新生活にむけて
俺達の前に、おどろおどろしい光景が広がっていた。
朽ちた床は踏めばみしみしと怪しい音を立て、堆積した埃はわずかな気流に乗ってふわりと浮かび上がる。
所々、床に穴が開いており、家具には蜘蛛の巣がびっしりと張られていた。
外観はそこまで酷くはない。
しっかりした木材で作られているログハウスは、少しくすんだ色をしてはいたが問題はなさそうに見えた。
だが、中は違う。村長の言った通り、しばらく人が住んでいないので荒れ放題だ。
「こりゃすごいな。マサヨシ、本当にここで良いのか? 作りは頑丈かもしれないが、だいぶ痛んでるぞ?」
手で口と鼻を覆ったイーサンがくぐもった声で言った。
ここで良いと言うよりも、ここしかないのである。
「俺のお金だとここが限界なんですよ。一から建てられる程、高給取りではないので」
「あ~、それもそうか。学校での授業料も基本的には食べ物とか酒だもんな」
そうなのだ。お金で払う人はほとんどいない。一応、領主からもお給金は貰ってはいるが、微々たるものだ。
食うには困らないが、家を建てるようなお金はない。そこで提案されたのが、空き家となった家をリノベーションすることだった。
これであれば、まだ使える所はそのまま利用して、ダメな所だけを修復したら住むに問題はない。
現状、一番良い案として採用した。が、家の中はなかなかに荒れ果てている。
「クラシカルな感じがするわねぇ~。私は嫌いじゃないわよん」
イーサンと同じくジーンも手で口と鼻を覆っている。
クラシカルというより、廃墟寸前というのが正しいだろう。
ただ、ジーンは気を使って、悪い言い方をしなかったのだと思う。
「イーサンさん、これを修復するのって、どれぐらい掛かりますか?」
「今、持っている木材だけじゃ足りないからなぁ。森に行って木を取りに行かないといけないんだが。今の時期はなぁ」
腕組みをしてイーサンが悩み始めた。
渡りに船と言っていいのか分からないが、イーサンは木こりをしており、木材の加工、建築も行っている。
運が良い事にそのような人と仲良くしているのだ。だが、世の中、簡単にいくものではなさそうだ。
何故、この時期に入れないか。それは、この国にも明確な四季があり今は丁度、秋に当たるのだ。
実りの秋なのである。この時期はモンスターたちが活発に動いているため、森に入るには危険が伴う。
「そうですか。やっぱり考えが甘すぎましたよね」
少しだけ気落ちした。どこかで楽観視していたが、そうは問屋が卸さないという事だ。
ただ、このままランパード夫妻の下で暮らし続ける訳にはいかない。
ため息を吐くとジーンが俺の肩に手を乗せた。
「私はここで良いわよん。二人で住めればね……。危ない所だけ直しましょ」
優しい言葉が胸に沁みる。本当に良い女性だ。元男だけど。
「そうですね、そうしましょう。じゃあ、イーサンさん、その方向でお願いできますか?」
俺の言葉を聞いても、イーサンの思考は止まっていないようだ。
腕組みをしたまま唸っている。と、急に顔を明るくした。
「良い案があるぞ」
「えっ? 何ですか」
「マサヨシ……。これはマサヨシが家長になるための洗礼にもなるかな」
にんまりとしたイーサンを見て、嫌な想像しかできなかった。
・ ・ ・
色づき始めた木々の下を息を荒げて走る。
木々が風で揺れて鳴らす音が、俺を笑っているように聞こえた。
下草を力強く踏み、木々の間を縫うように走る。
次々と現れる木が俺の行く手を遮り、茂みが足を捕らえようとしていた。
俺が全力で走っている理由は一つだった。
「もういやだ~、モンスターに殺される~!」
後ろから猛追してきているモンスターの気配を感じる。
敵意なのか、食欲なのか分からないが、俺を襲う気満々な雰囲気だ。
森の出口が見えた。あそこまで走れば。
最後の力を足に入れて、全力の更に上の限界まで走る。
「イーサンさん!」
俺が森の出口に到達した瞬間、脇の木陰から二人の男性が現れた。
二人とも弓を持ち、限界まで弓をしならせている。
