2-3-4.碧髪のハイエルフ騎士は屈しない
一件の解決の後、奴隷たちはすべて第九騎士団と都市ディスケットのギルド、教会等に保護され、引き取られる形となった。施設での生活になる以上、しばらくは囚人と変わらないが人権は守られる。家畜や道具同然として扱われる奴隷よりは遥かにましだろう。
騎士団や奴隷たちより、数々の感謝の言葉を浴びる。エリシアは騎士団長と話を交わした後、負傷した奴隷を治癒している最中、待機中のメルスト達は騎士団に捕縛され、連行されていく貴族たちや武装職員をなんとなく見続けている。
「悪い人って、こんなにいるんだな」
「悪人に地位も種族も関係ないからね、善人よりは多いんじゃない? あたしらも言っちゃえば正義振りかざした悪人みたいなものだし」
「ハッ、人助けてるからそれはねェだろ。でもま、こんだけ暴れりゃ正義の味方とは言えねぇだろうな」
ジェイクの皮肉めいた笑み。確かに、とメルストは自分の繰り出した一撃の被害も含め、半壊した会場へと目を向けた。未だに自分がやったことだとは信じられなかった。
(あの竜の死骸、人が集ってるな)
増援として来ていた解体屋、運搬屋、測定士その他多種の職の者。皆、一撃で屠られた竜の死骸に釘付けだ。
骨肉、臓腑、鱗……竜から剥ぎ取れる素材はすべて高級材料として利用される。種類と大きさ次第では、竜一頭で都市の経済を支えることができる程。メルストの功績は多大なものであり、その地方騎士団を中心としてその実力が知られることだろう。
「おい! 暴れるな! 私たちは敵ではない!」
近くから揉め事の声。奴隷が暴れているのだろうかと、メルストはそちらに向かってみる。
「あれって――」
先程オークションに出ていた緑髪のハイエルフ。しなやかな筋肉がついた、若々しくも猛々しい身体。にもかかわらず、男に比べ華奢な体躯を持ち、確かな母性の象徴を胸に蓄えている。
しかし、改めて近づいて見てみるとひどすぎる怪我だ。血のにじんだ眼帯もあり、おそらく目は見えないだろう。
「落ち着くんだ! もう君を苦しめるものはない!」
「わたしは……っ、まだ、屈していない……! まだ、生きてる……っ、ぜったい、まけ、ない……」
立てるはずのない痣だらけの足でガクガクと身を震わしながら歩こうとし、折れた鉄檻の棒を振り回す。その度に体のバランスを崩し、何度も膝や肩を床にぶつける。
だが、力尽きるのは早く、とうとう気を失うように身を倒した。彼女の周りに騎士たちが注目し、恐る恐る集まる。
「気を失ったか……」
「いや、まだ意識はある。うちの騎士団にほしいぐらいの凄まじい精神力だ」
「参ったな……精霊族でもハイエルフは最も取り扱いにくい一種と聞く。同じ保護施設に入れるだけでもこの娘にとって悪影響を与えるだろうな」
精霊族に分類される神聖なハイエルフは、エルフよりも純潔であり、環境に影響されやすい。
妖精のいない地域や妖精界「シェイミン」以外では長居できず、弱体化や病気を患うことがある。ハイエルフにとって、人間が多く住まう場所は空気が汚染された場所同然。
病人並にデリケートな種族の扱いに、騎士団やギルドは困っていた。教会に引き渡すかという声もある。
「あのハイエルフの奴隷、若いのに大変そうだにゃあ」
「……ああいう綺麗な女に限って、真っ先に穢されるんだよ。世の中そーいうもんだ」
「あんたも穢す側だけどね」とルミアはからかいの目を向ける。
「うるせぇ、それとこれとは関係ねーだろぉが」
オークション会場の司会が言っていたことをメルストは思い出していた。
六大賢者のひとりに"エルフクイーン"が該当している。その人物を護衛していた騎士のひとりがこの少女。もしかしたらその大賢者とエリシアが繋がっているかもしれない。そう思った。
「エリシアさん。あの娘、一度こっちで療法することってできないかな」
心配して様子を見ていたエリシアはメルストの意見に賛同しかねた。
「確かに傷は酷いですし、私からも治癒魔法の処置は致そうと考えておりましたが、その後はこちらで保護するよりは神聖な教会で診てもらった方が……」
多少、書籍や話である程度のこの世界の知識は蓄えたところで、常識には敵わない。自分の発言がただの勝手な意見だということも彼は自覚している。ルミアやジェイクのように、他人事として見ても良かったはずだ。
