第4話:『小さな掌と、削れた鍵』
「いいか佐藤、お前は少し、持ち物に対してデリカシーがなさすぎる」
「はあ? なんだよ急に」
よく晴れた放課後。いつものように白雪さんを交えた三人での下校途中、忠敬は隣を歩く色黒の悪友、佐藤をジト目で睨みつけていた。
忠敬がなぜ怒っているのか、当然、佐藤には知る由もない。だが、忠敬の目には、佐藤のズボンのベルト穴に引っ掛けられたキーホルダーの小人が見えていた。マスコットの形をしたその小人は、佐藤が歩くたびに壁や自転車にぶつかり、涙目で悲鳴を上げているのだ。
『痛いってば! この色黒のご主人、さっきから歩き方が雑!』
手で目を覆って嘆く彼女に、徒歩で並んで歩く白雪さんのスクールバッグに付いたキーホルダーの小人が、同情の目を向けた。
『ご主人が大雑把な性格だと苦労するわね……。でも、さっき職員室の前を通った時、英語の教師が「佐藤のやつ、また赤点だな」ってため息をついてたわよ。次の小テスト、補習確定ね!』
(……なるほど、佐藤のやつ、また補習か)
小人たちの過剰すぎる情報収集能力は、時として本人すら知らない”残酷な未来”を忠敬に届けてしまう。
「なぁ佐藤」
「ん?」
「お前、次の英語の小テスト、マジで勉強しといた方がいいぞ」
「えっ、なんで分かるんだよ!? まだ返却されてないのに!」
佐藤が色黒の顔を驚愕に染める。その横で、白雪さんが「あら」と小さく口元を押さえて微笑んだ。前回のスーパーでの一件もあり、白雪さんは忠敬が時折見せる『神がかった察しの良さ』を完全に信頼している。もちろん彼女は小人の存在など知る由もない。ただ、忠敬には人並み外れた鋭い『観察眼と勘』があるのだと、純粋な敬意の眼差しを向けているのだ。
教室の座席配置でも忠敬の右隣に座る彼女は、歩調を合わせて一歩近づくと、綺麗にまとめられた歴史のノートを取り出した。
「潜木くん、実は私も、あなたのその鋭い『勘』を少し参考にさせてもらってもいいかしら? 明日の歴史の小テスト、範囲が広くてどこを重点的に見直すべきか迷ってしまって。潜木くんの観察眼で、何か気付いた点があれば教えてほしいの」
甘えるような態度ではなく、純粋に彼の能力をロジカルに頼る優等生らしい問いかけ。
だが、そのノートの表紙に目をやった瞬間、忠敬は危うく吹き出しそうになった。
表紙の小人が、顔を真っ赤にして『お、お隣の席の潜木くんに、ノートを見てもらえるなんて緊張する……!』とモジモジしながら、白雪さんが一生懸命に引いたマーカーのページを必死に指さしてアピールしていたからだ。
(……なるほど、そこが出るってことか。持ち主の努力を一番近くで見ているからな、ノートは)
「……それじゃ、ノートのこのページ、そこを集中的に復習するといいよ。俺の『勘』だと、そこが一番怪しい」
「ここね……! わかったわ、家に帰ったらここを何度も見直すわ」
納得したようにノートを抱きしめる白雪さん。彼女の知的な信頼に応えるために、このお節介な小人達を利用するのも、決して悪い気分ではなかった。
*
そんな微笑ましい小人の『声』が、突如として不穏な色を帯びたのは、白雪さんの家へと続く分岐路の手前でのことだった。佐藤は自転車を引いて後ろを歩いている。
「忠敬」
左手首のスマートウォッチの文字盤から、クロノが滑らかな振動とともに、冷徹なトーンで告げた。
「お前の心拍数は正常だが……僕の近距離無線センサーが、妙な通信ログを拾った。さっきから僕たちの後ろを歩いている男。あいつのポケットから、極めて不穏な『叫び』が聞こえる」
忠敬はさりげなく歩調を緩め、文房具屋のショーウィンドウを見るフリをして背後の通りへ視線を走らせる。たしかに、キャップを深く被りスマートフォンをいじるフリをしながら距離を詰めてくる男の姿があった。
『嫌だ、外に出たくない! あいつ、僕たちをやすりで削って、別の形に変えようとしたんだ!』
『違うよ、あれは【合鍵】なんかじゃない。鍵を無理やり開けるためのピッキングツールだ!』
『あいつ、ネットの裏掲示板で「過激な悪戯動画のロケハン」についてやり取りしてる! 誰もいない古い物置に、外から鍵をかけて子供を閉じ込める気だ!』
『もう遅いよ! 男の子がもう、中に閉じ込められちゃってるんだよ!』
男のポケットの中で、雑に削られたらしい鍵の小人たちが、ガタガタと震えながら、互いに擦れ合って泣き叫んでいる。
(悪戯動画の配信……!? いや、それより、もう中に閉じ込められてるってことか!?)
