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【第3部6月から開始】異世界で処刑された召喚士、冷遇された少年に宿りました~最強の召喚獣たちとダンジョン配信で成り上がり、奪われた人生を取り戻す~  作者: 桜塚あお華
第03章 月影の吸血姫編

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第75話 祖父母の家

 車が緩やかに速度を落とし始めた頃には、窓の外の景色はもう完全に街中のものではなくなっていた。

 低い住宅の間に畑が混じり、道の脇には古い石垣や生け垣が見え、ところどころに背の高い木が立っている。

 空は相変わらず白くぼやけていたが、その下に広がる景色には、病院の周辺や学校の近くにはない静けさがあった。


「よし、そろそろ着くぞ」


 智明がそう言って、車を細い道へ入れる。

 膝の上ではミュールが丸くなったまま、尻尾の先だけをゆっくり揺らしていた。

 車に乗ってからしばらくして落ち着いたのか、今は喉を鳴らすこともなく、ただ静かにこちらへ体重を預けている。

 黒猫の姿のままだが、その賢すぎる目は時々細く開き、窓の外を眺めていた。

 ふと、ミュールが俺の顔に目を向けて問いかける。


「ノア、きんちょーしてる?」

「少しな」

「……だいじょうぶ。ノアも、もうひとりの”のあ”もおちついているから、だいじょうぶ」

「え……」


 そのように言ってきたミュールはそのまままた欠伸をしながら俺の膝を堪能している。

 その意味を理解出来ないまま、俺は首を傾げる事しか出来なかった。

 やがて車は、一軒の家の前で止まった。

 母方の祖父母の家――乃亜の記憶の奥に、断片だけ残っていた場所だ。

 大きすぎるわけではないが、古さと手入れの行き届いた落ち着きのある家のように見える。

 広めの庭先には季節の草木が植えられていて、玄関までの石畳もきれいに掃かれており、派手さはない。

 車が止まり、エンジンが切れる。

 その瞬間、妙に深い静けさが車内へ落ちる――ここから先は、また別の空気だ。


「降りるぞー」


 智明が言って、先に運転席のドアを開けた。

 俺もシートベルトを外すと、その動きに合わせて、膝の上のミュールがするりと立ち上がった。

 黒猫の身体がしなやかに伸び、車の外へ出る前に、ちらりとこちらを見る。


「ミュール、いるつもりなら喋るなよ?」

「そのつもり~」

 

 小さく言うと、ミュールは細い目をさらに細めた。

 そして緩い返事をしながら俺の後をついていき、同時に尻尾を一度だけ揺らした。

 車を降りると、空気が少しだけひんやりしているのを感じる。

 病院の周辺よりも乾いていて、土と草の匂いがする。

 都市の中にあったざわつきが、ここまで来るとずいぶん遠い。

 後部座席から理央たちも降りる。

 理央は欠伸をしながら背を伸ばし、透花、花宮の二人も身体を軽く動かし、伸ばしていた。

 俺はそのまま玄関の方へ視線を向けると、すでに人影があった。


 ――祖父と祖母だ。


 二人とも外まで出てきていたらしい。

 祖母は柔らかい色合いの服を着ていて、年齢なりの落ち着きがある。

 祖父は背筋の伸びた老人で、無駄な動きがない。

 どちらも乃亜の記憶に“いる”顔だ――だが、今こうして自分の目で見ると印象はかなり違った。

 祖母はまず智明を見て、それから俺へ視線を移した。

 その目は優しい。優しいが、ただ柔らかいだけではない。

 数秒で顔色や立ち方を見ているような目だった。


「いらっしゃい――あらあら、理央くんと透花ちゃんも久しぶりね。元気にしてた?」

「……ご無沙汰してます」

「は、はい、お世話になります」


 透花と理央の二人は元々”乃亜”の幼馴染だ。

 小さい頃、あった事があるのだろう――微かな記憶で出てきた幼い乃亜の記憶を頼りにしながら、俺は二人に目を向けた。


「ただいま、母さん、父さん」

「おかえり智明……乃亜も久しぶりね」

「あ、ああ……はい、今日はお世話になります」

 あらあら、他人行儀になっちゃって……とにかく、まず中に入りなさい。外で立ち話するような話でもないでしょう?」


 フフっと笑いながら答える祖母に対し、その視線は俺の顔から少しも逸れなかった。

 心配している。だが同時に、見ているように見えたのだ。

 表情の薄い部分や、立ち方の癖や、乃亜本人との細かな違いを。

 祖父はもっと露骨で、そんでもって無口だ。

 最初に智明を見て、次に理央たちをひと通り見て、最後に俺を見る――そこでほんの一瞬だけ、目が止まった。

 何も言わない――だが、その短い沈黙だけで十分だった。


 もしかして、乃亜じゃないって気づいている?


 少なくとも“何かが違う”ことには、もう気づいている顔のように見えた。

 玄関へ向かう途中、ミュールが俺の足元へ静かに寄ってきた。

 さっきまで膝の上にいたのに、今はただの黒猫らしく、すり、とズボンの裾へ体を寄せるだけだ。


「あら、猫?」


 祖母が少し目を丸くする。


「連れてきたの?」

「あー……乃亜が狩ってる猫なんだ。離れなくてついてきた」

「あらあら、そうなのね、かわいいわー……乃亜、名前はなんていうの?」

「ミュール、です」

「ミュールちゃんねー」


 祖母は驚きより先に、足元のミュールを見て笑いながら挨拶をしてくれた。


「可愛いわねー」


 そのように言っただけで、先に玄関の扉を開ける。

 ミュールは当然のように一緒についていった。

 家の中へ入ると、木と畳と、洗いたての布の匂いがした。

 病院の白さとはまるで違う。人が生活している家の匂いだ。


「靴、そこにおいてね。荷物はあとでいいから、まず座って。顔色の悪い子を玄関に立たせたままにしたくないわ」

「っ……」


 その言い方に、少しだけ息が抜けた。

 多分顔色が悪いのは、俺の事だろう――色々と考えていたから、なのかもしれない。

 祖父は何も言わないまま、俺たちの後ろに立っていた。

 だが、その視線だけはまだこちらを外さない。

 俺は廊下へ一歩踏み出す。

 叔父の家とも、病院とも違う空気だ。

 俺にとって、ここが安全かどうかはまだ分からない――だが少なくとも、久城家(乃亜の家)ともまた違う。


「……」


 ふと足元を見ると、ミュールが廊下の端に座っていた。

 何も喋らず、ただ金色の目で静かに家の中を見ている。

 その姿は完全に猫だ。

 だが、こいつなりに周囲を見ているのが分かる。

 祖母が客間へ通そうとする。

 祖父は少しだけ遅れてついてくる。

 その途中、すれ違いざまに祖父が俺へだけ聞こえるくらいの声で、小さく言った。


「――なるほど」


 ただ、その一言だけだった。

 祖父はそれ以上何も言わなかった。


読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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