3-7-1.鍛冶屋ダグラスの二度目の依頼
あけましておめでとうございます。
今年も連載を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
日が昇るにつれ、肌寒い風にも温もりが含みはじめる。
職業上、朝早くから働く人はこの町では多く、いつもはにぎやかなのだが、今日はどことなく静かだ。そんなさびしさをなだめるような、か細くも身に響く歌声がひとつ、どこからか聞こえてくる。教会からだ。
ステンドグラスが暁の光によって、人敷き詰める礼拝堂に神秘的な彩りが注がれる。誰もが祈祷し、ただ一点――神像の前にて祈りを捧げる女神の使徒――大賢者へと注目されていた。神聖な空間に響くやさしい歌声は、その大賢者「エリシア・クレイシス」によるもの。彼女の祈り、唄う様は一枚の絵にもなろう。さぞかし天上の神も喜んでいるに違いない。
本当にきれいな人だ。
メルスト・ヘルメスも礼拝者の一人としてアコード教の双神に感謝を念じつつ、エリシアの司教姿に見惚れていた。美しいのはいつも通りだが、今の彼女は偶像的ともいえる。まさに聖母といったところで、とても同じ人間とは思えない。女神の眷属としてこの地に降臨したと言われれば信じてしまうだろう。
エリシアは「蒼炎の大賢者」として、アコード中の教会に出回っている。自分の意志で始めたことだ。
早朝の礼拝をはじめ、日中や夜間にふらりといなくなっては、都市や村関係なく足を運んでいる。超大国の中でそれができるのも、大賢者や大魔法使いのみが使える大転移魔法が使えてこそだろう。
四半期にすべての教会を一度巡回するよう努力しているが、必ず週に一度は王都と神殿府のある宗教都市の大聖堂、そしてルマーノの町の小さな教会で礼拝を行っている。今日がその日だ。
朝の礼拝が終わり、町の大多数の人々が教会からぞろぞろと出ていく。礼拝堂にただひとり残ったメルストに気づき、エリシアは半ば驚き、照れつつも嬉しそうな顔をした。それにまた、彼の心がときめくのを覚えた。
町の中央に位置しているため、十字団の拠点からはそれなりに距離がある。馬型魔物の牽引車に乗っても良いほどだが、ふたりはあえて木骨組みの町を並んで歩いていた。側の運河沿いや家々の窓辺、橋の欄干までもが、垂れさがるようなアイビー・ゼラニウムをはじめとした、色鮮やかな美しい花々で飾られている。
「メルストさんも来ていらしたのですね」
「そりゃあ、この町の決まりだしね。神様にはちゃんと感謝しないと」
そういや、最初に出会った神様はどうなったんだろう。メルストはふと思い出す。
偶然この世界に転生し、その着地点は神様が使うはずだった囚人の死体。それを神様なりにデザインしたおかげで、この世界で生き抜くにはあくびが出るほどの力を身に着けたのだ。仕方ないと言わんばかりに、老いた神様はこの身体で生きることを許してくれた。
(今頃、何してんだろうな)
ちゃんと他の肉体でこの世界に降り立つことができたのか。ちゃんと飲みたかったお酒を堪能することができているのか、なんてことを考えていると、エリシアが話しかけていたことに気が付く。
「そういえばメルストさんが錬金術師の職業認定証取得試験を受けてから1週間ほど経ちますね。結果の通達は着ましたか?」
ぴたり、と彼の歩みが止まる。二歩先へ進んで気づいたエリシアは振り返った。
「メルストさん?」
俯き、黙り込む様子に、もしや、と思う彼女だったが、
「それがなんと……受かりました!」
両腕を上げ、満面の笑みを彼は見せた。途端、彼女もひどく喜んだ。
「っ、本当ですか!? やっ……たーっ! やりましたねメルストさんっ!」
歓喜をため込み、ぴょんと跳んではバンザイする彼女に、見かけた周囲の町人らはびっくりする。それに構わず、メルストの手を取り、両手で包むようにぎゅっと握っては顔を近づけた。その紅の瞳が爛々と輝いていており、彼の心臓は跳ね上がるばかりだ。
「今日は盛大にお祝いですね! おめでとうございます、メルストさん!」
「あっはは、大袈裟だって。そこまで難易度の高い試験じゃないんだしさ。でも一発で合格できたのはエリシアさんのおかげだよ、ありがとう」
「とんでもないです、過去の試験情報と詳しい方のお話をもとに私は茶々を入れたにすぎません。メルストさんの頑張りがあってこそです。だってお忙しいにもかかわらず、その上ルミアとの訓練だって続けていてお疲れでしょうに、朝も夜も頑張ってらしたもん! 本っ当にすごいです! はなまるです!」
