3-8-4.憂鬱な雨の日、晴れ渡るような出会いをした。
※
曰く、当時のエリシアはその日も万全を期して教室に臨んだが、今回も聴講者の一人もいなかった。誰もいない教室を見たのはこれで5度目。その前は人がいたがひとりかふたり。少し待っても誰も来る気配はなく、それもそのはず、天候が悪くなりかけていた。
自身の天術占いで真夜中まで続く大雨になることは分かっていた。今日はさすがに誰も来ない。そう思って、教卓の上に出した本を片付けたときだ。
「あれっ、もしかしてもう終わっちゃった!?」
「えっ?」
まるで何かから追われてきたように息を切らしながら、金髪を一つ結った少女はそこに入ってきた。
華奢で小柄だが、幼いというには肯定とも否定ともいえず、少しばかり女性らしい体つきも独特な服の上からよくわかった。独特、というのも服装がこの町と異なっていたからだ。
頭の大きなゴーグルに脚や胸元が露出された技術者的な服装だが、アンティーク調の色合いに冒険者を匂わせる革アクセサリーや細かい小物、いくつものベルトを巻き、身に着けている。全体としてくたびれた――否、ユーモアを漂わせるヴィクトリアンさを感じさせた。
「おっかしいな、看板にはちゃんと3刻目の教会の鐘が鳴るまでって書いてあったのに。まさか時間変更だったり?」
チクタクと指と首と身体を振りながら、小さな教室の中へとコツコツ足音を打ち鳴らしては入る。
「い、いえ、誰も来ないと思ったので、帰ろうと……」
「あっ、じゃーあたしギリギリセーフだったんだね! いぇーいラッキー!」
バンザイのポーズで跳びあがり、ドカッとそのまま席に座った。チャリン、ジャラ、ガシャン、とさまざまな金属の音が彼女から聞こえてくる。
「え、もしかして……わたしの授業を聴きに?」
「それ以外何があるのよさ」
半信半疑で問いかけるエリシアだが、ばっさりとルミアは返す。
「雨宿りとか……」
途端、ルミアは大きく笑った。それの何がおかしいのか、ポカンとしてしまう。
「あっはっはっは! それもあったね、考えてなかったよ」
「そ、そうですか」
エリシアのゆったりとした返答に合わせることなく、忙しなく彼女は机ごと教卓の正面にまでガダンと移動させる。机を前に傾けるほどの前のめりになって、澄んだ紫色の瞳を輝かせた。
「じゃ、さっそくあたしに聴かせて! 先生が今まで学んできたこと!」
今までに類を見ない人間だった。見た目も、話し方も、性格も、王族育ちから卒業して間もないエリシアにとっては新鮮かつ斬新の連続だった。
誰もが敬意を払い、頭を下げるばかりで自分に顔を見せようとしない。許可を与えても、畏まるばかり。仮に王女でなかったとしても大賢者というだけで恐れ多いことに、エリシアはさびしさを覚えていた。
私はこの対応が申し訳なかったから、王都を出たようなものだというのに。そう極度の身分を感じてしまうこの差が、とても自分に合わなかったのだ。
しかし、この少女だけは違う。初対面で、その上看板には大賢者のことも書いてあるにもかかわらず、まるで友達みたいに――憧れていた友好的対応をしてくれる人間が現れたのだ。
結局、ひさしぶりに教えた、というよりは驚きの連続で、何をどのように教えていたかは覚えていない。しかし、全力でやった実感はあった。それが空回りしていなければと、心配した時にルミアはさらに明るくなった笑顔で拍手をしてくれた。
最初から最後まで、彼女は眠ることも、退屈そうになることもなく、ずっと熱心に聞いてくれていた。それも、エリシアにとってははじめてのこと。
「すごいすごーい! けどぜんっぜんわかんなーい!」
しかし思うような理想とは少しばかり遠かったようだ。ガクッと肩が抜け落ちる。
「えぇ!? そ、そそ、そうですかぁ……」と落胆した。理解される日は遠い。
