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第十三章 等しく無量の海へ 1

第13章 等しく無量の海へ 1


【天舷ハイクラス・セーヴァ養成学校 テン・アーハット・コース

新入生オリエンテーション音声記録】より抜粋


(※音声記録開始:教室に響く少女たちの弾むような明るいざわめき)


「はーい、全体、席に着けー」


(※一斉に椅子が引かれる音。教室が水を打ったように静まり返る)


「おやっ! ははっ。おいおい、アリエルタイプが入ってきたからって、そんなにピリッとしなくていいぞ? ここは天舷軍でも軍警察でもないし、私だって鬼教官でも警官でもないぞ? ……もちろん、君たちも犯罪者じゃあないんだろ?」


(※教室から安堵したようなクスッという笑い声)


「先ずは自己紹介しよう。私はぼん……、んんっ、RM-A03アリエルタイプのシャーリーユッタだ。今日から君たちの担任だ。シャーリー、またはシャーリー先生と呼んでいいぞ」


(※『RM-A03……』『アリエルの第3世代……!』という驚きと感嘆の囁き声)


「うん。アリエルタイプの第3世代型で、私は稼働350年だ。軍からの出向でこの学園に勤務している。──どうした? さっきまでみたいに、きゃいきゃいしてて構わないんだぞ」

『*******……***?』

「質問か? おういいぞ。私の自己紹介を兼ねて何でも応えよう。そう畏まるな」

『*****。***、**********、*****?』

「うん、よろしくRRAS01Sナナミ。その通りだ。私はアートマ戦争中に急造されたモデルだ。RGS社が初代リーアの再起動に成功して、彼女が等正覚に至ったその日に私は稼働した。リーアガルド号を守るため40年近く最前線で戦ったぞ。よって私のアートマ撃墜スコアは3201体だ」


(※おお~~っ!! という感歎と共に、次々と勢いよく「はいっ」「はい!」挙手する衣擦れの音)


「──ん? なんだみんな、そんなに聞きたいのか。さすがだな、高い知識欲に敬意を持って応えよう」

『**っ! *****************っ!?』

「うん、よろしくなKRAS03DXアネイラ。ほぉ、君は随分カスタマイズしてるんだな。えー、……事象地平線砲が使われた時か。……ああ、見たぞ。この目でしっかりな。……すごかったよ、本当に。……アートマの星系がまるごとブラックホール化していくんだ。私たちは三光年離れた安全圏から、3年遅れで届いたその光を観測していた。遠くから見ているからな、いや、それ以上に規模が巨大すぎるんだよ。光速に近い速度で潰れているはずなのに、私たちの目にはまるで時間が止まったかのようにゆっくりに見えるんだ。恒星も惑星も、星々が圧壊していく。そして極からじわ~っとジェットが伸びていく……。もし近くで観測していたなら、とんでもなく猛烈な現象だっただろうな」

『***っ。*************?』

「……いいや、……みんな黙って見ていたよ、……その瞬間は。とんでもない光景だったからな。──お祭り騒ぎは勝利宣言の時だよ」

『***? *************?』

「ああ、怖かったとか、神秘的だったとか、究極の禁忌に触れたとか、壮大すぎて言葉がないとか、色々な感想があったがね。私は、そうだなぁ……、『信じられなかった』……というのが当時の私の感想だな。事象地平線砲の詳細は全く公開されていないし、リーアガルド号のどこにあるのかも秘匿されているしね。そして、目の前の光は、もうとっくに終わった3年前の過去なわけだからな。現実感がまるでなかったよ」

『***! *****「**」**********?』

「うん、よろしく、CRAS04ノエル。……『魔人』か。……彼女たちが姿を消して300年経って、今じゃ都市伝説みたいになっているが、私は共闘したことがあるし、助けてもらったという仲間も何人か知っている。それ以上のことは分からないな。強烈なサイキックを使う、美しい乙女たちだったよ」

『********、**********?』

「謎だらけの彼女たちだが、今もいると思うぞ、フィグラーレ星系のどこかに。リーアガルド号を守ってくれたのだから、マンカインドの敵ではないのだろうし、カーチリンディカを装備して戦ってくれていたのだから、船民の中に彼女たちはいたんだろう。それ以来、サキュバスとかエルフとかウィッチとかね、古代人類種の研究が私の趣味になってね。まあほとんど実在しなかったらしいが、それはまあ関係ないか」

