世界の真実Ⅱ
んん?
アスカが自分のいる場所に違和感を感じたのは、『デッドセルカ』に入って少ししてからだった。
「霧?」
それまで追いかけていた赤い物体が霧で見えなくなってきてからやっと足を止めると、辺りは薄暗い霧で覆われていた。
夢中で走ってたから自分が今どこにいるのか、ここがどこなのか何も分からない。
「ここどこだろう?」
抱いている白い猫に問うと、白猫は細い声で「ニャー」と鳴いた。
「うん、僕も分からない。」
猫と喋れるわけじゃないが、アスカは少々こうゆう所がある人間だ。
止まっていても仕方ないか。
とりあえず先に進もうと一歩足を前に進める。
すると、踏んだ地面がグニャリと歪んで
「うぁっ!?」
未知の感覚に足を取られ
アスカは顔から盛大にすっ転んだ。
「っ……ぶない。」
抱いてる白猫を潰さないように辛うじて背中から倒れたアスカは、自分の腹の上でモゾモゾする白猫を撫でて無事だと確認するとホッと息をした。
それと同時にアスカはあることに気づく。
……全然痛くない。
そう、痛くない。
地面がすごく柔らかい?
倒れたまま地面を見てみると、そこからは白くてとっても短い草のような細い物がびっしり生えていた。
「なーにーこーれー…」
草?草なのかな?
起き上がって地面を押してみると、暖かくてとても柔らかい。
白く細かい草がびっしり生えていて撫でるとサラサラしていた。
「んん?」
うん、確かに初めて触ったもののはず。
地面がコンクリート以外で出来てるのは初めて見たんだ。
だけど何処かで触ったことのあるようなこの触り心地。
でも、どこで?
この時、アスカは少しワクワクしていた。
さっきの初めて見た赤い物体、そして今いる初めて来た場所。コンクリート以外の地面。
分からないことが沢山あると楽しくてつい頬が緩んだ。
アスカの心を埋め尽くしているのは、圧倒的好奇心と未知の物に出会えた嬉しさ。
「ここに枝落ちてねぇかな?」
不安なんて一つもないアスカは立ち上がって歩きにくく柔らかい地面を踏み、もっと霧が濃い方向へと進んでいく。
この先に何があるんだろう?
いつだって知りたい気持ちだけがアスカの足を動すのだ。
霧は次第に深くなって、気づけば一歩先が見えないほど視界は悪くなっていた。
どこに向かっているかは分からないけど、とりあえず真っ直ぐ歩くアスカ。
風の音が聞こえて足を止めることもあった。でもそこには大抵何も無かったので途中からは無視して進んだ。
空は霧で見えなかったので、赤い物体が今どこにいるのか完全に分からない。
でも、もしかしたらこの先にいるかもしれない。
根拠の無い期待を、人は無様だと笑う。
でもアスカはそれをロマンと言うと知っている、根っからの夢見る少年なのだ。
特に代わり映えのない景色が続いていったけど、アスカは足元の微妙な変化に気がついていた。
それは、行けば行くほど下に生えている白い草が長くなっていること。
さっきまでくるぶしに当たる程度の長さだったのに、今じゃアスカの膝の上に草の先端が当たるぐらい長い。
それから30分は歩いただろうか。
白い草はとうとうアスカの胸の高さを超えた。
この長さになった草を触ると、アスカは「これ草じゃないんじゃないか」と思い始め白いものを触る。
草にしては頑丈すぎるんだよな。
一本一本がしっかりし過ぎているし、硬いし、全力で引っ張ってもちぎれないし。
何より草の青臭い匂いがしない。
ここには人が通った形跡もないから、まだ発見されてない新種の匂いがしない草…とか?
