2-3-5.やさしい味
翌日。今日も目を覚ましそうにないと緑髪の少女の様子を見てから、冷え水で絞った布を取り換える。
メルストはいつものようにエリシアの部屋にある本を、彼女の眠っている前で読み漁る。これぐらいしか暇をつぶせるものがないので、ほかに面白そうなことはないか。そう考えたところで、音色とも表現できる小さな唸り声を耳にした。
「ん……? うぉっ、起きた」
澱んだ金の瞳がゆっくりと開き、むくりとハイエルフの少女は起き上がる。肩まで脱げた服に気づきもしない。
第一に目に飛び込んだメルスト――男の姿に、威嚇の目を向ける。しかし、布団を抱き、震えている様子は脅えているようにも見えた。
「っ――!?」
「ああっと、大丈夫、俺たち危険じゃないから――って言っても信じないよな普通」
戸惑いと不安を警戒心へと変える少女。それにメルストは上手く対応できないままだ。
「あーえっと、ど、どうしよ。……なんていえば警戒しない?」
(なんで本人に訊いてんだよ俺! バカだろ!)
今すぐ誰かに相談だ、と部屋を急いで出ようとしたときだ。
「……ここって……?」
小心者特有のオーラが伝わったようで、危険な人ではないと思われたのだろう。
「え? ええっと、アコード王国のルマーノの町ってとこで、ここは俺らアーシャ十字団の家。まぁ半分は工房だけど、シェアハウスみたいな感じ」
口下手な自分を恨みたいと、彼は思っただろう。警戒を解かせるはずの笑顔もぎこちない。
突如、気が付いたのか彼女は自分の状態にハッとした。
「からだ、痛く、ない……目がみえる……!?」
なんでといわんばかりに。澱んだ瞳からほんの少しだけ光が戻った彼女に、メルストは息をつく。
「手足も動かせられるか? 怪我は全部エリシアさんとメディさんって方が治してくれたよ」
「エリシア……? 聞いたこと、ある……」
「お、それホントか」
こくりと頷く。大賢者という称号は多くの国々の間でも知られているので、特別おかしい話ではない。その名前を聞き、彼女は少し警戒を緩めた。ここはまだ安全な方だと。
「そういや名前は? あ、俺はメルスト・ヘルメス。最近ここに住み始めた……あー、うん、普通の平民だ。他にも3人住んでる。そのエリシア大賢者と、あなたと年の近い女の子とゲスひとり」
それでも彼女はボーっとしたまま、返事すらしない。ますます気まずく感じていた。
「あ、ああ、言いたくなかったら何も言わなくていいから。その、そっちも起きたばかりで――」
「――ミル」
「え?」
「……フェミル……ネフィア」
聞こえるか否かの小さな声。口元を布団で隠しながら、確かに彼女はそう名乗った。
「フェミル、ね。よろしくな。まぁゆっくり休んでて。もう少しでご飯とか――」
ドガァン! と爆音がすぐ隣で起きる。壁や天井が軋み、メルストだけビクゥ! と鳥肌を立たせた。何が起きたと様子を見に行こうとしたときに部屋のドアからルミアが入ってくる。
「ごっめーん。エリちゃん先生また昼ごはん失敗しちゃったみたい」
「まさか今の爆発ってそれ? どんな調理してんの」
料理で爆発事故はシャレにならない。そもそも普通はならない。
(揚げ物でも滅多に起きるものじゃねーだろ)
「いや、失敗してできた廃棄物をあたしが爆破処理しただけ。一気にリセットできるからね」
魔法で元に戻せたりできないのかと思ったメルストだが、今は言及しない。
「普通にやり直そうよ。それでエリシアさんは?」
「先生は爆風で吹き飛んで、壁に頭ぶつけてちょっと、ね」
「その場で処理してんじゃねーよ殺人未遂!」
「いや、頭から星が出てうなされてるだけだし、気絶も即死もしてないよ」
