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「シェリ、今、手は空いている?」
ノックの音とほぼ同時に姉のアナベルが飛び込んできた。青紫の髪にミントグリーンの切れ長の瞳のクールな父に似た姉はいつも冷静だ。そんな彼女がこんなに慌てているなんてどうしたのだろう。
「ええ、暇だけれど……」
「それなら良かったわ。あなたに会いたがっている人が来ているの。さあ、皆、急いで支度してちょうだい」
どこか浮かれた姉の命令でメイドたちがわっと押し寄せてくる。気合の入った彼女たちにとり囲まれてシェリルは目を白黒させた。
婚約解消してから3週間になる。あの話し合いの後シェリルは疲れきってしまい、ゆっくり休めばいいと言う家族に甘えて家でのんびりと過ごしている。親しい友人も訪問を断っているのにいったい誰が来たのだろう。
混乱している間にベテランメイドたちによっててきぱきと着飾らされる。満足げにうなずいたアナベルに連れられて応接室に入ると、赤みがかった金の髪をした背の高い男性がソファに座っていた。振り返った彼の鮮やかな碧の瞳と目が合った瞬間シェリルは思わず声を上げた。
「アル兄様!?」
「久しぶり」
そこにいたのは父方のいとこのアーノルドだった。父の姉が嫁いだラスカ伯爵家とは仲が良く、次男の彼はしばしばエマリー伯爵家に遊びに来ていて、シェリルも幼い頃から気の良い彼を兄のように慕っている。2年前に王立魔道具研究所に就職してからは仕事が忙しくなり、今では年に数回来るぐらいだ。
「久しぶりね。今日はどうしたの? お父様に会いに来たの?」
「いや、シェリに用事があって来たんだ」
「私に? ……もしかして、私の婚約解消のことで兄様にも迷惑をかけてしまったの? そうだったらごめんなさい」
意地の悪い貴族たちにとってトラブルはかっこうのごちそうらしい。
2年前、パーティーで出会った隣国の貴族と一目で恋に落ちて駆け落ちのように嫁いだパールディア・ブラーゼ伯爵令嬢が3か月前に婚約者の浮気を理由に婚約破棄して泣く泣くブラーゼ家に帰って来た時には、彼女が引きこもってしまったのを良いことに噂好きな貴族たちが好き勝手なことをさえずっていた。婚約者だったシェリルも義妹の代わりに呼びつけられて嫌な思いをしたものだ。
両親も姉も手紙をやりとりする友人たちも何も言わないが、義妹に婚約者をとられたシェリルのこともきっと噂になっているだろう。自分のせいで親戚のアーノルドにまで迷惑をかけてしまったのかと申し訳なく思う。
「いや、暇な貴族たちとは関わらないから大丈夫だ。ブラーゼ伯爵令息とのことは残念だったな。調子はどうだ? 休めているか?」
「うん。ゆっくり過ごしたおかげで元気になったわ」
「そうか、それは良かったよ。……そうだ、これお土産」
どこかほっとしたように笑って差し出されたのは、シェリルが好きな春になると品数限定で売りだす苺をチョコレートでコーティングしたお菓子だった。
「わあ、ありがとう! もうそんな時期なのね」
家でぼうっと過ごしている間に外の時間は進んだらしい。うれしくもちょっぴり切ない気持ちになるとアーノルドは困ったようにへにゃりと眉尻を下げる。と、さっきから無言でアーノルドを見つめているアナベルがあきれたように口を挟む。
「アル、気遣いはありがたいけれど、そんな調子じゃいつまで経っても本題にたどりつかないわよ」
「それはそうだけれど……」
「言えないなら私が言うわよ?」
にこやかなアナベルの脅しにアーノルドはきりっとした表情になりシェリルを見つめた。その真剣な表情に思わずかしこまる。
「シェリル」
「は、はい」
「俺と婚約してほしい」
「はいっ!?」
突然の婚約の申し込みにシェリルは驚きで頭が真っ白になり、ついで顔がかあっと熱くなるのを感じた。アナベルがにこにこと付け加える。
「アルったら、連絡してから毎日のようにシェリはどうしているかってしつこく聞いてきてね。そんなに心配ならいっそ婚約者になって傍で見守れって言ったら、こうして慌ててすっ飛んできたの」
「それはそうだろう、シェリを放っておけない」
「やあねえ、かっこつけて。ま、すぐにやって来たのは認めるけれど」
アーノルドが自分を心配して家まで来てくれたことに心が弾むも、その優しさに困る。
きっと優しいいとこは令嬢としても個人としても傷ついたシェリルを心配し、両親や姉に頼まれて婚約を申し込んでくれたのだろう。でも、身内だからと彼に甘えて良いのだろうか。
「心配してくれてありがとうアル兄様。でも、本当に私と婚約していいの? ブラーゼ伯爵令嬢の時みたいに面白おかしく言われるわ」
おそるおそる尋ねるとアーノルドはにかっと笑った。
「ああ、もちろんだ。それにシェリはブラーゼ伯爵令息ときちんと話しあって別れたんだろ? だったら『お互いの考えが合わなかった』とでも言って堂々としていればいい。それでもうるさく言ってくる奴らが寄ってきたら俺が全部追い払う、任せろ」
アーノルドの力強い言葉に心がじんわりと温まる。
この3週間、社交界に戻らなければいけないと思いつつも悪意のある人間、何よりもヴィンセントたちに会った時にとり乱さずにきちんと対応できるのか不安でいっぱいだった。
でも、家族を始めシェリルの味方をしてくれる人がいる。そう思うと心にからみついていたおもりが外れていくのを感じた。
「うん、喜んで。……ありがとう、アル兄様」
「ふふ、うまくいって良かったわね。じゃあ、次はお父様の説得ね。私が旦那様を紹介した時はそれはもう大変だったけれど、がんばってね」
「だよな……。がんばるよ……」
さっきまでの威勢はどこにいったのか。アナベルにからかわれてしょげかえったアーノルドにシェリルは久しぶりに心から笑った。




