4-0-5.無名の伝説
「"蒼炎――噴華"」
だが、目の前にまで迫ってきていた豪速の飛焔竜が、突如として蒼炎に焼かれる。見れば、大地に魔法陣が出現し、巨大な火柱を天へと放出していた。
真下から直撃した飛焔竜は軌道を上へと逸らされ、フェミルの頭上を過ぎ去る。巨大な影が流れ、町に落ちるか否や、その蒼く燃え上がった身体は灰へと還されたように、光の粒子へと昇華された。
身を一回転させ、減速した身体を地面へ着けさせる。町をある程度見渡せる高台に、大杖を空へ向け、立てていた聖女の姿があった。天を泳ぐ蒼炎を杖の中へ、そして手中に収めた彼女の姿は蒼炎と化し、溶けるように消える。
同時、フェミルの正面に蒼炎が沸き立つように出現する。それが人の形へと為し、火の粉が尾を残したときにはそれはエリシアの姿と化していた。
「フェミル、ご無事ですか?」
「……」
こくり、とうなずく。
エリシアに遅れて現れた蒼炎から、神官の少女とメルストが出てきた。エリシアの転送魔法で後から連れてきてもらったようだ。そばに置かせた方が安全なのだろう。ただ、人知を超えた何かを見るような目で、ぽっかりと口を開けていたが。
「だいぶ倒せたみたいだな。もう一割もいないだろ」
むしろ、自分の出る幕がなかったというか。メルストは苦笑するが、戦いになれていない彼はそれで良しとしていた。本来の彼等の実力を間近で見た彼自身、想像以上、というのが素直な感想だろう。神官の少女には同情する。
「あれ、奇遇~! みんなここに揃った感じ?」
街角を曲がってきたルミアが、大きく手を振る。その背後から爆炎が横殴りで噴き出し、建物と共に焦げた巨獣鬼が地鳴りを鳴らして転倒する。
「……そう、みたい」とフェミル。
「それはそうと……できるだけ町は壊さないようにと申したのですが」
あちこちを見渡して、困った表情をするエリシア。対して輝いた笑みでグッドサインをルミアは突き出す。
「まぁ人が無事だけでもよかったし、結果オーライオーライ! ていうかバカ犬は? いやいなくてもいいんだけどね」
民家の壁が壊れ、舞い上がった砂埃の中からふらふらと瀕死のジェイクが出てくる。左腕が縦真っ二つに裂け、半身を失っているに等しいケロイド状の姿だが、自分と返り血でその爛れた肌は赤く染まり切っていた。
いち早く察したメルストは神官の少女の目を塞ぐ。「家も自分のお身体も壊さないでください」と胃が痛くなるような声でエリシアは目をつぶり、ただちに治癒魔法を唱えた。ジェイクの全身に蒼い火の粉がまとわりつく。
「聞こえてんぞ」
「べっつに陰口を言うつもりなんかなかったさね」
ふたりは犬猿の仲だ。ルミアの煽り口調に、ジェイクはこめかみに血の筋を浮かべる。
「猫畜生が。いちいちシャクにさわるんだよ」
「まさかそんな身体でやる気? いっつも負けてるのに、これじゃさらに負け確じゃない?」
「あのっ、ここでケンカは――」
落雷のような轟音が響き渡る。ここから見渡せる街並みの奥――都市郊外からひとつの大きな衝撃波が大地と端町を崩していた。
一斉に、ちらりとルミアに視線を送ったが、「いやあれあたしじゃないし!」と返される。
衝撃波の正体はまたも魔物。その数はたった一頭だが、体格が違いすぎた。これまでに見てきた巨獣鬼よりも遥かに巨大なのだ。
「そ、そんな……あんな巨大な魔物……」
勝てるわけがない。今度こそ終わった。
自棄になりかける神官に、メルストは丁寧な口調で説明した。
「あれらは自然発生じゃなくて、魔族の国から放たれた"人工養獣"です。種苗放流――栽培漁業と似たようなものだろうとは思います」
「……っ!? 魔物を増やしてることって、どうしてそのようなことを」
「危険度の高い、つまり強い魔物は非常に良好な素材が取れるほかに、戦力としても利用できるんです。そのため、扱いさえどうにかすれば便利な生き物には違いありません。だけど、その悪趣味な放流で被害が出ているのもまた事実です」