それでも、なぜか彼女だけ放っておけなかった。他の奴隷とは違う、抗いの姿勢。取り残されたような環境でも、目が見えなくても、ひとりで立ち上がろうとした様子に、なぜだか既視感を覚えた。どこかの記憶の奥底か、それとも数日前、砂漠の大陸にいた自分を無礼にも重ね合わせてしまったか。
「俺も専門に診てもらった方が妥当だとは思った。でも大賢者の"エルフクイーン"とつながりがある。それに、教会も人が多いだろうし、人数が少なくて妖精に適した環境を選ぶなら、こっちで診るのもひとつかなって」
「そ、そうですけど……私たちで診きれるかどうか――」
「ンなこたぁいいだろ先生、俺もこの黒髪に賛成だ。どっかの知らねぇ野郎共に診てもらうより断然こっちで看病した方がいいに決まってらぁ」
「あんたは下心がメインでしょうが!」
ルミアはマシンの一部であろう鉄管で、ジェイクの顔面にスイングツッコミを決める。ギャースカとまたケンカをし始めるふたりに呆れた目を向けつつ、エリシアは考え込んだ。
「そうですね……。わかりました、一旦専門の方に診ていただいた後、メルストさんの言う通り、そうしてみましょう」
*
「大賢者様に診ていただけるなら彼女も幸福でありましょう」と、件の精霊族の引き取りは快諾してくれた。妖精学に長けた教会施設で眠らせた緑髪のハイエルフの魔法的治療を施したのち、ルマーノの町にて、エリシアの親友であるひとりの女性薬師に診てもらっていた。その女児体型ともいえる薬師は、新雪のような髪を結い直しながら、サファイアの瞳をハイエルフからメルストとエリシアへ移す。
「ええ、数日眠ってるけどもう身体は大分回復していると思うわ。命に別状はないわよ」
「よかった、あとは無事に目を醒ますだけですね」
安堵したエリシアは胸をなでおろす。しかし、白衣を着た幼女にしか見えない薬師は、顔を曇らせたままだ。キィキィと鳴る古椅子の音だけが小さく響く。
「けど、問題はそのあとね。私たちのことをどう捉えるか……」
「奴隷だしな。しかも捕まったばかりじゃなくて、散々ひどい目に遭った後だから……」
散々人間に虐げられ、身も心も壊れてしまった、生きる死体。薬師の処方した薬と精神療魔法をもってさえも、回復の見込みは推測難しいとされる。
しばらくの沈黙が続く。誰もがそのハイエルフの美しい少女を見つめていた。
「あ、メルストさんは会うの初めてでしたよね」と話題を変えるエリシア。そういえばとメルストはこの白衣の幼い少女が未だに誰なのか把握していなかった。
「メディ・スクラピアよ。はじめまして、"メルスト・ヘルメス"さん」
「はじめまして」と一礼する。「ご挨拶が遅れ失礼いたしました」
「見ての通り、医療者としてここの町と私たちを支えてくれてるんです。なんと国家認定の宮廷薬師の勲章も持っているんですよ」
そう紹介されるも、「うん、え?」と返してしまう。
「えっと、こちらの女の子が……?」
「いくつだといいたそうな顔をしていますが、メディは私と同い年ですよ。ふたりそろって飛び級はしましたが、同じ学院の出でしたし」
開いた口が塞がらない。
「うそ、まさか成長しな――あ、いや、なんでもありません」
「メルストさん、言葉を選んでください」
「も、申し訳ありません。失言でした」と深く頭を下げた。
「ふふ、大丈夫よ。慣れているから」
ムッとしたエリシアをなだめるように、メディは静けさ漂わす笑みを向けた。見た目10歳程度の女の子だが、ここまでしっかりした様は大人と思わせる。
(俺と同じ感じで転生してきたって言われても納得いくよなこれは。童顔なのに、いや女児だから童顔なのは当然だけど雰囲気が大人だ)
「言っちゃえば、エリシアの方がまだまだ子どもよ」
「それは言いすぎです。メディは辛いもの好きじゃないでしょう。コーヒー飲めるとはいえ甘いものが好きですし、メディの方がこどもっぽいですよ」
「そう張り合うところがこどもらしいのよ」
「なっ、いや、それは……もー!」
ふたりの掛け合いに、優位性が明らかになったと彼は思う。しかしどうやってふたりが仲良くなったのか不思議でならない。
(娘がいたらこんなに可愛く感じるのかな……って何考えてんだ俺は)
ふとそんなことに思い耽っていた時。ぷすりと首元に小さな痛みを覚えた。見ると、さらりと白い絹のような髪が目の前にあり、かつ視界に注射器らしきものが映っていた。あまりの自然な動作に気付けなかった彼は、びっくりするタイミングすら失い、冷静な質問しか投げられなかった。
「……いま腕に何刺しました?」
「麻酔薬よ」
(恐ろしい娘!)
