第42話 眠りには手を繋いで
「……疲れた」
婚約発表を終えた夜、鈴音は気力を使い果たし、自室の布団で倒れ伏していた。
鈴音の想定していたよりもあっさりと、町民らは二人の婚約を受け入れた。やはり神子の言葉というものは力のあるものだと再認識させられる。
婚約発表が上手くいったのは良いとして、口々に祝いの言葉を述べる人々の行列に、それぞれ笑顔で返さなければいけないというのは、さすがに疲れる。
そんなわけで鈴音はぐったりと倒れているのだった。
その横には機嫌の良さそうな小鐘が同じく横になっていて、ぴっとりと鈴音にくっついていた。
「小鐘は元気そうね……」
「それはもう、お姉様との記念すべき日ですから!」
こんなに喜んでくれるなら、日中の鈴音の苦労も報われるというものだ。ただし体の疲労は残る。
「大好きです、お姉様」
無邪気に笑う小鐘につられ、鈴音も少し頬を緩ませる。
「そうね。私も、あなたを愛しているわ」
私は、もうほとんど働いてない頭で、無意識で愛を囁けるような人間になってしまったらしい。鈴音はそんなことをぼんやりと考えながら、ウトウトと頭を揺らす。
「楽しみです、私の卒業」
「そうね、あと二年……」
近いのか、遠いのか、果たしてどうだろうか。小鐘が卒業するまで、鈴音は汐に神社のことを習っていかなくてはならない。
まだまだ考えるべきことは多い。
子どもについては神様が考えるとは言ってくださったが、元はといえば自分たちのわがままで発生した問題だ、自分たちでなんとかするのが筋だろう。
汐さんの『なんとかなるよう努力します』というあの妙な気迫や、母さんの浮かれぶりを思い出すと、別の意味で頭が痛い。
「あ、そうだ。実家にいた頃に、小鐘が寝室に侵入してきてたのってどんなカラクリだったの?」
大渦様の騒動、そして文化祭以前は幾度も勝手に鈴音の部屋に侵入していた小鐘。鈴音としては毎日毎晩、厳重に部屋の戸締りをしていたつもりだ。
鈴音の質問に、小鐘はキョトンとして、すぐに笑って答えた。
「屋根裏ですよ。屋根裏なんてお兄様の部屋まで全部繋がっているのに、事前に確認したってその後に入ればいいだけですよ」
「なるほど……」
「お姉様、いつも屋根裏まで確認するから、その部分の板が外れやすくなっていて、音を立てずに開けられたんですよ」
つまり、鈴音の毎日の行動が逆に小鐘の寝室侵入の手伝いになっていたわけだ。
「みんなが寝静まった後にコソッと屋根裏に登って入っていただけです。ね、単純でしょう?」
にこにこと話す小鐘に、鈴音はもう何も言うことができなかった。
眠気で頭が回らなかったというのもあるが、自分の行動が原因の一端だと知ってしまった脱力感は大きい。
「そんなに私と一緒に寝たかったの?」
「それはもう。お姉様とは片時も離れたくないと思っていますから」
ふふんと小鐘が誇らしげに胸を張る。
鈴音はそんな妹の顔を見て、ついつい笑みをこぼした。聞くまでもないことだったか。
「じゃあ……ちゃんと私のことだけ見ていてね」
鈴音は小鐘の手をとり、本来なら指輪をする左手の薬指にキスをする。
「もっ、勿論です。今までだって、この先だって、私はお姉様だけを見ています!」
姉の想定外の行動に、小鐘は慌てて答える。返事を聞いた鈴音は、穏やかで、しかしどこか粘ついた視線を小鐘によこした。
「約束、ね?」
絡まった小指に、小鐘はゴクリと息を呑んだ。
まるで約束という枷をはめられたような感覚で、言い知れぬ恐ろしさのようなものを感じる。もし約束を違えたとき、自分はどうなるのだろうかと、必要のない想像を巡らせてしまうほどに。
「そっ、そんなことよりお姉様、私たちに子どもができたらどんな名前にします?」
「子ども……?」
強引に話を逸らした小鐘だったが、眠気で頭の回らない鈴音は特に疑問も持たずに質問の答えを探し始める。
現代のこの国に、同性同士で子を授かる手段などない。その知識がない妹ではないだろう。
運んでくるのはコウノトリか、いや、神様だろうか。
あり得ないことに夢を見るのも一興だろうか。
「鈴音と、小鐘。どちらもきれいな音が響きそうな名前だから、そんな名前が良いわね」
自分たちの名前はおそらく神器から来ている。兄の『鏡矢』は特にそれっぽい。
実際に聞いたことはないからわからないが、合わせてみるのも無い手ではないか。いやいっそ、そこから抜け出してみるのもありだろうか。
「あっ、『和奏』とかどうです? 和音の『和』に『奏でる』で」
