第9話 初めての決闘
(ファミール……だと)
自らをそう名乗った少女――レトナの言葉に、俺は少なからず衝撃を受けた。
ファミールと言えば、俺が生きてた時代でも権勢を振るっていた四大侯爵家の一つ。アルメリア王国西部を取り纏める大貴族じゃないか。
ティアナのいるランドール家も西部にあるわけだし、事実上の上役か。そんな奴が、いきなり決闘を申し込むなんて穏やかじゃないな。
というか……。
『ティアナ、屋敷から一歩も出たことないって言ってたけど、この子と知り合いなのか?』
「ええと、随分前に一度、ファミール家のご当主様……ファラウス・ファミール侯爵が屋敷に来られたことがあって、その時に顔合わせがあったの」
『雪辱って言ってるけど、何したんだよ』
「う、うーん、私は特に何をした覚えもないんだけど……」
本気で分からないのか、首を捻って悶々と悩むティアナ。
そんな姿が癪に触ったのか、レトナはビキビキとこめかみに青筋を浮かべた。
「忘れたとは言わせませんわよっ!! 私にあの憎きワンコをけしかけてきたことを!!」
「あ……あー! そういえばあの時、レトナがアッシュに追いかけられて泣いてたから、私が助けたんだっけ。なかなか泣き止んでくれないから、こうぎゅっと抱っこして、たくさん慰めてあげてあげて……」
「あぁぁぁぁ!! 忌まわしい過去の記憶を掘り起こすんじゃありませんわぁぁぁぁ!! 後、私は泣いてなんかおりません!! ただちょっと目から汗が出ていただけですわぁ!! この栄えあるファミール家の令嬢たる私が、たかが犬ごときにビビって泣くことなんてあるわけないでしょう!?」
「ワンッ!」
「ひっ!? ま、また会いましたわねこのワンコ!! もう私の犬嫌いは克服しましたわ、そんな吠え声程度で脅かせるとは思わないことですわね!!」
「あ、やっぱり前は犬嫌いだったんだ……」
「ち、違いますわ!! 今のはそう、言葉の綾ですの!!」
『ああ……なるほど』
要するに、まだ子犬だった犬っころに泣かされた挙げ句、そんな恥ずかしいところをティアナに慰められたもんだから、ティアナより強いことを証明して、その記憶を抹消したいと。
なんというかまぁ、子供らしくて可愛いプライドじゃないか。
ティアナを見る瞳にも特に嫌悪や憎悪みたいなマイナスの感情は浮かんでないし、この決闘も特に何か企みがあって仕掛けてきたわけじゃなさそうだ。
となると、後はティアナがこの勝負を受けるかどうかなんだが……。
「お嬢様、何をなさっているのですか? おやめください」
「シーリャ!? なぜ止めるのです!」
悩んでいると、不意に現れたメイド服姿の女性が、レトナの手をそっと掴んで制止をかけていた。
その気安い空気感からして、二人は専属の主従といった間柄なんだろうか? 侯爵令嬢のご立腹な様子に、シーリャと呼ばれたメイドはさして動じた様子もなく溜息を溢す。
「一応は、私達もお忍びという体でここへ来たのですよ? 来訪予定は事前通達しているとはいえ、あまり派手なことをしてはランドール卿に睨まれてしまいます」
「そのランドール家の関係者が相手なんだからいいではないですの!!」
「そういうわけにもいかないでしょう。この方もお忍びのようですし」
シーリャの細められた目が、ティアナの服装を下から上へとざっと流し見る。
確かに、俺達は一応お忍び……というより、無断外出してここにいるし、下手にそのことがバレると非常にまずいんだが、どうやら向こうはそれを汲み取ってくれたらしい。助かった。
「ならば猶更ですわ。ここにいたことを黙っていて欲しいのなら、勝負なさい!!」
「えぇ!?」
と、思いきや、レトナお嬢様からのまさかの脅迫。これには流石の俺もびっくりだ。
ただ、どうしよう、と言わんばかりに俺へ視線を向けて来るティアナの瞳に、僅かばかりの好奇心が宿っていることに気付き、思わず苦笑を漏らす。
『お前の好きにしたらいいさ、魔法は実戦で使えてこそだしな。ただ、加減はしっかりしろよ』
「うん!」
元気よく返事をするティアナは可愛いが、ちょっと心配だな。一応、何かあった時のために肩に掴まっておくか。
「後、出来れば木剣みたいなのが欲しいんだけど、近くに手頃な木の枝とかないかな?」
『木剣なんて使うのか? まあ、それくらいは用意してやるよ』
シーリャとレトナがあーだこーだと言い争っているうちに、近くにあった木の枝を風魔法で切断、形を整えてティアナの手元へ手繰り寄せた。
「ありがとう、師匠」
受け取った木剣をブン、と軽く振り回して調子を確かめると、ティアナは慣れた手付きで正面に構える。
……うん、随分様になってるな。槍投げといいこれといい、ティアナって実は魔法使いより騎士の才能の方があるんじゃないか?
い、いやまあ、俺の知ってる魔法使いにも剣を腰に提げてる奴はいたし、別にいい、のか?