「そういう問題じゃねぇ!」
そうツッコんだところで「あれ」とルミアはやっとフェミルが起きていることに気が付いた。唐突に迫りか細い手を握られても彼女は動じない。さきほどのメルストに対する目の色が違うあたり、女性にはそこまで警戒していないのだろう。
「目が覚めたんだね、よかったよかった。あたしルミア・ハードックってゆーの。爆発を愛する天才機工師なんで、よろしく!」
「……」こくりとうなずくが、ポカンとしたままだ。
唐突に自己紹介をして半ば強引に握手を交わしたところで、「なんで起きてたこと教えてくれなかったの?」とメルストに問いかけるが「今さっき目覚めたんだよ」と返す。
「で、飯は灰になったわけね」
「イェース!」とウインクしながらニッと笑ってピース。反省の色すら見られないことに、またもため息。
「そんなら、俺作るわ」
「メル君料理できるの?」
「人並みにはできるよ。フェミル、ちょっと待っててな。ご飯作るし」
うなされていたエリシアをルミアの部屋で寝かせた後、20分ほどかかっただろう。黒焦げのキッチンを物質構築能力で還元、分解して炭素を除去し、大体をきれいに戻してから料理に取り掛かった。
色鮮やかな液体や粉末が入っている数種類の瓶に、生薬のような乾燥した種子や根、穀物が詰められた壺。ブロックのように積まれた食パンや、色とりどりの異形な野菜とキノコに、水に浸されている丸々とした肉。
異世界の見たことない食材がキッチンに揃えてあり、指で触れるなり目に浮かぶ物質成分を見てみる。とはいえ、浮き出てくるのは模型のような構造と記号のみ。国際純正応用化学連合命名――化合物の名称すら出てこないので、その構造物がどのような性質なのか知っているにも限度があった。
悩んだ挙句、前世の世界にも存在していた食材だけを選び抜く。
「まぁ、こんなもんでしょ」と部屋に運んできた料理はとろりとしたチーズがかかっている2枚のハムエッグトーストと、千切りのようであまり千切りになってないキャベツと、バターソースが軽くかかったカットトマトが添えられたもの。そしてきれいな水。朝食にはぴったりだろうが、今は昼だ。
「あー……ホントに並の料理だね。あたしの方がましかも」
ホントに露骨だよねとルミアを一瞥する。せめて5%ぐらいお世辞を言ってほしかったメルストであった。
「ルミア料理できるの?」
「人並みにはできるよ。ってみんなの分毎日作ってるのもあたしだって知ってるじゃん」
「そういえばそうだったな」
「素で訊いてたんかい」
素に出たルミアの言葉をスルーし、手軽に作った朝食の乗ったトレーをベッドの傍の机に置く。
食べてほしいけどやっぱり警戒するだろうなとメルストは半ばあきらめていたが、くぅ、と鳴ったフェミルのおなかを聞く。空腹で仕方なかったのだろう、食欲が警戒心に勝ち、震える手をゆっくり動かした。
「どうかな、口に合う? 栄養バランスは考えた方だけど」
「メル君マジメか」
「人並みには」
具の乗ったトーストを口に運んだ途端、咀嚼しながら涙を流し始めた。それを見たメルストは挙動不審に焦り始める。
「えっ!? あれ、ど、どうした! なんか俺マズいことしちゃった!?」
「ありゃりゃ、スパイス効かせすぎだよ。泣いちゃったじゃん」
「いや、辛いのとか入れてないんだけど。ご、ごめんな、俺もそこまで上手くないんだ」
ぽろぽろと涙をこぼし続け、ますますメルストはおろおろする。
――しかし。
「おい、し……い……っ、とっても……おいしい……!」
絞り取ったような小さな声で、彼女はそう言った。意外だった言葉に、またもやおろおろする。