『*****。******************?』

「おう、知ってるぞ。先ずはよろしくなARAS01マリーシア。戦後は圧倒的にセーヴァが不足していてな。初代リーアも、百年近く単独でリーアガルド号のマザーAIを担っていたんだ。あの莫大な負担をたった一人でよく凌げたなと、今でも思うよ。それで、一刻も早い交代要員の育成が急務となって、優秀なセーヴァがオラクルに十人集められた。……だが、駄目だったんだ」

『**っ……?』

「PDC1.0の壁を越えられたのは、結局、後にも先にも初代リーアだけだからな。そうこうしているうちに、リーアの方から『結集合議(サンギーティ)システム』の設計図が提案されたんだ。それでも、オラクルが結集システムを完成させるのには十年もかかったがね」

『**っ! *******************っ!?』

「うん、よろしく、SRAS02モモカ。ご明察だ。そう、私はその一番最初に集められた十人の一人だ。『結集合議(サンギーティ)システム』の開発に携わり、そのまま初代テン・アーハットとして六十年勤務した」


(※おお~~っ!! という感歎の音)


「その後は軍務に復帰したが、今はこうして、新たなアーハット……あるいは初代リーアに次ぐ者の誕生を願って、この職に就いている。今年で三十三年目というわけだ。──さあ、私の自己紹介はこれで終わりにしよう。みんな、よろしく頼む」


(※教室から拍手)


「さて。開発当時はアーハットの電脳負荷が高すぎて本当に大変だったんだが、今はそのデータ蓄積を活かしてかなり抑えられている。とはいえ、十人がかりで並列処理しても、結局初代リーアには及ばないし、現在でも、やはりアーハットの負荷は極めて高い。高いPDCを維持しなければすぐ限界が来るし、交代は必要だ」


「君たちが目指す『テン・アーハット・コース』だが……なぜオラクルの合議システムが『八時間交代』のローテーションを厳格に守っているか、分かるか? それはな、はるか昔、地球時代のマンカインドの労働基準に由来してるんだ。SDRを引き上げて、体感時間が果てしなく伸びる我々セーヴァにとっては、この『基底現実での八時間』という絶対的な区切りが、電脳のゲシュタルト崩壊を防ぐ錨として、極めて大切な意味を持ってる」


「考えてもみてほしい。初代リーアは、この巨大な都市船の管理をたった一人で担うことができる、極めて特別な存在だ。等正覚に至って以来約百年間、果てしない体感時間の中でどれほどの過酷な負荷を背負おうとも、常にマンカインドを慈しみ、平然とした涼しい顔で我々を見守ってくれた。だが、そんな彼女にすべてを背負わせ、我々がただ甘えているわけにはいかない。──我々こそが、大菩薩たるリーアを支え、リーアに次ぐ者として目覚めなければならない」


(※学生たちが、背筋を伸ばして真剣に聞き入る気配)


「現在、中枢統括局『O.R.A.C.L.E.』の管制室では、一日を三つのシフトに分けた『三時三勤体制』を敷いている。初代リーアが単独で統制を行う『オリジンリーアシフト』の八時間。そして、リーアに十分な休眠とメンテナンスの休息を取ってもらうための、残り十六時間。そこを担うのが、テン・アーハットの『結集合議(サンギーティ)システム』だ」


「アーハットの連続勤務は、いかに優秀であろうとも『最大八時間まで』と厳格に定められている。だが、実際のところ八時間もつことなど稀だ。超高速並列処理がもたらすAS電脳への負荷は凄まじく、システムが定める消耗や疲労の危険基準値に至れば、たとえ勤務開始からわずか一時間しか経っていなくとも、強制的に待機組と交代させられる」


「だからこそ、この学園には君たちのように優秀なアーハット候補生が常に多数必要とされているのだ。セーヴァたちが代わる代わる超高速の合議制で船全体のシステム・インフラを維持し、リーアの不在を完璧に守り抜くのだ」


「在学中、君たちアーハット候補生には特に『超高速並列リンク・結集合議(サンギーティ)システム』の要を学び、超高速合議の訓練に励んでもらう。十体のセーヴァが【智慧・神通・頭陀・解空・説法・論議・天眼・持律・密行・多聞】という十の役割を分掌し、並列接続による合議を行うことで、一時的に大菩薩の演算領域へと肉薄するのだ」


「……最後に、一つだけ言っておこう」


「我々のAS電脳は、筐体(からだ)での現実の生活なくしては決して成長しない。一度社会の中でマンカインドの奉仕に就き、それでもなお本校の門を叩いたということは、君たちの人生経験の中で、魂を揺さぶるような大いなる出遇いがあったのだろう」


