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(28)嵐の前の

 事務所に入ってから数日後、白雨キユイの活動は阪口の手が入ることで格段にやりやすくなった。今までの二人の方向性は、とにかく相方がみんなに認められればいいと言う漠然としたものだったので、作曲活動も「がっつりすごいのを作ってあっと驚かせる」という、これもまた漠然としたものばかりだった。ウィーチューブの再生回数にもそろそろ頭打ちが見えてきて、折角のドラマの追い風にも乗り切れていない、宝の持ち腐れ状態だった。


 阪口は真っ先にそれに目をつけて、大改革を起こそうとした。

 先ず二人の最終目標は、ヒットチャートランキング入り。作曲も年齢層を同年代から三十代まで絞り、曲調の変化に幅を持たせるために三十年前の曲やら洋楽やら、クラシックにまで心から浸れと言われた。さらに今後ライブも行われるだろうから人前で歌う練習もしようと提案もされてしまう。


 雨谷は自分の曲が金銭的な付加価値を次々と付けられていく様に思わず、まるでビジネスだ、と呟いた。母親が自分に期待していた金額というものが、今になってようやく分かる。お金を稼ぐというものをまだ理解しきったわけではないものの、生み出したものに価値が付くのはすごくとんでもないことだと思う。

 瞬きを忘れて固まる雨谷に、阪口は無表情のままはっきりと告げた。


「これはビジネスですよ。私たちはこれで食べて生きているんです。けれど感情を動かす音楽やゲームといった娯楽はビジネスだけではない。それは君がよく知っているでしょう」

「え、ええ。僕は寧ろ、ビジネスではない方しか知りませんから」

「何かを生み出す行為に優先されるのは感情や欲求で、ビジネスは二の次です。そちらに関しては、我々作れない人間に任せて貰えばいいんです。君たちは如何にして、より多くの人を感動させられるかを考えればいいんです。だからこれは、宿題です」


 どさっと目の前のテーブルに見慣れないディスクジャケットの山が置かれる。衝撃で崩れ階段状になったアルバムはどれもあまり聞いたことのないバンドばかりだった。小見原はそのうちの一枚を手に取りながら困惑気味に言う。


「これを全部聴くんですか?」

「キユイさんには歌い方の参考になると思います。全てをきっちり聴かなくても結構ですよ。飛ばし飛ばしでも、イントロを聴くだけでもいいんです。新たな発想に繋がる可能性に触れてさえくれれば。それと、その中で気に入った曲があれば全て教えてください。今後の方向性の参考にしますので」

「わ、分かりました」


 小見原は頷いた後、神妙な面持ちでしばし停止してから雨谷に首を傾げた。


「これって、パソコンで聴ける?」

「あ、うん。帰ったら教えるよ」

「おっけ」


 短いやり取りを終えると、阪口は何やら生ぬるい視線でこちらを見つめていた。


「世代を感じます……」


 しみじみと呟いた阪口は、気を取り直して話を戻した。


「では次に作曲以外の活動についてですが……」


 不意に激しくドアをノックする音が響いて、並々ならぬ様子に部屋の空気が騒然となる。阪口が立ち上がってドアを開けてみると、顔見知りの女性職員が血相を変えて飛び込んできた。


「さ、阪口さん、あとお二人も! ちょっと大変なことになってるんです!」

「どうしたんですか?」

「ニュースやSNSで、白雨キユイさんのことが話題になってて、あの、俳優の空歩くんがトーク番組でお二人のことめちゃくちゃ話してて!」

「まずは落ち着いて。こちらの席で、順を追って説明してください」


 冷静な阪口に取りなされて、女性職員は何度も深呼吸をしてから席につき、一同に事の顛末を話し始めた。


 先日放送されたトーク番組で、ドラマ『ときめきレモンソーダ』の宣伝のために沖釜空歩と宇野アンナがゲスト出演していたということ。そこで白雨キユイが話題に上がり、沖釜がこちらが秘匿している二人の情報を個人が特定されない程度に()()話してしまったこと。特に高校生ぐらいという年齢が話題を呼び、メディアでもある事ないこと尾鰭が付いて取り上げられてしまっているらしい。


 沖釜にとってもたらされた白雨キユイの情報はSNSのファンに火をつけるのに十分な威力だったようで、各放送局み視聴者獲得のチャンスとばかりに、先刻からオファーが後を絶たないという。


 雨谷はそれを聞いて頭を抱えた。きっと沖釜は橘監督に言われたようにただ広告塔になっただけなのだろう。実際これだけの波紋を呼んでいるのならテレビ出演の話も大チャンスで、純粋に芸能界入りを目指している人ならば大喜びの状況である。