鍵たちの悲鳴が事実なら、一刻を争う。もしあの不完全な鍵で物置をロックされてしまえば、内側からも外側からも二度と開かなくなる。そして、夕闇が迫るトタン物置の中は、密閉された地獄と化す。閉じ込められている幼児の命は、持って数時間だろう。
「白雪さん、悪いけど今日はここで!」
「えっ? 潜木くん?」
「佐藤、自転車を貸せ!」
「うおっ、おい、どこ行くんだよ!?」
忠敬は驚く白雪さんをその場に残し、佐藤の自転車をひったくるように奪い取ると、ペダルを全力で踏み込んだ。手首のクロノが、男のスマートフォンが発する近距離の電波強度を測定し、文字盤のマップ上に「男の現在地」をリアルタイムでプロットしていく。
「忠敬、男は公園の裏手にある民家の敷地内に侵入した。……急げ、男が持っているあの歪な鍵、一度閉まったら不完全な溝のせいで二度と抜けなくなる確率が高い、安物の南京錠の鍵だ!」
公園の裏手、鬱蒼とした雑木林に囲まれた古い民家の庭。そこには、赤錆びたトタン製の物置がポツンと佇んでいた。
物置の扉の前には、キャップを被った男が立っている。男はスマートフォンを片手に、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべながら、ポケットからあの歪に削られた鍵を取り出し、物置の掛け金にかけられた大きな南京錠に差し込もうとしていた。まさに今、完全なロックをかけようとしている瞬間だった。
『やめて! 僕を回さないで!』
男の指先で、南京錠の【鍵】の小人が必死に涙を流して叫んでいる。
「……そこで終わりにしろよ」
忠敬は自転車を投げ出し、男の前に立ちはだかった。男が驚いたように顔を上げる。
「な、なんだお前、急に……」
「その物置の中に、子供がいるだろ。今すぐそこをどけ」
忠敬のその言葉に、男の顔がサッと青ざめた。誰も知らないはずの、ネットの裏側だけで完結していたはずの悪行。それを、ただの通りすがりの高校生が完璧に言い当てたからだ。
「な、何のことだか……! 俺はただ、動画のロケハンを――」
「嘘つくな。お前の手にあるその鍵、一度回せば噛み合わなくなって壊れる。そうなったら、中の子がどうなるか分かっててやってるのか!」
忠敬の”異常なまでの解像度の高さ”に恐怖した男は、ついに持っていた鍵を地面に放り出し、脱兎のごとく住宅街の闇へと逃げ去っていった。
「っ、逃げたか……!」
「忠敬! 追うか!?」
遅れて走ってきた佐藤が息を切らせて叫ぶ。佐藤も、忠敬のただならぬ様子に全力で走って追いかけてきてくれたのだ。
「いや、佐藤、警察に通報してくれ! 男の服装と人相は俺が全部覚えてる! それより、コイツが先だ!」
忠敬は地面に落ちた、雑に削られた銀色の鍵を拾い上げた。鍵の小人は、忠敬の掌の上で『ごめんなさい、ごめんなさい、僕が削られたせいで……』と激しく泣きじゃくっていた。
「お前のせいじゃない。……頼む、一度だけ、ちゃんと回ってくれ」
忠敬はそう優しく語りかけ、南京錠の鍵穴にそれを差し込んだ。カチリ、と硬い金属音が響き、ロックが外れて地面に落ちる。勢いよくトタンの扉を開けると、そこには、暗闇の中で涙をボロボロと流し、自分の小さな掌を握りしめて震えていた、4歳ほどの小さな男の子がうずくまっていた。
「……もう大丈夫だ。お兄ちゃんたちが、君を見つけたからな」
忠敬が優しく微笑みかけ、男の子を抱き上げると、遅れてやってきた佐藤が「うわ、マジで子供が……!」と色黒の顔を驚きで引つらせた。
*
その後、駆けつけた警察によって男の子は無事に保護され、逃走した男も、クロノが記録していた電波ログと、忠敬の「完璧すぎる人相の目撃証言」によって、その日のうちに近所のネットカフェで逮捕された。
「潜木くん、またあなたの『勘』が、尊い命を救ったのね」
翌日、事の顛末を聞いた白雪さんが、廊下でそっと忠敬に声をかけてきた。いつもの冷静な優等生のトーンだが、その瞳には深い敬意が宿っている。
「いや、本当にたまたまだよ」
忠敬は苦笑交じりに手を振った。
胸元から、小さく誇らしげな声が聞こえてきた。南京錠を外したあと胸ポケットに放りこんだままでうっかり警察に渡しそびれた、あの壊れかけた鍵の小人が、小さな声で『ありがとう、お兄ちゃん』と呟いていた。
(……まぁ、スルーできないのも、悪いことばかりじゃないか)
日常を愛する少年の、そのごちゃごちゃした視界の片隅で、小人たちは今日、誰にも見えない真実の拍手を送り続けていた。