「へ? あ、ああ……な、なんか嬉しいというか、その……ありがとう、そこまで言ってくれて」
「え、泣くほど美味いの? ちょっと一口……ふつうじゃん」
「ムードブレイカーは帰ってください」
そのとき、部屋のドアが荒々しく蹴破られる。腕一杯に食材が詰まった大きな紙袋。その横からジェイクの顔がひょいと出てくる。
「飯買ってきたぜー」
「うーっわ、ジェイクがこんな時間に帰ってくるなんて不吉な予感しかしないわ」
ルミアは露骨に顔を引きつらせる。盗んだのかな、とメルストは疑いの目をかける。前科があるから無理もない。
「そりゃよかったな。テメェの不幸ほどうまい肴はねぇよ」とよくわからない皮肉を返しては、その場に荷物を置こうとした。
「どうしたんだよこんなに買って。そもそも買い物できるんだな」
「テメェ俺様のことなんだと思ってんだ!」とツッコミ。「気分だ気分。お、そいつ意識戻ってんじゃねェか、寄り道するんじゃなかっ……たな」
袋から赤い果実を取り出しかけるも、少しかがんだ状態で突然固まりだしたジェイク。ぽとんと転がり落ちる果実の音だけが耳に届く。彼の視線はフェミルにあった。
身を縮めては退かせ、脅えているフェミルも警戒という意味で視線を外さない。
「どうした? おいジェイク?」
返事はない。運命を感じている目の色に察したルミアは、腰に携えたトンカチを、ジェイクの後頭部に思い切り叩き付け、前傾させた。
「いつまでじろじろ見てんのよ変態!」
(にしても容赦ねぇなコイツ……)
しかし、痛がる声を上げるどころか、いつものように反抗することは全くなく、「あれ」とメルストは違和感を感じた。殴られても視線がフェミルから全く外れていない。
「フェミルん怖がってるじゃない。あんたみたいなゲス男がトラウマなんだから、フェミルんと同じ空気吸うんじゃないわよ。というか視界に入っても駄目だから」
そりゃあ無茶だろ、とメルストは再びルミアを見た。
「……そうか、フェミルっていうのか。ああ、なるほどな」
そう一人で納得したようにうなずいては咳き込み、色を正した。
「俺はジェイク・リドル。悪いな怖がらせてしまって。まぁ、ここに来たばかりだしいろいろ不安だろうが、わからないこととか聞きたいことあったらなんでも聞いてくれ。これからよろしくな」
過去最高のイケボとキメ顔で自己紹介する。誰が見てもナンパにしか見えなかっただろう。
「え、無視? 無視ですかー?」をさらに無視。
「今日の飯は俺が作る。誰も邪魔すんじゃねェぞ」
買ってきた食材を持ち、キッチンへと足音が遠ざかっていった。
これは惚れたな。メルストとルミアは顔を合わせる。
またもポカンとしたフェミルは、薄い表情ながらもなにがなんだかという顔だ。
「ああ、あいつはジェイク。俺らと同じここに住んでる人だけど、フェミル的には関わらない方がいいのかな、たぶん」
「いつもならつっかかってくるのに……びっくりするほど分かりやすいね、あいつも」
「理由が不純だけどな。というかここに住まわせる前提で言ったよね?」
「手を出される前に何とかしないと。あとメル君も分かりやすい部類だよ」
「まったまたぁ、よく言うよ」
「自覚ない時点で重症だにゃ」
「あの……」というささやかな声にふたりは同時、視線を逸らしたフェミルへ顔を向ける。
「おいしかった……から、また、食べたい……。その……あり、がとう」
パン粉が口周りについているが、もじもじとした彼女の天使とも形容できる表情に、ふたりの心が射貫かれる。ルミアも真っ赤になって、悶えるのを堪えるあまり今にも昇天しそうだ。
メルストは思った。料理が不器用でも、真心さえあれば精霊という名の天使の心を掴めるのだと。