「ふふ、ほら見なさいな、ティアナだってやる気ですわよ」
「……はあ、分かりました。せめて加減してくださいね、お嬢様」
「分かっておりますとも。模擬戦は初級魔法までが基本ですし、それほど大事にはなりませんわ」
ティアナの態度を見て、勝負ができそうだと思ったのか。実に嬉しそうに、レトナは杖を構え直す。
オーダーメイドなのか、レトナの今の体格にぴったりと合うように作られたその短杖は、華やかな見た目ながらも実戦を想定した頑丈な造りをしており、製作者とレトナ自身の強い拘りを感じさせる。
たった今即席で作ったティアナの木剣じゃ、どう見ても武器としての格が違い過ぎる……が、同じ格だったら勝負になるかと問われれば、魔法陣作成を補助する目的で使用されるのが杖である以上、《シャイニングジャベリン》しか選択肢のないティアナには宝の持ち腐れ。大して違いはないだろう。
「ティアナ、あなたもしかして、そのぬいぐるみを抱えたまま戦うつもりですの? 邪魔じゃありませんこと?」
「そんなことないから大丈夫。むしろ、師匠がいてくれた方が心強いから」
「師匠……? まあ、貴女がそう言うのならいいですわ。負けた言い訳にしないようにお願いしますわよ!!」
果たして、ティアナに勝てるのか。
レトナの実力のほどが分からないからなんとも言えないが、さほど勝率は高くないように思う。
さて、どうなることやら。
「さあ、いつでもいらっしゃいな」
「うん、行くよ……!」
そんな風に、当事者でありながら傍観者のように呑気な思考でいると、ティアナは勢いよく地面を蹴り飛ばし、レトナに向かってぐんぐんと加速していく。ってか、速っ!?
(うおぉ!? 振り落とされる!!)
魔法もなしに、こんな小さな子がこれだけの速度を出せるなんて、完全に予想外だ。
俺の知ってる百年前の騎士でも、素の体でここまで動ける奴はそういなかったぞ?
「《大いなる風よ、気まぐれなる神の息吹となりて、迫り来る厄災を払いたまえ。エアブロウ》!!」
そんなティアナの突撃に、レトナは冷静に対応してみせた。
風の魔法で突風を生み、前進速度を鈍らせる。
「ぐぅ……」
「《凍える大地よ、忍び寄る大蛇の如きその体で、彼の者を戒める楔となれ! アイスロック》!!」
「わっ、わ!?」
足を止めたティアナの足元から、氷の蛇が這い上る。
慌てて木剣で蛇を砕き、拘束されるのを防ごうとするティアナに、レトナは更なる追撃を仕掛けて来た。
「今ですわ! 《紫電よ、奔れ! サンダーボルト》!!」
詠唱の大半を省略した、短縮詠唱による雷属性魔法。
風、氷と、かなりの精度と速度で連射してるし、流石ファミール家の息女と言ったところか。
「きゃあっ!!」
飛来した非殺傷性の雷撃を木剣で受け止め、ティアナは後ろへ弾き飛ばされる。
開始からこれまで、ほとんど一方的な展開だ。
魔法使いは、魔法使いじゃないとまず倒せない。剣をメインに使う騎士もいるけど、そんな彼らでも魔法による補助は絶対に必須と言われている中、ティアナはまだそうした魔法を覚えていないんだから当然だ。
一応、こうした模擬戦における決闘方式は、先に相手の体に一撃を入れた方が勝ち。今の魔法は木剣で受け止めた以上、まだティアナは負けてない。
でも、ここから逆転は出来ないと踏んだのか、レトナの表情が勝利を確信したかのように小さく緩む。
その瞬間こそを待っていたかのように、宙に浮いたティアナの目がカッ! と見開かれた。
「やあぁ!!」
「んなっ!?」
くるりと身を翻し、ティアナは手に持った木剣をぶん投げる。
勢いよく回転しながら迫る木剣を前に、レトナは大慌てで魔法陣を組み上げていく。
「だ、《大地よ、我を守れ! アースウォール》!!」
急激に盛り上がった地面が、飛んで来た木剣をギリギリのところで飲み込みながら壁を形成する。
壁自体に阻まれてレトナの姿は見えないけど、最後に見た怯えの表情を思い起こせば、今頃は危なかったと一息吐いてるんじゃないだろうか?
それが、致命的な隙になるとも知らずに。
「《眩き光よ、全てを貫く槍となりて、邪悪を滅する正義を為せ》」
体勢を整えて着地したティアナが、詠唱を紡ぎながら再びレトナへ向かって突撃する。
防御のために作られた壁によって、今は相手からもティアナの動きが見えていない。今度こそ妨害を受けることなく接近を果たした。
「《シャイニングジャベリン》!!」
「はいっ!?」
覚えたばかりの魔法が土壁に叩き付けられ、ちょうど人一人分ほどの穴を穿つ。
砕けた土塊の中から木剣を掴み取ったティアナは、素早くそれを驚きの余り地面にへたり込んでいたレトナへと突きつけた。
「はあ、はあ……これで、私の勝ち……で、いいかな?」
「む、むぐぐ……!! 仕方ない、ですわね……」
首元に木剣を突き付けられたレトナが、悔しそうに唇を噛みながらもそう認めて。
突如始まった少女二人による模擬戦は、無事ティアナの勝利で幕を閉じるのだった。