目の前の惨事寸前の状況が、まさにそれだ。
「いやぁ、ホントにぞんぞん湧いてくるね」とおもしろがって見上げるルミアは、いつでも戦う気満々のようだ。
「でも、だいぶ数は少なくなってきています」とエリシア。
「おい黒髪、テメェなんにもしてねぇだろ」
メルストはぎくりとする。「お、俺は戦闘タイプじゃないし。錬金術師だし」
その言い訳に反し、一同の目はあきれ果てたようにも見えた。
「いやメル君ほどの最終兵器はいないにゃ」
「メル……GO」
「すげぇ押し付け感」
「あの、無理はされなくても」
「いや、やります。やらせてください」
自ら名乗り出るように手を挙げる。しかし乗り気ではない様子なのは、自分がいなくてもなんとかなりそうにもかかわらず闘う羽目になったからか。その上、
(なんでいつもこう……俺が相手するの極端にデカすぎる怪獣ばかりなんだよ)
若干怖気づく。だが、その表情は一変する。
残り一割。100頭超、すべて飛焔竜。
巨獣鬼は新たに出現した100メートル級一頭のみ。
生存者は蒼炎に導かれ、まだ崩壊していない都市部に集められている。
制御はだいぶできるようになった。
大丈夫。なんとかなる。
「よし……全力でやってやる」と一呼吸。冷たい空気が粉雪と一緒に入ってくる。
「メルストさんはいつも通りで構いませんよ。その……本気出したら大変なことになりますし」
「節度は守るよ」
「いうてもメル君が一番容赦ないからね。頼むねホントに」
「どの口が言うか」
いちばん損害を与えた爆弾魔には言われたくない。
「――"退魔の炎・テイムフレイム"」
100メートルほどの巨獣鬼と都市の周囲に蒼炎が囲む。巨獣鬼は動きを止め、都市から離れるように移動を始める。
なるべく都市の被害を遠ざけるように。メルストの唯一の懸念点を払拭させた。
「これでメルストさんが戦いやすい状態になったかと思います。あとはお願いできますか?」
「うん。助かったよ、ありがとう」
「い、いえ、お役に立てたのなら嬉しいです……!」
この雪原でわずかに赤かった彼女の頬がさらに微熱を帯びる。この反応がいつも可愛くて癒されると思ったところで、
「魔国には悪いけど、魔物を育てるなら自分の国でやってくれ」
肩に積もった雪を払うことなく、白い袖を捲る。
「フゥゥ……ッ」
心臓が滾り、全血管が沸き立つ。はち切れそうな脈動を筋骨が制御するが、体内から吐き出される熱までは抑えきれず、周囲の雪を蒸気へと変えた。
全神経に稲妻の速さでプラズマが走り、捲った腕や顔の皮膚を突き破る。
「ッ、それじゃ――」
ボゥン! と横に突き出した腕から爆風が生じた。その筋張った腕から計り知れないエネルギーを感じさせるのは、その肌から突き破り、空を切る稲妻が誰の目から見ても視認できたからだろう。
「あれって、さっきの……」
神官の少女は、またも目にする珍妙な魔法に声をこぼす。
自分たちがこれまで学び、体験してきた魔法という奇跡の術とは明らかに常識を覆していた。詠唱文を唱えることがなければ、"龍脈"から一切魔力を取り込んだようにも見えない。だが、人の業ではないそれを魔法という以外なにがあろうか。
「見たことないでしょ。あれでも魔法の類じゃないんだって」
「えっ!? じゃあなんで」
ルミアの衝撃的な一言に少女は目を丸くする。
「わかりません。おそらく魔力でないのならば、私たちの認識内で知る、万物にもたらす力でもないかと思われます」
ですが。大賢者は続ける。
「"神の御業"……そう私は、信じております」
「神の、御業……?」
蒼炎の大賢者がここまで言うことに、神官は驚いていた。
彼は大賢者ではない。だが、六大賢者と並ぶもの、否、女神の力を授けている彼女ら以上の力を司っている。そう彼女は言いたいのだろう。
「まぁ今に見てて。ド派手に爽快な一瞬を体感することになるよ!」
神官に懐くように腕をつかんできたのはルミアだ。そんな彼女らに告げたのか否か、メルストは自分に言い聞かせるように宣言する。
