4-4-2.死を誘う生命の海
流れ星がはっきりと見えそうなほどの星空瞬く夜空を迎えて、鉄橋都市リケットを発つ。この時間からだと、「ウェルギリウスの砂漠」の最寄駅に到着するのは早朝だ。終電の概念がないことにメルストは驚いていた。
竜の心臓を動力として動く半生命機動列車は、とある国の技術をもとにアレンジして作られたとルミアが自慢たらしに言った。なんでも、彼女の故郷の列車技術が発祥だという。この世界の蒸気機関や機械技術のほとんどの発端はそこから始まっているようだ。知的好奇心がはたらくも、危険そうな香りが防衛本能を引き立たせる。
そんな話を子守唄のように聞き、気が付いたら眠りについていたようで、到着時ルミアに起こされた。同じ毛布の中に入っていたことに驚いて目覚めた、と言った方が正しいのだろうが。
車掌の心配そうな目を背中で受け、降りた二人は目の前の結晶谷を観眺める。谷を覆う氷のカーテンのようで、穴ぼこだらけの地面からも氷のような結晶が突き出ていたり、氷床のように張り巡らしている。
「すっげぇ、幻想的だな」
「あたしにしたら寒々しい景色だけどね」とルミアは先に進む。「この先をずっと歩けば砂漠に着くみたいだけど」
パキパキと結晶を踏み壊す音がふたつになる。
「マジのガチで閉鎖域になってるね」
そういいつつも、ギルドからの警告喚起の立て看板を無視し、トタン製のバリゲードに爆榴弾を投げつけ、吹き飛ばす。周囲の結晶が崩れ、ぱらぱらと降り注ぐのを見、雪のようだとメルストは思った。
わざわざ壊さなくても。とは言わずに、早朝の日照りを浴びる結晶谷を見据えながら進み続けた。
歩いてひとつと半の刻を過ぎた頃だろう。美しくも味気なく、温かさを感じない同じような景色に飽きてきたころ、阻まれていた渓谷を抜け出した。
寒々しい景色から広がったのは、さらに身が凍りそうな一面白銀の世界。しかし鼻先をかする風は冷たくなく、むしろ生暖かい。不思議な感覚だった。
「砂漠というより、雪原だなこりゃ」
「ここを越えた先に"ラミンのオアシス"っていうね、なんとゆーかキノコの森的な湿地があるんだにゃ。そこが砂漠の中央部にして深奥部。今回の活動場所だね」
「ていうか、いつの間にガスマスクつけてんだ」
その上、服装も完全防護状態。トラントの大樹での花粉症対策の彼女の姿が重なる。
「低濃度だけどここから汚染地帯だから、一応ね」
「ふーん……いや先に言えよ!」
焦るメルストに、やれやれとルミアは自作のガスマスクを渡す。ひざ丈まで積もっている白い粉末をぎゅむぎゅむと踏み、足取り悪く進もうとする。メルストの思う砂漠の砂とは程遠かった。
「ていうか、これなんだよ。雪、じゃないよな」
手ですくい、ふわふわと舞っていくそれを凝視する。組成鑑定しても水分子の結晶状態が見られない。
「カビ」
「は?」
「正確にはキノコの胞子」
「……マジ?」
「マジ」
籠った声同士の会話で耳を疑うような事実に、実感が湧かない。
ルミアも内心すごく嫌がっているのだろうか、その返事には感情がない。考えないようにしているのだろうか。
「確かおまえ、カビとか苦手だったよな」
「ここまですごいと逆に平気だにゃ。そこまでじめじめしてないし、なんかカビっぽくないし」
「そ、そうか……」
「メル君」
「ん?」と振り返る。
「雪合戦する?」
唐突なひと言を放ったクレイジー系女子の片手には握りかためられた白い球。今にも顔面狙って投げつけてくる気満々だ。
「その手に持った菌玉をすぐに降ろせ!」
