第五十五話 悲劇
「……何だ、今の声は」
城内の、恐らくは正面入口の方からだ。断末魔のような──重々しい叫びが、四人の耳に届いたのだ。
(まさか、侵入者?)
父エドヴァルドという最高戦力が不在という情報は、軍にしか伝えていない。しかし軍から情報が漏れたとは考えにくかった。
(……考える時間が無駄だ)
駆け出すと同時に、アンナは無限空間から飛行盤を取り出した。手のひらの中で回転する円盤が爛々と火を纏い、城壁を駆け上ると同時に足首を支えた。直後に城壁を蹴って空中に飛び上がり、屋上へと着地する。駆け出したアンナを追って、エリック、シナブル、フォードが後に続いた。揃って屋根伝いに飛び、城内入口前の園庭を高所から見下ろす位置に辿り着いた。
「は……?」
事態を理解できないアンナの、僅かな声が落下する。眼下に広がる手入れの行き届いた前庭が、血の海なのだ。首を跳ねられ事切れているのは二人のメイドと執事のハイドンだった。
「ナージャ……ケティ……ハイドン……! クソ、誰だ!」
庭を見渡し、アンナはハッと息を呑む。今日の門番守は一体誰だっただろうか。
「……カメリアだ」
アンナの考えが透けて見えたのか、エリックが奥歯を噛みしめながら呟いた。正門に向かって駆けたアンナが目にしたのは、長い階段の一番下──額を貫かれたカメリアの死体だった。
「叔母上っ……!」
「おい! 待て!」
階段を一気に飛び下りようとするアンナの肩を後ろから掴んだエリックが、彼女を引き止めた。
「戻るな! 進め!」
「言うな! わかってる! クソ……叔母上っ……!」
前髪をぐしゃりと握りしめ、切り揃えられた血色の髪が乱れる。四つの遺体を早く弔ってやりたいが、進む先に遺体がまだある可能性も高いのだ。
「クソ……」
アンナと同じ顔になったシナブルは歯軋りをしながら周囲を警戒した。人の気配は感じられなかったが、今はただアンナの状態が心配だ。
「アンナ、落ち着け」
「クソ……クソっ! 誰が一体……ぶっ殺してやる!」
エリックが肩を抱き声をかけ続けているうちに、アンナは少しずつ冷静さを取り戻していった。大きく息を吐きだすと、飛行盤をしまって城内へと踏み込んだ。
「いや……いや……待って……」
城内に、血の匂いが充満している。向かって右側の医務室からも、正面に伸びる大廊下からもだ。大廊下の先に、死体が一つ転がっているのが見えた。
「エリック……医務室を見てきてほしい」
「……わかった」
抜刀したエリックは足早に右の回廊を進んでいった。足音が聞こえるうちに、アンナは無理矢理足を動かし前へと進む。
「姫」
「……なんだ」
「落ち着いてください」
「あたしは冷静だ……!」
振り返ったアンナが、フォードの胸ぐらを掴む。湖面のように揺らぐ瞳に、剥き出しの犬歯。とても冷静とは言い難い表情だった。
「……すまない」
「……すみません、出過ぎたことを申しました」
フォードを解放すると同時に、アンナは駆け出した。大廊下の先に倒れている死体を確認せねばならない。
「嘘……ねえ、どうして……?」
胸を貫かれ、首を掻っ切られて事切れていたのはアンナの従姉マンダリーヌだった。直ぐ側には彼女の愛刀が転がっており、反撃した形跡が見える。
「姉上……?」
遺体に触れることができないアンナの隣で、シナブルががっくりと膝を折った。そのまま這うように前進すると、姉の遺体を腕に抱えて目に涙を滲ませる。
「姉上……そんな……起きてくださいよ、姉上」
昨夜も顔を合せていたというのに。腕の中の冷たくなり始めた肉体に、嫌でも現実を突きつけられてしまう。
(なんて穏やかな顔で……)
惨殺されているというのに、マンダリーヌの顔はどこか晴れやかであった。姉がここまで穏やかな表情を向ける相手は、一人しかいないことをシナブルは知っていた。
(……嫌な予感がする)
この予感を、この場で口には出すことは憚られた。まさか、そんなはずがない。彼はマンダリーヌのことを、心底愛していた。殺す理由を見つけることは難しい。
