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(29)とある視聴者

 体育館のステージ裏よりもよっぽど豪奢な番組の舞台裏で、雨谷は戦慄していた。スタジオの背景はちゃんと手作りで作られていたのだな、という変な発見もさることながら、仕事に集中するカメラマンや、慌ただしく台本を持って頭を突き合わせるスタッフの姿、自分の着なれていない服から漂う新品の香りやらのせいで、全く番組に集中できそうになかった。

 今日の雨谷は小見原が選んでくれた黒いロングシャツとスウェットを着ているのだが、サイズがぴったりなはずなのに袖口や襟元がキツく感じる。一方、一緒に控えている小見原はゆったりとしたロングスカートと涼しげなふわふわトップスで、服の緩さと同様、全く緊張していないように見えた。


 二人の目の前にある閉じた両扉の向こう側には、誰もがよく知る有名芸能人が勢揃いして、一足早く前座のトークを繰り広げている。合図が来たらあの中に混ざるのだと思うと、雨谷は吐き気を覚えながら震え上がった。こういう場面では彼氏たる自分が先陣を切ってカッコつけたいが、もうこの時点で小見原の後ろに隠れて咽び泣きたい。だが裏方にもスタッフがいるので、雨谷はきゅっと小見原の手を握るだけに留めるしかなかった。


「もう、そこまで緊張しなくていいのに」


 こちらを伺いながらムッとする小見原の顔には、目元を隠すだけのシンプルな黒い面が付いている。雨谷も揃いの白い面を被っているが、青ざめた唇を隠すものがないので咄嗟に俯いてしまった。


「め、面目ない……」

「アンタの顔色、今すっごい悪いんだけど。ヴァンパイアみたい」

「あ、はは。こればかりは僕ではどうしようもないよ」

「情けないわね。ちょっとじっとしてて」


 小見原は徐にスカートのポケットを漁ると、指先に可愛らしい色付きリップを摘んで雨谷の顔に近づけた。


「え、それ付けるの?」

「色薄いから男がつけても平気よ。顔色悪いアンタには丁度いい誤魔化しになるから」

「じ、自分でやる!」

「いいから、動かないで」


 がっちりと顎を固定されて、雨谷は諦めてお面の下に向かうリップを眺めることにした。


 ヒヤリとした感触がしたと思うと、リップが唇を丁寧になぞっていった。柔らかく皮膚が凹んでは膨らみ、口の端までいくと擽ったさを残す。油っぽい質感が唇に残るのは少し不快だったが、リップから嗅ぎ慣れた小見原の匂いがして幾らか緊張が和らいだ気がした。


「はいおしまい。舐めたり拭ったりしないでね」

「う、うん」


 カチッと蓋をして仕舞われたリップが小見原のポケットへ消える。そこで雨谷はあることに気づいた。


 待って、今のって間接キスでは。


「では本日のゲストはこの方!」


 ハリボテの扉の向こうから合図が来る。


 はっと気を取り直したときにはもう、脇に控えていたスタッフが扉を豪快に開けてしまっていて、普段見ることのない雛壇や、カメラの後ろにずらりと座った観客席が目に入る。現実離れした華やかな芸能界を目の当たりにした途端、拍手が巻き起こった。


 一瞬で全身に冷や汗が湧き上がるが、小見原に手を引かれてなんとか足は動いてくれた。どこに座ればいいのか、何を話せばいいのか、事前に阪口から教わっていたが、全部忘れた。


 どうしようと思いながら小見原と共にステージへ進み出る。その時、自分にしか聞こえないぐらい小さな声で小見原が囁いた。


「信じてるから」


 自然と背筋が伸びる。狭まっていた視界をゆっくりとした瞬きで広げてみれば、快活な笑顔で席を示してくれる司会役の芸能人の顔が見えた。雛壇で拍手を続ける人々の顔も、心なしか優しげに見える。


 冷静になると、共にいる小見原がどれだけ頼もしい姿なのかも理解できて、過剰に緊張していた雨谷の頭が完全に冴え渡った。せっかくの晴れ舞台なのだ、こういう時ぐらいは情けないままではいられない。