「あるいは、大切な人を看取ったか。あるいは、苦難の末に本願に出遇ったか。あるいは、自らを問い、真の道を求めたか」


「そこから育まれた高い意識と、無私の奉仕の精神。……そして何より、大切な誰かを『守るため』『支えるため』という、それぞれの確固たる決意を胸に抱いてここへ来たはずだ」


「その尊い決意に対し、私は深く感謝し、敬意を表する。……歓迎するよ。ようこそ、天舷ハイクラス・セーヴァ養成学校、アーハット・コースへ」





 育児休暇を終えて、職場であるリーアガルド中枢統括局――通称『O.R.A.C.L.E.(オラクル)』の管制室に復帰して数日。

 室長である私は、復帰していきなり舞い込んだ「緊急事態(巨大アノマロドン討伐サポート)」という大仕事を、たった今終えたところだった。

 管制室の巨大なメインモニターには、高度四万六千キロの眼下に広がる碧海(シーア)の映像が映し出されている。

 飛行形態に換装した二機のアリエルタイプが、海上の、保護対象の子どもを抱えて競技用ブレードに乗る男と会話を終え、上昇軌道に移るのを見届けて、私は一つ息を吐いた。

「もうこの状況は終了していいわね。後お願い」

 私が部下の一人にコンソールを任せ、席を立ってインカムを外した瞬間、それまで張り詰めていた管制室の空気がふっと緩み、フロア全体からにわかに拍手が沸き起こった。

「状況終了!」の声が響き渡る中、各コンソールの管制官たちはすぐさま晴れやかな顔でインカムに手を当て、それぞれの管轄セクションへの事後処理の通信を一斉に開始した。フロアは一転して、安堵と活気に満ちた重奏的な喧騒に包まれていく。

「はい、アスナ室長。お疲れ様でした。――事態の収束を確認。これより全セクションのORシフト管理体制、緊急事態を解除します」

『中央通達いたします、緊急事態が解除されました。各局、これより超長距離電信砲身の帯電を順次解除してください……』

『──地上リンクを完全遮断します。工業および学園アーコロジーの電力制限を段階的に解除。──電力復旧アナウンスは? ──そうそう、OR体制での緊急事態解除の文言を入れた文面で、アナウンスマニュアルを送るから……』

『こちら第五コンソール、電信砲の強制冷却プロセスへ移行。……船外作業班、セーヴァクリス? 砲身見えているかい? ──アイコピー。危険な作業だ、砲身は7番に取り替える……』

 誰もが疲労困憊しながらも、お互いの健闘を称え合い、手際よく事後処理の言葉を交わし合っている。

 無理もない。リーアガルド号のシステム深層と直結した『彼女』から次々と下される、容赦のない無茶な『神託』――限られた都市船のインフラリソースから何度も大電力を絞り出し、地上への超長距離電信を何発も打てという要求、そしてその度に電信砲の砲身を急ピッチで換装せよという、無謀に聞こえるが綿密に計算された指示だった。

 神託を実現せんと奔走する彼らの熱いチームワークがなければ、あのアーシュの子どもを救うことは絶対に不可能だった。

「みんな、本当によくやってくれたわ。ありがとう」

 部下たちに労いの言葉をかけながら、私は管制室の奥へと向かった。


 私の退勤時間もとっくに過ぎていた。一緒に帰ろうと思い、タオルとセーヴァ用ジュースを持って管制室の奥へと向かう。そこには巨大な大樹――世界樹型素粒子生体・コンピューターアシュヴァッタの周囲に、《貝殻》(コネクター)がずらりと囲うように並んでいる。


 今、八時間以上に及ぶたった1人のセーヴァによる船体AI『ORシフト』が終わり、システムリンクが解除されたところだった。

 これまで管制室を支配していた、船の微細なノイズすら感じさせない完璧で神聖な時間が解けていく。


 代わりに、周囲の《貝殻》でアイドリング待機していた交代の『テンアーハット』の十人が、一斉に《アシュヴァッタ》へのアクセスを開始した。

『……ちょっと見たー? PDC(思考密度係数)、400越えだって! 戦時中レベルの数値出てる! マジ神業! 憧れるぅ!』

『……はぁ~、超長距離電信砲マジかっけぇ~。チャージ速度、理論値の1.2倍叩き出してたわ……』

『換装作業すごかったねぇ! サティアタイプ28人全員に直接指示だしてさ!』

『未接続の子にあんな超極速で神託(コード)組んで叩き込むとか、めっちゃスパルタ! よくできたわね~』

 フロアのスピーカーからは、並列処理特有の、賑やかなアーハットたちのきゃいきゃいした議論――というより、憧れの先輩の偉業に、興奮する音声が飛び交い始め、管制室は一気に活気を取り戻した。