「二発で終わらせる」
すべての細胞が熱を帯び、咆哮を上げるも、それを体内に封じ込めるように。彼は静かに一歩、前へと進んだ。
途端、視界はおびただしい数の巨大な魔物の群集で埋まる。町を見下ろせる高台から、一瞬で都市の外に空間移動した――と少なくとも彼はそう認識している。
決め技のように叫ぶ暇もなく、超高熱とプラズマを纏う腕は一頭の巨獣鬼の巌のような硬い腹部へ炸裂した。
神の御業、と称された唯一無二の力。それを自分なりにアレンジした成果はいつも通り凄まじく、目の前の巨大なオーグルは一片残さず弾け散り、昇華した。生じた熱量は都市の積もる氷雪を融かし、凍てつく大地に熱風を送る。
「――ッし!」
爆発的な熱を放出し、再び空間移動を繰り出す。次は都市上空のドラゴン群。この世界では最強種と伝承され、天変地異を司るらしい災厄生物を前に、逆さまに落下しながら手のひらを突き出す。
「次はもっとまともな生き物に……転生することを祈って」
白銀のプラズマが手や指から樹状に発射し――いわば、リヒテンベルグ図形を氷空に描き、雷の槍のようにすべての竜を貫く。共に放出した膨大な熱波と短波長は、火山地帯でもものともしない竜の分厚い甲皮を溶かし、ほぼ炭化させた。寒々しい空は吹き飛び、粉雪の代わりにドラゴンの炭がパラパラ降り注ぐ。
いょっと、と崩れていた民家の屋根上に着地し、人々の無事を見る。重篤の人はエリシアに高級魔法療養によって回復しているようだ。
思い切り目立つ位置に降りたメルストは、しまったな、と思う。唖然とした人々の戸惑いと理解できていない視線がこちらに刺さってくる。いつになっても、注目されることは慣れない。
ボゥッ、と何もない隣に蒼炎が噴き出し、エリシア達が現れる。それにまたも人々は驚くが、その内のひとりが勇気を振り絞ったような声で尋ねてきた。
「あ、あなたたちは……?」
せっかくの英雄っぽいシチュエーションだ。こっちも勇気を出してそれらしいセリフを言ってみようと、声が裏返らないことをメルストは祈りつつ言葉を放った。
「王国に慕える"アーシャ十字団"だ! この町を救いに来た」
「もう事態は収まりました。みなさんお怪我はありませんか?」
エリシアの安心させる声――否、言葉を聴き、大きな歓声が舞い込む。
「助かったんだな! 俺達、助かったんだな!」
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
「あの大群を前に、私たちはどうなるかと……っ」
次から次へと聞こえてくる感謝と感動の声。そして安心したような、敬うような表情。その喜んだ顔の数々に、嬉しくなる。
「アーシャ十字団……そういえばどこかで聞いたような」
「まさかあの数をあの人数だけで……?」
「すげぇ、とんでもねぇ強さだ! 人間とは思えないぜ!」
……。
人間じゃない、という言葉がいつも引っかかる。
彼――メルスト・ヘルメスはこの世界の人間じゃない。否、この身体はこの世界のものだからこそ、言語の読み書きなど、生活するにあたって困りはしなかった。中身は――彼自身は別世界から来た。
一度死んだのだ。ここよりも劇的に安全で、技術や文化、そして社会が発達した、人溢れる世界で命を落とした。
なぜ死んだのかはわからない。どうやって死んだのかもわからない。曖昧なのだ。だが、それを思い出そうとしたところで、前世に戻れるわけではない。今を生きるしか道はなかった。
ただ、そんな道も悪くはないと、周りを見て思う。
「ま、今回も大事なく解決できてよかったね、メル君!」
メルストの顔色を窺ったのか、観衆に手を振ることをやめ、元気づけようとしたルミア。しかし逆効果だったようで、メルストは瓦礫と化した都市を一瞥した。
「……もっぺん言ってみ?」
「町壊してすんまそん」
「チッ、うぜぇな。調子狂うんだよこーいうの」