「でも、魔法が相当できるすごい人ってのはよくわかったよ!」
嫌味でも皮肉でもない。もっとも、そのような言葉に勘付くエリシアでもないが、心から感じたあたたかみある言葉に、思わず目がジク、と変に感じる。
「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉し――えっ」
急にルミアは顔を近づけてきた。ぐいっと、キスせんばかりの距離に驚いたエリシアは後ろに大きく下がった。
「ん~」と魚の鮮度を見極める漁師の目だ。
「ええっ、な、なんですか?」
「うんうん、見れば見るほどきれいだね先生って。かわいいし、完全無欠の絶世美女!」
まさか美少女ともいえる彼女から言われると思わなかっただろう。直球でかわいいと言われたこともなかったエリシアはどう反応していいかわからず、
「そ、そこまで強く言われると恥ずかしいです……」
「照れてるとこもかわいーっ!」と教卓を回り、横から抱きついた。
「うわっ、え、ちょ、その」と戸惑うあまり思考が停止しかける。「あっ、いい香り~こりゃあ男もイチコロさね」と容赦ない褒め殺しの連続。
「ねぇねぇ、先生の名前は? あたしはルミア・ハードック! ルミアって呼んでね!」
「は、はい、ルミアさん」
「ル・ミ・ア! さん付けはいらないよっ」
「ご、ごめんなさい、る、ルミア……」
「にひひー、あやまることもないのに。あたしなんにも嫌な気持になってないよ」
「え、あ、ごめんなさ――むぷっ」
人差し指を唇に当てられ、口を閉ざされる。一旦抱きしめるのをやめたルミアはエリシアのやわらかい唇から指を離す。ニッと含み笑ってはウインクし、自分の唇にその指を当てた。
「謝るノンノン、あたしはごめんねよりも、ありがとって言われたいな」
「……は、はい。ありがとう、ございます」
「……ふふ、あっはは、あたしなんか褒められるようなことしたっけ?」とからかう。
「えっ!? え、あ、そのっ」
「なーんて冗談。ここまで素直な人も初めてだなー」とケタケタ笑う。「それで、名前はなんていうの?」
「えっと、エリシアと申します」
「おおー! じゃあエリちゃん先生だ!」
とっさに決まったあだ名。「エ、エリちゃん?」と思考が追いついていないエリシアに構わず、ルミアは強く両手を握った。その嬉しそうな微笑みにエリシアも頬が緩みそうになる。
「これであたしたち、ともだちだね!」
その日は、多くの人が憂鬱になる程の暗い天気だった。
大雨が降った日とは思えないほどの彼女の明るさに、エリシアは目の前に太陽が現れたのかと思ってしまっていた。見たこともない変わった人と接した時の衝撃は、彼女の読んでいた本よりも凄まじいものだった。エリシアにはないものも、まったく違う価値観も、すべて持っていた。
彼女との出会いが、曇りかけた自分を晴れさせてくれたのだ。
※
そんなエリシアの話に、ただうなずくメルストは、すとんとなにかが落ちたように納得した。前から気になっていた王族のエリシアと平民であるルミアとの出会いが、こうして判明したのだから。しかしそのときのルミアは犯罪者だったはずだ。当時は脱獄中だったのか、どういった経緯で今に至るのかはメルストには想像つかなかった。もっとも、最初からエリシアに訊けばよい話でもあるが、そこまで気になることでもなかったのだろう。ジェイクのように、過去の詮索を嫌うかもしれない。
つまり、とメルストは頭の中でまとめる。故郷から旅立ったルミアはアコードに入国し、たまたま立ち寄ったルマーノの町でエリシアに会ったと仮定した。
(そんときも相変わらずのハイテンションっぷりがまぁなんとも……でもエリシアさんが話してる分、若干ルミアが美化されてる気もしないでもないような。悪い奴でないのは確かだけどそんないい奴だったか?)
