3-8-3.先生の先生
授業の途中だったためか、メルストの受けた聴講時間は三分の一刻(20分)程度。科学を好む彼にとって異世界の独自の学問は深みに入るほど常識を逸しており、理解に苦しむ。しかしそれでも受け入れるよう努力した(まずエリシアの教え方もあって理解に苦しんだのもあるが)。
立体投影のように、空に刻まれた文字が一斉に消える。数少ない聴講者も帰ったところで、帰り支度をするエリシアと、教室の掃除を手伝うメルストのみが残った。
「ど、どうでした……? かなり緊張しちゃいましたけど」
もじもじとしながら、目を流す。さきほどまでの先生らしい凛々しさはどこへやら。メルストは安心させるように笑った。
「別に審査員じゃないんだから、俺が来たぐらいで強張らなくてもいいのに。そうだな、まだ授業一回分未満しか聴いてない俺が言うのも何だけど」
「い、いえ! アドバイスや改善点なら大歓迎です!」
羊皮紙を取り出し、メモの態勢。読書用メガネ越しの熱い視線に、気軽に言うつもりがたじろいでしまう。
「もうすこし簡単な内容にしてみたらいいかも。専門的なこと話しても莫大に説明するんじゃ、肝心の教えたいことが聞き手の頭にうまく入ってこない。ひとつのことをもう一歩掘り下げて、分かりやすい例えを用いる方法もあるよ」
「な、なるほど……!」
「あと、相手の反応次第だけど、自分だけ一方的に話してたり、一言二言で簡潔に言える内容を何から何まで丁寧に長く話していると、聞き手がついてこれない事も多いんだ。だから、問いかけして答えさせるとか、まず言いたいことやこれから教えることを一行の文章程度の情報量に縮めてから、要点と注意点をまとめればいいかな」
「た、確かに……」
「聞き手はぜんぶ聴くことはできないし、印象に残る部分を強調して冒頭と最後に伝えるとなお良し! って感じで個人的に思う」
「はい……」
「でも、少ない人数でもその人たちのために手を尽くしてるってのは伝わった! 話し方も丁寧で聞き取りやすくてもはや楽器の演奏レベル並に眠たく……なんでもない、表情やアイコンタクトもよくできてたし……ってなんかホントに半端な審査員みたいな評価しちゃってるな」
頭をかき、申し訳なさそうに苦笑する。
「いえ! ここまでたくさんのご評価をいただいたのは初めてです! あの短時間でそこまで考えてくださってるとは……!」
感動の連続で震えている。彼女のもつ羊皮紙にはびっしりと文字が詰められている。
ここまで他の十字団はエリシアの教え方に触れなかったのか、とメルストは疑問を抱く。お節介なルミアあたりなら手取り足取り教えると思ってはいたが、畑違いの分野だからだろうか。
「参考になったならよかった。あっ、あと、釈迦に説法……ああいや、こんなこと言えた立場じゃないけど、町の人の生活に役立てるようなことを教えてみたら? 学問から勉強……いや、学習レベルにかみ砕いてさ、子どもたちでもなじめるように魔法と触れあえること。やってみたらおもしろいと思うけど、どうかな」
「触れ合う、ですか?」とメルストに目を向ける。
「子どもでも興味をもって、それでいて楽しく理解できるような。そう、せっかくの魔法なんだから魔法を使って体験的に見せたりとか!」
「そうですね、でも……」
いつもは素直だが、少しためらっている様子にメルストはすぐ察しが付く。ほうきで集めた塵を触って"物質分解"しつつ、微笑みかける。
「今まで来てた人たちのことが気がかり?」
的中だった。そうですね、と小さく笑い、エリシアは頷く。
「専門的な授業も用意すればいいよ。で、それはやっぱりお金を払わせた方が良いと思う」
今度は小さく驚く。メルストの予想外な発言に、
「えっ? そんな、ただでさえ町を歩くだけでこんなにいいものをいただいてるのに、さらにお金を取るだなんて」
「こどもたち専用の授業は格安か無料でいいよ」と補足する。
「でも、せっかくエリシアさんがお金と時間と労力をかけて、努力とを続けて得た専門魔法学なんだから、それを提供するならそれに相応する対価が成立してないと」
「対価、ですか」
「今日教えていたことも、本当は貴族でもない限り払えないぐらいの情報量だろうし、それを無料でやってたら、そんな程度の価値だとか、いつでも聴けるものだとか思って、寝てしまう人やただ来てるだけの人とかが続出して、ついには来なくなる。それって、エリシアさん自身に対して失礼だと思うな」
ぴくん、となにかが心に触れたようだ。
空いていた口が閉じる。考えるというよりは反省した目。そんな目に、やさしくいってたはずのメルストも自分の発言に出過ぎたことがなかったかもう一度反芻する。
エリシアのみの活動がすべて無償で報酬も不要にしていたことは、これに留まらない。しかしこれらがなにもすべて悪いわけではない。現にいろいろな人から物をもらっている光景を目にしたとしても、メルストは、このままじゃエリシアが損をしてばかりなのはかわいそうだった。
そう過ったからこそ、もう一言、付け加えた。
「人のためを思うなら、まず自分のことも考えないとね。今よりもいい教室にしたいなら俺たちも協力するよ。な、ルミア!」