「ヒトが……た、たくさん……」
大衆の面前になれていないのはメルストだけではない。人に嫌われたジェイクや人が苦手なフェミルも同様だった。
「みなさんこのようなことに慣れてませんものね。でも、多くの方々を助けることができて良かったです。みなさん、ご協力ありがとうございます!」
無垢な笑みで、大杖をその大きな胸の前に両手で握る。
メルストの事実を知るのは、自分のみ。傍にいるエリシアでさえも知らない事実だ。彼女に打ち明けても受け入れてくれるだろうが、混乱させてしまうことは免れられない。その上、彼女はこの国の王の娘にして大司教をも務める六大賢者の一柱。国政との関わりを潤滑にするためにも、言わない方が賢明だろうと彼は思っていた。
メルストは微笑み返し、澄み切った温暖な空を仰ぐ。果てが見えない地平線の先から日が昇ろうとしていた。
そういえば、あの日の夜明けも……こんな感じで蒼かったっけ。
エリシアと出会ったのも、その日だったか。
彼女を助けたことをきっかけに、この奇異な一団と出会い、彼は今、ここにいる。
「ま、それが俺たちの仕事だからな」
彼等は冒険者ギルド所属のパーティでもなければ騎士団でもない。
アーシャ十字団。アコード王国の国王直属にして、独立した特殊な組織。奇異の曲者共が揃う、最後の砦――いわば神の名と十字架を背負う、王国の最終兵器である。
4-0完結。
《次回》
フェミル「メル……結婚とかしないの?」
メルスト「……珍しく話しかけてくれたと思ったら急なこと訊いてきたな」
フェミル「そういう年頃、だから?」
メルスト「まぁ、それも言えてるけど。いや言えてるのか?」
フェミル「……で?」
メルスト「んーどうだろうな……今まで深く考えたこともなかったし、仮に誰かと付き合ったり、それこそ結婚するとなると、今の生活がガラリと変わるだろうな。でも今の生活好きだから、そうだな、一生を共に過ごすなら、趣味とか受け入れてくれて、この自分の好きな空気とか……雰囲気? みたいなの共有できる相手だったらとは思うけど」
フェミル「……メルらしい」
メルスト「そういうフェミルは? 結婚とかに興味あるの?」
フェミル「私も……そういうのあんまり、わからない。好きって何なのかも……よくわからない。許嫁でよくわからない人と暮らすのは嫌……」
メルスト「まぁ人見知りだしね」
フェミル「結婚して家庭持ってる人……ありふれてるけど、相性のいい人って……案外いない」
メルスト「そういうもんだ」
フェミル「おなかすいたね」
メルスト「そうだな」
フェミル「……今日は何、食べたい?」
メルスト「んー、じゃあミートパイで。ドラゴンの肉がゴロゴロ入ってるやつ」
フェミル「ん……わかった」
ルミア「なんだろ、あのふたりの謎な夫婦感」
次回『竜王殺しのアレックス』
《用語》
・巨獣鬼
オーグルと称される、危険極まりない魔物。人工的に手を加えられ改良されており、食糧や産業材料、大規模な労働力、軍事力など多様な目的にて利用される。
その容姿は多種多様で、鬼と何かしらの獣、あるいは竜が混じった個体が多く、中には知能に特化した個体も確認されている。翼やエラを持たない陸上型であることが共通点だが、棲む環境によって適応・変化しやすい性質を持ち、また生命力・繁殖力も天然魔物のそれより高い。本来、国外に逃げるような事態は魔国側で対策されていたが、今回の一件についての脱走および突然の出現については不明のままである。
・飛焔竜
ドラゴンの一種だが、典型的かつ一般的な竜の総称。今回は魔国ことオルク帝國が大規模放牧していた魔物の一部が国外へ脱走した量産型。
巨獣鬼と同様、魔国に利用される家畜として繁殖されている。共通としてセ氏2000度を超える炎と熱毒液を吐き、空を飛ぶ特徴を持つ。腕が発達している等、身体の一部が特化し、肉体構造が後天的に変化するといった、巨獣鬼と同様、一個体それぞれ環境で変化しやすくなっている。