すこし考えたけどすぐどうでもよくなって、猫を抱いてない手で白いものを掻き分けながら先に進む。
基本、動物以外の好奇心はすぐに消えるアスカ。
「それにしても邪魔だなこれ。ワサワサワサワサ。地面もやわっこいし白いのもぎっしりだし進みずらさ倍だよ。」
文句を言いつつ、それでも
足は前へ前へ。
それから5分ほど歩くと目の前が少しだけ明るくなってきた。
(景色が変わった…)
朝霧のように空気が青い。
もっと進むと次第に明るさが増していき、少し先の景色もぼんやりと見える。
すると突然、ぶぁっと暖かい風が吹いた。
アスカの周りにあった霧はその風ですべて飛ばされ、一気に視界が晴れる。
「わおぉ……」
視界が開けて分かった。
アスカが立っていた場所は
見渡す限り白い草原だった。
「なんじゃこりゃ…」
白と青空の2色のみでできている目の前の美しい景色に、アスカの心は一瞬で奪われた。
なにより今まで見たどの空よりもこの空は青く、広大で。
太陽の光と風で靡く白いものが一本一本キラキラと輝いている。
息をするのも忘れるぐらい壮大な光景にアスカは興奮のあまり口が開きっぱなしだ。
「こんな場所があったなんて、生まれて初めて知った。」
「ニャー…」
「お前もそう?そっか、そうだよなぁ。」
こんな綺麗な光景はそう簡単に見れるはずがない。
「…ん?」
青い空の中に何かが見えた気がした。
なんだろう?
黒い点みたいな小さい何かが、青空に一つだけポツンと浮かんでいた。
よくよく目を凝らして見てみると、それが段々とこっちに近づいてきてるのが分かる。
「なに…?」
しかも、速い。
凄い勢いで近づいてくる、黒い物体。
さっきまで点のように見えた小さな黒が、もうアスカの目の前で大きな黒に変わり
ーー降ってくる。
アスカはハッとしてすぐにその場から走って避けた。
それとほぼ同時に黒い物体は柔らかな地面に落ちて、爆発した。
ボカッッッッ!!!!
「っーーーー!!」
熱い。
爆風に巻き込まれないよう身を縮めるアスカ。爆風は白い糸をすべて倒して遠くに消えた。
「わぁ…なんだろう今の…」
屈んでいた身体を起こしそっと顔を上げてみると、黒い物体が落ちたらしい場所からは微かに煙が登っていて、穴の周りの白いものは全て焼けて穴は丸見え状態。
「本当に今日は初めてづくしだなー。」
呑気につぶやいて、アスカはそこに近づいてみる。
落ちた場所には直径20cmほどの黒い穴が掘がっていた。そして底には黒い鉄の塊が変形して地面に突き刺さっている。
黒い物体の正体は鉄の塊。
これが落ちてきたんだ。
なんでかは、分からないけど。
穴の周りの白いものは黒く焦げて、鼻をつくような焼けた臭いがする。
アスカは「熱っ!」と言いつつ我慢して焼けた地面を触った。
柔らかい地面は硬く変化していた。
焼けて硬くなるなんて…まるで
「動物の皮膚みたい。」
変な地面だなぁ、本当に。
こうして地面に触った手をなんとなく見ると、アスカはギョッとした。
「なんだこれ?」
手に赤黒い色の絵の具のようなものがべったりついてる。
するとまるでそれが合図かのように、黒い塊が刺さっている隙間から同じ色の液体が泉のようにジワジワと湧いてきたのだ。
「わぁわぁわぁ?!」
突然の事態に頭が追いつかないアスカ。
液体はすぐに穴から溢れ、流れ出してアスカの足元を赤黒く染めていく。
何が起こっているのか理解出来ないまま
ツンっと鼻をつくような嫌な臭いがして、反射的に鼻を摘む。
って、待てよ。
あれ…この臭い。
嗅いだ覚えのある匂いに、アスカは摘んだ鼻をすぐ離してクンクンと匂いを嗅ぐ。
鉄のような、生臭いこの臭い。
何度だって嗅いだこの臭い。
今日も嗅いだこの臭い。
間違えるはずのない、臭い。
それにこの赤黒さとドロドロした感じ。
え、まさか……。
当ってる確信があるのに、それが穴から湧き出ることが理解出来なくて。
自信もなくて、思わず口に出していた。
「…血液?」
でも、なんで?どうしてだ?
地面から血が湧いてきた?
え?