「え、金○? なにいってんのメル君」
「ああしまったいけない方に誤変換しやがったこいつ。その雪玉という名の汚染物体を投げるなって意味だよ!」
「言うてもメル君~、あんた防護服着とるさかい、そない大したことあらへんよ」
「軽そうな方言で大したことなさそうに言ったってそうはいかんぞ」
と言っている隙にさっそく投げつけたルミア。変な声が出たが間一髪で避ける。
「お、おまえってやつは」
「あ、ねぇねぇ! 雪だるま作ろ!」
「そんなことしてる場合じゃねぇよそもそも」
「スノーマンならぬカビーマンってね! ……ふふっ」
「いやいまのどこに笑う要素あったよ。というかおまえ絶対苦手じゃないだろ」
*
すがすがしい昼下がり、ウェルギリウスの砂漠をまっすぐ進み続けても、一向に変わらないはずの景色に変化が見られる。白銀の砂漠に浮かぶ、山のように隆起した森。疲れ切った足に力が戻ってきた。
「やっと着いた……ラミンのオアシス、っていうんだっけ?」
目の前に着いたふたりは、その巨大さに圧巻させられる。
砂漠といいオアシスといい、この地に名前を付けた先人は良いセンスをしているとメルストは皮肉を思う。
担子菌、だけでない。子嚢菌、粘菌に子実体……大まかに見ればキノコと同義に近い、肉眼で見れないそれらが見上げるほどまでの大きさになっているとしたら、自分の中の感覚がおかしくなってくるだろう。
植物と思えるような摩訶不思議な形状を成すものも、すべてカビの一種。似てはいるも、前世にはいない種類だ。宙を漂う白灰と黄色の粒子は、明らか吸ってはいけないものだと悟らせる。
(生きているのに死んでいるってのはこういうことを言うのかもな)
まるで別世界の光景。ガスマスク越しでルミアは感嘆の声を漏らす。
「砂漠の慰安所ねー。まぁ"あっち側"からしたら確かにそうかも」
「さっさと用を済まそう。長時間いたらまずいんだろ」
「えー、いろいろ冒険しよーよ」
「カビは嫌がるのにこういうのは好きなのか……」
「え、テンション上がらない? こういうデンジャラスなとこ心躍るっしょ!」
「心腐りそうな環境に不安しか抱かないよ」
そういいつつ、足下奪われる死灰とも言われる胞子の海にいるのも疲れたようで、ラミンのオアシスに足を踏み入れた。
動物どころか、虫も植物もいない。この環境に適応した生物がいないのも変な話だ。この世界で菌という存在と概念が出現したのも最近の話。カビはキノコの素としか見られていなかった時代において、ここはまさにキノコの森だろう。
(菌の独壇場というか、楽園だろうな。樹海越えて山だろこれ。これらの栄養源ってどこから来てんだろ)
地面から空を覆い尽くす天井まで、すべて菌。地中も木々も、すべて。網目状のネットワークを広々と張り巡らす粘菌に、植物のまねごとをするように重力に抗って天へと伸び続ける軟硬様々なキノコ。獣の尻尾のように綿毛が生えたゼンマイ状の子実体、タンポポの種のように綿を飛ばすもの、岩壁かと思わせる菌石まで、出で立ちは様々だ。
やはり植物ではないそれらは、独特の世界を生み出している。
「静かすぎるな。何かいるわけでもなさそうだし、なんで失踪者が出たんだろ」
「胞子に洗脳されてキノコの一部になってたりとか」
「こわっ」
おぞましい話だと、メルストは鳥肌が立つ。決して自分には起きてほしくないことだ。
「まぁそれはそれとして、こんだけ大規模なら、依頼されたもの以外にもたくさん取れそうだね。魔法式の多収納バッグもあるわけだし、どれだけとっても困らないにゃ」
