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第4話:異変

「これは……」

 大聖堂の地下。小部屋に設えられた質素な祠を前にして、ルパレは言葉を失った。

「今朝、見た時には……すでに。あの暗殺で儀式が成されなかったからだろう」

 大司祭は苦々しく息を吐き出した。そこに、普段の老司祭らしい柔和な表情はない。

「国の繁栄は途絶え、世界は闇と狂気に包まれる――そう文献には記されていたが、実際の影響がどのようなものかは……想像が及びもつかないな」

「まあ、そういう文献は妙に恐怖を煽るものですから」

 ルパレは軽口を返すが、その面持ちは硬く、口で言うよりも楽観視はしていない。

 二人の司祭の目の前、祠の小さな水晶の石碑には亀裂が入っている。午後の日差しも届かない薄闇の地下室、それは腹の奥をつかまれるような、得体の知れない重みを放っていた。


 その頃――評議会議室では、新国王が弱りきった顔をしていた。

 戴冠式の翌日から、さっそくの洗礼を受けている。政治については、ある程度の教育は受けた。だが、いざ決断する身になると、書物で学ぶのとはわけが違う。今さらながらに冠の重みを痛感している。

「それでは、貿易協定に関しましては現状維持でよろしいですね。続いて、軍事……おや? ルシッカ国王、お顔色が冴えないようですが?」

 メロニエルは、それまで通りの協議というには一方的すぎる口調のまま尋ねる。

「申し訳ない。こういう場には不慣れなもので」

 疲れてしまった。ルシッカは弱々しい笑みを返した。

 大丈夫なのか? 若き新国王を見る評議員たちの目には、懐疑的な色が浮かんでいる。

「休憩にいたしますか?」

「いいえ。大丈夫です。続けてください」

 メロニエルが社交辞令的に心配を口にすれば、ルシッカは首を横に振った。

「かしこまりました。それでは、軍事……そういえば、まだ騎士団の団長が空席になっているとか? やはり、ヴェシメロニ副団長が、その席に就かれるのですか?」

「現在、協議中です」

 自分に向けられた視線を、ヴェシメロニは氷点下の氷柱のように見返す。

「そうですか。現状のままでも統率がとれているようですし、一人だけを引き上げれば済むという安易な話でもないでしょうからね」

 メロニエルの口調は変わらない。その代わりに、僅かな笑みを口元に見せた。

 綺麗な人だな。ルシッカは、ぼんやりと思う。頭が疲れているのかもしれない。

「やはり、少し休憩を挟みましょうか?」

 何となく甘いものが欲しくなり、やんわりと二人の間に割って入った。それから、まだまだ終わりそうにない協議を思って、ルシッカは小さく息を吐き出した。


 ――王城の隣に位置する騎士団寮の執務室は午後の日差しが差し込み、ポカポカと暖かい。評議会議室の空気とは、まるで違う。

「評議会はともかく、あの特使を相手にしろってのはさ。成人したんだからドラゴンを倒してこいって、巣の中に放り込まれるようなもんだろ?」

 ペルナは執務机に頬杖をついた。

「そのための副団長だろう?」

「副団長と特使の間に挟まれてみろよ。トリバオリ火山だって凍りつくぞ?」

 グレイプは納得しつつ、大陸の南方にある活火山を思い浮かべた。いつだったか、ペルナと視察に赴いた記憶がある。

「貴様ら! 口ばかりじゃなく、手を動かせ! 貴様らがそんなだから、俺まで事務仕事に駆り出されてるんだぞ!?」

 執務室に設えられた応接用の長椅子で、ルピッツァがローテーブルを叩いた。その衝撃で、積み上げられていた書類の山が雪崩のように落ちて床に散乱した。

「そうだよな。紙仕事なんて、俺じゃなくて、シトルーナに任せたほうがいいのにな? あ、拾うの手伝おうか?」

 鼻と上唇の間に挟んでいたペンを指でつまんでから、ペルナは言う。その糠に釘の様子に、ルピッツァは「結構だ!」と怒鳴った。


 城下町の施療所は、高い位置から照らす太陽の光を受けて白い壁が目に眩しい。

 その門前には人だかりができている。少し異様にも感じられる空気の中、シトルーナは施療所の扉を開けた。

「シトルーナ殿」

 待合室の奥、第三騎士隊の隊長であるシニエが片手を上げた。

「あの……ひ、非常事態だと聞きましたが?」

 ここまで駆けてきたせいで、呼吸が大きく乱れている。シトルーナは肩を上下させながら尋ねた。

「まずは、ご自身の目でお確かめください」

 シニエは説明せずに、白い壁が続く廊下の先へと進むように促した。

 たどり着いた個室の寝台の上、何者かが横たわっており、その上にはシーツがかけられている。

「騎士団の誰かですか?」

 部屋に一歩ほど入っただけで、シトルーナの足は自然に止まった。「騎士団の誰か」とは言ったが、シーツの膨らみの様子から判断すると、それほど体は大きくない。

「いいえ。街の者です」

 シニエはシーツを少しだけ持ち上げる。

 その中で、何かが光に反射した。

「それは……人の手ですか?」

「そうです。全身が同じようになってます」

 シトルーナは目を大きく見開いたまま口元に手をやる。シニエがシーツを少ししか持ち上げなかった理由がわかった気がした。

 それは確かに人の手に見える。しかし、氷のように透明で、決して人間の体とは思えない。それでも、人間だとわかってしまう生々しさがある。

 次の瞬間、シトルーナは理由もわからぬまま膝から力が抜けそうになった。それでも、奥歯を噛みしめて、どうにか持ちこたえる。

「人の体……全身が水晶化しているそうです。でも、昨日の夜までは、普通に元気だったそうですよ。家族の話では、朝起きてこないから呼びに行ったら……この状態だったそうです」