 しかし雨谷たちは素直に喜べる境遇ではなかった。露出が増えればそれだけ母親に見られる機会も増えるというもの。テレビに出た息子に母が気付けば、小見原のことを切り捨てさせようとしかねないし、もっと稼がせようと事務所まで移籍させられかねない。全て憶測だが実際に実行に移しそうだから困る。

 だから余計に、素直にオファーに応じて良いものか、雨谷には判別がつかなかった。


「どう思う?」


 雨谷は小見原へと尋ねてみるが、彼女も難しそうな顔をして悩んでいる様子だった。


「絶好のチャンス、なんだけど、やっぱり気にするわよね」

「うん。キユイが有名になる分には歓迎だけど、白雨は、マズイかなぁ」


 こうなれば小見原だけでも出演させるか、と口にしようとしたが、


「言っておくけど、二人一緒じゃないと意味ないからね。一人だけ抜けるってのは無し」

「……うん、そうだね」


 雨谷は小見原に人気になってほしいが、彼女も同じ想いを抱いている。ここで片方だけというのは道理に合わない。でも、リスクは無視できないし、かといってオファーを全て断るわけにも行かない。


「遅かれ早かれこうなっていたでしょうが、やはりお二人は不安ですか」


 見かねた阪口が語りかけてきて、雨谷たちは顔を上げる。それから小見原と顔を見合わせ、少し小さな声で雨谷は言った。


「ええ。ちょっと現実味が薄いっていうのもあるんですけど、僕ら初めてですし、匿名のこともあるので」

「そうですね。番組出演となれば、顔は隠せても背格好までは誤魔化せませんし。沖釜君が開示してしまった情報までは実際に見せろと番組から言われるでしょうね」


 つまり通っている高校の名前までは行かずとも学校生活や日常生活まで話題に出されるかもしれないのだろう。まさか対面なしかつ声だけで番組に出演するわけにもいくまい。

 正直、かなり厳しいと思う。母は声変わり後の自分の背格好を知らないが、それでも生みの親だから、雨谷の姿を見て何かしら気付かれるんじゃないかと思えてならない。勿論、母が番組を見る確率は未知数で、気付く可能性も未知数だ。故にこそこの二択は運任せのような気がして、雨谷は踏ん切りがつけられなかった。


 黙り込む雨谷に阪口は言葉を重ねた。


「お二人の今後の歌手人生を考えれば、ここは乗っておいた方が無難でしょう。個人情報についてはこちらで出来るだけ手を回しておきましょう。橘監督の秘蔵っ子となればあちらも強くは出られないでしょうし。ああ、もちろんお二人が嫌でなければの話ですが」


 阪口がここまで言ってくれるのだ。雨谷の心の中でももう答えは決まっている。自分と、小見原の夢を叶える絶好の機会だから、逃すわけにはいかない。どんなに大きなリスクがあっても。


 一瞬、脳裏で母に部屋に閉じ込められた時の記憶が蘇り鳥肌が立つ。恐ろしくて震えそうだったが、雨谷の手をぎゅっと握る暖かな感触があった。


「小見原さん……」


 強張っていた身体から力が抜ける。この選択の結末に彼女がそばに居るなら、まだ自由でいられる。そう思うだけでモヤがかった思考がクリアになっていくようだ。


 雨谷は心配そうに見つめてくる小見原に微笑みかけてから、ようやく腹を括った。


「是非、やらせてください。僕たちを受け入れてくれた阪口さんにも、橘監督にも恩返しできるせっかくの機会ですから!」

「雨谷。本当にいいの?」

「うん。YUIIを続けていた時からずっと抱えていたリスクだし、きっと今更なんだ。だから怯えるより前に進みたい」

「……なら、早速準備しないと! ね、阪口さん!」


 小見原は勝気な笑顔で立ち上がり腕まくりをした。阪口もつられて立ち上がるとにやりと口角を吊り上げた。


「ではこのタイミングで新曲も発表してしまいましょう。番組のネタが増えれば向こうも喜ぶでしょうしね」

「なら収録ね! 今日? 明日?」

「もちろん今日です。先に部屋を借りてきますから、お二人はご準備を」

「「はい!」」


 雨谷も立ち上がると、数時間前まで阪口に見せていた新曲の楽譜と歌詞をテーブルに広げた。


 大丈夫。きっと上手くいく。


 心の内で自分に言い聞かせながら、雨谷は静かに拳を握った。

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