26
作戦が無いと、ろくに動けもしないというのは正直予想外だった。
そりゃまあ魔獣なんて災害が相手なわけだし、仕方ないといえば仕方ないのだが。
それにしても、せめて身を守る動きくらいはして欲しいもんだ。
魔獣の横で呆けたまま動いていないレックスを蹴飛ばして正気に戻し、アマリ達の下へ行くように指示する。
そしてそのまま、その位置で魔獣を全力で受け止めることに注力するよう言うと、ようやく目に力強い光が戻ってきた。
リオもアマリも、あの精神状態で何も出来ないだろう。
俺だって平静でないとイメージが紡げない。詠唱や精神集中が必要な魔術や呪いだって言わずもがな。
落ち着いてはいるので使えないことはないが、このままでは位置的に魔法を見られる可能性が高い。
ということで俺の現状。
武器無し、魔法無し、罠無し、使うとするなら肉体強化のみで魔獣をソロ討伐。
「あ、詰んだわこれ」
殴ったらこっちの手が痛くなるんだもん。武器もないし、そもそも効かないみたいだし。
あっさりと済ましてしまおうか。少し体をずらせばギリギリ見えないだろう。
魔獣の突撃を体で抑え、自分の影を魔獣の腹の下に潜り込ませる。
真下まで行ったところで、影の形を槍状に変え、魔獣を貫く。
「あれ?」
影は魔獣を貫いている。
槍の穂先が熊型魔獣の背中から見えている。
だが、当の魔獣は意に介さぬ様子で俺に圧力をかけ続けている。
「いや、ちょ、まっ」
ずりずりと、足が後方に押しやられる。
板金で補強されたブーツが悲鳴を上げる。
その状態から、魔獣はさらに力を溜め始める。
影の槍をさらに増やし、魔獣に槍衾を仕掛ける。
地面に縫いとめる役割をも持たせたつもりだが、俺にかかる重圧は変わらない。
まさか、効いていない?
前の魔獣は影を操る魔法で確かに倒せたのに!
ふ、と一瞬重圧が解除される。
力尽きたか、と安堵した瞬間、腹部に衝撃。
「が、っ―――――――!?」
嫌な感触が喉の奥から込みあがる。
ミシミシと骨が軋む。
次に背中への衝撃。
咳に血が混じる。
息が出来ない。
視界が歪む。
動けない。
ゆっくりと視界が暗くなっていく。
その先で、魔獣がレックスに向かっていく。
足取りは緩やかに。
絶望を与えるように。
嘲るように嬲るように。
レックスが盾を構え直す。
アマリが何かを叫んでいる。
リオが呆とこちらを見ている。
そこまで見て、俺の視界は……。
「ユキ様。倒れるにはまだ早いですよ」
鈴のような音が聞こえる。
耳の奥に響く声が聞こえる。
「貴方が倒れれば、あちらの冒険者達は死にます」
でも俺の魔法でも倒れなかったんだぜ? 物理も魔法も駄目なら打つ手無しじゃないか。
「一度でダメなら、何度でも放てばよいでしょう」
……ああ、そうか。それもそうだ、単純な話だ。槍衾でも駄目なら、さらに次の手を撃てばいいんだ。
「そもそも、一撃で全てが終わることばかりではありません」
分かっている。全部ギロチン一発で終わったら、それこそただの作業だ。ゲーム感覚だ。命の奪い合いに、一方的な略奪者は存在しない。強者は居ても、王者は居ない。居てたまるか。
「まずは立つことから。彼らの運命は、ユキ様次第です」
体を暖かい何かが包む。全身に走る激痛が治まっていく。
暗い意識を覚醒させ、口に溜まった血を吐き出す。
か細い呼吸を繰り返し、少しずつ腕に力を入れる。
力の入らない腹筋に檄を飛ばし、ゆるゆると顔を上げる。
盾から鈍い音が響く。レックスは何とか魔獣の攻撃を受け止められるようだ。
ただ、それも長くは持つまい。
立ち位置を調整し、突進をもろに食らわないようにしているが、貫かれるのも時間の問題だろう。
突進を受け止めた盾が恐ろしく歪んでいる。
アマリの呪いが飛ぶが、治癒は一瞬では終わらない。
リオも詠唱を始めたが、魔獣相手では一度で仕留めることは難しいはずだ。
そしてレックスの防御も、リオを待つ余裕は無い。
このままではジリ貧だ。
小さく息を吐き、細く息を吸う。
繰り返し、繰り返し、繰り返す。
二度、三度、と金属音が響く。レックスの呻きも混じる。盾はもはや役目を果たしていない。
足元が覚束ないが、何とか立ち上がる。
魔獣を睨みつける。