「医務室は全滅だ」
「……そう」
戻ってきたエリックの報告に、アンナの顔に完全に影が差した。悲しみを通り越し、湧き上がる感情はもはや怒り。これだけ家族を殺されたのだ、相手にも同じ苦しみを与えてやらねばならない。
「先を急ごう……母上が心配だ。フォード、王の間には誰が詰めている?」
「はい……アリア様、ガランス様、ヴァイス様。それにクラモアジーです」
「手薄ではない……そうよね?」
「はい」
身重の王妃ネヴィアスを守るため、王の間は厳重に警護されていた。シナブルの両親であるコラーユとサン。それに二人の息子のルヴィスは国王エドヴァルドに同伴して不在だ。マリーの臣下であるヴィウィとエカルラートも不在なので、警護人数としては多くはない。
(祖母上も伯母上たちも強い……そう簡単にやられるはずが──)
ハッとしてアンナは足を止めてしまう。王の間に詰めていない者たちは、もしかすると既に殺されているのではないだろうか。
「……フェルとカルディナル……それにヴェルミヨンは──」
背中に冷たいものが走る。真っ直ぐ伸びる大廊下の階段を数段上がり、視界に飛び込んできたのは小さな二つの亡骸だった。
「カルディナル……ヴェルミヨンまで……」
シナブルの弟たちだ。息荒く胸を押さえる彼に、誰も言葉をかけることができない。アンナはシナブルの肩に触れ、無言で首を横に振った。
「あんたはここに残って」
「しかし……!」
「きょうだいを三人も殺されたあんたを、この先に連れていけるわけ……」
目を腫らすシナブルを見たのは、これが初めてであった。いつも気丈に振る舞う男の背中が、初めて小さく見えたのだ。
「俺は大丈夫です。姫の傍に置かせてください」
「けど……!」
「……大丈夫です」
弟たちを抱きしめ、廊下の隅に横たわらせる。恐らく、この先で待っているのはさらなる死体と戦場だ。誰よりも大切な主を置いて、感傷に浸っていられるはずもなかった。
「……わかった」
唇を噛みしめ、階段を上りきる。間もなく王の間だ。この位置からでも激しい交戦の音が伝わってくる。先を急がねばならない、と顔を上げたその場所に、一番見たくない者が倒れていた。
「フェル……?」
このまま見つからなければいいと、願っていたとうのに。王の間の直前──大廊下の真ん中に、喉を掻っ切られたフェルメリアスが仰向けに倒れていた。
「……ねえ、嘘よね? どうして、なんで! フェルが!」
フェルメリアスの顔は穏やかであった。反撃する間もなく喉を切られたのだろう。血に塗れた体を抱きしめるアンナを通り越し、エリックが王の間の扉を押し開ける。シナブルとフォードはその後に続いた。
「あ……」
エリックの目の前は血の海であった。玉座の影で縮こまる王妃ネヴィアスの上には、全身が真っ赤に染まったクラモアジーが覆いかぶさっている。ネヴィアスを守って何度も斬られ、刺されたのだろう、細部に至るまで血に塗れていた。
そこから離れた場所ではカメリアとヴァイスが仰向けに倒れている。胸から血を流し、息をしていないことは明白だ。玉座ではアリアが胸を貫かれて磔にされていた。
「遅かったなぁ」
シナブルの嫌な予感が的中した。王の間に賊の姿はなく、立っているのはレン一人。全身に返り血が飛び散り、刀を凪ぐと絨毯に真っ赤な血がパッと飛び散った。
「……これは、レン様が?」
「そうさ」
歩みを進めるレンを、三人は警戒する。家族をこれだけ殺す、目的が見当たらないのだ。万が一にも操られているとなれば、術者がいるはず。安易に近づくとこは命取りとなる可能性もあった。
「俺は操られているわけではない。これは己の意志だ」
レンが足を止めたのは、ネヴィアスの目の前。震えながら息子を見上げる彼女は目を見開いて、クラモアジーの刀を拾い上げた。
「母上っ!」
アンナが叫ぶと同時に、エリックたち三人がレンに斬りかかった。しかし、ネヴィアスに達するまで距離があった──レンの刃はネヴィアスの膨れ上がった腹を貫き、悲痛な叫びが王の間を震わせた。
「腹の御子様まで……!」