「褒めすぎだって」といいながらまんざらでもない様子。親ばかな母親みたいな彼女の一面に、つい吹き出すように笑ってしまう。それを見て、ようやく自分が舞い上がっていたことに気づき、照れくさそうにころころと笑った。
「それでは、今日はいっぱい買いましょう! あ、王都でお買い物もいいかもしれませんね」
「そこまでしなくても大丈夫だよ、ルマーノの商店街の方が手軽に買えるし。それに最近セルニックやタルトを作っているお店ができたってルミア言ってたから、それ食べてみよっか」
浮足立つ様子で、ふたりは一層にぎやかな街並みへと足を運ぶ。行き交う人々と大きな声、店頭に並ぶ食材や本、小物、そして道具。なだらかな石畳みの坂に並ぶ店を一度眺める。
「商店街に行きますと、ついついいろんなもの買いたくなっちゃいますよね」
そう周囲のにぎやかさにエリシアは目を向ける。
「そうだな、俺も出かけるたびになんとなく寄っちゃって、ちょっとしたもの買っちゃうんだよな」
「あっ、メルストさんもなんですね。よかったです、私だけじゃなくて」
安心した息と、照れくさそうな笑みに未だ慣れず、どきりとする。
礼拝堂で誰もが敬い、拝んでいた大賢者が、今自分の隣で微笑んでくれている。そう思うだけでも、夢のようだとメルストは改めて意識してしまう。
顔が赤くなっていないか確かめたい。もう一度、エリシアを見る。
(あれ、なんとなく耳が赤い? まさか俺のこと……なわけないよな。朝の祈祷を身近な人に見られた上にさっきの舞い上がりで恥ずかしがってるだけだなこれ)
すれ違うたび、挨拶してくれる町人に彼女は返事をしていた。そのとき、ちらっと目が合った。サッとお互い目を背ける。
「あっ、これ、き、きれいなガラスですねー」
わかりやすいほどに紛らわしたエリシアはちょうどガラス細工店に並べられた商品に目を向ける。
モザイク模様のキャンドルホルダーや色の付いたコップ、ちいさなガラス人形など、カラフルな日常用品や置物が並べられている。商品名の書かれたプレートを一瞥した。クリスタルガラスというものだ。
("結晶硝子"ねぇ……非晶質は結晶じゃなくて、冷却された溶融無機物なんだけど、まぁ細かいことはいいか)
マーケティングに事細かくサイエンスを挟んではいけないと知っているメルストは何も言わない。展示された水晶のようなかがやきを放つ鉛ガラスを感心しつつ見ている。
「へぇ、こんな綺麗になるんだ」
「ガラスっていろんな色があるのが不思議ですよね。この薄い青色もきれいですけど、何かと混ぜてるのでしょうか」
「その色は、マンガンより鉄が多く入ってるし……還元雰囲気で作ったモノかな」
「メルストさん分かるのですか?」
「それなりには」
「すごいです! 本当にメルストさんってなんでもご存知なのですね」
あなたが言う事ですか、と言いたくもなるが、悪い気はしない。そんなことないよ、ととりあえず謙遜した。
「でも、還元の雰囲気……? そういえばルミアもたまに口にしてたことがありましたけど、それってなんですか?」
大賢者とはいえ、全知全能ではない。わからないことを素直に訊ける彼女に、メルストは真摯に応える。
「んーと、まず雰囲気という言葉についてサクッというと……」
「あ、眼鏡する必要あるんですね」
「雰囲気的にね――と、今使った雰囲気、ムードとは全然違う意味を持っていて、何かの特定された物質で満たされた環境のことを言うかな。例えば酸素雰囲気っていえば、酸素だけで満たされた環境や反応器のことを言ったりするよ」
それで、と伊達眼鏡をはずし、レンズに触りながら、
「金属とかを燃やして反応させる時に、おおまかに"酸化性雰囲気"と"還元性雰囲気"のふたつに分かれるんだけど、"還元性雰囲気"は還元性のガスが満たされてる環境っていう意味ね。エリシアさんもいろんな魔法薬作ってたりしてたら、酸化還元っていう言葉はお世話になってると思う。というかいろんな生活で密接にお世話になってる」
「言われてみるとそうですね、あ、メルストさんがよくルミアの機械のサビを取っているのは……」
「能力で還元反応を起こしてるから。物質と結びついている酸素を奪う反応、あと物質に水素を結びつける反応も還元だな。そういう現象を起こすガス……今いった水素とか一酸化炭素、あと保存液で役立ってるホルムアルデヒドとかで満たした環境で燃焼する。酸素が少ない環境も還元雰囲気」
