9話
乃亜くんに前世のことを打ち明けてから二週間近くたったある日。私は現世で初めて受動的に予知夢を見た。
それがただの夢か予知夢かどうかはすぐに分かる。一つは、特にカレンダーやスマホを見ずともその夢が何日後の何時の出来事かハッキリ頭に浮かぶこと。そしてもう一つは、虹色に光を反射する小さなクリスタルが沢山宙を舞っていることだ。
久しぶりに見るその特徴的なクリスタルを指でつつきながら周囲を見渡す。今週日曜日の午後六時過ぎ、私の部屋だ。中間試験が近い乃亜くんは試験勉強をしていて、夢の中の私は夜ご飯を作っているところだった。
(予知夢? どうして?)
予知夢を見ようと思って見たことはある。けれど、こういう自分の意志とは関係なく見るときは大抵──何か大きな出来事がある時だから、思わず身構えた。まさか火事ではないだろうなと嫌な予感がして念の為に火を止める。
「……姉さん? どうしたの?」
挙動不審だったのか乃亜くんからそう声をかけられる。夢の中とはいえ邪魔して申し訳ないと思いつつ、気にしないでと言おうとした時。
「きゃっ……!」
「姉さん! 大丈夫!?」
突然の強い光に一瞬視界が奪われたかと思えば、足元に見覚えのある魔方陣が浮かび上がる。
「これは──……!」
「番召喚の陣……!?」
ガバリと起き上がって驚きのままに大声を出してしまう。間違いない……あれは番召喚の陣だった。ヴァレリオ様が番召喚を行うときに、悲しいやら悔しいやら虚しいやらと複雑な気持ちでジッと陣を眺めていたのだからよく覚えている。でもなんで私が? あれはティルナノーグ内の番しか召喚しない筈。そもそも異世界の人間が番なんてこと、あるの?
「う……ん、うるさ……」
この間買った背もたれを倒すとベッドになるソファで寝ていた乃亜くんを起こしてしまったようで、眠そうに目をこすりながらリビングから様子を見に来た。ヤバ、と思いながらも時計を見るとまだ朝五時前で申し訳ない気持ちになる。只でさえ昨日夜遅くまで勉強していて寝不足だろうに。
「ご、ごめん……起こしちゃったね」
「別にいいけど……どうしたの?」
「ええっと……」
話すべきか一瞬迷って、いやいや急に消えたらビックリするだろうし話さない選択肢はないと思いなおした。とはいえ流石にこんな早朝でなくてもいいのは間違いない。
「ちょっとね。乃亜くんが学校から帰ってきたら話そうかな。今ならまだ二度寝出来るし」
「もう無理。気になって眠れないよ」
「わああ……ごめんー……」
決して乃亜くんの存在を忘れていた訳では無い。この二週間で乃亜くんと二人暮らしの生活にも慣れ彼がいるのも当たり前になった。……それでも予知夢のあまりに驚きな内容に、声を抑えられなかったのだ。罪悪感でへこみながらも部屋の電気を付ける。彼はすっかり話を聞く姿勢に入っていて、顔を洗ってからとか歯を磨いてからとか、そんなことを言い出せる空気ではなく、大人しく本題に入ることにした。
「実は予知夢を見まして……」
「へえ、今でも予知夢見れるんだ。……ああ、もしかして前に宝くじ当たったって言ってたの……」
「あ、あはは〜」
実は過去に六桁の数字を選ぶタイプの宝くじで、予知夢を利用して一等を当てたことがある。自分が行きたい大学に行って、乃亜くんも好きな進路を選べるようにする為にお金が欲しかったのだ。日本では予知夢なんて非科学的なズル、立証できる訳が無いのでセーフだと思いたい。
「まぁそれはおいといて。……あのね、次の日曜の夕方、誰かの番としてティルナノーグに召喚されるみたい」
「え?」
想像もしていなかっただろう私の話に、乃亜くんは一瞬何を言われたか分からない、といった表情をして固まった。そりゃそうだろう、私だってこんなこと一度も考えたことなかった。だってこことあの世界は、繋がりなんてない筈の異世界なんだから。けれどあれは間違いなく、予知夢だった。
暫く難しい顔をしては何事かをブツブツと呟き、長い長い溜息を吐いた後、乃亜くんが最初に問いかけてきたのは。
「じゃあ、もう会えないの?」
という、寂しそうなものだった。
