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第10話:『おしゃべりなクレヨンと、ちいさな園児の秘密』


地元の「ひまわり幼稚園」。

家庭科の体験学習として足を踏み入れたその空間は、男子高校生二人を圧倒するには十分すぎるほどの、黄色い歓声と凄まじいエネルギーに満ち溢れていた。


「ひええ……みんな、元気すぎるよ……」

「高橋、オロオロするな。足元に気をつけてゆっくり歩け」


気弱な高橋くんが園児たちに囲まれて早くもキャパシティを越えかけている横で、忠敬は心の中で小さくため息を漏らしていた。ただでさえ普段から小人たちの声で賑やかな自分の視界に、本物の人間の子供たちの狂騒まで加わっているのだ。


今日を無事に乗り切るためのスルースキルを頭の中で組み立て直す。高橋くんが踏み出しそうになった足の先にはバラバラに散らばった積み木があり、もし踏んでいたらおもちゃの小人たちがガチ泣きするところだった。危ない危ない。


忠敬が教室の隅の荷物置き場に目をやると、高橋くんが身に付けた学校指定のエプロンの小人が、彼の几帳面なアイロン技術を園のおままごとセットの小人たちに「うちのご主人、少し気弱ですが、生地を絶対に傷つけないし、本当に優しいお方なんですよ」と誇らしげに自慢しながら挨拶回りをしていた。


すると、忠敬のブレザーのポケットから、彼が中学時代からずっと大切に使い続けている、すっかり色あせたお気に入りの黒いハンカチの小人がなぜか紛れ込んでいたようでひょっこりと顔を出した。そして、同じ布製品である高橋くんのエプロンに向かって、その小さな胸を張った。


『ふん、うちのご主人(忠敬)だって負けてないぞ! 普段はぶっきらぼうでやれやれって顔をしてるけど、僕が泥で汚れたら、生地が傷まないようにいつも手洗いで優しく汚れを落としてくれるんだ! 物を最後まで大切に使い切る一途さは世界一なんだから!』


(俺のハンカチ、そんな細かいところまで見てたのかよ。……っていうかバラすな、恥ずかしいだろ)


自分の普段の行動や扱いをそんなに見られていたのかという驚きと気恥ずかしさに、忠敬が心の中で頭を抱えていると、最初の小さなトラブルが教室の隅で音を立てた。


「ほっといてよ! 僕、一人で遊ぶんだから!」


かけるくんが、砂場から戻ってきたばかりの泥だらけの靴下のまま、腕を組んでフンッとそっぽを向いていた。高橋くんが「どうしたの?」と優しく覗き込むが、かけるくんは幼いながら男としてのプライドがあるのか、頑なに口を閉ざしている。


その時、かけるくんの靴下の小人が、繊維の泥汚れを落としようと必死に忠敬に向かって走ってきた。かけるくんの毎晩の涙を、一番近くで見守ってきた小人だ。


『お兄ちゃん聞いて! かけるくん、おばあちゃんに貰った大事な「お守りキーホルダー」をさっき園庭で落としちゃったんだ! でも、みんなに「子供っぽい」ってからかわれるのが怖くて、自分で落としたって言えずに怒ったふりをしてるんだよ! 毎晩お布団の中でそのお守りをぎゅっと握りしめて、おばあちゃんに会いたいって泣いてるんだ!』


(からかわれるのが怖いとか、5歳児なりに世間体気にしてて健気じゃねえか……)


忠敬は内心で呟くと、オロオロしている高橋くんにさりげなくパスを出した。

「高橋。かけるくん、さっきまで砂場の近くにいたみたいだぞ。お前の慎重な性格なら、砂のなかに埋もれた小さな落とし物でも見つけられる気がする。悪いけど、ちょっと砂場のフチに沿って探してみてくれよ。俺がかけるくんの相手をしておくから」