「任せろ!」
言い終わった時には、矢が放たれていた。
「ミャギャ――ー!」
山猫ウサギの断末魔の悲鳴が響く。
背中でその声を聞いてから、やっと足を止める事ができた。
「いやぁ、マサヨシ、よくやったな。これで安心して木を切れるよ」
息も絶え絶えな俺を見ながら、イーサンは軽やかな口調で言った。
「あの、はぁ、もう、終わり、はぁ、です、よね?」
「おう、これだけ派手にやったら、他のヤツ等もどっかに行っただろう。んじゃあ、早い内に行こうぜ」
軽快な動きで森の中に進むイーサンの背中を見て思い出す。
今回、木を切るための安全確保として提案されたのが、モンスターを引きつけて狩りをする。というものだった。
普段から定期的に狩りをしていたが、凶暴化しているモンスターが多いこの時期は大掛かりな狩りをしない。
それなのに村のみんなは俺たちのために、狩りをすることに協力をしてくれたのだ。
みんな良い人で涙が出そうになった。俺を囮にすると聞いた時は本当に涙が出た。
「今日は大量だなぁ」
耳がウサギのように長く、顔つきは猫と言った山猫ウサギを掴んでイーサンが言う。
大きさは猫を一回り大きくした感じなので、結構怖かった。
「そうですね。今日は豪華な食卓になりそうですね」
「だな。結婚式を挙げる時の肉料理も、こうやって獲るとするか」
楽しそうに大きく口を開けて笑うイーサンに冷たい視線を送る。
「しかし、なんだなぁ……。マサヨシが結婚か。しかも、相手はジーンさんとはなぁ」
「素敵な女性ですよ。……昔はどうであれ、素敵な人です」
「そうか。お前は人を見る目があるのかもな」
イーサンが感慨深そうに言った。
「人を見る目……ですか。そうだと良いですね」
「俺はそう思うぜ。……で、最初にジーンさんに引かれたのはどこだ? 顔か、それともあれか?」
「そういう話は止めてください!」
下品な話を早々に打ち切ると、伐採場へと足を進めた。
・ ・ ・
へとへとになりながら宿屋へと帰る。
モンスターに追われた後に俺を待っていたのは木の伐採、解体の手伝いと、切った木を村まで運ぶことだった。
大がかりな作業を村の男たちが手伝ってくれたお陰で、何とか今日一日で必要な木材は手に入った。
終わってしまえば嬉しくて楽しい事だが、モンスターに追われた時のみんなの悪い笑顔だけは忘れないでおこう。
食堂でダリルの料理を食べていると、クレアとジーン、そしてジーンに抱っこされているアインが姿を見せた。
「マサヨシくん、お帰りなさい」
「あなた、お帰りなさ~い。ほらぁ、アインもお帰りなさ~い、しなさ~い」
ジーンの言葉を聞いてか、アインは右手を軽く上げた。何かナイスガイの挨拶みたいでカッコいい。
挨拶を返すと、二人は俺のテーブルの椅子に腰かけた。
「どんどん準備が進んで行くわね。少し寂しくなるわぁ……」
「あらん? クレアさん、大丈夫ぅ。ちょこちょこ顔を見せるからねぇ。アインもクレアさんのこと大好きだし、ねぇ~?」
嬉しい事に、アインはすっかりジーンに懐いている。
今のところジーンはアインを可愛がってはいるが、虜になってはいなさそうだ。それも嬉しい事だった。
「クレアさん、そうですよ。これからもアインの成長を見てほしいです」
そう言うと、クレアが顔を逸らした。
「あの、クレアさん? どうかしましたか?」
「ううん、ごめんなさい。嬉しいことなのに……。何でか涙が出ちゃって」
体を震わせていることから本当なのだろう。
アインに対する涙なのか、俺に対する涙なのか。どちらかは分からないが、離れることを寂しく思って泣いてくれたのだ。
「ありがと、クレアさん。二人のために泣いてくれて。でも、お別れじゃないわん。涙は結婚式のためにとっておいてね……」
温かみを感じる声色でジーンは言った。その言葉にクレアは何度も頷いている。
本当に良い人と出会えた事を今更ながらに実感した。
多くの出会いがあったお陰で、俺は大きく変わろうとしている。変わった俺をみんなに見てもらう結婚式が、目前に迫っていた。