ネヴィアスに駆け寄ったフォードの顔面がみるみる青くなってゆく。下腹部を深く刺され、赤子の命は絶望的だ。首を横に振りながら腹の出血を止めようとするネヴィアスは、嗚咽を漏らすことしかできないようだ。
フォードは自身の上着を脱いで裂き、ネヴィアスの傷を押さえつけた。もっとしっかり止血をしたいが、この場を離れるわけにはいかない。医療器具もない王の間で、これ以上の止血をすることは難しかった。
「私は大丈夫……フォード……あなたも戦いなさい……」
「申し訳ありません……!」
「この、国と……ハァッ……アンナを、守って」
「……はい」
ネヴィアスの体を横たえると、フォードは既に交戦の始まっていたシナブルたちに合流する。レンは攻撃をいなして嘲笑うばかりで、男たちに目的を告げる気などないようだ。
「兄上……どうして」
立ち上がれないアンナは、声を震わせ兄を見つめる。兄の様子が少しづつおかしくなっていることには気が付いていた。しかしここまでの蛮行を犯すとは、予測できなかった。
「言わねば理由がわからないか? ん?」
アンナの呟きに応えるように、レンが攻撃の手を止めた。王の間から廊下へと歩み出た彼を追い、三人は三点に散らばって彼を取り囲む。
「アンナ、俺のものになれ」
「……は?」
「愛しているんだ」
アンナの背中に再び冷たいものが走る。腕の中のフェルメリアスを抱き寄せ、「馬鹿なこと言わないで」と首を横に振った。
「そんなことで家族を殺して……許されるとでも?」
「許しは不要だ。父上がいない間に全員殺して、お前一人を連れていく。それでいいんだから」
「何を言って……意味がわからないわ」
「悲しいなあ」
レンの言葉を聞いて、ネヴィアスが身を起こした。何か言おうとしているようだが、もう言葉が出てこないようだ。
「フォード、母上は無事なの?」
「はい……出血は酷いですが、それさえ止まれば」
アンナの視線がレンからエリックへと向かう。それに気がついたエリックは、訝しげに眉を寄せた。
「エリック……お願い、母上を助けて……!」
この場で医療技術を持つのはエリックだけだ。現状、ネヴィアスを医務室へ運ぶことは難しいが、エリックが医療道具を取りに向かうことは可能だ。
「……わかった」
「ありがとう……!」
医務室へと向かったエリックを、レンは呆れた様子で見逃した。何をしてもネヴィアスは助からないと踏んでいるのだろう。
「全員殺さないとお前は手に入らない。俺がずっと昔から、お前を女として見ていたことくらい気がついていただろう?」
レンの視線がフォード、シナブルへ順に向けられる。吐き気を催すほど蕩けた瞳に、二人は唇を噛みしめた。
「あなた様は……姉上を愛していたのではないのですか?」
「マンダリーヌか? 愛していたさ。しかし俺が一番愛しているのはアンナだ。本当にいい女に育った……あぁ、抱きたくて仕方がないんだ」
それと同時にレンの舐めるような視線が、アンナへと注がれる。それを見てゾッとしたシナブルとフォードは、アンナの元へ瞬時に駆け寄った。
「本当に、お前たちはよく見ている」
二人が駆け出すのと同時に、レンもアンナへ攻撃を向けていた。無数の神力の刃がアンナへと向かうが、二人はそれを全て叩き落とした。絨毯が焦げ、燻る炎の跡が点々と広がる。
「レン様……今、本気で姫を攻撃したのですか?」
「どうせお前たちが助けるだろう?」
「ふざけたことを!」
怒りをあらわにする二人を、レンは声をあげて嘲笑う。アンナへの攻撃は即ち、彼らにしてみれば冒涜に値する。頭に血が昇り、眉間に青筋が立った。
「おい、フォード」
「……なんだ」
「この身も……この心も……我が人生の全てはアンナ様の為にある! そうだろう!」
「当たり前だ!」
「ならば死んでも姫を守るぞ!」
「言われるまでもない!」
未だ動けぬアンナを追い抜き、前に出るのは二人の臣下。主を守る為、血眼になった二人が倒さんとするのは彼女の兄なのだが──そのようなことはもう、関係がないのだ。