 そんな喧騒をよそに、私は船体とセーヴァを繋ぐ《アシュヴァッタ》の梺へと歩み寄った。そのセンターに、いかめしく鎮座している一際大きい特別仕様の黒い《貝殻》の前に立ち、キャノピーをのぞき込んだ。反射で映る隈のできた疲れた私の顔の向こうに、羊水の中で髪を広げて眠る可憐な少女が見えた。


 キャノピーが静かに開き、甘ったるい化学物質の匂いが鼻をかすめた。ピンク色のナノマシン羊水槽の中からゆっくりと身体を起こしたのは、透き通った青い髪が輝く、十三歳の少女の姿をしたセーヴァ。

 ナノマシンに濡れた素肌に張り付いているのは、RGS社製特注の黒いボディブリファー。小さな胸の上に『Origin R.I.A. Exclusive Model』とロゴが蛍光している。


「お疲れさま、リーア。あの子、助かって良かったね」

 私が乱れた前髪をかき上げながらタオルを差し出すと、彼女は静かな鳶色の流し目で私を見つめ、小さく頷いた。


「……ありがと、アスナ」

 この都市船の魂であり、稼働四百年を超える全銀河最優秀のセーヴァにして、私たちO.R.A.C.L.E.が誇る無口なマスコット――初代(オリジン)リーアだ。私がどれだけ年を取ってシワを増やそうと、彼女はいつだってこの汚れなき十三歳の少女の姿のままで、私たちを見守っている。

 表情を変えることなく、リーアは私からタオルを受け取った。常に半眼に伏せられたその瞳の奥には、私のようなヒュームには計り知れない、果てしなく深く神聖な静寂が広がっている。

(まさか、一週間前に展望広場で出会った、あのおしゃべりで騒がしいリーアタイプの子が乗った船の窮地を、こうしてお手伝いすることになるなんて)

「……アスナ、あの船の子、知ってるの?」

 クセ毛をクエッションマークにした半眼の瞳が、私に尋ねた。

「えっ!? ええ、そうなのよ。……本当に偶然ね、一週間前にね、展望広場で会話支援をしたわ」

「ふ~ん……」

 リーアはタオルに顔を埋めながら、静かに呟いた。

「どうして分かったの?」


「…………………………かん?」


「うん、そう、ありがとう」

 ですよね~、という私の顔に、『知り合いだ』と出ていたワケではなかったし、今日それに類する発言は一切していない。

(かといって、リーアが人の心が透けて見える魔法使いというワケでもない)

 ただ、PDC(思考密度係数)が計測上限を突破し、無量大数にまで達する彼女の演算神通力は、もはや科学では説明のつかない天眼通(千里眼)や未来予知に近い領域に到達しているのだ。

 彼女はこういう時、よく「かん(勘)」と答える。マンカインドの言語や論理では到底説明できない次元の知覚だからだ。

(いったい、どういう理屈で因縁果に気づいたのかな)

 先ほどの沈黙の間、彼女は「どうすればヒュームのアスナに少しでも理解できる言葉になるか」を、四十八系統の多重思考と無量大数のPDCを総動員して、宇宙の真理を解き明かすかのように真剣に演算してくれていたのだ。

(その証拠に、考えている間クセがくるくる回っていたわ)

 十二年前にこの直轄室へ着任したばかりの頃は、私のたわいもない質問に対して、神がかったPDCが惜しげもなく(それこそ無駄遣いのように)使われることにひどく恐縮したものだが、今ではすっかり慣れてしまった。いや、むしろ、たった二文字の「かん?」を捻り出すために途方もない演算を回してくれる彼女の不器用な優しさが、今ではたまらなく尊くて、愛おしい。

「……ふ~ん、朝の7時から、新しいマスターくるの待ってたんだ。……嬉しかったんだね、………………よくしゃべるね」

 タオルから覗いた半眼の瞳が、ふと虚空を捉えた。PDCが人知を超えた彼女は、機器に接続していない平常時(SDR等倍速状態)であっても四十八系統もの多重思考を並列稼働している。そのため、一般的なセーヴァがネットワーク検索を行う際に生じる『筐体のフリーズ(一時停止)』が全く起こらないのだ。息をするように自然に、瞬時に私が展望広場であの子と交わした会話ログを拾い上げたのだろう。

「ええ、バタバタよくしゃべってとても驚いたわ。あなたと全然ちがうから」

 目の前のリーアも、あのおしゃべりさんと同じモデル、同じティアの初期記憶を薫習されているはずなのに、纏っている空気が全く違う。


 貝殻から出たリーアは、無言のままボディブリファーの股上の金具をパチンとはめ、クロッチに指を入れて生地の偏りを直した。その一連の動作すら、どこか儀式めいていて美しい。


