16. 商談の結果
――金貨八枚。
それがリディアの提示した洗濯機の値段である。
緊張で息苦しくなってきた頃、ようやく子爵夫人は口を開いた。
「金貨八枚。あなたのご主人は、王立研究院の三級研究官でしたわね」
「はい」
「その方のお給料よりも高いお値段なのね。ずいぶん思い切った金額をつけたものだわ」
リディアは胸を張った。
「主人の給与と、魔道具の価値は別物です。主人は素晴らしい魔道具を作りました」
言い切ると、夫人はわずかに笑った。
「それはそうね。これは私がおかしなことを申し上げたわ。ごめんなさい」
「いいえ、ご夫人が商品の価値を気になさるのは当然ですわ」
夫人は丁寧に謝罪してくれたが、金貨八枚に納得したとは言ってくれない。
リディアは少し考え、言葉を続けた。
「もちろん、価値があるかどうかは、お買いになる方が決めることです。ですが、材料費だけでも金貨二枚ほどかかり、設計と試作にも相応の時間を費やしております。それに、同じものはまだどこにも売られておりません。……つまり、ご夫人は、この世界で初めて、この新しい魔道具を手にされるということです」
「あら、なかなか強気な売り手だこと」
「昔から、強情だと言われております」
「ふふ、そうみたいね」
夫人は楽しそうに笑ったが、やがて少し考えるような顔になった。
「ただ、買う側としては、もうひとつ気になることがあるの。故障したときの修理は、あなたがたにお願いできるのかしら?」
痛いところを突かれた。
リディアは、昨夜にレオルと交わした会話を思い出した。
レオルは、「洗濯機が壊れたら教えてくれ」と言っていた。故障原因を調べるついでに、修理をしても構わないという。
しかし、レオルにも仕事があるし、何しろよく分からない人だ。
いつでも対応してもらえるかといえば、リディアにも疑わしかった。
「修理について、私から無制限のお約束はできません」
「そう。では、やはり少し不安が残るわね。金貨七枚ではどうかしら?」
金貨一枚の値下げ。値下げしたら買ってもらえるのだろうか。
リディアは、ついうなずきたくなる衝動をこらえた。
夫人の言い分も分かる。しかし、ここで金貨一枚を引けば、今後もその値段が基準になるかもしれない。
それに、値段交渉を仕掛けてくるということは、夫人もこの商品に魅力を感じているのだ。ここで弱気になってはいけない。そう自分に言い聞かせた。
「八枚でお願いしたいのです。その代わり、今日のうちに洗濯係の方へ使い方をお伝えし、説明書も後日お届けします。また、七日以内に装置が故障した場合は、引き取って代金をお返しします」
「それはありがたいことね。でも、長く使うものですもの。七日間だけではまだ不安だわ」
夫人は柔らかくリディアの提案を押し返してくる。リディアは息を吸い込んだ。
「返品をお受けするのは七日間ですが……その後も、三か月以内の故障でしたら、最初の一回は無償で修理をお引き受けします」
「……そう、それなら少しは安心できるわね」
「ただし、耐久性については、まだ十分に確かめられておりません。その点については、正直に申し上げておきたいと思います」
夫人は考え深げに、頬に手を当てた。
リディアは、自分が手のひらに汗をかいていることに気がついた。いつか婚姻契約書を前に、相手の返事を待っていたときも、こんな気持ちだった。
ただ、今回は、契約書への署名から逃れたいのではない。むしろ自分の提案に、相手の署名が欲しいのだ。
夫人が、ちらりと女中頭の方に目を向ける。女中頭は洗い上がったテーブルクロスを手に、静かにうなずいた。
「――いいでしょう」
夫人が言った。
「八枚で買います。ただし、七日以内に動かなくなったら、約束どおり引き取ってちょうだいね」
「もちろんです」
言ってから、リディアの胸の奥が跳ねた。
――売れた!
あの魔導洗濯機が、本当に金貨八枚で売れたのだ!
手続きは慎重に進めた。装置の使い方や注意点、返品や修理の条件を紙に記した。夫人は署名し、使用人に金貨八枚を用意させた。
重みのある硬貨が布袋に入れられ、リディアの前に置かれた。
リディアはその重みが、しばらく信じられなかった。
受け取ったお金の全てが利益になるわけではない。材料費や運搬費がかかっているし、返品を求められる可能性だって残っている。
それでも、八枚の金貨が確かにそこにあった。
リディアは使用人に操作を教え、注意点を何度も確認してから屋敷を出た。
帰りの荷車は空になったので、運搬人とはそこで別れる。
エミリアが門まで見送りに出てきてくれた。
「おめでとう、リディア」
「ありがとう、あなたのおかげよ!」
「いいえ。私がしたのは叔母様に紹介したことだけ。売ったのはあなたの力よ」
リディアは思わず笑った。
人に褒められるのが、こんなに嬉しいのは初めてかもしれない。
帰り道、リディアは何度も布袋を確かめた。
金貨八枚。八枚だ。かつての伯爵家なら、大した額ではなかったかもしれない。だが、いまの自分にとっては、たしかな出発点だった。
屋敷に着くと、リディアはまっすぐ研究室へ向かった。知らず知らずのうちに、足が速くなる。
「レオル様!」
レオルは机に向かったまま、顔だけを上げた。
「どうした?」
「あの洗濯機が売れました! 金貨八枚です!」
「そうか。それはよかったな」
「ご覧になって。お給料より多いのです!」
リディアは布袋を開いて見せた。
レオルは金貨を数えるでもなく、ほう、と言った。
「これだけあれば、次の魔道具の材料を買えますし、工房に製造をお願いする資金にもできます。屋敷の修繕だって、少しはできるかもしれません!」
「そうだな」
「それに、子爵夫人はとても喜んでくださいました。ほかにも欲しい方がいらっしゃるかもしれませんわ!」
言葉が止まらなかった。考えてもいなかった未来図が次々と口から出てくる。
レオルはしばらく聞いていたが、やがて少し首をかしげた。
「ところで」
「はい?」
「我が家の洗濯は、これからどうするのだ?」
リディアの笑顔が止まった。
布袋の中で、金貨が小さく触れ合った。
「……あっ!」




