第48話 班行動
ダンジョンへ入ってしばらくの間は、拍子抜けするくらい“授業”だった。
通路の幅。
壁面の状態。
足場の傾き。
教師は立ち止まるたびに、そういう基礎的な確認を生徒へ促していく。
「まずは地形を見ろ。通路の狭さ、退路、視界の切れ方を意識しろ」
「採取ポイントは勝手に触るな。班で声を掛け合って確認してからだ」
「危険がなければ記録端末へ入力。焦るな、順番を決めろ」
班ごとに少し距離を空けながら進む隊列の中で、俺たち四班も浅層を進んでいた。
理央が先頭寄り。
花宮が記録端末を持ち、透花がその少し後ろ。
俺は最後尾に近い位置で全体を見ている。
何故か、自然にそうなった。
誰かが指示したわけではないが、一番無理が少ない並びだった。
「うーん、本当に授業って感じだね」
花宮が小声で言う。
「まぁ、今のところはな」
「今のところって言い方やめてよ、ちょっと怖いじゃん」
「ダンジョンなんだから怖くていいだろうが」
「理央くん、まぁ、それはそうなんだけどさ」
そんなやり取りを聞きながら、俺は通路の先を見ていた。
浅層――学校実習用に管理された安全圏。
その前提は、今のところ大きくは崩れていない。
だが、浅いから安全とは限らない。
未熟な集団にとっては、小さな判断の遅れひとつで十分事故になる。
「採取ポイント、あれ、かな?」
透花が壁際を指さす。
視線を向けるとそこに薄い緑色の鉱石が、岩肌の隙間に小さく覗いていた。
教師が別班を見ている間に、俺たちは足を止める。
花宮が端末を覗き込んだ。
「えっと、実習資料だと低級蓄魔鉱……たぶんこれ」
「採取はどうする?」
理央が振り返る。
「無闇に手ぇ突っ込むなよ、危ない」
思わず、反射で口から出た。
三人が一斉にこっちを見る。
「え、何?」
花宮が目を瞬く。
「周囲見てみろ。こういう採取ポイントの近くは、小型が寄ってることがある」
言いながら壁際の影を示す。
次の瞬間、岩の隙間から小さな鼠型の魔物が二体、飛び出してきた。
「うわっ」
花宮が半歩引く。
理央がとっさに前へ出るが、一歩目が少し深い。
「理央、右」
俺は短く言い、指示をする。
理央が反応して体をずらした直後、その足元をもう一体が掠めた。
踏み込みの角度がそのままだったら、脚に噛みつかれて転んでいた。
「ちっ」
理央が舌打ちしながら一体を蹴り飛ばす。
透花は慌てず距離を取り、花宮も端末を抱えたまま壁際から離れた。
鼠型は小さい。
脅威としては大したことはない。
だが、こういうのは油断した時に一番面倒だ。
「左、もう一体」
俺が言うと、透花がすぐ反応した。
「理央くん、そこ!」
その声で理央が振り向き、残った一体を踏みつけるように抑え込む。
すぐに教師が異変に気づいて近づいてきた。
「何があった」
「採取ポイントの陰に小型がいました」
慌てるような素振りを見せながら、透花が先に答える。
「接触前に気づけたので、対処は済んでます」
「……そうか。いい判断だ」
教師は鼠型の残骸を確認し、それ以上は追及しなかった。
浅層でよくある、小さな接触のひとつとして処理したのだろう。
教師が離れたあと、花宮がじっと俺を見た。
「久城くん」
「何だ」
「今の、普通に助かったんだけど」
「大げさだな」
「大げさじゃないって。あれ理央くんそのまま行ってたら危なかったでしょ」
「……まあ」
理央が少しだけ渋い顔で認める。
「見えてたのか?」
「……一応」
「見えてなかったの俺だけみたいな言い方するなよ」
「実際そうだったからな」
「お前、言い方を――」
少しだけ空気が緩む。
透花は採取ポイントと俺を交互に見ていた。
多分、今の一連の動きを頭の中で整理しているのだろう。
「でも、ありがとう久城くん」
透花が小さく言う。
「助かった」
「別に」
理央も同じように返事をしたので、視線をそらして静かに言った。
そのまま再度、壁際をもう一度確認する。
他に反応はない。
それ以上何もなく俺たちは再度、進み始めた。
浅層の授業内容は本当に基礎中心だった。
地形確認。
索敵の手順。
小型魔物への初動。
採取時の安全確認。
どれも、探索者としては当たり前のことばかりだ。
だが、その“当たり前”を未熟な人間は案外簡単に落とす。
次の通路では、床の一部がわずかに色を変えた。
湿った苔に見えるが、実際は踏圧で滑る鉱泥だ。
理央がまた前へ出ようとしたところで言う。
「理央、そこ踏むな」
「は?」
「滑る」
理央が足を止める。
花宮が端末で地面を照らし、「あ、ほんとだ」と声を上げた。
「資料の注意項目にある。湿性鉱泥、浅層でもたまにあるって」
「……先に言えよ」
「読んでたけど実物分かんなかったんだって」
「お前なあ」
「でも止めたの久城くんだし」
また三人の視線が俺へ向く。
それを聞いて嫌そうな顔をしていたんだと、思う。
そして、面倒だな、と思う。
目立つつもりはない。
力を見せるつもりもない。
ただ、目の前で事故られるのが面倒なだけだ。
「……見れば分かる」
「それ何回目?」
それを言うと、花宮が笑った。
「便利な言葉だよね」
「……事実だ」
「久城くん、ちゃんと見てるからね、きっと」
「透花まで言うのか」
「だって……そう見えるから」
その声は、前よりずっとまっすぐだった。
理央も前を見たまま、低く言う。
「少なくとも、実習で足引っ張るタイプじゃないのは分かった」
「お前はもう少しは周り見ろ」
「……分かってる」
「分かってないから二回止めたんだ」
「……うるせえな」
不満げではある。
だが、口調の奥には少しだけ認める色が混じっていた。
浅層の途中で、教師から短い休憩指示が出る。
壁際の安全地帯に寄って、各班ごとに端末記録を確認する。
花宮が端末を操作しながら言う。
「ムフフ、四班、思ったよりちゃんとやれてない?」
「お前が軽いだけで、最初からやるしかないだろ」
「いやいや、最初めっちゃ空気死んでたじゃん」
「それは否定しない」
透花が小さく苦笑した。
それから、花宮は端末を閉じる前にふっと俺を見た。
「ねえ、久城くん」
「何だ」
「なんかさぁ、慣れてない?」
その言葉を聞いた瞬間、空気が止まる。
理央も透花も、言葉にはしないが同じようにこちらを見ていた。
冗談っぽい聞き方だった。
だが、花宮の目は冗談だけではない。
「……何にだ?」
「こういうの。ダンジョンで周り見て動くの」
俺は少しだけ間を置いた。
「気のせいだ」
「本当?」
「……実習資料を読んだだけだ。片っ端から」
「それであそこまで見える?」
「見えるやつもいるだろ」
そう返すと、花宮は「ふーん」とだけ言った。
追及はしない。だが、引っかかりが消えた顔でもない。
理央は黙って前を見ている。
透花は何かを言いかけて、結局飲み込んだ。
完全に誤魔化せたとは思わない。
だが、今はそれで十分だった。
教師の号令で、四班は再び立ち上がる。
浅層の実習はまだ続く。
だが少なくとも三人は多分“問題児”という一言だけでは俺を見ていなかった。
それが良いことかどうかは別として、空気は確実に少し変わっていたのかもしれない。
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