「なるほど、酸素と水素らの要素が物質の性質を分けるのですね」と理解している目。
「意図的に燃焼炉の中を酸素不足にして燃やすと、炎は燃え続けたい為に固体からも酸素を奪って、その還元された固体の純度を高めるってわけ。炎って結構がめついでしょ」
「それが、ガラスの色を左右するのですか?」
「そうそう。ガラスってどれだけ酸素と結びついてるかってのと、一緒に結びついてくる金属イオンの種類で濁り具合や色が変わるんだ。あとガラスに入ってるマンガンや鉄の割合とか、銅がどう添加しているかでも結構変わってくるよ」
「それでは、透明のガラスも同じ要領で……」
「製法次第で作れるよ。透明さをなくしてしまう"失透"っていう結晶化現象、まぁお肌の敵で言う"くすみ"かな。ガラスが固まりつつある温度域が1000℃前後でキープしないようにして、あとアルミナ……ああ、"酸化アルミニウム"や"硼酸"を加えれば"失透"を防げるし。まぁかなり大変だけど、ここだとどうなんだろ」
無色透明な窓やショーウィンドウを見る。作れないわけではなさそうだが、自然物にも無色透明のガラスのような物質や魔物は存在している。技術を持っていると一概には言えない。
メルストは店頭に置かれている売り物を一通り見ながら、つぶやくように、
「何か買う?」
「そうですね、メルストさんのお祝いも兼ねて、皆さんにも買いましょうか」
「ああいや、俺からエリシアさんに買おうという話ね」
「……?」
(ああダメだ、この人誰かに与えたい思考だから、人からもらえるという考えに至らないんだ。すげぇあほみたいな顔してるのになんでこんなに可愛いんだよこの人は)
「その、つまりね。いつもエリシアさんにはお世話になってるからプレゼントしたいなって」
「……えっ!? いえそんな、私のことはいいですのに」
「いいの、俺がそうしたいんだから。俺も俺なりに働いてるし、どれを選んでもいいよ」
謙虚に断ってはいたも、「……良いの、ですか?」と弱弱しい声で確認を取る彼女。快くうなずくと、かがやきを感じる嬉しい表情へと変わる。まるで花が咲いたようだ。
(まぁ王族にいうのは変な話だけど……というか普通もっと優遇されていると思うんだけどな)
エリシア本人がこの生活望んだことであるのだから、なんともいえんが。
ううん、と迷っている様子を横目に、なんだかデートしているみたいで頬が緩みそうだった。なんでもいいよ、と一言を添えると、そう言われますとむしろ迷ってしまいます、と嬉しそうに返された。
「大賢者様、なにかお気に召されたものでもありましたかい」
そう声をかけてくれたのは店員ではなく、以前会ったことのある鍛冶屋の老人だった。
「あっ、ダグラスさん! おはようございます」
「お、メルストもいたのか。なんだか会うのは久しい気がするな」
しわくちゃにした笑顔を向け、メルストもそれに笑顔で応える。鍛冶屋の材料不足のところをメルストは能力で救った恩がある。ダグラスにとっても、忘れるはずがなかった。
「武器や防具の製作や加工は順調ですか」
「最近は鉄だけじゃなくて魔物の素材を使って武器や鎧を作るようになったからなぁ。補強材として金属は錬り込むけどよ」
「そうなのですか?」とエリシアは疑問に思ったように返す。
「先人たちによって魔物ごとの武器の作り方は書にあんだけどよ、金属一筋でやってきた頭じゃ、どうも理解に苦しむ。関係ないことだが、貴族の間じゃ魔物を原料にした食器や芸術品を見て嗜んでるっつー悪趣味な輩もいるからな」
国や地域によるだろうが、魔物を道具の材料に加工することを是とするか否かは文化的・宗教的によって異なってくる。これによって昔は戦争のきっかけになったとか。
「この店ってダグラスさんが経営してるんですか?」
「いや、これは弟子の女房が開いてるところだ。ちと仕事の話をな」
だから店の奥から出てきたのか、とメルストは納得する。しかし気難しそうな顏に、エリシアは気が付く。
「なにか、お困りでも」
「いやいや、大賢者様の手を煩わせるなんてことは……」
「とんでもありません。困ったことならなんでも解決するのが十字団の役目ですから、放っておくわけにもいきません」
「そうそう」とメルストもうなずく。しばらく悩んだ末、ダグラスは話を打ち明けた。
「そこまで申されるなら……わかりやした。メルスト、実はまたおまえに頼みてえことがあんだ。ついてきてくれるかい」