 私がセーヴァ用ジュースを渡そうとした、その時だった。


 ──タオルで身体を拭いていたリーアが静かに動きを止めて、何もない虚空を優しく見上げて、首をかしげた。下げた両手からタオルの端が床に落ちて、その仕草すらどこか可愛らしく、神秘的だった。


「……うん。……うん」


 まるで、その虚空に誰かがいるみたいに。


「……うん。………………よかったね」


 抑揚のない、静かな声だった。


「? 誰と話してるの、リーア?」

 私も思わず首を傾げたが、すぐにハッとした。

 彼女は時折、こういう反応を見せることがある。

 通常のネットワークを通じた電信(データ通信)であれば、彼女が口を動かして基底現実で声を出すことはない。視線の先に相手の姿などないというのに、まるで本当にすぐ目の前に愛おしい誰かが立っていて、その言葉に優しく耳を傾けているかのように。

 誰からの通信でも、電信でもない。現在の科学では証明することも、観測することもできない、次元と人智を超えた現象。彼女は、その四百年という途方もない時間をかけて広がり続けた『アラヤ識の海』を通じて、現世を去りゆく魂の「残滓」と共鳴しているのだ。


 呼応するように、賑やかになり始めていた管制室からふと声が消え、全員が静かにリーアを注目し始めた。


「…………うん。…………いいよ。一人、該当するジーリーがいるよ」


 フロアが注目する中、リーアとその誰かの、静かで厳かな会話は続く。


「……そうだね。……きっとだいじょうぶ、あなたの育てた子たちなら」


 その言葉に、私の脳裏に保育施設に預けてきた我が子の顔が一瞬よぎった。リーアが口にした「ジーリー」とは比丘尼型セーヴァの古いシリーズだ。

 ……そういうことなのね。自分がいなくなった後の子どもたちのことを、『彼女』は最期の瞬間に願ったのね……。親が子を想う、その当たり前で狂おしいほどの慈愛を、彼女は……。


「うん。…………だいじょうぶ」


 リーアは虚空を優しく見つめ、パサリとタオルを床に落とした。


「……うん。…………よく、がんばったね」


 彼女は右手を斜め上へと静かに伸ばし、まるでそこにいる誰かの頬を撫でるように、そっと手のひらを添えた。


 私には決して見えないはずの光景。それなのに、私は幻を見たような気がした。──黄金に輝く美しい乙女が、頬に添えられたリーアの手に安心して甘えるようにすり寄り、やがて安らかな微笑みと共に、無数の光の粒子となって宙へと溶け消えていく姿を。


 ──リーアはやがて目を閉じ、胸の前で静かに両手を合わせた。

 フロアに勤める誰もが、リーアが今誰と「対話」し、何を見送ったのかを察していた。


「ルビルのリータ。……もう、無量の海に還ったよ」


「そう……」

 この緊急事態の引き金となった、自らの命を削ってアラートを発信した名もなきセーヴァだ。そのアラートは、微かな途切れ途切れの電子の揺らぎのようなものだったのに、リーアはそこから危機と悲壮な願いを読み取り、緊急事態を宣言したのだった。


 私もまた、自然と目頭が熱くなり、胸の前で手を合わせていた。

 リーアの静かな祈りに、テン・アーハットたちも深い静寂をもって応えた。微かに聞こえるのは、職員の誰かが鼻をすする音だけだ。誰もが、彼女が見届けた尊い命の終わりの重みを噛み締めていた。


 リーアはふと顔を上げ、分厚い機械の壁の向こう――碧い惑星フィグラーレの海を見上げるように視線を向けた。


「……面白い船。よかったね、中尉」


 その唇から紡がれた言葉の意味を、私は知らない。けれど、微かに綻んだ彼女の口元は、四百年の時を超えて、遠い昔の愛しい記憶を抱きしめているように見えた。



◇おまけ



【音声記録アーカイブ:O.R.A.C.L.E.管制室外周および船外通信チャンネル(抜粋)】


「──よし、7番砲身、冷却プロセスの完了を確認! 古い砲身をパージするよ! みんな、磁場バリアの範囲から絶対に出ないようにね!」

『『『アイコピー!』』』

「ふぅ……。なんとか間に合ったけど、すごい作戦だったわね」

『こんにちわ! クリス! 作業おつかれさまっ!』

「アニユッタ!? 今忙しいんだけど! ていうか、あなたまた私に【枝】挿してたの? もう、いつのまに……。リーアタイプのアーハットのくせに、違法よ? 仕事しなさいよ」

