考えていることは同じだろう。
「ウォルフさん、今日のところはここまでにしてもらっても良いですか? すぐには答えが出せませんので」
「そうか……。いつでも来なさい。予定は土いじりぐらいしかないものでな」
ウォルフの言葉に頷き、アインを抱きかかえて家路につく。
この選択は重要なものだ。どうするかをジーンと考えないといけなっ!?
「アイン! 痛いっ! 首を殴るのは止めなさいっ!」