と口にしてエリシアの気分を害するわけにもいかない。最も、気分を害する感情など欠落しているに等しい心優しい彼女なら、どんなことを言っても許してくれそうだが。
「じゃあエリシアさんにとってルミアも恩人なんだね」
「はい! メルストさんは命の恩人ですし、私の周りにはたくさん恩人がいます。御恩を返すためにも、これから頑張らないとですね」
グッと両手をガッツポーズして張り切る。町角を曲がり、見慣れた街路へ。ここをまっすぐ行けばいつものバルクの酒場に、そして小さな石橋を渡れば我が家だ。
「教え方も俺より上手くなったし、もう十分って感じだけどね」
「メルストさんは先生になれますよ。私よりも教えるのが上手で、私たちの知らないことを何でも知っていますし」
「そ、それはありがとう」と照れ、「でも、俺はみんなの前に出るのは得意じゃないんだ。もちろん人並みに注目されたりするのは悪い気はしないけど、裏側で支えている方が向いてるというか、前に出るのは柄じゃないし」
しれっと遠慮する。どうしてか得意ではないことを得意げに言うのも、裏方こそが自分に似合っていると、大袈裟に言えば誇らしく思っていることもあるだろう。
「そうですか……でも、私に教えている時のメルストさん、とても楽しそうでした」
うそだ。思わず首が動き、エリシアを見る。
「目が輝いていて、活き活きしてて、こどものように純粋無垢で……はっ、すみません! その、メルストさんが子どもらしいとかそういう意味ではなくて――」
失言したと思っているのか、慌てて訂正しようとする。
「……でも、メルストさんほど先生として前に立つべき人は他にいないと思います。わ、わたしの主観に過ぎないですけど」
消えかかっていた前世の記憶が、色濃くなっていく気がした。
架空の物語に憧れ、現実に退屈していようと、その現実を楽しいものにして生きていくという意志はあった。そのひとつが、教師への道。しかし才能の差か努力の差か、それとも意志の弱さだったのか、その道が続くことはなかった。
向いていないと言われ、最初は強がるように否定しつつも、徐々にそれが本当だと自覚していく。結局、やっぱり自分には合っていなかったと割り切っていたと同時、どこか挫折していた自分を受け入れたくなかった。
あまり思い出したくないことを思い出してしまった。「あー」と叫びたくなる気持ちを一声だけで抑え、隣のエリシアでも気づかない、小さな吐息をこぼす。
「意地でも目指してりゃ……そういう道もあったかもな」
「……? 道がどうかしましたか?」
「いや、なんでも。ありがとな、その……まぁ、俺も暇とはいえないけど暇してるし、楽しいってのは同感だし、先生の仕事も考えてみるよ」
「っ、本当ですか!?」
「これからも人がたくさんきて大変そうになったらね」と冗談をほのめかす。
「はい、がんばります……!」
健気な彼女に微笑ましく思う。人気が出るのはいいことだが、少し寂しい気もしていた。
「けど、俺も前の方でエリシアさんの授業に出たいな。魔法学はまだちょっと俺には難しかったけど、エリシアさんの話って、ずっと聴いていたくなるし」
笑顔をこぼしたまま、彼女の表情が固まる。頭の中で今の言葉が繰り返しリピートされ、木霊のように響いていく。
ただ褒めるつもりで言ったメルストは、そんな様子もつゆ知らず道を曲がる。
「じゃ、今日の買い物担当俺だし、エリシアさんは家でゆっくり休んでて」
と荷物を持ったまま商店街へ向かおうとしたとき、
「あ、えっと……わたしも」
力なくエリシアは言う。踵を返し、
「いっしょにいく?」
「あ……は、はい、ずっと、ついていきます……」
「ずっと?」
「あっ、いえ! なんでもないです!」
「あ、ああ……?」
ぎこちないエリシアの小さな声に、いきなりどうしたんだろと心配しかける。しかし、メルストにとってこれが初めてではない。
(会話してるとたまに言葉が変になるんだよな……)
言動も表情も変、というよりは一層女性らしい挙動になるとでもいえよう。そこでハッとする。
(いや、変じゃない、意味合い考えたらつまりはそういうことで整合性も割と合ってる気が……いやいやいやいやさすがにそれはない! でもなんか様子変だし、いやダメだ、こういう淡い期待をして裏切られたことが生前に何度あった! 学習しろ俺!)
