第五十四話 地獄の入口
時間は少し遡り、エドヴァルドたちが出立する前日の夜。フォードがシナブルの部屋を訪れるよりも二時間ほど前のこと。
「兄上っ」
「フェル、どうした?」
夕食の後、レンの背中に声をかけてきたのは末弟のフェルメリアスであった。アンナと同じ血色の髪に、母に似て優しげなエメラルドグリーンの瞳。
「明日、ご予定は?」
「……そうだな、昼前からなら空いているよ。どうした?」
「あのね、稽古をつけてほしくて」
子供らしさが少しづつ抜けてきたとはいえ、いつまで経っても可愛らしい弟だ。頭を優しく撫でると、レンは徐にフェルメリアスの体を抱きしめた。
「わ! 突然どうしたの?」
「あ……悪い、愛情表現だ」
「ふ~ん……変な兄上」
「……可愛いやつ」
不満げに頬を膨らませたフェルメリアスは、黙ってレンを見上げる。その姿がやはり可愛らしすぎて、レンは膝を折って弟の頭を再び撫でた。
「そんなに俺との稽古が好きか?」
「うん! 父上と姉上は厳しすぎるんだもん」
「たしかにな」
父エドヴァルドは言うまでもなく、姉のマリーも稽古に関しては厳しい。負ければ即ち死だと刷り込まれ、本気で刃を向けてくるのだ。
「アンナはどうなんだ?」
「姉様は兄上と同じで優しいけど、最近忙しそうだし……それに自分のことでいっぱいいっぱいって感じが、見ててわかるから」
「フェルは優しいんだな」
この子は母に似て、本当に優しく育っている。おまけに実力も着々と身に付き、才能もある。
(……本当に残念だよ)
口に出してこの思いを伝えることは許されない。レンの言動は全て、監視されているのだから。
「じゃあ兄上、明日よろしくね」
「ああ、楽しみにしてる」
「絶対に一撃入れてやるんだから!」
廊下の角を曲がった小さな背中が見えなくなると、後ろから声をかけられた。
「レン様」
「……マンダリーヌ」
「はい?」
「今夜、いいか?」
大きな瞳が見開かられ、真っ赤に染まった顔が下を向く。何度誘ってもこの反応なのだから、本当に見ていて飽きない。誰もいないことを確認すると、レンはマンダリーヌの手を取り、そのまま歩き出してしまった。
「レ……レン様っ!」
「誰もいないさ」
「しかし!」
主と臣下。秘めた関係を紡いでいることは、姉のマリーにしか知られていない。レンとしては公にして外堀を埋め、早く彼女を娶ってしまいたかった。
(だがそれももう……叶わない)
自室の扉の向こうへ乱暴にマンダリーヌを押し込み、すぐさま唇を塞いだ。何か言いたげな彼女を悦楽の淵に追いやって黙らせ、そのまま惰性で愛し合った。いつもより乱暴に抱いたが、彼女は何度もレンのことを求めた。まるで、これが最期だとわかっていると言わんばかりに。
「なあ、マンダリーヌ」
「なんでしょうか」
「お前は、殺し屋の俺達が天に登れると思うか?」
何度も身を重ねるうちに、夜も更けていた。重く、微温くなった部屋の空気に皺の寄ったシーツ。邪魔するものがいない、情欲に塗れた二人の園。身体を絡ませたまま、レンはマンダリーヌの頬を撫でた。
「まさか」
共に、これまで数え切れないほどの殺人を犯してきた。奪った命の善悪など知るところではないし、いくらそれが仕事とはいえ、肯定的な殺人などあるはずもなかった。
「地の底に堕ちるのが恐ろしいと思うか?」
「いいえ。堕ちる所は皆同じ、あなた様と一緒なら、怖くはありません。灰になっても、魂だけになっても、見つけてみせます」
「俺だってたとえ来世が虫でも花でも、必ずお前を見つけてみせるさ」
それはつまり──現世で自分と添い遂げることは諦めてくれたのかということか、とマンダリーヌは安堵する。が、あれほどしつこかった男が急に何を思い立ち、来世などと言い始めたのか。
(嫌な予感しかしない)
隣で背を向け微睡むレンの固い背中にぴたりと張り付くと、一瞬彼の体が強張った。
「……何か隠しています?」
「いや」
妙に怪しい即答に、マンダリーヌの眉間に皺が寄った。
「では何故…?」
「それ以上、言うな。明日……必ず話す」
「……はい」
これ以上の詮索は許さぬと言わんばかりに、唇を塞がれてしまった。身体は限界だと伝えても、聞き入れてくれる気はないようだ。
「愛してる……マンダリーヌ、愛してる」
「嬉しい……私も、愛しております。レン様?」
「……なんでもない」
全てが終わると、一筋の涙がレンの頬を濡らしていた。今まで彼の涙を見たことがあっただろうか。
「……すまない」
「謝ることなど」
「すまない」
「レン様?」
きつく、固く、息が苦しくなるほど抱き合って眠った。マンダリーヌが眠りに落ちるまで、レンは涙を流し続けていた。彼の涙の理由を、マンダリーヌが知ることはないままだった。
翌朝。先に目を覚ましたレンは重い頭を横に振り、深い溜め息をつきながら身を起こした。
「……愛してる」