「改めまして、本日のゲストは白雨キユイさんです!」


 司会役のセオリー通りの進行に乗っかって、雨谷はにっこりと仮面の下で笑う。電話越しの作曲依頼と同じ、やることはただ受け答えをするだけ。そう思えば強張っていた身体も自然とリラックスしていった。


「初めまして」


 すんなりと飛び出した自分の声は『雨谷』ではなく『YUII』のものだった。


 …


 ……


 ………


 深窓くらげこと阿藤大地は、今日という日を待ち侘びていた。

 テレビの番組表の内容説明に明瞭に刻まれた『白雨キユイ』の文字。放送は八時から。何度も行われていた番宣には『ときめきレモンソーダ』の裏話も語られると言われていた。


「見るしかないだろ。見るしかねぇよな!?」


 両親が出張で家にいないのを良いことに、阿藤はリビングのテレビにべったり張り付いて左上のデジタル時計を睨みつけた。

 早く早く。後一分。あと何秒?


 長ったらしいCMが終わり、デデン! とトークバラエティの題名が派手な演出に押し出されて画面いっぱいに広がる。


「はぁぁぁ!? 始まったぁ!?」


 阿藤は一瞬でテレビから一メートル離れ正座した。始まったは良いが、まだ白雨キユイはいない。くっそ長いレギュラー陣の前座で、阿藤の表情からみるみる感情が抜け落ちた。

 芸能人のつまらないコメントや世間話なんて全く興味がない。可愛いだけのぶりっ子女優が今日ばかりは鬱陶しい。トークが長すぎる。


「まだか。まだか。早くしろよ。まだかまだかまだかまだかまだまだまだまだ……」

『では本日のゲストはこの方!』

「ッキ!!!!!!」


 ノリノリのバックミュージックと共に登場した二人は、なぜか仲良く手を繋いでいた。


「はぁぁぁ? おてて繋いでる? 俺と場所変われよぉぉ……!」


 すでにその場にいる芸能人たちと全く引けを取らない存在感で雛壇に座った二人は、名残惜しそうに繋いでいた手を離して、同時ににっこりと笑っていた。


「はぁ? 顔が良い」

『白雨キユイさんはお二人で活動していらっしゃるんですよね。男女問わず中高生の心を一ヶ月で鷲掴みにしたみたいですけど……』

『あはは。大袈裟ですよ』


 茶化しの入った司会の台詞に難なく受け答えをする雨谷。阿藤と談笑する時のような落ち着いた低さでなく、緊張でうわずった声だった。見慣れない貴重な()()の姿に、阿藤は咄嗟に鼻を押さえた。大丈夫だ、まだ鼻血は出ていない。


『いやはやそれにしても、匿名で活動しているのにテレビに出て良かったんですか? 口元でてますけど』

『これぐらいだったらセーフだ、ってマネージャーさんに言われましたから』

『え? 大丈夫? 騙されてない? ちょっとだけだからって最終的に顔全部を出されちゃう奴じゃない?』


 小見原の後ろに座っていた男性芸能人がギャラリーから適度に笑いをとったところで、司会者がキリ良く話題を変えた。

 カメラが次に写したのは大きなフリップボードだった。ボードに書かれた文字を見るに、彼らがいきなりドラマのオープニングに採用された経緯から今日に至るまでを時系列順に語っていく流れのようだ。


