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第36話 売れるものと、売れないもの

 木曜の朝。


 目が覚めて最初にやったのは、ベッドの下を覗くことだった。


 ダンジョン用のリュックが、そこにある。


 普段は玄関の横に置いているやつだ。昨日の夜、こっそり自分の部屋まで運んで、ベッドの下の一番奥に押し込んだ。


 理由は、中身だ。


 ファスナーを少しだけ開ける。


 赤い光が、漏れ出した。


「まだ光ってる」


 赤津の50階層。陶器の巨人のボスが落とした、拳くらいの大きさの魔核だ。一晩経っても、窯の火みたいな赤い光がずっと消えない。


 その周りには、オーガの角が四本。クレイゴーレムの核が十個くらい。それから、赤津の深いところで拾った、名前も分からない赤茶色の欠片がいくつか。


 全部、火曜日の赤津のものだ。


 そして全部、今は売れない。


 理由は単純だった。


 今、赤津は「黒い外套が出たダンジョン」として、トリッターで一番燃えている。そこの50階層のボスの魔核を、十五歳のDランクが換金所に持っていったらどうなるか。


 さすがの俺でも分かる。


 怪しすぎる。


「寝かせとこう」


 ほとぼりが冷めるまで、ベッドの下で眠っていてもらう。一か月か、二か月か。そのうち誰も赤津のことなんて気にしなくなる。そうしたら、しれっと売ればいい。


 完璧な作戦だ。


 ファスナーを閉めて、リュックをさらに奥へ押し込んだ。


 その代わり、今日売るものは別にある。


 机の上に置いた、もう一つの袋。


 昨日の尾張旭、城山のぶんだ。ボアファングの牙が三本。あとは小さめの魔核がいくつかと、木の根みたいな素材が少し。


 城山には、誰もいなかった。黒い外套も出ていない。ダンジョンさんぽも出ていない。カラスしかいなかった。


 こっちなら、売っても何も起きない。


「よし」


 今日は、換金の日だ。


---


「兄さーん!」


 着替えていたら、ドアがノックされた。


 聖奈だった。ドアを細く開けて、顔だけ覗かせている。


「ん、どした?」


「ねえ、兄さんの部屋、昨日の夜なんか赤く光ってなかった!?」


「えっ」


 心臓が跳ねた。


「夜中にトイレ行ったら、ドアの下の隙間から赤いのが漏れてたんだけど。ちょっと怖かったんだけど!」


「え、えーっと」


「なにあれ?」


「間接照明」


「そんなの持ってないじゃん!」


「買ったんだよ」


「いつ?」


「き、昨日」


 聖奈は、じっと俺の顔を見た。


 それから、部屋の中をぐるっと見回した。机の上。本棚。ベッド。


 ベッドの下で、視線が止まった。


 止まるな。


「ふーーーん」


 聖奈は、にやにやしながら俺の顔とベッドの下を見比べた。


「……キモ!」


「なんで今のでキモいんだよ」


「間接照明で部屋を真っ赤にしてる高校生、キモいでしょ。絶対なんか儀式してるじゃん!」


「いや、それは……うん、否定できない」


 反論できなかった。


 ドアが閉まる。足音が遠ざかっていく。


 俺は、ベッドの下のリュックに、脱いだパジャマをかぶせておいた。


 今夜からは、タオルも巻いておこう。


---


 学校は、平和だった。


 正確に言うと、平和ではなかった。朝から「黒い外套、赤津にめっちゃ人集まってるらしいよ」という話が、クラスのあちこちで聞こえてきた。


「一ノ瀬くん、見た? 赤津の出待ち、昨日五十人超えたって!」


 矢野が、スマホを見せてくる。


 写真の中の赤津は、もう俺の知っている赤津じゃなかった。石垣の前にテントが張られていて、屋台みたいなものまで出ている。


「すごっ。屋台まで出てるじゃん。お祭りかよ」


「すごいよ! 黒い外套さん、人気すぎない? ダンジョンさんぽといい勝負だよ」


「そ、そっかあ。いい勝負かあ」


 どっちも俺なんだけどな。


 とは、口が裂けても言えなかった。


「一ノ瀬くん、今日も散歩?」


「今日は換金の日。散歩はお休み」


「あ、そっか。売らないとお金にならないもんね」


「そういうこと。売るまでがダンジョンだから」


 久住が、後ろの席から小さく頷いた。何を分かったのかは分からないが、何かを分かった顔だった。


---


 放課後、ギルドの名古屋本部へ向かった。


 千種の支店は、まだ出待ちがいるらしいので避けた。本部なら人が多すぎて、逆に誰も俺を気にしない。


 換金カウンターに並ぶ。


 順番が来た。


「一ノ瀬様」


 カウンターの向こうにいたのは、三島さんだった。


「あ、三島さんだ。こんにちは。今日は換金のほうなんですね」


「はい。本日はこちらの担当でございます」


 目の下のクマは、月曜日よりはだいぶ薄くなっていた。


「換金でございますね。お品物をこちらへ」


「はい、お願いします」


 袋を、カウンターに置く。


 三島さんが、白い手袋をはめて、一つずつ確かめていく。


「ボアファングの牙。状態は良好ですね。こちらは、城山ダンジョンの……」