「えっ? あ、うん、分かった!」


高橋くんが園庭へ走っていくのを見送ると、忠敬はいつの間にか自然とその場にかがみ込み、腕を組んでそっぽを向いているかけるくんと、まっすぐに目線を合わせていた。


「なぁ、かけるくん。高橋はな、おっちょこちょいに見えるけど、探し物に関してはめちゃくちゃ慎重で凄いんだぞ。砂場に落とした宝物でも、あいつなら絶対に見つけて戻ってくるから、ちょっと待っててやれよ」

「……たからもの、じゃないもん」


かけるくんはそっぽを向いたままだが、その耳がかすかに赤くなる。忠敬の言葉が、男の子の意地を優しく包み込むように届いていた。数分後、高橋くんが「見つかったよ!」と、砂に半分埋もれていた小さなお守りを両手で大切に抱えて戻ってきた。


「これ、すごくカッコいいお守りだね。砂場の横に落ちてたから、綺麗にしておいたよ」と優しく声をかけた。


かけるくんは顔を真っ赤にしながら、「……ありがと」と嬉しそうにお守りを受け取り、自分のバッグへと大事そうに結びつけた。





お昼が過ぎ、次はお絵描きの時間になった。

今度は、つむぎちゃんが、自分のクレヨン箱をじっと見つめたまま、頑なに画用紙に向き合おうとしない。心配そうに顔を覗き込む高橋くんの隣で、忠敬もつむぎちゃんの机の横にそっと腰を下ろした。


つむぎちゃんが持っている色あせたクレヨンの小人たちが、箱のフチから必死に忠敬に向かってアピールしていた。お姉ちゃんからのお下がりとして、ずっと大切に引き継がれてきた歴史を持つ小人たちだ。


『お兄ちゃん! つむぎちゃんが絵を描かないのは、僕たちがお姉ちゃんからのお下がりで「緑色」と「黄色」がもう短いからなんだ! つむぎちゃんは多分、大好きなひまわりの絵をお母さんに見せたくて描こうとしてるんだけど、短いクレヨンを無理に使うと僕たちがボロボロに折れちゃうと思って、優しさのせいで我慢してるんだよ!』


忠敬は心の中でつむぎちゃんに感嘆すると、彼女の小さな手元に視線を合わせた。いつの間にかその眼差しは、普段のぶっきらぼうな姿からは想像もつかないほど、柔らかいものになっていた。


「つむぎちゃん。このクレヨン、すっごく大切に使われてて綺麗だな」

忠敬が優しく声をかけると、つむぎちゃんは驚いたように顔を上げ、小さくコクンと頷いた。


「でも、緑色と黄色がちょっと短くて、使いにくいよな。棚の奥に、まだ誰も使ってない綺麗なクレヨンの箱が余ってるよ。お兄ちゃんと一緒にお絵描きしてくれないか?……高橋は悪いけど他の子を頼む」

「えぇっ!? 潜木くん、僕をこの元気な子たちのなかに一人で残していくの!?」


高橋くんが困惑して叫ぶが、忠敬はそれを涼しい顔で受け流し、棚から新しいクレヨンの箱を持ってきてつむぎちゃんの前に丁寧に並べた。つむぎちゃんはパッと顔を上気させ、嬉しそうに目を輝かせた。


忠敬が画用紙の端をそっと押さえ、つむぎちゃんが小さな手に新しいクレヨンを握り、楽しそうに画用紙いっぱいに鮮やかなひまわりの絵を描き始める。その背後では、高橋くんが「わあ、引っ張らないでぇ……!」と別の園児たちに引きずられていく騒がしい声が響いていた。





夕方の降園時間。

かけるくんはお守りを自慢げにバッグに揺らし、つむぎちゃんはお母さんに嬉しそうにひわまりの絵を見せている。それを見送った高橋くんが「よかったなぁ……みんな可愛かったね」と、自分のことのように感動して半泣きになっていた。



しばらくして、手首のクロノが滑らかな振動をトントンと一度だけ返してくる。


忠敬は小さくため息を漏らすと、まだ園児たちの余韻でウルウルしている高橋くんに声をかけた。


「高橋、片付けよう。帰れないぞ」

「あはは、そうだね。潜木くん」


夕暮れの幼稚園は、片付けられるのを今か今かと待っているおもちゃたちが待っていた。


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