 そういえば、阿藤自身もどうして彼らが音楽活動をしているのか詳しくは知らない。気がついたら同じ事務所にいたという衝撃で、詳しく質問するどころではなかった。


 阿藤は興味津々でクッションから身を乗り出しながら、まず最初の、フリップボードの一番上の話に耳を傾ける。


『えー、番組調べによると、お二人の曲を聴いたとある音響スタッフから直々にオファーが来たと?』

『はい。ダイレクトメールに連絡が来たんです。いきなり来たので二人でびっくりしましたよ』

『どんな感じの内容?』

『すごく、熱烈? なラブコールだったよね』


 雨谷、小見原の順で答えると、ええーっと観客席から意外そうな声が上がった。しかし阿藤は大して驚きもせず、腕を組んで深々と頷いた。


「音響スタッフ分かってんじゃねぇか」


 あの類稀なる雨谷の曲を聴いて直談判するとは、なかなかやりおる。もう少し自分が見つけるのが早ければ自分の専属歌手にできたかもしれない、その一点だけが苦い失敗だが。

 待てよ、今からでも深窓くらげの専属歌手オファーしてもいいんじゃないか、と阿藤が暴走しかけている間に、話題はいつのまにか次へ移っていた。


『因みにドラマに採用された“eve”と“藍レモン”は、どちらも最初はドラマと全く関係ない状態で作ったらしいですね。それにしてはドラマのストーリーと歌詞が合致しすぎてると言われてますが』

『自分達も驚いているんですよ。だって、最初は白雨が私のために作ってくれた曲ですから』

「『そうなの!?』」


 ガタッと阿藤は女優とハモりながら立ち上がった。自分の雨谷に対するビターな恋心に重なるあの歌詞が、まさか小見原のために作られたものだと信じたくなかった。


「どうせなら俺のために作れよ!」


 やっぱり専属歌手にしようと心に決めつつ、とりあえず雨谷の言い分を聞く。


『キユイの歌声に合うように試行錯誤しました。ただ、集中しすぎてすごい速さで作り上げちゃったんですけど』

『因みに何時間かかったの?』

『えっと、一日』

『一晩でしょ』

「『一晩!?』」


 今度は司会者とハモりながら驚愕に目を見開く。あのクオリティで一晩? 映像は別だろうが、でもあの重厚感のあるメロディを一晩?


「流石俺の雨谷」


 一人でドヤ顔を決めると、映像の中の小見原も仮面の下でドヤっているのが見えた。雨谷の相棒を務めているだけあって、彼女も彼がいかに天才か分かっていらっしゃる。

 ふと、そういえば水族館で二人はギスギスしてたが、仲直りできたんだろうかと今更になって心配になった。だが次の質問でそれも霧散する。


『キユイさんのために作ったってことは、“eve”の歌詞に込められた意味もそういうこと? そうなんでしょ? 確かボードに歌詞が書いてあるよね?』


 フリップボードの紙を司会者が引き剥がすと、その下のカギカッコの中で、一つのフレーズが抜粋されていた。


 赤い約束を続けたいの ずっと ずっと 月が 昇るまで


 さっきの話を踏まえれば、愛の告白にしか読み取れない歌詞である。


 阿藤はじっと雨谷を見つめた。カメラの向こう側でも一身に出演者の視線を集めた雨谷は、仮面から唯一見える口元どころか、首から上を全て真っ赤にして口籠った。


『そ、その……勘弁してください』


「かわいいかよ!!!!!」


 クソデカボイスで感情を炸裂させ阿藤は後ろにひっくり返った。その拍子にソファの足に頭をぶつけたが、全然痛みを感じなかった。やはり愛の力は正義である。今日ばかりは鬱陶しいだけのギャラリーの黄色い悲鳴もファンファーレだ。


 歌詞についてメンバーから一頻り弄り倒された後、真っ赤になった白雨キユイを気の毒に思ってか、司会者が少し早めに次の話題に移ってしまった。


『えー次に、お二人の出会いを詳しく教えてくださいますか?』


 阿藤は飛び上がって、またテレビ画面へ張り付いた。ゴワゴワと静電気っぽい熱を放つ画面で頬が気持ち悪かったがそれどころではない。

 二人の馴れ初め? 最高じゃないか。存分に語ってくれ。独り占めできないのは残念だが推しのことはなんでも知りたい。どんな手段を使ってでも。


 雨谷が小見原と顔を見合わせる。そして小見原が黒い仮面の下で口を開いた。


『実は、彼とはネットで知り合って、最初にやり取りをしたのは数年ぐらい前なんです。私が白雨の曲の昔からのファンだったんですけど、先月ぐらいに偶然会う機会があったので無理を言って曲を作ってもらって……』