「ていうか採取くらい俺だけでもよかっただろ」
「メェールーくぅーんー、冷たいこといわないでぇぇ」
しがみついてきたルミアに振り回されながら、
「他のことで手がいっぱいだったんじゃなかったっけ」
「それはそれー、これはこれだからー」
「都合のいい人だよ本当に」
「あたしも前からここにいってみたかったのぉ~っ、金属癒着してくれたり金属疲労阻害とか破断とかしにくい素材があるって噂をバルク店長から聞いてたのぉ~!」
機械を作る機工師として、その性質を付与できるのならどれだけ便利か。私的な理由であれ、ルミアの仕事(趣味ともいえるが)の効率が上がるだろう。
「へーそんなすげぇのがあるのか」
「でしょでしょ~! メル君にも分けてあげるから、ねっ! ここは取引的に痛み分けってことで!」
両手を合わせ、お願いのポーズにウインク。調子のいい奴だとは思う。
「うーん……まぁ俺からはどうとでも言えないし、他に依頼が溜まってないなら別にいいけど」
「ありがとメルくぅーん! 大好き愛してる!」
軽いなぁ、とは思う。苦笑しつつも、目に入ってきた景色に感嘆詞が口から飛び出る。
「おお!? すっげぇ!」
足場が断たれた代わりに、奥深くまで続くホールが広がっていた。巨大な蛹がそこに眠っていたかのように、ぽっかりと空間が出来ているが、いたるところに色とりどりの光を放つ丸いキノコが育っている。天上のそれはシャンデリアのようで、壁や地面を照らすそれは電飾というより、一種のアートを彷彿とさせる。
オキシルフェリンが基底状態に戻る際に放出されたエネルギーが発光しているのだろうとメルストは思う。ぼんやり辺りを照らすものから、電球のように光り輝くものまで、その広大な菌床の洞穴を様々な光が交錯するも、光の調和がとれ、虹のように映えている。
しかしガスマスクで鮮明にはその光彩を見ることはできない。メルストは歯を噛みしめ、ゆっくりと深いため息をついた。
「そういえばメル君って生身でもヴィスペル大陸で活動できたんでしょ?」
「断言はできないけどな」
ふーん、と返した――同時に視界が一気に鮮明になる。顔の窮屈感がなくなり開放感を得たことに一瞬遅れて気が付き、メルストの顔は青ざめた。
「ってうぉおおおおい!!? 何しちゃってんのおまえ!!」
「マスク外しただけだけど?」
「それがどうしたのみたいな顔してんじゃねぇ!」
あたふたしたメルストをどうどうとルミアはなだめる。冷静になりなって、と他人事過ぎる彼女に、彼は人間性を疑ったことだろう。
「やっぱり汚染されない体質なんだね」
焦燥する動きが瞬く間に収まる。言われてやっと気が付き、
「……たしかに何ともないな」
と一呼吸してみた時だ。
「いや感心してる場合じゃねぇ。遅行性だったらどうすんだよ、ほらマスク返して」
「町で聴いた情報じゃ、すぐに目や口とかの粘膜部分外気に触れた皮膚が痒くなるんだって。それがここのカビに感染したってことになるから。そっから数時間後に意識飛ぶみたいだけど」
「それ一次情報?」
「仲間を信じなさいなー。メル君大好きなあたしが言ってんだから、間違いないにゃ」
「大好きって言ってる割にはいたずらが生死レベルに達しているんですが」
「世の中には愛してるほど殺したくなるっていう特殊性癖の人がいるみたいだね」
「今ここでその例えを出すべきじゃなかったな。俺の誤解であってほしいと切に願うよ」
それにしても、とメルストは疑問を抱く。
(ヴィスペルの時と言い……なんで汚染地域でも俺は普通に呼吸できるんだ?)