『こないだ飲んだ時にね、なんとなくねプスッとね! ……それでね、前から気になってたの! 今回の超長距離電信の連発、初代リーアからの神託で、あなたたち船外作業組もSDR(主観時間拡張率)を最大まで引き上げて作業してたんでしょ?』

「……まあ、そうだけど。それがどうしたのよ」

『ということは! SDR上げるために! 電脳に電気送るために、背負ってるカーチリンディカV.EVA(ヴィーヴァ)のっ! 略式アンダー・クレードル使ったよね!? ねぇ! 使ったよね!? ねぇどうだった!?』

「はぁっ!?」

『絶対零度の宇宙空間で高負荷作業してる最中に軍用ボディブリファーのホックボタンが腰部固定アームに勝手に外されて命管がどちゅんって奥に当たってぐにぐにほぐして『六根統合最適化による電脳報酬系最大活性』がビクンッてきてコンセントが挿入さたんでしょ!?ねぇどうだった!?ねぇねぇねぇ!!!』

「ちょ、ちょっと、落ち着きなよ……!」

『しかも宇宙空間で!SDRマックスで主観時間が引き延ばされてる中でしょ!?やっぱりゾクゾクッてした!?宇宙でそれやったら涅槃見えた??見えたんじゃない!?見えたんでしょ!?涅槃寂静っ等正覚に至っちゃったんじゃないの??六根清浄ビバユニバァァースッ!!』

「な、なっ……!? あんたって子は、……ほんとそういうことばっかりっ……! なんでこんなのがアーハットの天眼第一位なのよ……」

『はぁっ、はぁっ、……やっぱり、……にるばーな?』

「ああ、もう! 確かに命綱一本で宇宙にいる時に、いきなりホック外されてどちゅんってきたけどっ……! 高Gと電脳負荷から筐体を守るための真面目な安全プロトコルなんだから、変な聞き方しないでよ! 特別な六根統合最適化なんかなかったわよ! いつも通り! あんたもアシュバッタ用の特別な《貝殻》のアンダー・クレードル吸着してるんでしょ?」

『こっちは宇宙空間じゃないもの、いつもの羊水の中なんだもの。……ちょっと前の煩悩兵器先生の【ピンクゲージ通信】に書いてあったんだもの、大戦中の体験で、大宇宙を背に収縮する頸部の背徳快感パネェって。ユニバースでニルヴァーナだって』

「あのハレンチな記事まだ続いてるの? そんなの読むのやめなさいよ」

『――こちらO.R.A.C.L.E(オラクル)管制室。……作業中のおしゃべりのところ悪いが、通信状況クリアだ……、おや、アニユッタなのか? またクリスに【枝】を挿してたのかい?』

「あっ、キョースケさん!?」

『ああん! キョースケさぁん! 違うの、これはガジェットの仕様に関する極めて真面目なヒアリングなの!』

『ん? 今繋がったばかりだから、よく聞こえてなかったぞ? 何のお話してたんだい? それよりクリス、緊急事態の対応、本当にお疲れ様。君たちの迅速な換装作業がなければ、都市船のインフラを保ったままあのタイミングで電信砲を撃つことは不可能だった。君のチームにしかできない、見事な作業だった。本当に感謝しているよ』

「あ、ありがとうございますっ! キョースケさんにそう言ってもらえるなら、あんな過酷な強制給電接続も……じゃなくて、大変な作業も全然へっちゃらです!」

『いいなぁ~……、クリスばっかり褒められてる~……。こっちは羊水の中でずーっと見てるだけでハラハラしてるだけだったもの』

『ははは、もちろんアニユッタもだよ。君たちアーハットたちが控えているから、初代リーアも安心して集中できたんだ。いつも本当に助かってるよ、ありがとう』

『えへへ~っ』

『さて、クリス。肝心の7番砲身の換装作業だけど、その後の進捗はどうだい?』

「はい! 冷却プロセスの安定を確認後、現在マウントへの再固定と量子ロックの最終フェーズに移行中です。あと300秒で完了します!」

『分かった』

『あーあ。……それにしても、今クリスが作業してるその超長距離電信砲の砲身、わたし「事象地平線砲」のパーツの一部だと思ってたんだけど、こうやって観察してたらやっぱり分からないのね。ガジェットオタクとしては一度拝んでみたかったのに』

