第19話 叔父の家は騒がしい
――朝から、ひどい目覚めだった。
いや、正確には目覚めそのものより、その後が酷かったと言うべきかもしれない。
セレネに抱き込まれ、シオンに背後から抱きつかれ、寝台の周囲は毒花まみれ。
そこへ叔父が踏み込んできて悲鳴を上げ、ルクスは花に阻まれて近づけず、俺は寝起きの頭で状況整理もできないまま説明を求められた。
異世界でも、ここまでひどい朝はそう多くなかった気がする。
ようやくシオンが花を引かせ、セレネも距離を取って、叔父――篠宮智明が頭を抱えながら居間に移動した頃には、朝食の時間もだいぶ過ぎていた。
テーブルの向こうで、叔父は片手で額を押さえている。
その顔は、寝起きのだるさよりも理解不能な存在を朝から見せられてしまったと言う感じの疲労が勝っているように見えてしまった。
「……よし」
低くそう言って、叔父は顔を上げた。
「一回整理する」
「ああ、そうしてくれ」
俺も素直に頷く。
正直、こっちだって整理したい。
居間には俺と叔父、それからルクス、セレネ、シオンがいる。
ルクスは相変わらず俺のすぐ傍を陣取って警戒を解かない。
セレネは落ち着いた顔で椅子に腰掛け、シオンは人の家だというのに妙にくつろいだ様子でソファの背にもたれている。
絵面だけ見れば、まともな朝の風景からは程遠かった。
「――まず、増えた」
「ああ、増えた」
「頼むからそこは否定してくれ、ノア……」
心底疲れた声で言われたが、否定しようがない。
昨夜の時点ではルクスとリゼットだけだった。
だが今朝になってセレネとシオンが緊急召喚じみた形で来た以上、叔父から見れば得体の知れないものがさらに二体増えたでしかないだろう。
「ルクスは昨夜聞いた。で、お前ら二人だ……改めて、何なんだ」
「初めまして、叔父様……私はセレネと申します」
先に口を開いたのはセレネだった。
白銀の髪を揺らし、静かに会釈する所作はやはり美しい。
こうして黙っていれば、聖女か神官にしか見えない。
今朝あれだけ堂々と俺を抱き込んでいた女と同一人物には到底思えないくらいには。
「主と、乃亜の魂の安定を優先しています。必要なら治癒、浄化、精神安定の補助も可能です」
「…………魂の安定って言われても、まだ俺の頭がそこに追いついてないんだが」
「分かっています。そうですね……今はあなたの甥っ子である乃亜が消えないよう支えているその程度に受け取ってくだされば十分です」
「おいおい……」
穏やかな言い方で、笑顔で答えた。
多分、相手が叔父でなければ、それで納得したかもしれない。
だが叔父は昨夜から常識を殴り倒され続けているので、少し真顔のまま黙り込んでから、ようやく「……まあ、分かったような分からんようなだな」と呟いた。
次にシオンへ視線が移る。
「お前は」
「僕はシオン」
シオンはにこやかだった。
こういう時のこいつの笑顔は信用できない。
「人間は嫌いだけど、主の選んだ場所なら我慢するよ」
「我慢で済ませろてくれ頼むから」
叔父の返しが早かった。
多分、短い説明の中に不穏な単語が自然に混ざっていたからだろう。
「安心して。少なくとも今のところ、この家の人間を枯らす予定はない」
「“今のところ”ってつけるな」
「正直でいいだろう?」
「よくない」
「僕はそう思わないな」
「お前の主張は今、求めてないから」
叔父が即座に切り捨てる。
俺は少しだけ目を見張った。
久城家の大人たちなら、こういう相手には引いたまま笑って流すだけだった気がする。
だが叔父は、分からないものに怯えながらも必要なところではちゃんと突っ込む。
シオンは面白そうに口元を歪めたが、それ以上は言わなかった。
セレネが横で小さく微笑んでいる。
多分、叔父の反応をわりと気に入ったのだろう。
ひとまずの紹介が終わり、叔父は長く息を吐いた。
「……なるほど。増えたのは分かった。しかも全員、癖が強い」
「否定はしない」
「しろよ少しは」
そこで初めて、俺は少しだけ肩の力が抜けた気がした。
昨夜ここへ来た時もそうだったが、叔父の前では妙な緊張がある。
信じてほしいわけじゃないのだが、信じてもらえなかった時の重さを、もう二度も味わっている。
だから無意識に身構えていたのだろう。
それでも、この人間は少なくとも最初から決めつけてはこない。
そこが、あまりにも大きかった。
俺は姿勢を正し、改めて叔父へ向き直った。
「……昨夜は、ありがとうございました」
「ん?」
「急に押しかけたのに、泊めてくれて。正直、助かった」
叔父は一瞬だけ意外そうな顔をした。
それから、わずかに視線を逸らす。
「礼を言われるほど立派なことしたつもりはない」
「それでもだ」
「……そうか」
短いやり取りだが、それだけで十分だった気がした。
叔父は軽く頭を掻き、それからテーブルに肘をつく。
「じゃあこっちも整理する。しばらくいるなら、最低限ルール決めるぞ」
「ああ」
「まず、勝手にいなくなるなら連絡。これは絶対だ」
「分かった」