 三島さんが、手元の端末を見た。


 ギルドカードの記録を、確認している。


「……昨日、尾張旭の城山ダンジョンに入場されていますね」


「はい。空いてたんで。カラスしかいませんでした」


「なるほど」


 三島さんが、ほんの少しだけ微笑んだ。


「賢明なご判断かと存じます。千種は、まだ落ち着いておりませんので」


「ですよね。千種、まだ出待ちの人がいるって聞きました」


 よかった。怪しまれていない。


 当たり前だ。城山には誰もいなかったんだから。


 三島さんは、残りの素材も手際よく鑑定していった。


「合計で、1万2800円になります」


「おお!」


 30分で、1万2800円。


 赤津の50階層に比べたら、たぶん桁が二つくらい違う。でも、今はこれでいい。


 ギルドカードに、入金の通知が来た。


「ありがとうございます」


「こちらこそ」


 三島さんが、袋を返してくれた。


 受け取って、帰ろうとしたところで、三島さんが小さく声をかけてきた。


「……一ノ瀬様」


「はい?」


「ご存知かと思いますが、ここ数日、瀬戸の赤津ダンジョンについてのお問い合わせが、非常に増えておりまして」


 背中が、ぴくっとした。


「あー、黒い外套の人、ですよね」


「はい。本部にも、朝から取材のお電話が」


 三島さんは、いつもの整った表情のままだった。


「一ノ瀬様も、D級を回られるのでしたら、しばらくは瀬戸方面は避けられたほうがよろしいかと。出待ちの方が、かなりいらっしゃいますので」


「あ、はい。そうします」


「念のため、でございます」


 三島さんは、それだけ言って、次の人を呼んだ。


 念のため、か。


 念のため、って、何の念のためなんだろう。


 出待ちが多いから、D級を回る探索者はみんな気をつけてね、という意味だよな。たぶん。


 うん。たぶん。


 俺は、なるべく自然な顔で、換金所をあとにした。


---


 帰りの地下鉄で、ギルドカードの残高を眺めた。


 千種の11万4000円と、今日の1万2800円。それから、ゴブリンエンペラーの魔核の500万が、ほとんどそのまま残っている。


 高校生の残高じゃない。


 使い道は、決まっている。


 装備だ。


 今の防具は、ほぼゼロだ。千種ではオークに背中を殴られた。赤津では全部避けたけど、あれは王だったからだ。素の俺で潜るなら、ちゃんとした防具がいる。


 それから、兵士を呼ぶなら、二人で動くことも考えないといけない。


 兵士。


 昨日の、あの全身鎧の。


「また呼びたいなあ」


 ぽつりと呟いた。


 呼べば来てくれる。宇宙の外から。「またのお呼びを、お待ちしております」と言っていた。


 それに、その上もいる。隊長がいて、大隊長がいて、星をつけた偉い人たちがいて。


 その先に、十二席がいる。


 いや、十二席は、まだ早い。心の準備ができていない。特に女の子たち。


 まずは兵士から。次は、隊長あたりか。


 隊長は武器を選べる。何を持って出てくるんだろう。


 考えていたら、また口元が緩んでいた。


 向かいのおばさんと目が合った。慌てて窓の外を見た。


---


 その夜。


 風呂から上がって、自分の部屋に戻ろうとしたら、廊下でお姉ちゃんとすれ違った。


 お姉ちゃんは、何も言わずに立ち止まった。


 それから、俺の部屋のドアを見た。


 正確には、ドアの下の、隙間を見た。


 赤い光が、ほんの少しだけ漏れていた。


 パジャマ、ずれたか。


「朔」


「は、はい」


「それ」


 お姉ちゃんが、ドアの下の隙間を顎で指した。


「赤津の、50階層のやつ」


「へ?」


 時間が止まった。


 お姉ちゃんは、表情一つ変えなかった。


「陶器のボス。焼成の番人。魔核は赤く光る。三日くらい消えない」


「な、なんでそんなに詳しいの」


「売るなら、言って」


「え、お姉ちゃんが?」


「私が売る。S級が持ってきたら、誰も何も思わない」


 お姉ちゃんは、それだけ言って、自分の部屋のドアノブに手をかけた。


 それから、振り返らずに、一言だけ付け足した。


「50階層、一日で。やるじゃん」


 ドアが閉まった。


 廊下に、俺だけが残された。


 いや、なんで。


 なんで、全部知ってるんだ、あの人。


 入場記録か。いや、あれはギルドしか見られないはずだ。トリッターか。いや、赤津の黒い外套と俺をつなげる情報は、どこにもないはずだ。


 じゃあ、なんで。


 分からない。


 分からないけど、一つだけ分かったことがある。


 完璧な作戦は、一日ももたなかった。


 部屋に戻って、ベッドの下のリュックにタオルを三枚巻いた。


 赤い光は、それでも少しだけ漏れていた。


 布団に潜り込んで、天井を見る。


「やるじゃん、って言われた」


 小さく呟いた。


 にやけるな、と自分に言い聞かせた。


 にやけた。

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