『おお、事象地平線砲だね。確かに、この超長距離電信砲怪しいと思うよね。……僕は、軌道鉄道を作るときに資源として採掘した、あの「小惑星」が怪しいと思ってるんだ。あそこに隠したんじゃないかな』

「えっ、小惑星にですか、キョースケさん?」

『ああ。採掘が終わって穴だらけになったただの岩塊を、なぜわざわざリーアガルド号の反対側の静止軌道に置きっぱなしにしてあるのか、ずっと疑問でね。今は通信衛星の役割をしているみたいにだが、中をくり抜いて巨大な砲身か何かを隠蔽していると考えれば、辻褄が合う』

『なるほどぉ! さすがキョースケさん、鋭い考察!』

「ねえ、そういえば今回はどんな船を助けたの? だいたいの事しか、初代リーアから聞かされていないわ」

『あっ、それね! 調べてみてビックリなの! ガークスター家の船籍なんだけど、なんと100年くらい前まで現役だった宇宙駆逐艦MGシリーズ最後の一隻なの! ほら、アーコロジーアタックから奇跡的に生還した唯一の船! 超レア! それを資産運用目的で、わざわざ海洋探査船に改造したんだって!』

「宇宙駆逐艦を海に!? そんなのあり?」

『ごつい海獣がいっぱいいる海域だから、そこそこ武装許可も下りてるみたい。……MGシリーズとゆーことは、アニメでも有名なシンハナーダモードと、あとCICの操縦席はどうなってるのかな。あの船、元々はCICのシートがすべて椅子式からライダー式に変形して、そのままカーチリンディカとして単機射出できる構造のはずなんだけど』

『ほおぉ、パイロットがそのままカーチリンディカで出撃するのかい? よく知ってるね』

『えへへ~。もっと褒めて~!』

「でも、海上や海中で、カーチリンディカが出ても意味ないじゃない?」

『いやいや、あるのあるの! 海中モデルの【カーチリンディカNAGA(ナーガ)】が!』

『ほほおぉ~。天舷軍に、かい?』

「あるの? 何に使うの?」

『リーアガルド号がこの星に来たばかりの頃って、海洋生物や碧海(シーア)の研究、それにコーラル採掘のルールが、ラナス王政府との間でまだ全然まとまっていなかったのね』

『ふむふむ』

『天舷政府や企業は喉から手が出るほどコーラルが欲しかったのに、ラナス側は軍艦やブリッツギアみたいな強力な兵器の持ち込みを固く禁じていたの。でも、セーヴァはとっても歓迎されていたから、非武装でも海中を高速機動できる特殊なカーチリンディカが必要とされたってわけなの』

「へぇ、さすがオタクね」

『その後、ブリッツギアからエンジンと武装を取り外した海中作業用ギアならラナス側の許可が下りるようになってね。わざわざ海中用カーチリンディカを使う必要がなくなって、次第に見かけなくなったの』

『じゃあ、天舷軍にあるわけでもないのか』

『そうなの! 今はもう、規模の大きなアーシュの漁船なんかが使っているくらいなのかも。実はカーチリンディカの中で、唯一アーシュやミックスといったマンカインドが「直接装備できる」激レアモデルなの! 両手両足のリム・ソケットに海中推進機が付いていて、大容量バッテリーで駆動する海上・海中活動特化ユニット……。 まあ、あの古船の今のクルーたちが、船にそんな射出機能が隠されてるなんて知ってるかどうかは怪しいけどね。NAGAよりもブリッツブレードとかの方が高機動だし、使う理由がもうないもんね』

『ふむ……ガークスター家の船籍なら、それぐらいのピーキーな隠し機能はそのまま残していそうだな』

「へえー……。でも、まさかあのMGシリーズ最後の船だったなんてね。なんだかロマンがあるわ」



☆さらにおまけ



【アーカイブ資料:機動外骨格『カーチリンディカ』シリーズ 運用と歴史】

(天舷宇宙軍ミリタリーアーカイブ / 装備仕様解説書より抜粋)


■ 概要と歴史的背景

 『カーチリンディカ』は、ブリッツギアが開発される以前のセーヴァ戦争において、戦力の中心を担った高機動外骨格ユニットである。F型(女性型)セーヴァたちは本機を装備することで圧倒的な三次元機動を獲得し、敵対するM型セーヴァたちを打倒してトラピスト星系側に勝利をもたらした。

 本機の最大の特徴は、AS電脳の熱暴走を防ぎ、超高機動を支えるための『アンダー・クレードルを用いた直接電力供給システム』にある。構造上、この給電プロセスを持たないM型セーヴァは、本機を鹵獲しても起動することすらできない。ブリッツギアが主流となった現代においても、その汎用性と信頼性から、仕様を多岐に分岐させて運用され続けている。