「学校には通え。少なくとも今の時点でいきなり全部捨てるのは得策じゃない」
「それも分かってる」
「無茶をするなら、せめて事後報告じゃなくて事前報告にしろ」
「うん、善処する」
「善処じゃない、やるんだ」
間髪入れずに言われ、少しだけ言葉に詰まる。
ルクスが横で「その通りです」とでも言いたげな顔をしているのが腹立たしい。
いや、正しいんだが。
叔父はさらに指を折った。
「あと最後」
「何だ」
「変なの増やす時は先に一言ほしい」
「……」
「今朝みたいに起きたら増えてるのは勘弁しろ」
「それは……」
「善処します」
俺が言うより先に、セレネが穏やかに口を挟んだ。
シオンは「善処ねえ」と笑っていたが、無視することにした。
「とにかく、俺が言いたいのはそういう事だ。お前が何者だろうと、今ここにいる以上は最低限の生活の形を作れ。無茶だけして潰れるのが一番困る」
「……ああ」
その言葉は、不思議と胸に残った。
無茶だけして潰れる。
異世界での俺は、まさにそれに近かった。
誰も止めなかったし、止めようとも思わなかっただろう。
勝って当然、削れて当然、使い潰して当然。そういう扱いだった。
だが今、目の前の人間は少なくとも“潰れるな”と言っている。
それがどれだけ異質かくらいは分かる。
少し沈黙が落ちた後、叔父は声の調子をわずかに落として言った。
「……もう一個」
「え」
俺は顔を上げる。
叔父は俺をまっすぐ見た。
昨夜のような値踏みではなく、もっと静かな目だった。
「ここでは、無理に乃亜のフリしなくていい」
「……」
「ただし、外じゃ慎重にやってくれ。ばれないように」
喉の奥が、少しだけ詰まった。
乃亜のフリーーその言葉は多分、正確じゃない。
俺は“フリ”をしているつもりではないし、する気もない。
だが、叔父が言いたいことは分かった。
この家の中では、いちいち久城家の“問題児の乃亜”を演じなくていい。
でも外では乃亜の身体で生きている以上、軽々しく全部を見せるな。
優しさと現実が、ちょうど半分ずつ混ざった言い方だった。
「……分かった」
「ならいい」
それで会話は終わった。
昼は驚くほど普通に過ぎた。
普通、と言っても叔父の家に召喚獣が複数いる時点で世間一般の普通からはかけ離れているだろうが、それでも久城家に比べれば遥かに静かだった。
叔父は買い置きの食材を出しながら、「人数増えたなら買い足さねえとな……」と半ば本気で呟いていたし、セレネは自然な顔で片付けを手伝い、シオンは窓辺で花を咲かせかけて叔父に止められていた。
ルクスは相変わらず俺の近くから離れない。
――騒がしい。
――落ち着かない。
――でも、不思議と息はしやすかった。
誰かが泣けば、俺が悪いことになる空気もない。
何を言っても最初から聞く気がない顔もない。
ただ、分からないなら分からないなりに、同じ場所で整理しようとする空気がある。
それだけで、こんなにも違うのかと思う。
夜になり、叔父が風呂へ行った後、俺は窓際で一息ついていた。
外の光はまだ街の輪郭をぼんやり照らしている――静かな夜だった。
「主」
呼ばれて振り返ると、セレネが立っていた。
昼間と変わらない穏やかな顔だが、その瞳は少しだけ真面目な色をしている。
「どうした?」
「少し見ていたのよ」
「……”乃亜”をか」
「ええ」
セレネはそっと俺の近くへ来る。
今度は朝のようにいきなり抱きしめたりはしなかった。
「あの子の魂、昨日より少し落ち着いているわ」
「本当か」
「ええ。深く沈んではいるけれど、前ほど怯えていない。多分、この場所の影響もある」
その言葉に、胸のどこかがわずかに緩んだ。
乃亜は今も身体の奥にいる。
深く沈んで、壊れかけながら、それでも消えていない。
そしてその魂が、昨日より少し落ち着いている。
「……そうか」
出てきた言葉は、それだけだった。
もっと何か言うべきなのかもしれない。
けれどそういう言葉は、まだ上手く口の形にならなかった。
セレネはそれでも分かったように微笑む。
「この家は、少なくとも乃亜にとって落ち着いた場所になるわ」
「落ち着く場所、か」
「ええ。主にとっても、乃亜にとっても」
窓の外を見やる。
久城家の部屋のような息苦しさは、ここにはない。
まだ借り物の場所でしかないし、安住の地だと呼ぶつもりもない。
それでも、あの家とは違う。
誰かが壊れるのを当たり前に見過ごす場所ではない。
少なくとも今は、そう思えた。
俺は小さく息を吐いた。
「なら、少しはマシなのかもしれないな」
俺の言葉に対し、セレネは何も言わず、ただ静かに頷いた。
その仕草を見ながら、俺はようやくひとつだけはっきり認める。
ここはまだ途中だ。
乃亜も戻っていない。
俺の目的も何一つ終わっていない。
だがそれでも、この家は少なくとも、あの闇へ沈むだけの場所ではなかった。
それだけで、今の俺は十分だった。
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