隣で寝息を立てるマンダリーヌの頭を撫で、額と頬、それに唇へと口づけを落とす。名残惜しいが、そろそろ行かねばならない。昨夜、彼女に対する想いは全て伝えたつもりであった。死しても必ず来世で見つけ出す──それほどまでに愛しているのだと。
「……逝くか、地獄へ」
身支度を整え、最期にもう一度マンダリーヌに口づけた。
「……許せ」
愛しい寝顔を、寝息を、彼女の全てを、魂に刻み込む。これから先、何があろうとも。どんな姿に堕ちようとも。必ず彼女を見つけ出せるように。
足取り重く、レンがまず向かったのは城の正門だだった。正門から始めて、最後に城の最深部を落とそうという算段だ。長い石階段を一段一段踏みしめながら降りると、不思議と幼い頃の記憶が蘇ってきた。この階段は、仕事に出る時に何度も上り下りしたものだった。アンナが帰城する際、出迎えるために何度も下りた階段でもある。
(楽しかった記憶ばかり思い出すのはやめろ)
どれだけ吐き気が込み上げても、飲み干すことしかできないのだから。
「おや、レンじゃないか。おはよう」
「カメリア叔母上」
残りの階段が数段になったところで、大柄で短髪の女性がわざとらしく振り返った。筋肉質な腕が眩しく、年齢を感じさせない肉体に感心してしまう。
「シケた面だねえ、どうしたんだい?」
彼女は父エドヴァルドの妹、カメリアだ。今日は彼女が門番守のようだ。周りに人はおらず、安堵したレンは短く溜め息をついた。
「……叔母上、今までありがとうございました」
「は? 何を──」
抜刀した刃が、カメリアの額の中心を貫く。血飛沫が上がり、大きな体はそのまま仰向けに倒れた。
「……次だ」
刀の血を払い、再び長い階段を上る。飛び上がってしまえば簡単だが、これが最後なのだ。感傷に浸りながら、時間をかけて──一歩一歩確実に。上りきったところで二人のメイドと、執事長のハイドンが前庭の掃き掃除をしてるところに出くわした。
「……レン様?」
「悪い」
ヒュン──と刀を横薙ぎにすると、あという間に二つの首が宙を舞った。殺気を察したハイドンが通信機に手を添えるが、すぱっと手首を斬り落とされてしまった。
「レン様……? まさか誰かに操られて──」
「違うよハイドン。今までありがとう」
腕を横に凪ぐと、太い首から血が噴き出した。斬り落とされた頭部が、ぼとりと石畳に落下する。じわじわと広がる真っ赤な海に目もくれず、レンが向かうのは城内だった。
(まずは医務室……)
腕の立つエルフの医務員のアリシアは、エドヴァルドたちに同行して国外だ。他の医務員二人は非番で実家に帰省できるよう、フォンの実家と同じように無理矢理工作をした。医師長のハクラだけは、何としても生き残らせねばならない。残り二人は殺すしかないだろう。
「レン様。おはようございます」
「……ハクラ」
廊下に佇む白衣の男──ハクラは長年この家に仕えてくれている、腕の立つ医師だ。自分が生まれた時も、きょうだいたちが生まれた時も、取り上げてくれたのは彼だったという。
「お怪我ですか? それともお具合でも?」
ハクラは本当に仕事人だ。彼を殺してしまえば、いくらアリシアが帰国したとしても医務室は成り立たないだろう。
(しかし、殺すしかない。いや、殺したと見せかけねばならない)
訝しげに首を傾げるハクラの口を手で塞ぎ、首根っこを掴む。隠し持っている短剣で彼の腹部を刺すと、バタつく手足は大人しくなった。腹から血を流すハクラを引きずりながら、レンは一番近くの窓から外に出た。
「悪いな……死んでくれ」
「レン様っ……!?」
医務室のある西側は、海に近い。近いとはいってもそこは断崖絶壁。ハクラは泳ぎが得意だったはず。運が良ければ軍艦が回収して生き延びてくれるだろうと信じ、レンは勢いをつけて思い切りハクラの体を放り投げた。
「恨むなよ」
「うわああああっ──!」
ビュン──と。小柄な老体は海に向かって勢いよく飛んでゆく。水平線の手間でどぼんと海面に落ちるのを確認し、城内へと戻った。
(次だ)
足早に医務室へ向かう。作業をしていた医務員二人の首をあっという間に跳ね、刀に付着した血を払う。白い壁にパッと飛び散った血痕を見て、大きな溜め息をつくことしかできなかった。
門番守をしていた叔母を殺し、家族同然のメイドや執事、医務員をも手にかけて。次にレンが向かうのは、場内にいる近しい家族。それに臣下たちの元だ。
(王の間に行く前に……調理場にも行かないとな)
今日は料理長を含めて料理人とメイドが十人出勤していることは把握済みだ。この時間であれば全員が調理場にいるはず。
(非番のメイドはミルフィ……一人だけだったな)
彼女も住み込みだが、今日は城内にいない。いなくてもいいよう、工作済みだった。
「全員殺したら……王の間だ」
医務室側の廊下を折れ、正面玄関へ。先程殺したハイドンの死体に目もくれず、城内へと続く大廊下を足早に進んだ。
「……この気配、マンダリーヌか」
その後ろから幼い足音が聞こえる。この走り方はカルディナルだ。愛しい女を手にかけた直後、その弟まで斬らねばならぬとは。
(やるしかないんだ……!)