他所の姉弟がどうかは分からないが、私と乃亜くんは結構仲がいい……と私は勝手に思っている。それこそ一人暮らしのいわばプライベートな空間に、無期限で居座ることをすんなり許可するくらいには。だからティルナノーグを懐かしむ気持ちが無いわけではないけれど、乃亜くんや母や友達に会えないのは寂しいし、戻ってこれるならば戻ってきたいと自然に思った。
「絶対っては約束出来ないけど。皆にもう会えないのは寂しいし、日本での生活を気に入ってるし……それに私ヴァレリオ様一筋だし。他の誰かの番っていうのはちょっとね。だから何とかして帰ってきたい、とは思ってる」
そう本心のままに伝えれば、彼はほっとしたように肩の力を抜いた。
「ならいいけど。でも帰してくれないんじゃない? 番への執着ってそう簡単に断ち切れるもんじゃないんでしょ?」
「基本は番を大事にするから、泣きながらどうしても帰りたいって伝えればワンチャンあると思う。……めちゃめちゃ説得されるだろうけど」
「じゃあもういっそ言葉が通じないフリをした方がよさそう」
「あー確かに」
とはいえそれで相手を狂わせたり、悲しみで死なせるのは嫌だから……問題は山積みだ。しかし私は今大学の情報学部でプログラミングの理論を学んでいる。このプログラミングの考え方が結構魔方陣に応用出来て、前世の私よりも格段に魔方陣の設計力が上がっているのだ。番に関する記憶を無くしたり番なしでも正気を失わないための魔法や、それこそ日本に戻ってくる為の魔法だって、きっと時間さえあれば作り上げられるはず。そもそも番召喚を拒否する、というのは……召喚される予知夢を見た時点で変えられない運命なのでどうしようもない。
「大学はどうするの? 母さんへの説明も」
「わーそうじゃん休学届間に合わないよねー!? 急病……ってことにするには診断書がいるのかな。どうしよ!」
こういう重大な予知夢は半年前くらいに見せてほしいものだ。頭を抱える私に乃亜くんは容赦なく追い打ちをかける。
「そもそもあの世界の人間って本当に俺達と同じなわけ?」
「どういうこと?」
「だからさ、空気の成分とか同じなのかなって。転移した瞬間窒息死とか……」
「いやこわ!!」
異世界転移した瞬間酸欠で死ぬ、なんて話読んだことない。けれどそれはそれじゃあ物語にならないからであって、現実だったら……? 想像しただけで怖くなって両腕でギュッと自らの体を抱きしめる。
ジュリア・ザハだった頃と、体の造りにあまりこれといった違いを感じないけれど。もしかしてこの世界とティルナノーグでは決定的に違う何かがあって、死ぬ可能性さえあるのだろうか。
「酸素ボンベ……? とか準備しないと……。ってかこの髪じゃ黒竜って勘違いされるかも? 染めなきゃ! あーやることいっぱいあるよー……」
「やばいね。手伝えることがあったら言って」
「うう……ありがと乃亜くん……」
持つべきものは姉思いの優しい弟であると今この瞬間確信した。もし私に何かあった時は口座のお金は全て自由に使って欲しい。思ったままを口にすると物騒なこと言わないでよね、と枕を投げつけられた。
──そして遂にその日がやってきた。準備は万端である。
飛行機で機内に持ち込めないような大きいスーツケースに、着替えや化粧道具、薬、いざという時換金出来そうなアクセサリー、調味料セットに数日分の携帯食、シャンプーや歯磨きセットなどの日用品に手回し充電器等々……と兎に角沢山詰め込んだ。中でも一番大事なのが魔方陣の書かれた小箱とレターセット。同じのが二つあって、一つはこの家に置いておく。人一人転移させられるくらいだから、手紙のやり取りくらい出来ると踏んで用意したものだ。これで乃亜くんと連絡をとったり、場合によっては箱を大きくして何か送ったり送ってもらったりするかもしれない。
髪もブリーチ剤で金髪にして、ティルナノーグでも浮かないような露出の少ない服を着た。念の為息苦しかったら即対処出来るように酸素スプレーを持ちそれを複製するための魔方陣もポケットに入れている。ジュリア・ザハだった頃と似た顔立ちをごまかす様に濃い目にメイクを施したから、万が一前世の知り合いに会っても連想されない筈だ。