今から走っても間に合わない。
自身の影は届かない。影を操ることばかり練習してきて、ぶっつけ本番で別のイメージは作れそうにない。
ならば、現状最も早くイメージできるものは何だ。
使えるものは全て使え。
まずは相手の足止め。
なら、丁度良いものがあるじゃないか。
奴自身の影だ。
魔獣が再び力を溜める。
そうして奴を自身の体の下に出来た濃い影に沈める。
ずぶずぶと。泥沼のように。底なし沼のように。
魔獣が地を蹴ろうとするが、奴が嵌ったのは奴自身の影。
以前の猪よりも深く深く、踏み出す足ごと飲み込まれる。
ここぞとばかりに、リオの雷が打ち込まれる。
魔獣は一瞬体を痙攣させるが、今度はリオに狙いを定めたように顔を向ける。
しかし既に半身が影に飲まれた状態では手出しできない。
俺は一歩一歩近づいていく。
動けない魔獣を相手に、リオが再び雷をぶつける。
効果が無いのか、あるいはタフなのか。
魔獣は体躯を焦がしながらも、その戦意、殺意をリオに向け続ける。そして、咆哮一つ。
その殺意に飲まれたか。
動けないと分かっていても、リオは顔を恐怖に染めてへたり込んだ。
レックスは盾を投げ捨て、メイスを両手に持って魔獣を乱打する。
アマリは歯噛みしている。こういう時、呪い士はやることが無い。精々が疲労を取り除くことくらい。
魔獣はもう沈まない。
両手両足を封じられているにもかかわらず、ガチガチと牙を噛み鳴らして威嚇する。しかしその威嚇ですら、食いつかれれば致命傷となりうる。
レックスが何度目か打ち据えようとしたとき、ついにメイスが魔獣の牙に捉えられる。
舌打ちと共にメイスを手放すと、魔獣は硬質な音を響かせてメイスを噛み砕く。
さあ。そんなタイミングで。
「お、お、ぉ、ぁあああああ!」
俺が、影を叩きつける。
形状は俺が最も使い慣れた両手剣。痛む体で、霞む頭で、最もイメージしやすい武器。
妄想で、何度も使っていただけはある。
両手に馴染む感触は、長年使ってきた工具のように扱いやすい。
振り抜く動作は朝にコーヒーを飲むように自然。
それだけで。たったその一振りで。あろうことか。
魔獣の体躯がバターのように切り裂かれる。
あれだけ打ち据えてもびくともしなかった魔獣が。
雷に打たれても意に介さなかった魔獣が。
影に引き裂かれて、その身を融かしていく。
魔獣の上半分を切り飛ばしたところで、影の剣が消滅する。
それと共に、言いようの無い疲労が襲ってくる。
膝に手をつき、大きく肩で息をする。
アマリが治癒の呪いをかけてくれた。魔獣に吹き飛ばされたのだ。その判断は正しい。
ただ、今欲しいのは疲労回復の方だ。
かすれる声でそれを求める。
アマリは小さく頷き、改めて呪いを施す。
「あぁー、癒されるー……」
アマリの手から冷ややかな風が送られる。
体に溜まった熱が取れるにつれ、胃の腑に溜まった澱も浄化されていく。
これが疲労回復の感覚か。
と、感慨にふけっていると、レックスが問いかけてきた。
「ユキさん。貴女は一体、何者ですか?」
うん、予想はしてた。こういうのが面倒だから、魔法は使いたくなかった。
使わなきゃ、全滅してたから仕方ない。
でも最初から全力で使っていれば、そもそも危機にすら陥らなかった。
いや、それもどうだろう。目立たないように仕留めようとして、倒しきれなかったのは事実だ。
俺に任せろ、と格好をつけて、今よりも酷い事態になっている可能性もある。
「何か言ったらどうですか?」
レックスの瞳は、俺を異物でも見るように怯えている。
……え?
「……魔術じゃ、無かったわ。闇属性かとも思ったけど、あんな剣を作る魔術はなかったはずだもの」
リオも、腰を抜かしたまま、こちらを見ている。
「あれは呪いでもなかったのよ」
呪いをかけてくれていたアマリすら、目を逸らしながら言い放つ。
「………………」
思考が追いつかない。何て言えばいいんだ? 魔法です、と正直に言うのか?
逡巡していると、レックスが爆弾を投下してきた。
「その髪、その瞳、その肌。今までフードで隠していたようですが、その姿はまるで、伝承にある魔王そのものではないですか!」
はい、新ワードいただきましたー!




