三話(仮)
『書きたいジレンマ』
人間には必ず動物的な特性というか、
どうしても抗いようのないものを有している、グレイリー・ニャイジーの場合、小説書きたい症候群を発症している。
彼女の場合、其は病的なまでのもので、書かないと死んでしまう、呪いを空想世界でかけられたのではないかと思うほどであった。通常ならば、一言で済むようなことも、彼女の場合は、長々と書くので、物語が酷く難解で、読むにも、理解するにも、彼女、個人で動いているため、一人が満足するための劇に仕上がっていた。だから、この文字の集大成は時として、本一冊書けるんじゃないかと錯覚することもあり、途方もない旅と称して、一夜にして、どのくらい書けるのだろうかと、いや、一度筆を握ってしまえば、止まることのない、強靭な葦となった。凡人な者だから、不器用な者だから、言葉も可笑しいのかもしれない…いや、おかしい、時折、奇妙な表現をすることもあった。例えば、〈煙突から煙たなびく…〉過去に指摘された事である…私は正しさなんてものは求めておらず感覚だけで書いてるから、この指摘に若き猫は非常に腹がたっていた…いや、自分の構築したものを、懸命に構築した分だけ、意固地になってしまったゆえに、グレイリー・ニャイジーは物語の犠牲者的な立場になってしまったのではないかと考えるのだ。
そもそも、小説に正しい正解などあるだろうか?文法、書き方、用法、人それぞれに世界がある…なぜ、小説を一般の人は書けないのか…小説自体を高尚なものだと捉えている面があるのだと、つまり、物事を対等ではなく、上あるいは下に見ているからだろう…、なぜ、下に見ているというのは、捻くれた考えで、字を読むこと字を書くこと、長々と書くのは無能な輩だと考える怪物じみた連中もいるかもしれないと想像したからだ。だからこそ、今回の作品が出来たのかもしれない…、わざわざ機械に頼ればいいのに、確かに、時間的にも便利になるのかもしれない、小説すらも機械で書けるのだから、人間がわざわざ書くだなんて、しかも、文節、言葉の誤った使い方、ちぐはぐな展開、確かに、見た目としては汚いし、だったら、綺麗な道のように整理された、機械が構築した文はなるほど、綺麗だし、読みやすい、しかし、其処に貴方の魂はあるのだろうか?クレイジー・ニャイジーは考える…、貴方らしさを載せられただろうか…、アイデンティティーはあるのだろうかと…考えていくと、機械で構築された文章は、どこか、普遍的で飽きがきてしまう…、機械は人間よりも優れる時代が来るかも…いや、もう来ている
グレイリー・ニャイジーの住むニャンノ世界は、人と見分けのつかぬようなロボカノというヒューマノイドがいたり、音楽を作曲してくれる人工知能もいたりと、人間はますます、生きとし生ける生命体の存在意義は何だろうかと…考えて苦悩することが以前にも増して多くなった。
書かない方がいっそ、楽になるのだろう…
実際、倉庫の中には作りかけの物語がたくさん積まれている。パズルが幾重にも重なり、ピースがはめられずに残ったものが物影の奥で見つめている。
逃さないように、笑っていた…
煩いと言って物を投げる…
思考の坩堝…言葉を求めても理解されぬ、言葉の刺が、書くことで一層鋭敏になっていく、些細な感覚と機微から、嫌煙されてるのが見えてくる…知ってしまうのだ、鋭いゆえに悩ましくなるのだ…