そう思いながらも、再び巨大な空間に光るキノコの森を眺望する。見れば見るほど、見とれてしまうような幽玄さ。失踪した彼らが仮にこの光に誘われてしまったとしても納得がいきそうだ。
「はぁー……直で見ると案外綺麗なもんだな。ルミアもマスク外してみろよ」
「そうだね、こんなマスクじゃ視界が悪いしね……ナチュラルにえげつないこと言うもんじゃないよメル君。さすがのあたしも死ぬから」
森と巨大空間の間――切り立った崖のような先。視界の広がるここなら、拠点を作っても安全だろう。ギルドより支給された拠点キットを展開した。
「依頼はどうする? 分担する?」
「そうだな。キノコ関係は頼めるか?」
「全然おっけーい。けどメル君のやつ、めんどそうなのしか残らないけどいいの?」
「スライムと宝石と精霊関係のガスだろ? 問題はないよ」
「じゃ、六刻後に――」
ドスッと旗の付いたポールを突き刺す。特殊なコンパスが反応する磁場を放つそれは、万が一迷っても戻れるようにするための目印だ。
「ここの拠点に戻ってくるってことで! いい?」
うなずいたメルストは、ルミアの元気な意気込みに応え、お互い別の道を進んだ。
与えられた時間は6時間。日が沈むまでがリミットだが、二次元的な景色しかなかったウェルギリウスの砂漠とは異なり、ここキノコの森こと「ラミンのオアシス」は複数の階層から構成されている。天高くから地中深くまで、その上ジャングルのように密集している。蛍光茸のおかげで発光石は不要なのが幸いだが、それでも1㎞進むだけでもなかなか苦労する。
ツタ状の太い菌糸が絡み合う絶壁の縁。足でも踏み外せば奈落の底だ。その壁を脚震わせながら這うように進み、メルストは登っていく。いくつもの大樹のような茸が柱として天井と奈落を支えている中、木漏れ日が交差する。
「はぁ……マスクなしでもしんどいわ」
どういうわけか、コットンボールのような胞子がふりまく汚染地帯でも、メルストは素顔で活動できている。耐性があるにしては万能性が高い。ひとつ仮説を立てるとするならば、
(物質分解能力を……無意識というか、不随意に機能してるってことだよな)
結合エネルギーがどれだけ高くとも、最大原子レベルにまで分子を切り離すことが出来る、破壊特化の能力。それが自分でコントロールするよりも優れているようで、呼吸や経口摂取、皮膚に毒素が触れた場合でも、必要最低限の発動で無毒な物質にまで分解してくれていると、メルストは予測を立てる。知らず知らずのうちに体内で抗体の分子構造を構築しているとも考えにくい。
「――ぅわっと!?」
足を滑らせ、とっさに片手でツタを掴んだ。ふと下を覗けば光の届かない深淵。考え事はあとでしよう、と今はこの絶壁を渡りきることに専念した。
絶壁から勇気を振り絞って飛び移り、弾性の高いキノコの傘を踏みつけ、トランポリンで飛ぶように数メートル上へと渡る。歩くたびに舞う胞子をうっとうしく思う。雲の中に入った気分だ。
大小さまざまなかわいらしいキノコの数々。樹のようなキノコから小さなそれが数多に生えているのを目にしながら、傘の上を跳び渡っていた。
ポンポンと、上へ上へ。胞子をまき散らし、それなりの高さがあるおばけキノコの上に立つ。
見渡す限りの子実体に埋め尽くされた景色を一望し、「キノコの森」と呼ばれるのも肯ける。
(高い所から見ても意味ないか。こりゃ骨が折れそうだ)
そう遠くないだろう、そのとき聞きなれた爆音に、メルストは振り返る。
立ち込める爆炎。燃えながらなぎ倒されていくおばけキノコ。この未開地、数多くの失踪者が出るような得体のしれない土地でリスクしか生み出さないような輩は、メルストの知る中では一人しかいない。
「あいつ……環境破壊もいいとこだろ」
呆れたひと言を吐き、メルストはこれ以上の破壊をしないよう祈る。飛び降りてはキノコの傘をクッション代わりにし、鬱蒼とした樹海へと潜り込んだ。
明日の朝7時か夕方5時に投稿予定。