「す、水晶化? 急に? 魔術か何かですか?」

「医師の話では、原因は不明とのことです。それに、ここ数日の話ですが……国土全体で同じような不審死に遭遇したという報告が、近隣に派遣してる者からあがってきてます。まだ数は少ないですけどね」

「国土……全体で?」

 第三騎士隊は遠征先での諜報活動などを主としている。その隊長であるシニエが言うのであれば、噂などの類ではない。現実――そう思った瞬間、シトルーナは目の前が真っ暗になり、膝からガクンと崩れ落ちた。

「シトルーナ殿!? 誰か! 先生! 早く!」

 意識を失って床に倒れ込んだシトルーナに駆け寄って、シニエは大声で医師を呼んだ。


 その後、シトルーナが目を覚ましたのは、一時間くらい経ってからのことだった。倒れた時に頭をぶつけて額を切ってしまい、その治療の際に使った薬が少しだけ目覚めるのを遅らせた。

 目を開けて、シトルーナが最初に見たものは、窓から差し込む夕日の色に染まった天井だった。

「あれ、私……どうして?」

 自分が寝台に寝ていることに気がつくと、不思議そうにする。その上、頭が痛い。手をやれば、額に包帯が巻かれている。

「昏倒したそうだ」

 よく知る低い声に視線を向ければ、ヴェシメロニが傍に立っている。

「父上? あ、そうだ。私……水晶化した人を見て」

 徐々に鮮明になる記憶に反して、シトルーナの表情は暗くなっていく。目に焼きついている透明の小さな手に、体が震える。

「動揺しているようだが、大丈夫か?」

「はい。情けないところをお見せして、申し訳ありません。しかし、人があのようになるとは……とても信じられません」

 表情も声色も普段と変わらないが、ヴェシメロニが口にした娘を心配するような言葉に、シトルーナは少しだけ驚いた。

「そうか。もうしばらく休んだら職務に戻れ」

 しかし、次の瞬間には騎士団の副団長の背中を向けて歩き出している。

 わざわざ来てくれたのか、と思えば素直に嬉しい。その背中を見つめるシトルーナの目には、久しく感じていなかった父親に対する親愛の情が揺らいだ。


 太陽から月に空の主役が変わった頃、評議会議室での連絡会議は終わった。評議員たちは不安色に染めた面持ちで、足取り重く部屋から出ていく。

 緊急に召集された会議の話題は、不審死――人体の水晶化についてだ。だが、まだ何もわかっておらず、結局は話題の共有をしただけに過ぎなかった。

「そういえば、シトルーナが倒れたって?」

 ペルナは評議会議室を出る前に、シニエに声をかけた。

「ああ。副団長に声をかけるべきだったな……あんなものを見たら、俺だって平静ではいられないよ」

「そんなにひどいのか?」

 ペルナが眉をひそめるのを見て、シニエは「そうか」と何度か小さく頷く。

「お前は、まだ見てないんだったな? 人の手で作られたものなら美しいと思えるけど、人そのものだと思ったら……完全に見え方が変わるよ」

 シニエの口調は重い。普段は感じのよい男だが、今は話すことさえ億劫そうだ。

 労いの代わりに、ペルナは何も言わずにシニエの肩を軽く叩いた。それが伝わったのか、シニエは頷きだけを返して、部屋を出ていった。

 

「第一騎士隊長」

 それから、評議会議室を少し出たところで、ペルナは声をかけられた。声の主は、メロニエルだ。

 思わず、ペルナは顔をしかめる。

「そんな顔をしないでください。べつに取って食いやしませんよ」

 面白そうに笑ってはいるが、メロニエルの眼光は微妙に鋭い。

「何か、ご用でしょうか?」

「少し話をしてみたかったんです。あなたの噂は隣国まで届いていますから」

「どうせ、よくない噂ですよね?」

「噂というのはそういうものです」

 こいつは何なんだ? ペルナは冷ややかな半目で、メロニエルを見る。

「そう怖い顔をなさらないでください。一つ、お聞きしたいことがあるんです」

 そう言われて、いよいよペルナの顔はしかめ面になった。何を言うんだ? と身構える。

 数秒、どちらも口を閉ざせば、夜らしい静寂が辺りを包む。

「例えばの話ですが……絶対に必要だけれど、絶対に好きになれない具材を入れなければならない料理を作るように命じられたら、あなたはどうしますか?」

 内容はともかく、メロニエルの口調は変わらない。どういう意図があるのか。意図があるのかどうかさえも、まったくもってわからない。

 だから、ペルナは慎重になる。

「命令ならば、作りますよ。でも、自分は食べません」

 少し考えた末、結局は正直に答えた。偽る必要も、はぐらかす必要もないと判断した。

「でしょうね。あなたならば、そうすると思います」

 メロニエルは薄い表情ながらも、口元に笑みを浮かべた。そして、会釈をすると、そのまま足を踏み出した。

「何だったんだ?」

 離れていく背中を見ながら、ペルナは困惑するばかりである。


 翌日。ミュルキス国の特使一団は、来た時と同じように早朝に出立した。

 東の空の淡い光は曇天の空を重く映し出している。そのような空の下、数頭の馬たちが城門から走り出ていく。

 ややあって――ぽつり。馬の鼻先に水滴が落ち、息がわずかに揺れた。

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