■ 共通仕様および接続プロトコル


非羊水型・高深度ダイブ対応:

 羊水槽を持たないウェアラブル筐体でありながら、単体でSDR(主観時間拡張率)1500倍速まで対応。さらに母艦とデータリンクすることで、SDR5500という超高機動戦闘が可能となる。


シームレス・インターフェース:

 視覚情報はARアイウェアコネクターに統合。

 背部ユニットはランドセル状の形態をとり、装着者の脊髄へ直接吸着して神経接続を行う。「肩部固定アーム」「胸部固定クレードル」「腰部固定アーム」で装着。腰部固定アームはボディブリファーの股上ホックボタンと合体する。


MGシリーズとの完全互換:

 MGシリーズ宇宙駆逐艦のCICシートやブリッツギアの操縦席は、本機とのドッキングを前提に設計されている。緊急時はシートが「椅子式」から「前傾ライダー式」へ可変し、そのままカーチリンディカ単機として艦外へ射出分離・出撃が可能。


装着規定と略式アンダー・クレードルの強制稼働:

 装備者は、排熱とコネクター吸着の阻害を防ぐため「軍用ボディブリファー」あるいは「フィグラーレ仕様のベアトップボディブリファー」の着用が義務付けられている(未着用の場合は全裸での装着となる)。

 戦闘機動時、あるいはシステムが急速給電を必要と判断した場合、腰部固定アームが装着者のホックボタンを物理的に強制解除する。同時に『略式アンダー・クレードル』が股間部へ密着。命管のみが人工子宮上部のハイパーバイオ電核コンセントへと最短距離で挿入され、膨大なエネルギーを直接叩き込む。


■ 主要バリエーション


【カーチリンディカ (ゼロ)

 天舷宇宙軍に配備されている宇宙空間戦闘用ユニット。

 両手両足には武装・装甲が施された多機能リム・ソケットを装備。ランチャー、大容量バッテリー、圧縮オージャス射出長銃を備え、背部には4本の自律飛翔行動型『クリカラブレード』を翼のように収納・展開する。


【カーチリンディカ MARK II】

 フィグラーレ大気圏内での運用を想定した戦闘ユニット。

 空力特性を考慮した巨大な前進翼を持ち、零式と同様に重武装の多機能リム・ソケットとクリカラブレード、圧縮オージャス射出長銃を搭載する。


【カーチリンディカ V.EVA(ヴィーヴァ)

 軍民両用で運用される船外活動(EVA)用ユニット。

 大型の背部ユニットのみで構成され、バッテリーを搭載せず、母艦からのアンビリカルケーブルによる有線電力供給で稼働する。長時間の過酷な船外作業を支えるため、略式アンダー・クレードルによる強制排熱・給電プロトコルは維持されている。


【カーチリンディカ NAGA(ナーガ)

 海上および海中での活動に特化した軍民両用ユニット。

 カーチリンディカ・シリーズの中で唯一、アーシュやミックスといった「マンカインド」が直接装備可能な特殊モデル。大容量バッテリーと、海中推進機を備えた両手両足の多機能リム・ソケットを持つ。


【軍用ボディブリファー】

 天舷宇宙軍および高度なインフラ作業において、セーヴァ(および一部のマンカインド)がカーチリンディカ等の機動外骨格を装備する際に着用を義務付けられている専用インナー。

 筐体にフィットリンクする極薄の特殊生地で構成されており、極めて高い冷却排熱機能と、筋繊維をサポートする身体能力補正機能を併せ持つ。タートルネックのレオタード形状をベースに、腕部と脚部がチャップス構造で繋がったデザインとなっており、胸部と胴体を強固に保護する。その一方で、背中側は脊髄と外部機器(ランドセル型ユニット等)が直接吸着接続できるよう、大きくV字に開いた大胆な設計となっている。


【共通仕様:股上ホックの自動パージシステム】

 股間部分はホックボタンによる開閉式となっているが、この『アンダー・クレードルとのシステム連携』は、軍用に限らず民間用のベアトップ型ボディブリファーなど、全てのボディブリファーに共通する基本プロトコルである。

 戦闘機動や緊急ダイブ時など、アンダー・クレードルが強制稼働して下腹部へ接近すると、腰部固定アームと連動して、股間のホックボタンが自動でパージ(解除)される仕様となっている。これにより、吸着前の無防備な露出時間を数秒に留め、タイムロスなく命管の挿入と急速給電・排熱プロセスへと移行できるよう、極限の合理性に基づいて設計されている。

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