唇を噛みしめ、刀を握り直す。顔を見えしまえば、躊躇ってしまうかもしれない。
*
昨夜の余韻を全身に纏ったまま、マンダリーヌは目を覚ました。共に眠った日には、必ず共に朝を迎えてくれていたというのに。マンダリーヌが目覚めた時、隣にレンの姿はなかった。初めてのことで、妙に胸騒ぎがしてしまう。
「レン様……どこへ」
朝から仕事の予定はないというのに、探せども探せどもレンの姿はどこにもなかった。先に食堂に行っているとは考えにくい。食堂がある方向からは調理中の匂いは漂ってくるが、この時間ではまだ朝食は出来上がっていないはず。
(まさか陛下に呼び出されて?)
そう思い通信機で呼びかけをしても、反応がない。それどころか、誰にも通信が繋がらなかった。まるで通信ができぬよう、細工でも施されているかのようだ。
(何かが、おかしい……)
異変に気付くも誰にも会えぬまま、正面入口が見えてきた。このまま入口を通過して真っ直ぐ進めば医務室のある棟だ。廊下の先にはきっとハクラがいるだろう。誰かに会い、胸の中の靄をどうにか消し去りたいマンダリーヌが足を進めようとした──瞬間。
「ゔっ……!」
自分の胸から、真っ赤に染まった刃が生えていた。背後から誰かに刺されたのだ。急所を貫かれるも、反撃しようと 無限空間から刀を取り出した。
(誰かにこの非常事態を伝えねば──! 侵入者であるのなら、今日正門に立っているはずのカメリア叔母様を突破してきたということ……?)
カメリアはそう簡単に殺される殺し屋ではない。マンダリーヌも、幼い頃はよく鍛錬に付き合ってもらったものだ。年齢を重ねてからは相談相手として話を聞いてくれた、尊敬できる女性だった。
(賊はあの叔母様を突破した? 陛下も、マリー様も不在の今は城内は手薄。まさかそこを狙って多数で?)
抜刀し、勢いに任せて振り返る。刃が肉に食い込んで、胸から血が溢れたが構わなかった。賊の姿を確認し、命を奪うまではいかずとも──せめて一撃だけでも入れなければ。
(大切なあの人を……守れない……!)
ここで自分の命が途絶えようとも。自分の主と城内の王族たち、それに使用人たちを守ることに少しでも役立てるのであれば──
「あ、あ、あ、あ゙あ゙あ゙あ゙っ……! ……な、ぜ……」
「すまない」
振り返ったマンダリーヌの体を受け止めたのは、目に涙を浮かべたレンであった。何ひとつ理解できぬマンダリーヌの口からは、何故、という言葉しか落ちない。
「なぜ……な、ぜ……レンさま……!」
まさか自分は幻覚でも見ているのだろうか。しかし抱きとめてくれる手は、この身体に刻まれた形と同じものだった。幻覚ではないという現実が突きつけられ、嫌だ、嫌だと首を横に振る。
「この国と、この家のためだ。許せ」
「なぜ、泣いて……」
この人は昨夜から泣いてばかりだ。理由がわからないまま逝くのは辛かった。大丈夫、と慰められないことが、苦しかった。
「それはまた、次に会ったときに話す。俺も必ず逝く、悪いが待っていてくれ」
「レン様……おねがい、泣かないで」
「泣くのはこれが最後だ」
もう泣かないと言って、レンは口角を持ち上げた。それを見てようやく安心したのか、マンダリーヌはゆっくりと瞼を下ろした。
「愛してる」
「……嬉しい。待っています……いつまでも」
「マンダリーヌ」
「あいして……る」
口づけの後、レンの刃が細い首を斬り裂いた。返り血に塗れ、震える腕で息途絶えた女の体を抱きしめる。
「……ここが地獄の入口か」
互いの涙を拭い、彼女の体をそっと横たえた。足に力は入らぬが、立つしかない。目指すは王の間──目標は何人か、数えたくなどなかった。
(来たな……カルディナル)
これから従弟も弟も、無関係に全てに手をかけねばならぬ。全て見られているのだから。約束、否……縛りなのだ。これも国と家を守るため。皆殺せと言われている以上は従うしかなかった。
深く息を吸って、重々しく吐き出す。覚悟は決めて来た、進むしかないのだ。
「皆、すまない……」
これ以上謝罪の言葉を発してはならぬ、最愛の女を手にかけた以上、涙も不要だった。
(進むしかないんだ)
城内では使用が禁止されている 飛行盤を装着し、全速で駆ける。今となってはこの城が、燃え盛る 神力によって焼け落ちようが、レンには関係がないのだから。