窓を勢いよく開け、外から覗きこんでいたルミアに大きく声をかける。その声で隣にいたフェミルはハッと目を覚ました。当然、ふたりの存在も今知ったエリシアは驚く。
「えっ、皆様もいらしてたのですか!?」
「フッ……バレてしまってはしょうがない」
颯爽と窓を飛び越え、片手で豪快に探偵服を脱ぎ捨てる。何をどうしたらローブを剥ぎ取るように上下分かつ服一式を一気に取っ払い、かつその下にいつも通りの機工師の容姿をまとっているのかメルストには不可解であったが、あまりにも華麗な脱ぎ捌きを前にこの際なにもツッコミをいれなかった。心なしかうまくいったようでしたり顔だ。
髪をかき、仕方ないにゃあ、とまんざらでもない顔でルミアは咽を鳴らす。「エリちゃん先生はあたしのズッ友だしね」と笑って。
*
7度ほど太陽が昇り沈みを繰り返した頃。一応だが教職を受けていたメルストの特訓によって鍛えられたエリシアの成果は良好といったところで、その日から子どもたちを中心に簡単な魔法教室を行うようになった。これまで使っていた教会の隣では魔導師用の専門講義を開き、それ以外は町の広場にある大きな樹の下で行う、というシステムを作る。
その大賢者の青空教室はさまざまな魔法に触れあえるといった、子どもたち向けであり、徐々にその生徒はひとりふたりと増えていった。メルストもこれには意外で、エリシアの吸収の良さに脱帽するばかりである。
いつしか町の人たちも集まるようになり、いつも後ろの方で見守っていたメルストが入り込めないほど。場所も内容も、何より子どもたちの反応も良かったためだろう。未だ大賢者に対して恐れ多いと遠慮していた人も、メルストやルミアの誘いで参加するようになっていった。
青空教室を終えた後。ちょっとした人混みもなくなり、エリシアが帰ろうとしたときに、メルストは駆けつけた。それに気づいたエリシアはすぐに大きく頭を下げた。
「ありがとうございます! メルストさんのおかげで来てくれる方々が増えてきていて、しかも好評でして――」
「ああいや、俺はアドバイスとちょっと手伝っただけ。あとはエリシアさんの工夫と実力だよ」
「いえいえそんなことは」「いやいやそんなことは」とお互い謙遜し合う。ヘンなところで似ている二人だ。
帰り道、ふたりで歩く機会も多くなり、メルストはこのひとときが幸せだった。同時に、仕事してないという罪悪感ももれなくついてきている。
「気になってたことがあるんだけど、王国大学の教授にはならなかったんだな。教えることは……まぁともかくとして、そこって十分に魔法研究ができる施設だろ?」
アコード王国の最高学府の中でもトップクラスであるウィルキンス王国大学。"王国神殿府"と"叡智の都"と同格の知能を有し、国の最高学力候補生がそこに入学する。かくいうエリシアも、大賢者として選ばれるまでは、薬師メディと共に、そのトップレベルのアカデミーに通っていた。
大賢者ならば、そこで教授は勿論、学長になってもおかしくない権限を持っているはずだ。現に、それだけの才能と学識がある。
「ええ……そうですよね。そちらの道もあったのですけれど」
浮かない表情に、さらに気になる。あまり触れてほしくないことは確かのようだ。
(なんか訳でもあるのか?)
本当にわかりやすい人だと、メルストは一息吸って、話題を変える。
「にしても、まさか世話焼きなルミアが今までエリシアさんの教室に協力してなかった理由って、教えるのが壊滅的にヘタだとは思いもしなかった」
お節介を火炎放射器で焼くようなルミアだが、そんな彼女にも勉学的な弱点はあったようだ。天才と言えど、自分にしか理解できない受け止め方をしている彼女には、教えて解らせることは至難らしい。
エリシアの教え方も、ルミアの直感的で抽象的なアドバイス(ともいえない)を間に受けて、自分なりに解釈して徐々に派生していった代物であると、特訓の際ロダンから耳にした。
つまりはルミアが原因じゃねーか。そのときのメルストは苦笑し、乾いたため息を吐いていた。
「力技も素晴らしいですよ。習うより慣れよとルミアの言っていたこともやっと身に沁みました」
そんないいことを言っているのにどうして。ルミアの身体で表現する教え方と、エリシアの鈍感さでいろいろこじれてしまったに違いない。
「それはよかったね」と棒読み気味。
「メルストさんがここに来る前から始めていたことなのですが、一回目はたくさんの方々がお越しに来てくださっていたのです。でも、徐々に減っていってしまって」
だろうな、と失礼な一言を思う。
「でも、誰もいないわたしの教室に、最初から最後までいてくださったのがルミアだったんです」
「……そうなの?」
真っ先に飽きそうだと思ってはいたが、意外だ。
「ええ、私とロダンさんがこの町に訪れてから二月ほどでしょうか。今にも降り出しそうな雨の日の午後でした。大雨になりそうでしたし、なにより誰もいないから帰ろうとしたときに、気軽にお声をかけてくださったのです」
懐かしむように、そして嬉しそうに目を潤す。エリシアの教材の入った荷物を持ち直したメルストは、
「それって、エリシアさんとルミアが初めて会った……」
「はい、このときに、私とルミアは"友達"になったのです!」