『その曲ってもしかして、さっき紹介した“eve”ですか?』

『はい』

『え、ってことはお二人ってすっごく運命的な出会いを果たしたってことじゃないです!? キユイさんは白雨さんのファンだったわけでしょ? そこからこんな風に一緒になれて、歌詞で告白もされて、夢のようじゃないですか!』


「ずるいぃ!」


 またもや魂からの叫泣を上げクッションから後ろへ吹っ飛ぶ。とにかく小見原への嫉妬心が爆発し、阿藤は鍵アカでおのれキユイと嘆き倒した。ついでに女々しくSNSのトレンドを漁れば「#リア充」にて同じくガチ恋勢の心の雄叫びがこれでもかと響き渡っていた。


 次々に流れていく玉砕報告を見ているうちに、阿藤も冷静になってきた。自分はこいつらとは違う。別に雨谷が幸せなら誰と付き合おうと気にしないし、小見原が不釣り合いだとも思っていない。だが馴れ初めの、運命的な出会いとか、自分へ向けて曲を作ってもらったとか! 最後の歌詞に愛を囁いてもらえるとか!? そういうのは全部自分に欲しかったというか!


「やらいでかぁ!」


 阿藤は見事な野球フォームで足元のクッションを投げ飛ばす。家族の写真立てが棚から落ちたので、静かに元の位置へ戻しておいた。


「でも、待てよ」


 立ったまま顎に手を当てて阿藤はぶつぶつと考え込んだ。


「俺だって雨谷と同級生だったし? なんなら水族館に一緒に行ったし? 小見原の人生相談にも乗ったもん。同じ事務所だもん。俺だけの雨谷ブロマイドいっぱいあるもん」


 しかし雨谷は相変わらず小学校時代の阿藤のことを思い出していない。なんなら水族館は雨谷に存在すら認知されていないだろうし、事務所でも部門が違う上、深窓くらげを知られたくないので二人から逃げまくっているので実質他人。ついでにブロマイドは全て盗撮である。


 だが、阿藤は謎の勝利の余韻に浸っていた。何より元同級生というアドバンテージが最大のマウントである。やはり自分は雨谷に選ばれた人間だ。


「……あれ、でも水族館の時春風いたよな?」


 ふと思い出した水族館の出来事の中に、阿藤と同じく同級生だった春風がいたはずである。彼女は彼女で、明らかに雨谷に好意を寄せている様子だったが、結局どうなったのか阿藤は知らなかった。事務所で会った時の二人の様子からして、春風と雨谷がくっつかなかったことだけは確かだが、しかしそうなると一つ懸念点がある。


 同級生だった春風が玉砕=まだ思い出されてすらいない同級生は論外=阿藤が親交を深めるのは不可能、という図式が、パズルのピースのごとく脳裏で組み合わさる。


「おぉお……ぉぉおおおおお嘘だああああ!」


 ここに愛に飢えた獣が爆誕、する寸前にメールの着信音が鳴り響く。


 阿藤はムンクの叫びの顔でのっそり顔を上げると、フレームレートが低すぎる動画のようなカクついた手つきでスマホを取った。


 画面には雨谷の名前と途切れた用件が浮かぶ。


 即座に画面ロックを解除してメッセージを目に焼き付ける。


「デート、どこが、おすすめ……? デート?」


 そこに書かれていたのは、小見原と初デートに行く場所を決めかねている雨谷の貴重な心情であった。どんな服を着ればいいか分からないという可愛らしい不安から始まり、女性のリードってどうすればいいという格好つけたがりな部分まで開けっぴろげである。


「……やらいでか」


 阿藤はテレビの中で騒ぐ芸能人の声が通り過ぎていくのを感じながら、無言で雨谷の携帯のキーホルダーにつけたGPSを起動させた。反応あり。盗聴器の反応はまた当日確認するとして、カメラは部屋の引き出しに置いてある。


 つまりは、尾行の準備は完璧である。


 深呼吸して、阿藤は不気味な笑顔をブルーライトに反射させながら、嬉々として雨谷の相談に乗ることにした。

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