シュバッ、と身を引く。だが、特になんの異常もない。しかし確かに注射で刺された後が残っている。遅効性かもしれない。
(この人も大人しそうで容赦ねぇ! え、なんなの? 俺の常識が間違ってるの? いや了解もなくいきなり接種しないでしょ普通!)
「あら、何ともないなんて……エリシアの言うとおりね、ジェイク以上の逸材だわ」
「……へ?」
「それ医療に使う薬品じゃなくて護衛用の即効性麻酔よ。"冒険者ギルド"が使う魔物捕獲用のそれと同じぐらい強力な薬なのだけど」
(やっぱり恐ろしい娘!)
血の気が引き、さささっとメディから離れた。「あら、貧血になる作用はないわよ」とくすくす笑う。それにはエリシアも困った様子だった。信頼関係は深いのか、咎めることはしなかったが。
「さすがにちょっとやりすぎですよメディ」
「ごめんなさいね。効かないとふんだ上でやったけど、突然が過ぎたわ。でも、ヴィスペル大陸で生身で眠っていただけあって、それ相応の耐性はあるわね」
メルストのことをある程度知っているのも、親しいエリシアから話を聴いたからだろう。
「なるほどね……」
そう呟いては、メルストを一瞥する。その目は一瞬だけだったが、なにかを見透かしたような、子どもとは思えない目をしていた。
(やっぱりこの体、人から外れてるんだな。そりゃ警戒とかされてるん……いや、むしろ人体実験の対象として見られているとか?)
変な勘をメルストは働かせ、身をこわばらせる。
しかしそんな彼には既に目もくれず、きぃ、と椅子を鳴らしてはエリシアの方へ穏やかな表情を向ける。
「それにしても、奴隷解放とは思い切った慈善活動ね。けど、奴隷商売には必ずその裏を取り仕切る"権力者"がいるものよ。その人たちをどうにかしない限り根本的な解決はしないわ」
「それについては、あとは任せてとお父様から言われましたので、もう大丈夫かと」
「そう……いざとなったら頼りになるものね、あなたの御父上は」
「いつでも頼もしいですよ」
微笑むエリシア。よほど父親のことを尊敬しているようだ。
(王女の父親ってことは……王様か。自分の父親が国王だったら頼もしい越えて神格化だな。総理大臣とはわけが違うだろうな)
「エリシアさん、それでこの娘は……」
「そうですね、あまり他の人と接触させたらこの娘に負担がかかりますし、このまま私たちの家で診ていきましょう。メディ、ありがとう」
「いいのよ、親友の頼みなんだから」
そう彼女は微笑む。年相応の愛らしさを持ってしても、とても小さな少女が向けるそれではなかった。
「けど、十分に気を付けることね。妖精界の女王の護衛騎士という情報が本当なら、強さは筋金入りよ。病み上がりでも、人間の一人や二人は簡単に始末できる実力はあると頭に入れることね」
不審な言葉に、彼らは息を飲んだ。
眠るハイエルフの少女は、静かに息をするのみ。