因みに大学についてはどうにもならなかった。うちの大学では休学は一ケ月前までに申請せねばならず、しかも学部長との面談がある。まさか異世界に召喚されるからですという訳にもいかないし、病気じゃないから診断書もなければ留学もしないから入学許可書もない。仕方が無いので無断欠席だ。単位は諦めた。
あまりに欠席が続くと連絡が行くかもしれないので、お母さんにも「外国人の人好きになっちゃったから追いかけて海外行ってくる。暫く連絡しない」と言っておいたら「ハーフの孫超楽しみ~頑張って捕まえて~」というなんともあっさりした返しをされた。ギャルだしノリが軽い母だが私はそんなの元に生まれてラッキーだったのだと改めて思ったものである。
「乃亜くん、もう一回言っておくけど口座の暗証番号は、」
「あーもう分かったから。それより忘れ物はない?」
「ない、と思うけど……」
予知夢で召喚は六時過ぎの出来事だった。既に六時丁度だから、あと少しで一旦日本とはさようならである。戻ってくる気満々でいるが、もしも戻れなかった時の為にこの短い期間でも食べたいものを食べたり、行きたい所に行ったりした。あとは……。
「ねぇ乃亜くん、キモイかもしれないけどちょっとギュッてしていい?」
「は?」
「そんな露骨に引いたような顔しないでよ〜! だってもう会えないかもしれないじゃん〜……」
「はぁ……まあいいけど。ん」
もう二度と日本には帰って来れないかもしれない──なんていう不安を吐き出せるのは、事情を知っている乃亜くんだけで。
仕方ないなと言いたげな顔で両手を広げた彼を遠慮なくギュッと抱きしめる。
「うう、寂しい〜!」
「……姉さん俺の友達になんて言われてたか知ってる?」
「え? 知らない。なんて?」
「超美人だけどそれを台無しにするくらいの超ブラコン」
本人にはブラコンだと思われているだろうと予想していたが、まさか友達にまでそう言われていたなんて。羞恥で顔が真っ赤になるのが分かる。
でもでもだって可愛かったのだ。前世の私はずっとヴァレリオ様の宮殿にいたから、家族と接する機会は少なく、会っても王子の番だから、将来王妃になるかもしれないからと敬意を払われ距離を置かれる始末で。だから、私に懐いて片時も離れなかった小さい頃は勿論、時々生意気言いつつ何かあるとすぐ頼ってくる今も変わらず、乃亜くんは可愛くて大事で大好きな弟なのだ。とはいえ。
「の、乃亜くんだってそんな私を拒否しないくらいにはシスコンじゃん……」
何言ってんのと呆れられる予想をしつつも、照れ隠しでそう言えば。
「そうかもね。だからもう会えないとか言わないで。ちゃんと帰ってきて」
そんな言葉と共に背中に回された腕に力がこもった。
私達の実の父親は離婚して今は何処にいるか分からず、母親は良くも悪くも放任主義だ。だからこそ、乃亜くんも寂しいと思ってくれているのだろう。
「……分かった」
改めて固く決意すると共にそう返事をすれば、安心したようにポンポンと背中を叩かれる。
──その時、咄嗟に目を瞑ってしまう程の強い光が辺りを貫く。……時間だ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
番に関する記憶を消したり、番を失っても狂わない為の魔法を創り上げられたとして、その竜が番を、ひいては力を得られないという事実に変わりはない。前世では竜を信仰していたから、本当に、ほんっとうに申し訳なく思う。
それでも、七瀬珠璃愛として二十年生きてきてもなおヴァレリオ様が好きなのだ。これから先も彼以外をそういう意味で愛せることは無いと断定できる。他に愛せるのは、家族だけだ。
だからこの時は、何があっても必ずここに戻ってくるつもりだった。
これで書き溜め分は終了です。次回から出来上がり次第の不定期更新になります。お待たせしますがなるべく週1〜2は更新するつもりなのでよろしくお願いいたしますm(_ _)m