言葉にした瞬間に、たくさんの疑問がアスカの頭を埋め尽くす。
だけどすぐにアスカは違う事に頭が働いた。
出血している。
何か分からないけど…地面が。
早く止めなくちゃ。
ーーー止血しないと。
アスカの体はいつだって本能に逆らわず動いた。
今まで抱いていた白猫に「ちょっと待っといて」と言って柔らかい地面にそっと置くと、自分が着ていた白いシャツを脱いで、いまだ血が流れてくる穴に被せ抑える。
これが今アスカに出来る精一杯の止血だ。
被せたシャツはすぐ真っ赤に染まったけど、アスカはシャツについた血を素早く絞ってまた穴に被せる。
血の池のようになった穴は、何度も何度もシャツを被せて抑えたって効果は全く見られなかったけど、アスカは辞めない。
何回だって地面に血を絞って、穴から湧き出てくる血に手を突っ込んで必死に止めようとした。
布が足りなくて薄い肌着も脱ぐ。
黒いズボンも靴下も脱いだ。
それら全てを穴にぶち込んで止血を試みる。
「止まれ止まれ止まれ止まれ…!」
この時のアスカは止血に集中しすぎて、なんの音も聞こえていなかった。
当然、周りで爆撃の音がしたってアスカは振り向きもしない。
いつからか流れ出してきた汗が頬を伝って、血の池にポタっと落ちる。
血は全然止まってくれない。
もうパンツまで脱いでやる。
そう考えて、アスカが自身の紺色パンツに手をかけた時だった。
「ーーおい!!ガキンチョ!聞いてんのか!!!」
誰かの声が聞こえた気がしたので一瞬上を見てると、そこには人が2人いた。
止血に夢中で何も気が付かなかった。
見たことのない白い制服を着て立っている男が一人と、同じ制服を着たバイクに近い形の浮いている乗り物に乗っている男。
2人ともシルバーのゴーグルのような物を付けていて顔はよくわからない。
ーーーババババババババッ!!!
そしてその二人の背後には、今まで本当にそこにあったのかと思うぐらいの騒音をたてて
あの追いかけていた赤い物体が、空を飛んでいた。
「ーーーっ!!!」
近くで見た赤い物体は車のボディの部分に騒音をたてながら高速で回っている物がついてる、意味不明なものにしか見えなかった。
でも、何故かカッコイイと思ったのは彼が男の子であるからだとアスカは気づかない。
突然のことのオンパレードにもう何がなんなのか分からなくなりそうで、アスカは一旦自分の頬をつねった。あ、痛い。
アスカが唖然としていると一人の男がアスカを指指してこう言った。
「お前…と、猫!なんでこんな所にいるの!しかもなんでほぼ裸なんだよ!!」
赤い物体の騒音に声がかき消されないように男は大声で喋った。
しかも、何故か怒っている口調で。
なんで…ここにいるのか。
その言葉にアスカはハッとして男達に訴えた。
「布!!!!」
「「は?」」
男2人は同時に首をこてんと傾げる。
「布がなにか無い!?血が出てるんだ!わけわかんないけど、地面から沢山血が出てるんだよ!さっきからずっとシャツとズボンで抑えてるのに止まらないんだ…早くしないと…早く止血しないと!」
アスカにとってこの2人が誰なのかは正直どうでもいい。とりあえず早くこの血を止めたくて必死だったから。
何故血が出てるのか。
分からない。
でも、血が出るのは怪我をした時と、怪我をした後の痛い時だけ。
この地面がそんな思いをしているのかは分からないけど、どこかに痛い思いをしているやつは必ずいる。
そいつの痛みを想像するだけで純粋なアスカの胸がひどく痛むのだ。
必至な眼差しを向けるアスカ。男2人はゴーグルで覆われた顔を見合わせていた。2人が何を考えているかアスカには分からない。
すると、バイクのようなものに乗った男の方がハッと上を見上げた。
「来るぞ!」
釣られて上を見上げると、またあの黒い点が空から降ってきていた。
おい、またあれが落ちたら。
「チッ!ガキ!って、え!?
おい!こっちにこい!」
残念ながら男の声は
アスカには聞こえていない。
アスカはパンツ一丁の状態で白いものを掻き分け、鉄の塊の落下地点まで無我夢中で走った。
あれがまた落ちたら穴が掘がり、血が出る。
それだけはだめ。
絶対にだめだ。
素早く移動していくと、鉄の塊はアスカが足を止めた場所を目掛けて垂直に落下してくる。
よし、ここだな。
なんの躊躇もなしに瞼を閉じる。
落ちてくる鉄の塊に恐ろしさ感じなかった。
アスカはただ
「よかった、間に合った」
とだけ思ったんだ。
次の瞬間には自分の体が弾け飛ぶ想像をしてた。
ボカッゥゥゥーーー!!!!
爆発音が聞こえて
ふわっと地面から足が浮いた感じがした。
でも不思議と熱風も痛みも感じない。のに、耳にはゴオオォーーッと、もの凄い勢いで風の音が聞こえている。
あれ?