またも前世の思い出したくない戒めの記憶を掘り起こした彼は、心の中で悶絶する。
その傍らで、同じように悶絶している人がひとり。
(ああああ~っ、せっかく褒めてくださったのに私、メルストさんに何を出過ぎたことを言っちゃってるんですか! ずっとついていきますって思わず口に……メルストさんの表情が冷たくなってるようにもみえますし、絶対迷惑だと思ってますよね……。あの最初の夜も拒絶されましたのに……き、気まずいです~っ)
お互い冷静なふるまいをしているのだろうが、周りから見れば心情がもろに分かるほどの挙動不審さ。そこに触れてあげないのが、町人達のせめてもの優しさだった。
一方、ルマーノの町に帰ってきていたジェイクは、軽装のアーマーを着たひとりの女性冒険者と歩いていた。どういう経緯だろうと、顔と身体の良い女性ならばすぐに手を出し、一日で手の内にできるジェイクにすれば、今日のナンパ回数はまだ少ない方だ。
「ジェイク様~っ、今日も泊っていかないの?」
ブラウン色のミドルヘアを揺らし、ジェイクの腕に抱き着いている。やさしく離したジェイクは、
「わりぃな、今日は十字団の仕事があるんだ。夜はさびしいと思うけど我慢してくれ」
本当に身も心もさびしそうな彼女に、ジェイクは笑みを向ける。
「おまえのためにも稼いでくるからよ。なんなら今度、欲しいもんあったら買うぜ。そんときに慰めてやっから」
語り掛ける口は吐息の様。すると、彼女の表情は明るくなり、
「ホ、ホントに!?」
「ったりめぇだ、おまえとの約束は絶対に破らねぇ」
「うれしい! ジェイク様大好き~!」
「ハッ、大袈裟だな」
ぎゅっと抱き着く女冒険者に、呆れて笑う。見せつけているようにしているのがまた質が悪い。
カップルの様にみせた暗黙の了解に等しい交渉は成立し、別れたジェイクはひとりとなる。
「さーて、ギルドの新人はこれで3人堕として……ん?」
ちょっとした食材と酒を買おうと商店街に寄ったジェイク。そのときたまたまメルストとエリシアが挙動不審で並んで歩く姿を見かけた。距離が縮まったと思ったらすぐ遠ざかって、会話もしているようには見えず、ひとりで語るように互いが悶々と葛藤しているようにもみえる。
なんにしろ、ジェイクにはふたりの思っていることが丸わかりだった。
「……あいつらほんっと、鈍感にもほどがあんだろ」
最早声をかけるどころか、目も当てられない。もどかしいあまり、苛立ちを越えて呆れてしまっていた。
だが、いつあの天然記念物コンビが結ばれるか否か。それを賭け勝負として、帰ったらキチ猫に話を持ち掛けよう。そうジェイクはまたひとつろくでもない賭け事を増やし、何も買わずに十字団の拠点へと足を運んでいった。
次回
ルミア「ねーえー、なんでメル君も爆発の魅力に気づいてくれないの?」
メルスト「俺はその爆発や火災を起こしちゃダメって教わってきてんの」
ルミア「あのねメル君、爆発失くして人類の発展はなかったんだよ。火こそ繁栄をもたらしたってね」
メルスト「それはわかるけど、どっちかというと俺はその火を出さない対策を考える派なんで」
ルミア「じゃあなんでも燃やすあたしの爆発力と、メル君のどんな爆発にも耐えられる素材を作れる開発力。どっちが強いか勝負だね! まさに熱い戦いだよ!」
メルスト「なんのホコタテを体現しようとしてんの」
ルミア「あ、会場は町でイイよね」
メルスト「ダメに決まってんだろ火の海にする気か!」