小鐘が妙案だとひらめき、姉に提案してみるも、反応がない。
「あれ、お姉様、寝てます?」
朝から行事が目白押しだったにも関わらず、ここまで元気な小鐘が特別なだけだ。
鈴音はすっかり体力も気力も使い果たし、寝息を立て始めていた。
「まあいいか。まだまだ先は長いし」
小鐘は姉の髪を軽く指で梳いて、愛おしげにそれを見つめる。
欲しいものはたった一つ。それが手に入ったのだから、小鐘に恐れるものはもう何も無い。
選んだ道は、結局のところ正しかったのか、そうでなかったのかわからないけれど、少なくとも神様はその道を許してくれた。
それならば、この地で、小鐘の選んだ道を否定できる者などいない。信仰の地、青海は、そんなふうにできている。
自分が神子で良かったと思う。たったそれだけで、欲しいものは手に入った。
「愛しています、お姉様。あなただけを、ずっと」
この先の未来を、あるいはその夢の中で、自分を思い描いていてくれたなら。
それだけをずっと、祈り続けている。
小鐘は姉の手を握りしめ、目を閉じた。
**
鈴音が目を覚ますと、朝焼けが障子越しに部屋を照らしていた。
隣には小鐘がいて、自分の分の布団もあるというのに、鈴音の布団に潜り込んで眠っている。
つい数ヶ月前までは、不法侵入を注意していたのが懐かしい。いまは鈴音自身の意思で、彼女を部屋へ迎え入れている。隣で並んで眠ることが、当たり前になっている。
鈴音の左手を、小鐘が両手でぎゅっと握りしめていたので、鈴音は空いていた右手を床について、体を起こした。
昨日は鈴音と小鐘の婚約発表があり、その後は大潮神社で賑やかにお祭りが行われた。
当事者である二人は、順々に現れる町民の祝の言葉にお礼を返したり、二人で舞を踊ったりもした。
直接神様と対話したのだから、既に神前式を済ませたと言っても過言ではない二人だが、関係性としてはまだ婚約者だ。
小鐘が結婚できる年齢まで、あと二年。
鈴音はそこまで微笑みながら小鐘の顔を眺めていたのだが、結婚のことを考えて一瞬顔がこわばった。それから少し眉を下げ、考え事をする。
婚約発表だけでもあれだけ盛大で大変だったのだ。結婚式──正しくは神前式になるのだが──を迎えるとなると、どれほどの苦労があるか計り知れない。
榊原家も上守家も、当然ながらこの地域で一番の権威を持ち、その上金持ちだ。家の威厳を示すためにも、それはもう盛大に行おうとするだろう。
鈴音としては静かな式が好みだが、小鐘は喜んで町民らに見せつけようと派手にしたがるかもしれない。普段は鈴音に合わせて落ち着いた行動を心がけるようにしているようだが、流石に式となると張り切るだろう。
しかし鈴音もそれを理解して、それを受け入れた上で、小鐘といる道を選んだのだ。今更それを覆すはずもない。
悩みの種は尽きないが、さりとて避けられることでもない。
何はともあれ時刻は午前六時を少し過ぎたところ。そろそろ可愛い妹を起こしてあげねば、遅刻してしまう。
鈴音は小鐘の肩を軽くゆすり、その名を呼ぶ。
「小鐘、起きて」
「んにゃぁ〜」
寝ぼけた返事が返ってきて、鈴音はまるで猫のようだとくすくす笑う。
「起きて。遅刻するわよ」
「んぇ……」
遅刻、という言葉に反応したのか、小鐘の目がぼんやりと開く。
「私も汐さんのところへ行かないといけないし、そろそろ起きて朝の準備をしましょう」
「ぁい」
まだまだ眠そうな顔のまま、小鐘は起き上がって、背筋を伸ばした。
その手から離れていった温もりを寂しく感じたのは、鈴音だけの秘密だ。
「おはようございます、お姉様」
鈴音にだけ向けられる、甘く優しい微笑み。この顔が見られるのは、果たしていつまでだろうか。
小鐘が高校卒業までは当面、上守家ではありながらも榊原家で暮らすことを許されたが、小鐘が高校を卒業すると二人で上守家で暮らすことになる。その時は別の部屋になるのだろうか。
いや、別の部屋になっても同じことか。
鈴音はこれまでの思い出を振り返り、ため息を吐いた。小鐘は放っておいても勝手に部屋に入ってくる。
苦笑いで小鐘を見つめると、キョトンとした顔が返ってきた。
頑張ろう。この愛しい人を守るために。
「さあ、まずは顔を洗いに行きましょうか」
鈴音はそっと小鐘の手を取る。そこには、もう二度と海にさらわれないようにと祈る気持ちもあったのかもしれない。
ただ、小鐘がずっとそばにいてくれれば、それだけが今の鈴音の願いだ。
そんな鈴音の心境など知る由もなく、小鐘は無邪気に笑って答えた。
「はい!」