想像とは違う感覚にパチっと目の開けると、アスカは誰かに裸の体を抱えられていて。
空を飛んでいた。
「うおおおおぁぁぁ!?!」
ふ、吹っ飛んでるっ!?
まさか爆風で吹っ飛んでる!?こんな高さまで!?いやそんなわけないかこの腕誰のだよえ!?
自分の腹の部分にあるがっちりした腕の白い制服、そいつの顔を見あげるとさっきのゴーグルをした2人組のうちの1人だった。
白い奴はアスカを脇に抱き抱えたまま、どうやってかは分からないけどずっと垂直に上へ上へと飛んでる。
「このクソガキが!なに爆撃に突っ込んでんだよ頭湧いてんのか阿呆!!」
うわこいつ口悪いな。
でもこいつが僕を鉄の塊に当てずに助けた?らしい。だからまだ生きてるんだよな僕。
でも、ということは。
あの鉄の塊はまた血の出る地面に落ちたのか?
「ねぇ!鉄の塊は!?」
「喋んなガキ!あと絶対に下を見るんじゃねぇぞ!」
「え!?なんで!?」
「うるせぇな!黙らねぇとこっから落とすぞ!!見んじゃねぇ!分かったか!」
男の注意はアスカ相手には1歩遅かった。
落とす、と言われてアスカはすぐ下を見てしまったのだ。
そして、目を見張った。
「………え?」
決して高さに怖がったわけじゃない。
風の音だけが聞こえるはずの状態で
自分の、鼓動の音がハッキリ聞こえる。
ドクン……。
今日は沢山初めてを経験した。
赤い飛ぶ物体を見つけた。霧の深い場所に行って、コンクリート以外の地面を歩いた。白い新種かもしれない草のようなものを見つけて、見たこともない絶景を見たと思ったら空から鉄が降ってきて、地面から血が湧き出してきた。
止血してたら見たこともない男がいたし、今もそいつに抱えられて空飛んでるし。
あはは。
初めてだらけだ。
全てに驚いて、興奮して心が踊った。
それは嘘なんかじゃない。
どれもこれも現実離れしていて、有り得ないことだと思う。
でも、でも。
今アスカの目線の先にあるものは
そんなものが全部どうでもよくなるぐらい。
これは
「熊だ…」
え?意味が分からないって?
でも、多分いま一番状況を理解出来てないのは恐らくアスカ本人である。
大きな大きな白い熊がいる。
身長が154cmのアスカとは比べ物にならないぐらい、何百倍、何千倍。もはや測ることもできないほどの大きさの白い熊。
本来、目がある筈の部分は大量の白い毛が垂れ下がって見えておらず、汚れきっている丸い耳とがそれを熊のそれだと認識させる。
アスカはその白い熊を、熊の顔側上空から見下げていた。
それでも身体の上半分を把握するのがやっとの巨体。足下は何も見えやしない。
そしてその熊の背中には、街があった。
とっても小さく見えるけどあれは…アスカが住んでいる街だ。
ただ意味がわからなかった。
「動物の…背中に、街!?」
叫んだ言葉はすぐに強風にかき消されていく。
デカすぎる熊の上に乗った街は小さ過ぎてまるで玩具のようだ。
動揺することも忘れて、アスカは目先の熊をじっと見ることしかできなかった。
熊の身体の周りにはあの赤い物体が何個も飛びながら黒の鉄とぶつかり合って、爆発している。
赤い物体が火を吹きながら墜落していく。
信じられない。
何からなにまで、現実離れしすぎていて。
どこから理解すればいいのかわからない。
地面の止血をしないといけないことも、猫の足の枝を探さないと行けない事も、母さんの職場に行く事はもちろん、全て頭の中からキレイさっぱり消え去ってしまった。
でも今この状況を丸々飲み込むのだとしたら
今まで自分が生きてた場所は、街は、世界は、白い熊の背中の上にあったってこと。
単純で簡単なのに、飲み込みきれない。
アスカの中の全ての固定概念が、大きな石をぶつけられ、そして粉々に砕け散り始める。
否定もなにもできない。
夢なんじゃないかと思ったけど違うらしい。
だって、それは確かに自分の目の前にいて、現実に存在しているのだから。
今まで生きていた世界が一気に否定される衝撃は例えようのないもの。
人によっては人間性すらも崩壊してしまうほどの事実をアスカは見てしまったのだ。
でも、この時のアスカの目は
確かに興奮で光り輝いていた。




