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【第3部6月から開始】異世界で処刑された召喚士、冷遇された少年に宿りました~最強の召喚獣たちとダンジョン配信で成り上がり、奪われた人生を取り戻す~  作者: 桜塚あお華
第02章 王虎の戦姫編

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第36話 変わってしまった家族【久城詩織視点】


 家の中が、ずっと落ち着かない。

 静かなのに、うるさい。

 誰かが怒鳴っているわけじゃない。

 物が壊れる音がするわけでもない。

 なのに、階段を上り下りする足音も、食器の触れ合う音も、何もかもが妙に尖って聞こえる。

 乃亜が帰ってこなくなってから、家の空気は少しずつ変わった。

 最初の頃は、みんなまだ余裕があった。

 どうせそのうち戻るだろう、みたいな空気だったと思う。

 父も母も、あからさまには言わなかったけれど、結局その程度にしか考えていなかった。

 でも、日が伸びるにつれて、その余裕が苛立ちに変わっていった。


 父は最近、家での口数が少ない。

 元々多い方じゃないけれど、今はさらに減った。

 そのくせ、食卓で乃亜の話が出ると一気に機嫌が悪くなる。


「いつまで好きにさせておくんだ?」

「学校には行っているんでしょう?」

「ならなおさら厄介だ」


 厄介。面倒。外聞。

 そんな言葉ばかりが並ぶ。

 母は母で、困ったように笑いながらため息をつくことが増えた。


「どうしてあんなことするのかしら……」

「繊細な子だから、拗れちゃってるのよ」

「少し時間を置けば……」


 その言い方が、私は昔から少し苦手だった。

 優しいようで、何も見ていない。

 心配しているようで、結局は相手の中身じゃなくて面倒が収まる形を待っているだけに見える時がある。


 そして瑠亜も、最近は少し変だ。


 表向きは今まで通りだ。

 学校でも家でも、笑っている。

 愛想もいいし、母の前では柔らかい声で喋るし、父の前ではちゃんと期待に応える顔をしている。

 でも、家の中でふとした瞬間に見せる顔がある。

 笑っていない目。何かを探すみたいな視線。

 それから、ひどく苛立っているのに、それを表へ出さない時の静かさ。

 あれを見るたび、少しだけぞっとする。


 ――昔は、こんな家じゃなかった。


 少なくとも、私はそう思いたい。

 もっと普通だった。

 もっと、どこにでもある家族だった。

 小さい頃は、三人でリビングに転がってテレビを見ていた記憶もあるし、母が笑いながら写真を撮っていたことも覚えている。

 父だって、今みたいに家の中でいつも不機嫌だったわけじゃない。


 でも、その“昔”はいつから崩れたんだろう。


 気づけば、瑠亜が泣けば乃亜が謝るようになっていた。

 何かあると、まず乃亜が疑われるようになっていた。

 私はそれを見ていた。ちゃんと見ていた。


 ――なのに、私は何もしなかった。


 私はずっと、自分は中立なんだと思っていた。

 どちらの味方でもない。

 余計なことを言わない。

 巻き込まれない。

 でも今なら分かる。

 私は関わり合いになりたくなかっただけ。

 そして、乃亜のようになりたくなかっただけだ。

 瑠亜の方が好かれていて、信じられていた。

 家の空気も学校の空気も、全部そっちへ流れていた。

 だから私は、そちらに逆らわない方を選んだ。

 乃亜が何か言いかけて、でも言わなくなっていくのを見ていた。

 食卓で黙る時間が長くなっていくのも見ていた。

 目が少しずつ死んでいくのも、たぶん見ていた。


 ――それでも、何もしなかった。


 今さら胸が痛むのは、多分、遅すぎる。

 その日も、夕食の席の空気は重かった。

 父は仕事帰りで疲れているのか、最初から顔が硬い。

 母はそんな父を気にしてか、いつも以上に明るい声を出していた。


「詩織、学校はどう?」

「別に普通だよ」

「そう。瑠亜は?」

「僕も普通だよ」


 普通――その言葉がこの家では一番嘘っぽい。

 父が箸を置いて言った。


「乃亜はまだ戻らないのか」

「学校には来てるみたいだけど……」

「だったら帰らせればいいだろう?」


 またそれだ、と思った。

 帰らせる。戻らせる。体裁を整える。

 言葉の中心に、乃亜本人がいない。

 母が小さくため息をつく。


「やっぱり、智明さんのところなのかしら……」

「なら連絡してでも何とかするべきだ」

「でも、あんまり刺激すると余計に……」

「だから面倒なんだ」


 父のその一言で、食卓の空気が冷えた。

 向かいに座る瑠亜は、静かな顔でご飯を口に運んでいた。

 でも、その手元がほんの少しだけ強い。箸を持つ指に力が入っている。


「――瑠亜」


 母が優しく呼ぶ。


「あなたは気にしなくていいのよ」

「……うん」


 そう返す瑠亜の声は、いつも通り柔らかかった。

 でも私は、その横顔から目が離せなかった。

 気にしていないはずがない。

 むしろ家の中でいちばん気にしているのは、瑠亜なんじゃないかと思う時がある。

 乃亜が帰ってこないこと。

 学校へは来ていること。

 それなのに前みたいに壊れていないこと。

 その全部が、瑠亜をイラつかせているように見える。


 夕食のあと、部屋へ戻る途中で階段の踊り場から下を見ると、リビングに一人残った母がテーブルを拭いていた。

 父はもう自室へ上がっており、瑠亜もいない。

 広くもない家なのに、妙にがらんとして見えた。

 乃亜がいなくなった分だけ静かになったはずなのに、なぜか前より落ち着かない。

 多分、それはこの家の誰も乃亜がいないこと、そのものをちゃんと受け止めていないからだ。


 いなくなった。

 でも帰ってくるだろう。

 帰ってきたら元に戻るだろう。


 どこかで、みんなまだそう思っている。

 父も母も、もしかしたら瑠亜さえも。


 でも、本当にそうなんだろうか?


 登校するとき、中学と高校は途中同じ道を通る。

 そこで、たまに乃亜を見かける事があるが、前と少し違って見える。

 顔色が少しましで、目が前より死んでいなくて、何より明るく見えた。


 それを見るたび、胸の奥がざわつく。


 よかった、と思う自分がいる。

 同時に、そんなふうに思う資格があるのかと冷える自分もいる。


 ――私は何もしなかったのに。


 助けなかった。

 信じなかった。

 見て見ぬフリをした。


 なのに今さら、乃亜が少しまともな顔をしているのを見て安心するなんて、あまりにも勝手だ。


 自室の扉を閉めてベッドに腰を下ろす。

 スマホの画面は暗いままだ。誰かに相談する気にもなれない。

 静かな部屋の中で、ふと小さい頃の事を思い出した。

 三人で並んで座って、くだらないテレビを見て笑っていた時のこと。

 あの頃、たしかに“兄弟”だったはずの時間。


(……どうしてこうなったんだろう?)


 その答えを、私は多分もう知っている。

 特別なきっかけがあったわけじゃない。

 小さな偏りを、誰も正さなかっただけだ。

 瑠亜が甘やかされ、乃亜が飲み込まされる流れを、誰も止めなかった。


 私も、その一人だ。


 窓の外はもう暗い。

 家の中は静かなまま落ち着かない。

 乃亜がいないだけで、こんなにも家の歪みが見えるなんて、皮肉にもほどがあると思った。

 私はゆっくり息を吐いて、小さく呟く。


「……私、何してたんだろ」


 返事はない――けれどその言葉だけが、ひどく胸に刺さった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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